第8悔 『風前のエリク』
「な!? だから早起きして正解だったろ!?」
螺旋石段とは別にある、麓から頂上まで直線的に延びる神殿正面の儀式用石段付近を運よく確保できたボボンの得意そうな顔が、クリストフの心を躍らせた。
――何かが起こる! 今日から新しい何かが始まるのだ!
誰もがその期待を胸に、今となっては元老院の評議員となってしまい華やかな表舞台から遠のいた英雄エリクソンの勇姿を、再び見ることが出来ると信じていた。
ただ一人、エリクソン・シンバルディその人を除いて……。
ルーム神殿の天井を支える柱の土台に腰掛けたエリクソンは、手を開き、あるいは握りしめても手が小刻みに震えていることが確認出来てしまう己自身を嘲笑った。
「フ……救国の英雄だと騒がれちゃいるが、このザマか……」
それは、これから自分の身に起きようとしている惨事を予見し、体が勝手に反応していたのかも知れなかった。
しかし、それも無理はなかった。生きるか死ぬかの“大後悔”が待っているのだ。
エリクソンがこの国で初めてとなる公の“後悔”を買って出たのには多少なりとも理由があった。
彼は焦っていた。
かつての大戦時の上官であり親友でもあったジョアン・パルスティンは、現在のリゴッド皇国の主、ジョアン・リゴッド大皇その人である。
その大皇と皇太子マルコが長期の海外視察に出かけてもうすぐ一年。
その間に、第二皇子のエンリケとその家庭教師トスカネリは恐るべき勢いで議会の言論を統制、統合しリゴッドは急激に平和主義国家へと移行しようとしていた。
もともと争いごとが嫌いな平和主義者であるエンリケは、父皇と兄皇不在の間にトスカネリと「全人類に等しく利益となる全く新しい革命」の準備を始めた。
すると元老院の中でも、空気を読み絶対的な権力者にへつらうことだけが生き甲斐の貴族たちがエンリケに追従し、大皇と皇太子の長期海外視察の目的がいまいち不明瞭なことも手伝って、議会の風向きが変わり始めたのだ。
この新たな革命の息吹を息苦しく思ったのは、対ウィンド戦時からの軍閥や大皇ジョアン本人と親交ある者やあるいは重用されて来た者たちだ。
その筆頭とも言えるエリクソンは、元老院での発言権も徐々に失い、この春を迎えようという頃には存在自体が空気と化そうとしていた。
その惨めなエリクソンに助け舟を出したのは他ならぬトスカネリだった。
全盲の彼は、ある雨の晩に一人でルームシティ郊外のエリクソン邸を訪れ、玄関先でこう告げた。
「救国の英雄が、人類革新の旗手ともなる……全く悪い話でも矛盾する話でもないと思うのだが?」
風前の灯火のエリクソンはこの話に飛びつかざるを得なかった。
自己顕示欲も権力欲も特に旺盛という訳ではない彼だったが、一度、英雄に祀り上げられてしまうと話は違う。
そこから落とされるのは、公衆の面前で辱めを受けるのに等しく、常人にはとても絶えられるものではなかった。
「……で、俺は何をすれば良いんだ?」
エリクソンは玄関先で厳しい表情を崩さずにトスカネリに尋ねると、盲目の賢人は簡潔に答えた。
「後悔をするのだ」
――後悔?
エリクソンの頭の中に疑問符が浮かんだが、同時に自分の中の冷静な部分が呟いていた。
エンリケ派に取り入ってしまったことで後悔ならもうしている、と……。
第8悔 『風前のエリク』 おわり。:*+゜゜+*:.。.*:+☆




