貿易都市クルル Ⅱ
確かに、ルークの言った通りだった。
その晩、言われたとおりに『サー・ヴィンロン』に行き、ルークがサムロという人はいるか、と聞いた途端、3人は強面の男たちに取り囲まれた。バーの扉に鍵が掛けられる。
「…な、何?何なの?」
動揺するレイアを間に挟み、ルークとカイルが背中合わせに男たちと対峙した。赤毛のモヒカン頭の大柄な男が、ニヤニヤと笑みを浮かべてルークの前に立った。肩の筋肉が盛り上がり、無数の傷跡が皮膚を覆っている。レイアの目には、非常に戦闘に熟練しているように見えた。
「オレがサムロだ。…ってえことは、そいつが例の、『死神』野郎か」
男――サムロの小さな目が、ルークの頭越しにカイルを見る。カイルはちらりとサムロを一瞥しただけだった。ルークがサムロを見上げ、落ち着いた口調で言う。
「…何のことかな」
「とぼけんじゃねえ。そいつが都で噂になってる『首切りの死神』だって、武器屋のオードンが教えてくれたのさ」
ルークは、大仰にため息をついた。
「…やっぱり。なーんでバレちゃったかなあ」
「そいつを倒せば、オレの株が上がるってもんよ!」
「わかった、わかった」
ルークは首だけカイルを振り返る。レイアもつられてカイルを見た。
「だってさ。相手してやれば?俺とレイアはそこで見てるから。くれぐれも殺さないようにね」
「え」
「……」
言うが早いか、ルークはレイアを引っ張って、バーのカウンターを飛び越えて裏へ回る。
「逃がすか…うお!」
取り巻きの1人が、レイアを捕まえようと手を伸ばしたが、瞬時にカイルがその男の首根っこを捕まえ、床に叩き付ける。どん、とバーの床が揺れた。サムロの動揺する声が聞こえる。
「て、てめえ、不意打ちなんて卑怯じゃねえか!」
「卑怯なのはどっちだよ。かよわい来客3人を、こんな大人数で囲むなんてさ」
いつの間にか、ルークがカウンターの上に上半身を出し、頬杖をついていた。レイアも慌ててすぐ横から顔を出す。サムロの顔が、髪の毛と同じくらい真っ赤になった。くるりとカイルの方を振り向き、殴りかかる。
「…この野郎!」
カイルはひらりとそれをかわす。避けた先にいたサムロより大柄な男が、背後から両腕を掴んでカイルの動きを封じた。そこに突進してきた男の手に握られていたナイフを、カイルは足で弾き飛ばし、そのまま相手の顎を蹴り上げる。蹴り上げた足を地面に降ろすと、今度は両足を踏ん張って、自身を羽交い絞めしていた背後の大男を背負い投げた。バーの床が先ほどより大きく揺れ、少し遅れて木でできた床が、みし、と音を立てる。カイルは体制を立て直し、両脇から襲い掛かってくる2人の顔面を、同時に拳で殴りつけた。
「…すごい…」
レイアがぽかんと見ている間に、カイルは1人、また1人と、鮮やかに倒していく。相手が武器を持っていようが、どんな体格だろうが、お構いなしに。
「…くそお!」
最後に1人だけ残ったサムロが、一際長い剣を構えてカイルに飛び掛かった。カイルはとん、と木の床を蹴り、一瞬宙を舞ったかと思うと、サムロの背後に降り立った。右腕をサムロの顎の下に、左腕を頭に巻きつける。
「そうそう、言い忘れてたけど」ルークが、どこか楽しそうな口調で言った。
「カイルは、首切りだけじゃなくて首折りもできるからね」
「え」
サムロの顔が一気に蒼白になり、持っていた剣が音を立てて床に落ちた。
「言われたとおり、話つけてきたけど?」
翌日、再び武器屋の屋台を訪れ、ルークは許可証を掲げて、満面の笑みで言った。店主のオードンは、苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちしたが、カイルを恐る恐る一瞥して、諦めたように言った。
「…わかった。その中から好きなのを選べ」
それを聞いたカイルは、入り口を潜り抜けて屋台の奥に進み、品定めし始める。
「どうして、カイルが『死神』だと?」
ルークが尋ねると、オードンは右眉をくい、と上げる。そうするのが癖らしい。
「事前に彼らに教えたんでしょう?」
「剣をすぐ壊しちまうなんて、尋常じゃねえ。よっぽど使い方が悪いか、さんざん人を斬ってるかのどっちかだろうと思ったのさ。あんな真っ黒い格好してる奴はそうそういねえし。つっても確証はなかったから、鎌をかけただけのつもりだったんだがな」
「へえ…さすが、剣を売ってる人は違うなあ」
ルークは感心したように言った。
「ま、サムロが認めた奴にしか売らないってのも本当だけどな。この町じゃ奴が一番強いんだ…しかし、こうも立て続けに負けてちゃあ、さすがに奴も落ち込んでるかもしれねえな」
「立て続けに?最近、彼を負かした人がいたんですか」
ルークが不思議そうに聞き返す。レイアも驚いた。あんなに強そうな人を倒せる人が、そうそういるとは思えないけれど。
オードンは、小指で耳の穴を掻きながら答える。
「まあ、事情はちょいと違うが…つい先日な。随分汚れた格好の野郎が武器を買いたいってんで、サムロのところにやったんだ。したら、一度はサムロがそいつを倒したらしいんだが、バーを出てすぐ、そいつの仲間の男どもに集団で襲われたんだと。まったく卑怯な奴らだよ」
オードンは忌々しげに顔を歪める。そのサムロ自身も大勢でかかってきたんだけど、とレイアは言い出しかけたが、次に続いた彼の言葉で、飲み込んでしまった。
「でもま、一応約束したからな、仕方ねえから武器を売ってやったんだが、どうにもいけ好かねえ奴らだったよ。全員似たような格好で、どっかの国の紋章がついてたな」
「…それって」
レイアはルークを見た。ルークもレイアをちらりと見る。
「そいつら、他に、何か特徴はありませんでした?」
「ん?そうだなあ…」
オードンは腕を組んで考え込む。
「あ、そうだ、言葉に若干訛りがあったな。あの妙なアクセントは多分…ウォールテアの方じゃねえかな」
ウォールテア。レイアの心臓が喉元まで跳ね上がった。例の賊だ。
ルークもぼそりと呟いた。
「…当たりだ」
「あん?」
「その連中、そのあとどこに行ったか、わかります?」
「さあな…俺はここからほとんど動かねえし…なんだ、あんたら知り合いか?」
「知り合いじゃないけど、ちょっと事情があって後を追ってるんです」
オードンは顎を撫でて、真剣な顔つきのレイアとルークを交互に見て、「そうか」と言った。
「じゃあとりあえず、港に行ってみたらどうだ?大陸を出てれば誰か覚えてるかもしれねえし。この道をずっとまっすぐ行きゃあ、着くからよ」
「わかりました…ありがとうございます」
ルークが礼を言うと同時に、カイルが店の奥から出てきた。その手にある剣を見て、オードンが右眉を上げ、ひゅうと口笛を吹いた。
「さすが『死神』と呼ばれた男!目の付け所が違うねえ」
「…そんなすごい剣なの?」
剣に関しては全く無知のレイアが尋ねた。オードンはにやりとして言う。
「すげえのなんの。そいつぁ『百人斬り』の異名を持つ剣だ」
「え」
レイアはまじまじと剣を眺める。刀身は鏡のように磨かれ、レイアの顔が映るほどだった。これが百人の命を奪った剣だなんて…。ルークが眉を顰め、訝しげに尋ねる。
「綺麗すぎやしません?とても人を斬ったようには見えないんですけど…」
「そりゃあそうさ、新品だからな」
「は?だって百人斬りって…」
「『百人斬っても大丈夫』ってのが売りなんだ」
「……」
「おい、なんだ、その馬鹿にしたような目は」
港に着くと、レイアはまたしても感嘆の声をあげた。
大きさもデザインも様々な船が並び、船と陸地を、貨物を持った人々が行き交っている。横に真っ直ぐに伸びた水平線が空と海とを分かつのが見え、青い空には白い鳥が列を成して飛び回り、空より深い青色をした海の表面は、太陽に照らされてキラキラと波打っていた。どこからともなく低く長い汽笛の音が響き、空気を震わせ、レイアの腹の底にもびりびりと響いた。
汽笛が鳴り終わると、今度はレイアの腹が低い音を鳴らした。
「…お腹すいた」
それを聞いてルークは、ふっと吹き出す。
「昼にはまだ少し早いけど、何か食べようか」
港には、様々な料理店が並んでいた。レイアとルークは、値段も量も手ごろな料理店を選んで入った。例によってカイルは、いつの間にかいなくなっている。
木製のドアを押すと、ドアにぶら下げられた貝殻が、シャラシャラと音を立てた。ふっくらした妙齢の女性が、皿を拭く手を止め、にっこりと振り返る。
「いらっしゃい。ご注文は?」
「日替わり定食2つ」
かしこまりましたあ、とよく通る声で言うと、女性は厨房に顔を突っ込み、注文を伝える。レイアとルークは、海の見える窓際の席に腰かけた。窓際の席は他に2つあるが、そのうちの1つ、店の最も奥にある席には、細身の若い女性が頬杖をついて座っていた。彼女の前にはすでに飲み物があり、時折それに口をつけながら、ずっと窓の外を見ている。
それにつられるように、レイアとルークも、窓の外を見た。
「私、海って初めて見たよ。話に聞いてたより、ずっと綺麗だね」
「そうだね…」
「ところがどっこい」
唐突に、野太い声が2人の会話に割り込んできた。体格の良い髭面の男が、水の入ったグラスを持ってテーブルの脇に立っている。
「一見綺麗に見えるけどな、中には凶暴な海洋生物がうようよいるんだ」
「え、そうなの?」
「ああ」
男は歯を見せてにやりと笑った。肌が浅黒いので歯が異様に白く見える。
「ここ数年は、特にな。だから、船には武器を持った奴を何人か乗せていないと、出航の許可が出ないんだ。あんたたち、サムロには会ったか?」
「ええ、まあ…」
「じゃあ、ここじゃサムロが認めた奴しか武器を買えないってことも聞いたよな?海洋生物がいるせいで、そういう規則ができたのさ。…見たところ、あんたらも武器を持ってるみたいだが」
男は、ルークとレイアが背負っている剣に、ちらりと目をやる。
「ま、不用意に港に近づかないことだな。奴らは昼夜問わず活発だからな」
「ちょっとアンタ、いつまで無駄口叩いてんだい!」
厨房から女性のどすの利いた声が聞こえ、男は、ひょっと肩をすくめる。グラスをテーブルに置いて、そそくさと立ち去った。
ルークとレイアは、顔を見合わせて吹き出した。
「…今の、さっきのおばさんの声かなあ。全然印象が違うね」
「あの男の人、多分旦那さんだな。あんな強面なのに、奥さんには頭が上がらないんだろうね」
それから、少しの間、無言で海を眺めていた。男の話のせいもあって、海の色は先ほどより深く、暗くなったようにレイアには思えた。
「ねえ、ルーク」
海の暗いイメージがそうさせたのだろうか、レイアはずっと考えるのを避けていたこととを、聞いてみることにした。ルークは海を見たまま、「うん」と返事する。
「アルスも言ってたんだけど…カイルのこと…都で噂になってるって、ホント?」
ルークはちらりとレイアを一瞥し、再び窓の外に視線を戻す。もうひとつ空いていた窓際の席に、やたらと荷物の多い一団が入ってきた。どうやら買い物の途中らしい。レイア達と同様、この町の人間ではないのかもしれない。
「…ホントだよ」
その一団が店員に注文し、談笑を始めた頃、ようやくルークは言った。
「東の地方で、数人の首切り死体が発見され、現場では必ず黒ずくめの男が目撃されたんだ。死体の首はどれもがすっぱりと切られていた。まるで大きな鎌で一刀両断したかのようにね。王都の近郊でも同様の事件が起きてる。いつしかその犯人は『死神』と呼ばれるようになった」
太陽の光が海に反射して、ルークの顔面を白く照らした。ルークは眩しそうに目を細める。
「俺は実際に現場に居合わせたわけじゃないから、アイツの仕業かどうかはわからない。十中八九、カイルの仕業だと思うけどね。…レイアも、見ただろ?あの、剣をブーメランみたく投げるのは、カイルの特技なんだ。あんなやり方できるのは、アイツぐらいだし」
それから、ルークはレイアをじっと見つめた。
「…アイツのこと、怖いと思う?」
それは、前にも聞かれた質問だった。レイアは、少し考えてから、ゆっくりと言った。
「…怖い、とは思う」
そうやって、何の躊躇もなく、人の命を奪ってしまうことが。…けれど。
「でも、何か理由があるんじゃないのかな」
村の時も、オロ神様の時も、彼は誰かの為に戦ってくれたのだ。
「…理由、ね」
ルークが呟いたとき、「お待たせ~」という黄色い声と共に料理が運ばれてきた。例のふくよかな女性が、にこやかに現れて配膳を済ませる。
「…食べようか」
ルークはにっこり笑って、そう言った。