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よいこのための、さいゆうき  &  西遊記の現代科学  作者: 何十億人か目の西遊記ファン
9/21

化け比べ(西遊記第6回から)

「西遊記の現代科学」の続きです。旧自サイト閉鎖に伴ってこちらに移動させる際に、ごく一部を修正後残して、大半を新規に書いたものです。


旧自サイトでも宣言したように著作権を放棄します。(原作者を騙らない限り)改変・再使用はご自由にどうぞ。

 悟空は七十二変化の術を駆使して、色々な動物に化けて読者を楽しませる。その見所の一つに第6回の二郎真君との化け比べがある。


 化けるといえば本家本元は狐や狸だが、連中が化けるのはもっぱら若い娘であり、時に老婆や幽霊、怪物だが、もっぱら女ばかりで、せいぜい怪物に化ける時だけは無性だったりオスだったりする。稀に男や仙人に化けることもあるが、これまた美男子という平凡な発想しかない。しかも尻尾を隠せない。要するに人型ばかりなのである。

 

 ということは、かぶり物やメイキャップを駆使した単純なコスプレ技術で、狐狸の類いの「化け」は説明できるのである。

 これには歴史的な背景もある。要するに、花を売る商売で美人に見せる技術に騙された男たちが身を持ち崩した例が、枚挙にいとまがない故に、身を持ち崩させるような楼閣従業員を「本来のすがたは醜い」狐狸に例えて「化かされた」と呼ぶのだろう。

 今だって、結婚相手を捕まえる時だけ「清楚のふり」をする女(いや、結婚後にその印象を維持してくれるのであれば全く問題ないが)に騙される男は多いのである。もちろん男のほうも「家事育児を積極的に助ける」と騙している数が多いかが、どっちもどっちではある。

 なお、観音様も化けるが、彼の語録である般若心経によれば、彼自身が「くう」すなわち幻なので、変化の「術」ではなく、何にでも存在自体が変化するそうだ。何のことはない、今風にいえばCGや空中投影の技術だ。

 もっとも、これはあくまで般若心境による主張であり、もしかすると空中投影もあるかも知れないが、現実にはコスプレがほとんどだと思われる。というのも、西遊記の記述を読む限り、第17回で美男子の仙人に化けた以外は、全て娘や老婆にしか化けていないからだ。人型、しかも女ばかりなのである。だから、観音女性説も生まれたが、時代背景を考えれば生物学的には男である。単なる女装コスプレと考えたほうが自然だろう。実際、観音様は化粧が好きで、唯一化粧なしで登場した第49回の挿絵によれば、男のようである。


 これらの例を見ると、コスプレ以外の実体を伴った「変化の術」というのは極めて困難であることが想像される。ところが悟空と来たら、人型以外に化けることが多い。

 それだけでも凄いのに、あえて偵察用のハエのような「弱い立場」「醜いもの」によく化ける。第2回では松の木のような植物にすら化けている。その発想の柔軟さが、悟空の強みの一つであることは確かだ。例えば偵察用ハエだが、イスラエルが開発したとの噂のあるススメバチ型偵察装置を先取りしているうえ、たとい敵に食べられたとしても、大抵は飲み込むばかりで噛み砕くことはないから(ススメバチだと、食べられる前に殺される)、お腹の中で暴れて相手を降参させることが出来る。現代であれば人間のみが使うとされる蠅たたきが問題だが、昔の「蠅がわんさといる」中国に蠅たたきがあったとば思えず、そうなればススメバチより遥かに有利といえよう。長靴を履いた猫に食われる魔王は、悟空を真似ねて、丸のみしかできないぐらいに小さなネズミもどきに化けるべきだったのである。

 ともあれ、悟空が人型以外に平気で化ける、というか人に化けるより多い。第6回の二郎真君との化け比べでも、巨人、雀、鵜、蛇、魚、野雁、二郎真君と化け続ける。人型は最初と最後だけで、あとは全て非哺乳類だ。

 

 この事実から、もしかしたら悟空の変化術は狐等の変化術と本質的に異なるのではないか、という疑問が生まれる。ここで参考になるのが、野雁に化けたのを見破られた悟空が、廟に化ける下りだ、

 尻尾の処理に失敗した故に二郎真君に見破られるが、尻尾を処理しなければならなかったという事実から、変化の際の原理原則が伺われるのである。すなわち、手、足、歯、目、尻尾とそれぞれに対応関係を持たなければならないと云う事だ。

 見かけ上の形態、すなわち動物分類名が変わっても、DNAに換算するとほんの数%の差でしかなく、基本構造が保たれている事実は、生物学の大原則だ。それ故に進化論が生まれ、遺伝子をどのように弄くっても基本構造の同じ生物しか作れないという、遺伝子工学上の暗黙の了解をすら示している。だが、この極めて重要な事実は当たり前過ぎて看過され易い。それを西遊記は、廟の例えで示しているのである。

 将来、遺伝子工学が進んで豚や魚に人間の皮膚や筋肉を取り付ける事が可能になる時代が来るかも知れない。のみならず、全ての動物の遺伝子を取り込んだDNAを作る事と、その発現を自在にコントロールする事が出来る時代が来るかも知れない。その時は、時間は掛かるかも知れないが、悟空の様な変化が可能になるだろう。だが、そのような時代になっても、生物の基本構造は変わらないはずだ。それを、第6回の廟の何逸話は示している。


written 2009-2-22 (revised 2020-9-5)

 悟空は七十二変化の術を駆使して、色々な動物に化けて読者を楽しませる。その見所の一つに第6回の二郎真君との化け比べがある。


 化けるといえば本家本元は狐や狸だが、連中が化けるのはもっぱら若い娘であり、時に老婆や幽霊、怪物だが、もっぱら女ばかりで、せいぜい怪物に化ける時だけは無性だったりオスだったりする。稀に男や仙人に化けることもあるが、これまた美男子という平凡な発想しかない。しかも尻尾を隠せない。要するに人型ばかりなのである。

 

 ということは、かぶり物やメイキャップを駆使した単純なコスプレ技術�で、狐狸の類いの「化け」は説明できるのである。

 これには歴史的な背景もある。要するに、花を売る商売で美人に見せる技術に騙された男たちが身を持ち崩した例が、枚挙にいとまがない故に、身を持ち崩させるような楼閣従業員を「本来のすがたは醜い」狐狸に例えて「化かされた」と呼ぶのだろう。

 今だって、結婚相手を捕まえる時だけ「清楚のふり」をする女(いや、結婚後にその印象を維持してくれるのであれば全く問題ないが)に騙される男は多いのである。もちろん男のほうも「家事育児を積極的に助ける」と騙している数が多いかが、どっちもどっちではある。

 なお、観音様も化けるが、彼の語録である般若心経によれば、彼自身が「くう」すなわち幻なので、変化の「術」ではなく、何にでも存在自体が変化するそうだ。何のことはない、今風にいえばCGや空中投影の技術だ。

 もっとも、これはあくまで般若心境による主張であり、もしかすると空中投影もあるかも知れないが、現実にはコスプレがほとんどだと思われる。というのも、西遊記の記述を読む限り、第17回で美男子の仙人に化けた以外は、全て娘や老婆にしか化けていないからだ。人型、しかも女ばかりなのである。だから、観音女性説も生まれたが、時代背景を考えれば生物学的には男である。単なる女装コスプレと考えたほうが自然だろう。実際、観音様は化粧が好きで、唯一化粧なしで登場した第49回の挿絵によれば、男のようである。

 

 これらの例を見ると、コスプレ以外の実体を伴った「変化の術」というのは極めて困難であることが想像される。ところが悟空と来たら、人型以外に化けることが多い。

 それだけでも凄いのに、あえて偵察用のハエのような「弱い立場」「醜いもの」によく化ける。第2回では松の木のような植物にすら化けている。その発想の柔軟さが、悟空の強みの一つであることは確かだ。例えば偵察用ハエだが、イスラエルが開発したとの噂のあるススメバチ型偵察装置を先取りしているうえ、たとい敵に食べられたとしても、大抵は飲み込むばかりで噛み砕くことはないから(ススメバチだと、食べられる前に殺される)、お腹の中で暴れて相手を降参させることが出来る。現代であれば人間のみが使うとされる蠅たたきが問題だが、昔の「蠅がわんさといる」中国に蠅たたきがあったとば思えず、そうなればススメバチより遥かに有利といえよう。長靴を履いた猫に食われる魔王は、悟空を真似ねて、丸のみしかできないぐらいに小さなネズミもどきに化けるべきだったのである。

 ともあれ、悟空が人型以外に平気で化ける、というか人に化けるより多い。第6回の二郎真君との化け比べでも、巨人、雀、鵜、蛇、魚、野雁、二郎真君と化け続ける。人型は最初と最後だけで、あとは全て非哺乳類の脊椎動物だ。

 

 この事実から、もしかしたら悟空の変化術は狐等の変化術と本質的に異なるのではないか、という疑問が生まれる。ここで参考になるのが、野雁に化けたのを見破られた悟空が、廟に化ける下りだ、

 尻尾の処理に失敗した故に二郎真君に見破られるが、その際に、手、足、歯、目、尻尾とそれぞれに対応関係を持たなければならないという説明がある。だからこそ脊椎動物の範囲内での変化なのである(木はトポロジー的にはいくらでも人間に似せられるからOK)。

 となると、狐狸のような「化け」初心者と、この時の悟空のような「化け」中級者の違いは、「DNAの一致度」がどこまで低い相手に化けられるか、という話に単純化できる。その意味では、悟空が後日愛用する昆虫に化けるのは上級の技だ。なんせ昆虫は6本足に加えて羽があり、目も複眼で、とても「手、足、歯、目、尻尾」の対応では追いつかない。

 実際、悟空がハエやバッタ、コオロギなどの昆虫類に化けるようになったのは三蔵と合流してからである。つまり五行山での500年の瞑想を経て得ているのだ。

 ともあれ、西遊記第6回で披露される悟空の変化は、見かけ上の形態、すなわち動物分類名が変わっても、DNA換算で大差のない脊椎動物である限り、基本構造も類似であることを示している。


 ということは悟空の変化術は、DNAを弄くる遺伝子工学のプロトタイプとも言えるだろう。

 遺伝子工学が進むほど、DNAを弄くる度合いが高くなる。そして現在の「初歩レベル」の遺伝子工学ではDNAをどのように弄くっても基本構造の同じ生物しか生まれないだろうことを示している。この極めて重要な事実を、廟に化けることの困難で示しているのである。

 将来、遺伝子工学が進んで豚や魚に人間の皮膚や筋肉を取り付ける事が可能になる時代が来るかも知れない。のみならず、全ての動物の遺伝子を取り込んだDNAを作る事と、その発現を自在にコントロールする事が出来る時代が来るかも知れない。その時は、時間は掛かるかも知れないが、悟空の様な変化が可能になるだろう。


 ちなみに第6回の段階での脊椎動物限定の変化は、当時の輪廻の考え方に近い。金瓶梅の登場人物は全て来世も人間に生まれており、唐代の短編小説では四つ足動物への転生の記述がある。蛇もありそうだ。しかし、虫への転生の記録は見たらない。十二支だって脊椎動物ばかりだ。

 つまり、転生の範囲は脊椎動物に限られていたと思われる。それ故に、この頃の悟空には、脊椎動物以外の動物には化けられないと思っていたのではあるまいか? そして、悟空がハエに化けることを覚えたことで輪廻の転生先に昆虫を含むあらゆる動物が加わったのではあるまいか?

 このあたりの議論は歴史・宗教学者に任せたい。

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