スタート
〝モラトリアム・ファンタジー〟──題名に興味はありませんが、友人に誘われたので始める決心をしたこちらのゲーム。
初期投入金額の高さに思わず家電なのではとツッコミを入れずにはいられないVRカプセルベッド、それだけではなくソフト本体もそれなりの値段のする現実。
去年と夏休みの間にバイトで貯めたお金をほぼ満額消費して購入したこちらの装置ですが、部屋の大部分を占領する大きさは流石に辛く、早くも小型化希望中です。
それにしても此処に寝てスイッチを入れるだけで仮想現実世界へと旅立てるというのは何と言いますか、これも一つのファンタジーのようですね。少し前だとゴーグルが主流でしたが、今日ではこんな代物が存在するのですから世界の進歩は早い物です。
まあ、そんな事よりもさっさとログインするとしましょう。
枕に頭を預けて手元のスイッチをonにします。意識が仮想現実世界へと移動するのを目を閉じて待ち、気が付くと私はベッドの中で眠るように世界が切り替わるのを感じ取りました。意識だけがベッドをすり抜けて下に潜り込むような不思議な感覚です。
沈む、沈む、何処までも沈んでいく私の意識は、ふと、浮上する様な感覚と共にその場所へと移動していました。
そこはまるで深海の底のように暗く、それでいて切れかけの蛍光灯の様にうっすらと明るい場所でした。広くはなく、けれど狭くもない。あるのはシルエットの様な誰かと、猫型の何かだけ。
なんでしょうかコレ、なんて思っている私に話し掛けてきたのはまさかの猫型の何かでした。ちょっと間延びした、甘ったるい声でこんなことを言います。
「はろーお客さん、オイラ達は貴方のアバター作成を補助する管理AIのキャットさんと、同じく管理AIのエシラさんだよ。ログインありがとね、オイラ達は新しいお仲間を大歓迎さ。と言う訳で、早速アバター作成をしましょうかね」
エシラと呼ばれたシルエットが崩れ、その場に中世的というよりも無個性な顔立ちの少年が現れました。結構綺麗な顔立ちなのだけど、何故か地味さの方が前面に現れる辺り、……なんというか、現実の私の8割増しくらいに美形にしたらこんな感じになりそうです。
キャットはこれが貴方のアバターの初期設定であり、これを弄って好きな形にして欲しいと言われました。
と言われましても。私は正直この手の物を弄るのは苦手なのですが。そもこの状態で違和感がないので弄らなくてもいいのではと思う程。
ただ、それは味気ないんじゃないというキャットの視線に負けて、瞳の色だけは変えることにしました。
次は職業だと言われたのですが、これについては友人から色々と言われているのでしっかりと考えるとしましょう。
何でもこのゲームは全ての職業が戦闘できるようになっているらしいのですが、生産系の職業ではやはり戦闘を楽しめる要素が少ないらしく、そもそも手先が器用ではない私の場合、レベルを上げて物理で殴れる系の方が良いのではないか、というのが友人である姉さんの意見でした。そうなるとかなり職業選択の幅は絞れるのですが、……正直決めかねています。
と言うのもどれも魅力的なのですが、それ以上にこれと言った物がありません。どれも一定以上は楽しそうなのに、これがいい、と言い切れるほどの魅力がないのです。
なんというか煮え切らない私が悪いんですが、──此処でキャットから悪魔的提案を受けました。
「お客さん、選べないなら運命をサイコロで決めちまうのはいかがですかー?」
「サイコロで?」
「ええ、十面ダイスを二つ投げて、その番号の職業を選ぶってのはどうです? 運も実力の内と言いますし、ランダム選択なので通常では付けない様なレアな職業もあり得ますよ?」
「面白そうですね、それでやってみます」
どうせやりたい職業もないのですから運に丸投げしてみましょう。
そう思って地面に向かってサイコロを投げて、───3。
「本当にユニークなの出ちゃいましたね。レアですよレア、よかったですねお客さん」
「それはどのような職業なんですか?」
「羊飼いですね、ファミリアとして一匹の羊が与えられるんですよねこの職業」
〝羊飼い〟羊系モンスターがランダムで一体仲間になる。そのモンスターを育てる為に必要なスキルを所有。
……これもしかして、戦闘職ではないのでは?
気付いて、もう一回選びなおせるか聞こうとした矢先、目の前に一匹の羊が現れました。
蜂蜜を溶かしたみたいな黄金色のふんわりとした毛、つるんとした質感の結構大きな金色の角、愛嬌のある顔にはまん丸でなんとも可愛らしい目がこっちを見詰めています。私を見下ろすようなサイズなのですが、それが気にならないくらいにかわいいモンスターでした。
「めぇぇ」
「あ、お客さんラッキーですね。これは黄金羊って言って、世界に一匹しかいないユニークモンスターですよ。いやー、こいつは羨ましい。ふわもこさで言えば羊世界のトップスターですからね」
「ふわもこドリーム」
「……あの、お客さん? どうしました? もしかしてこの職業気に入らない? なんだったら振り直しも可能ですよ?」
「いえ、これにします。これが良いんです。実にいい。かわいい」
戦闘職になって姉さんと暴れる、というのも楽しそうでした。過去形です。
今の私にはこの子を只管に愛でて、育てる未来しか映っていません。だってほら、可愛いじゃないですか。
なにより現実の私は動物に悉く嫌われています。逃げられて、怯えられて、最後に許しを乞われる事すらある程に。なのにこの子は全くそんな事はなく、普通に小首を傾げながら私の手に角を擦り付けています。実にいい。
そうだ、この子が私の子になるのならちゃんと名前を付けないと。
羊の名前と聞いてもクローン羊とかくらいしか思い浮かびませんが、何かもっとこう夢のある名前はないでしょうか? ……牡羊座の星の一つをなんて言うんでしたか。確か、αなになにの、ハマルでしたっけ?
「それじゃあ、貴方の名前ははまるんです。可愛いし、ふわもこした名前だからピッタリでしょう?」
「めぇ?」
「ネーミングセンス(笑)、……おほん、それじゃその子の名前も決まった所で、お客さん本人の名前も決めちゃいましょう」
「名前、……考えていませんでした」
「もういっそ羊繋がりでドゥムジなんてのもいいんじゃないですかね?」
「そうですね、ソレにします」
そうして全ての手続きを終えた私はキャットによって始まりの街と呼ばれる場所へと移動しました。
傍らには黄金羊のはまるん、服装は明らかにダサい若草色のシャツとジーンズ、そして羊飼いの装備らしい何処か薄汚れたコート。……装飾華美ではないので良しとしましょう。
それでは姉さんを探すとしましょう。待ち合わせ場所は噴水広場でしたね。
【アバター】ドゥムジ【職業】羊飼いLV1
【スキル】羊飼い─牧羊犬召喚、薬学、植物知識、羊知識、投石技術、神聖魔法の複合スキル─
【装備】若草色のシャツ、ジーンズ、サンダル、羊飼いのコート
【ファミリア】黄金羊のはまるん【性格】甘えん坊、短気、感情的