Zwanzig.本土にて
目を覚ますと、僕は白い壁に囲まれた部屋の白いベッドの上に横たわっていた。明るい陽射しが差し込む窓の外からは、人々の奏でる喧騒が響いて来る。どうやら此処は、本土の病院のようだ。
むくりと体を起こすと、ズキズキと鈍い痛みが後頭部から響いて来る。手を当ててみると、ザラザラとした布の感触がした。仰向けに寝かせられていたという事は骨折はしていないだろうし、巻かれているのは包帯だろう。あの勢いで頭を打ち付けて、脳震盪と怪我だけで済んだのは幸運と言うべきか。
「……皆、無事かな……」
段々と思考が落ち着いて来た途端、そんな呟きがポロリと漏れた。
あの時、ヴァルトラウテはオラージュ級戦艦の衝角攻撃を受けた。幾ら非効率的な戦法とはいえ、排水量五桁もの質量を持つ物体をぶつければ巨大な被害が出る。まともに喰らえば、幾ら超大型の戦艦と言えども数分の内に海水に沈んでしまうだろう。
意識を失っていた僕は今、無事に生きている。つまりそれだけ余裕があったという事だ。しかしヴァルトラウテが沈んではいないか――何よりも乗組員達が犠牲になっていないか、それが気になって仕方がない。
戦争は殺し合いだ。命を奪わなければ、命を奪われる。それが真理であり、必然。死ぬ時は死ぬし、生きる時は生きる。
それは理解出来ても、やっぱり自分が情を掛けた部下達を死なせたくはない。それに、彼らはまだ二十代だ。森人なら百八十年、それ以外でも五十年分もの未来がまだ残っている。命を散らすには、まだ早過ぎる。
「……おや、起きたのか」
目を向けていた窓の方とは反対側から聞こえる、聞き慣れた心地の良い凛とした声。顔を向けるとそこには、五年間を共に過ごしたエデルガルト・レーダー提督の姿があった。
「おはようございます、レーダー提督」
「あぁ、おはよう。具合はどうだ?」
「ちょっと頭が痛むくらいですよ」
何時もの軍服姿のレーダー提督の問いに笑顔で答えると、無理はするなとベッドに押し倒された。本当に大した事はないんだけど、頭を強く打った後だからもっと安静にしろと怒られてしまう。
「全く……お前は何時も自分を軽く見る。少しは大事にしたらどうだ」
「自分じゃそう思ってはいないんですけどね……提督」
表情を引き締めて呼び掛けると、レーダー提督も真剣な表情になる。レーダー提督の事だし、聞きたい事は分かっているだろう。そして第一艦隊の司令であれば、例え機密情報でも耳にしている筈。
「……ヴァルトラウテは……ヴァルトラウテの乗員達はどうなっていますか」
「うむ。確かに私はその情報を持っている……が、それは私の口から語られるべきではない」
薄い笑みを浮かべたレーダー提督のはぐらかしに、焦らさないで欲しいという思いが浮かぶ。だけどレーダー提督がそう言うという事は、もっとお偉方か、それとも当事者の方が伝えに来るんだろうか……?
……まさかマンシュタイン中将が……?
身震いをした瞬間、コンコンとドアがノックされる音がした。丁度お客さんが訪ねて来たらしい。安静にするように言われている僕の代わりに、レーダー提督が見に行ってくれた。
ドアを開ける音の後に、レーダー提督と誰かが話しているような声が聞こえて来る。声の高さからして、マンシュタイン中将ではなさそうだ。看護婦さんが様子を見に来たのかな。
しかし、その予想も外れていた。戻って来たレーダー提督の後ろにいる人物を見て、思わず口をぽかんと開けてしまう。全く……という訳ではないけど、予想外の人だったからだ。
「ま、マンシュタイン少尉……」
「……おはようございます、提督」
普段の黒い軍服姿ではなく、清楚な私服に身を包んだマンシュタイン少尉は、それはそれは可愛らしかった。艶やかな銀髪のおさげと水色の上着のコントラストは、まるで春の青空を思わせる。膝丈のスカートから覗く足は、少し昔に流行った革のブーツに覆われていた。
女性経験がなくて流行にも疎い僕だから、その格好について何かを述べる事は出来ない。ただ、一言でマンシュタイン少尉の事を表すとすれば、『ヒロイン』になるのかな。ツンデレの。
「あまりジロジロ見ないで下さい」
「ごめんなさい」
物珍しくてジッと観察していると、鋭い目つきで睨まれてしまう。すぐに目を逸らして謝ると、マンシュタイン少尉はぺこりとお辞儀をして僕のベッドの横まで来た。
そこまで来て、僕は自分が仮面をしていない事に気付いた。レーダー提督は良いけど、マンシュタイン少尉はまだ僕の素顔と年齢を知らなかった筈だ。ヤバい、どうしよう……。
一人慌てていると、レーダー提督とマンシュタイン少尉が同時にクスリと笑った。
「カイト、落ち着け。エリカは既にお前の顔を知っている」
「申し訳ありません。手当をさせて頂く時に仮面を外させてもらいましたので……一応、他の乗組員には見せないようにしました」
「あ……」
そう言えば、僕は頭を打ち付けた上に人間砲弾を喰らって気絶していたんだった。打ち付けた場所が場所だし、手当をする時に仮面を取るのは当たり前か。
……マンシュタイン少尉が僕の顔を知ったのは分かったけど、頼りないガキだとか思われてないだろうか。自分で言うのもなんだけど、僕の顔は同年代の人に比べてかなり幼く見える。だから顔を隠して威厳っぽい物を補完していたんだけど、バレたらそれも意味がない。
人は自分よりも若い奴には従いたがらない。それが相当上の階級だと尚更の事だ。嫉妬という感情はとても厄介で、老若男女問わず侵されては結束を乱してしまう。
不安な表情をしてしまったのだろうか。マンシュタイン少尉は僕の顔を見て一瞬目を見開くと、すぐに安心感のある柔らかな笑みを浮かべる。
「あまり重傷でないようで良かったです。他の乗組員も心配していました」
……僕の心配は杞憂だった、と言っても良いのかな……。
「その事なんだけど……全員無事なの? 死者は出てる?」
「いえ。提督の的確な指揮のお蔭で戦闘区画への直撃は避けられたので、死者は一人も出ていません。重傷者は何人か出ましたが、全員命に別状はありません」
「そっか……ふぅ……」
死者なしというマンシュタイン少尉の言葉に、深い息が漏れる。誰も死んでいなかった。誰も再起不能なほどの傷を負わなかった。その事がとても喜ばしくて、張り詰めていた気が一気に緩んだ。
安堵の息を吐いてふにゃふにゃになった僕を見て、レーダー提督とマンシュタイン少尉がクスリと笑う。それに気づいた僕は慌てて咳払いをすると、表情を引き締めた。
「それで、僕が気絶した後はどうなった?」
「はい、報告します」
その後、マンシュタイン少尉は僕が気絶した後の事を話してくれた。回避した後、すぐに反撃に転じた事。主砲弾を命中させたものの行動不能には追い込めず、更に追撃しようとした瞬間に敵艦の姿を捉えられなくなった事。撤退を開始した時、オルカンからの追撃許可の要請が来た事。独断でそれを承認し、無事に敵艦を補足して撃沈した事。それらを包み隠さず、細かく、正確に話してくれた。
「結果的に敵艦は沈められたとはいえ、提督の意向に逆らい、オルカンの要請を許可した責は私にあります。どんな処罰でも受け入れる所存です」
最後にヴァルトラウテとシュタールレーゲンが入渠し、修復完了予定が六日後の五月十七日である事まで話したマンシュタイン少尉は、そう言って深々と頭を下げた。その行動に、僕とレーダー提督は苦笑しながら顔を見合わせる。
「話を聞く限り、寧ろ恩賞を求めるかと思っていたんだが」
「真面目ですね」
「……え?」
世の中の士官は、例え独断専行でも戦果を上げればそれに見合った報酬を求める物だ。昇進、特別手当、休暇、配置変更、上官の解任要請等々、例を挙げれば枚挙に暇がない。
御上も実績があればとそれを認めてしまうケースがそれなりにあって、独断専行は何時になっても根絶されない。司令側としては厄介な事この上ないんだけど、人は優れた英雄と無能な上官を好むからね。
「そんな感じだから、あまり気にしなくても良いよ。寧ろ罰したら僕の方が怒られるから」
「実際、情報漏洩を防いだのは確かだからな」
「はぁ……そういう事であれば」
僕達がそう言うと、マンシュタイン少尉は眉を顰めながらも頷いてくれた。相も変わらず真面目な人だ。もう少し肩の力を抜いても良いんじゃないかと、僕は何時も通りの感想を抱いた。
「さて、とりあえず報告は終わったようだから、私の用事を済まさせてもらうぞ」
話が一段落した所で、真面目な表情になったレーダー提督が低い声音で言った。
「二人とも、今の内に準備をしておけ……一ヶ月後、あの作戦が開始される」
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黄昏歴1675年 05月10日
フライハイト本土北方沖海戦
フライハイト国防海軍 旗艦:ヴァルトラウテ 十七隻
ブリュンヒルデ級戦艦
ヴァルトラウテ:中破
シュタールレーゲン級重巡洋艦
シュタールレーゲン:小破
アイゼンフルート
フランメクヴェル級軽巡洋艦
フランメクヴェル
グリューエンフルス
ヴァルテンブルク級駆逐艦
六隻
メービウス級駆逐艦
六隻
損害:小破:一
:中破:一
コンケート海軍 旗艦:オラージュ 四十一隻
オラージュ級戦艦
オラージュ:撃沈
二隻:撃沈
カタラクト級巡洋艦
八隻:撃沈
サルディーヌ級駆逐艦
三十隻:撃沈
損害:撃沈:四十一




