ぐらぐら③
昨日訪れたハンネスの家。俺が先頭に立ち、扉を軽く叩いた。反応はなく、足音すら聞こえない。腕を組んで待ちながら周囲へ目を向ける。
町には薄い静寂が積もっていた。あれほど賑わっていた大通りは、朝食や出勤の時間にもかかわらず人通りが極端に少なかった。ここに来る途中見かけた店も、ほとんどが戸を閉めている。それぞれの家から聞こえていた生活の音も今は消え、怯えるように息を潜めていた。
間違いなく今朝の殺人事件の影響だろう。あんなにも温かな町だったのに、たった一晩でここまで変わってしまった。そして、被害者はもう二度と帰って来ない。駄目だ、静かになると捜査に集中できなくなる。
いつまで経っても返事が返って来ないため、もう一度扉を叩いた。日が昇る中、どの窓もカーテンで閉め切られたまま。不在かと、そう思って振り返る。シモンは黙ったまま顎で家を指した。シモンの聴力では家の中の物音を拾っているらしい。耳を澄ませるが、玄関に近付いてくる様子はなかった。
再び扉に手を伸ばし、今度は声もかける。
「ハンネス、俺達だ。少し話を聞かせてくれないか?」
三度目の呼びかけに、ようやく俺の耳にも足音が届いた。酷く怯えているのか、一歩ごとに間を置き、息を潜めるように慎重に近付いてくる。
少しして鍵が回り、扉が僅かに開かれた。隙間からハンネスが顔を覗かせる。半分しか見えないにも関わらず、強張った表情には焦燥と恐怖がはっきりと刻まれていた。
「入ってください」
急かすような早口で彼は少しだけ扉を広げる。俺達が順番に入る間も、彼の瞳は外の様子を窺うため、忙しく動いていた。
「鍵、閉めといてください」
全員が中に入ると、ハンネスは俺達に背中を向けたまま声をかけた。部屋に案内してくれようとするが、ここで良いと断る。ただ確認するだけで、そこまで長居するつもりはない。
「それで……話ってなんですか?」
ハンネスが俺達に向き直る。視線は俺に向けられないまま左右を往復し、明らかに落ち着きがない。手短に要件を伝える。
「昨日の晩、あんたがどこで何をしていたか聞きたい」
質問を受け、ハンネスの表情が変わっていく。身体を硬直させ、発言者である俺を凝視した。
「何を言ってるんですか……まさか、私を疑ってるんですか!?」
目を見開いた表情は、信じられないと言わんばかり。声は焦りでも怯えでもなく、大きな動揺で崩れるように震えていた。
「違う。ただあんたがやっていないと確認したいだけだ」
「そんな必要ないでしょう!? 現場にも名前が残されていたんですよ!? もう町ではあのニギギが近くにいるって広まってるくらいです!」
先程の小声が嘘のようにハンネスは声を荒げ言う。その剣幕より俺は、勢いのまま放たれたであろう言葉に衝撃を受けていた。町中にニギギの名前が広がっている。
朝、あの時計台前は人だかりとなっていた。誰かが横からメッセージの内容を目撃した可能性は考えられなくはない。
小さな田舎町、どこかで情報が洩れれば広がるのも早い。その答えが今の町の有様。だが、迂闊に歩かれるより、閉じこもっていてくれた方が安全ではある。
自主警戒と言えば聞こえは良い。実際は必要以上に怯えさせているだけだ。町の機能が完全に停止する前に、早く解決しないと。でなければ、チェリアが愛した町まで壊してしまう。だから、ここで立ち止まっている場合ではない。
「話を聞いてくれ。俺達はニギギをぶっ殺す前に、チェリアを殺害した奴がニギギの名を騙っているわけではないと証明したいだけだ」
余計な感情が入りそうになるも、抑え、低く平坦な声で続ける。
「ニギギの名前が広まる前。昨晩の時点であいつがコンカーレ周辺に居ることを知っているのは俺達を除いてごく少数しかいない。そいつらの潔白が証明できればニギギを討ちに行ける」
ここで揃って感情的になればきっと、欲しい回答は得られない。下手をすれば追い返されるだろう。平静を装い向き合うと、ハンネスの視線が手元に落ちる。そのまま空気を呑み込み、吐き出した。
「私は昨晩、頼まれた魔具の修理を行っていました」
ハンネスは振り返る。開け放たれたままの扉の向こうには作業台が見える。確かに、その上には分解されたまま放置されている魔具があった。
「私がチェリアを殺していないと証明できるものではありませんが、専門機関が修理用の魔具を解析すれば、昨晩稼働していたことが分かるはずです」
声を震わせながら静かに言う。しかし言葉は迷いなく、自分は犯人ではないとはっきり否定しているようだった。確かに、専門の器具を通せば魔具の使用履歴くらい確認できる。ハンネスの発言は潔白を確認する手掛かりにはなるだろう。
「分かったよ、ありがとう」
ここでの用事はもう済んだ。礼だけ言って踵を返す。一番後ろに居たネルが扉に手をかけた瞬間、後ろから息を吸う音が聞こえた。
「待ってください!」
ハンネスの大声が背中を叩く。突然の大声にネルの肩が跳ね、手を離した。もう一度ハンネスの方へと向きを変える。
彼は目を見開き、手を伸ばしたまま固まっていた。咄嗟に呼び留めてしまったのか、自分の声に驚いている様子だった。ようやく瞳が動いたかと思えば、一度逸らし、再び俺を見る。
「皆さんはニギギの場所を掴んでいるんですか……!?」
表情はまた恐慌へと落ちていく。
「そもそも何故チェリアが殺されてしまったんですか!? 皆さんはニギギの動きに気が付かなかったんですか!? ニギギがやったって証明できればすぐ捕まえに行くんですよね!?」
口を挟む隙も与えず、彼は矢継ぎ早に言葉をぶつけてきた。混乱したままの思考をそのまま吐き出す勢いで更に続ける。
「ニギギを止めないとまた誰かが死んでしまいますよ!?」
耳は声を拾っていたのに、その意味は遅れて頭の中に入ってきた。理解した瞬間、胸の奥を容赦なく抉られる。肺が圧迫されたかのような苦しさに、か細い呼気が漏れた。
「静かにしろ」
ようやく絞り出せた言葉は、それだけだった。強張った手が痛みを訴える。気が付けば指は深く食い込み、爪が皮膚を突き破りそうな程強く握り締められていた。
分かっている。全部分かって、理解して、その上の行動だ。しっかりしろ、息を吸え、思考を回せ、感情的になるな。
もう一度ハンネスを見るが、まだ言い足りないのか口を開閉させていた。その仕草に苛立ちが募る。
「ハンネス、あんたはなんでそんなに焦ってんだ?」
「それは……」
指摘すると、ハンネスは何か言いかけたまま口唇を引き結んだ。胸の底に燻る熱のまま続ける。
「はっきり言って、異常だぞ」
何故ここまで取り乱すのか。声にした後、失言だったと気が付くがもう遅い。疲弊した心身からは取り繕う余裕などなく、そのまま零れてしまう。ハンネスの眉が僅かに上がった。
「……違います。私から見たらあなた達が異常なんです」
「は?」
思いもよらない発言だった。すぐに反応できず、唖然としたままの俺にハンネスは声を重ねる。
「知り合いが惨たらしく殺されて、そんな殺人鬼が近くにいて、その状況で冷静になれますか?」
彼の恐怖は、明らかに俺達へ向けられていた。
「確かにあなた達は仕事上この状況に慣れているかもしれない。でも、私達から見たら適応できるあなた達が異常に見えますよ……」
力なくハンネスは告げる。弱々しく、最後の方は吐息に混ざる程だった。俺は何も言い返せない。確かに、そうだ。
凶悪犯罪を目の当たりにし引きこもる人々。家も店も固く戸を閉ざし機能を失った町。皆、姿を見せない凶悪犯を恐れ、怯え、その感情のまま防衛行動を取る。ハンネスだけではない。ユーゴだってニギギを前に恐怖に沈んでいた。
だが俺達は違う。最初こそ怒りと混乱に足を縫い止められ、その場から動けずにいた。それでも今は、全て抱えたまま進もうとしている。それこそが、俺達の行動を分けていた。
「……すいません、あなた達は解決のために動いているというのに」
ハンネスは項垂れ、両手で顔を覆う。
「でも怖いんです。きっとニギギはあの魔具で何かしようとしてる。ニギギを止めなければ、この町は……」
そこから先、続く言葉は出なかった。俺は静かに背を向ける。抱える不安を理解できても、同じ場所に立つことは出来ない。中途半端な慰めは、彼の恐怖を更に煽るだろう。
「邪魔したな」
声をかけ、返事を待たないまま家から出た。扉を閉める直前、嗚咽のようなものが聞こえた気がしたが、黙ったまま歩き出す。




