潮騒の届く道で
周にはすこし変わったところがありました。幼い頃からほとんどいつも室内で過ごして、外遊びを好まなかったのに体を動かすのは得意なのです。その物静かな兄とは鏡に映したように活発な鼎が何十回も転んで、小さな手足のあちこちに傷を作ってやっと乗れるようになった自転車に、何度か足をついただけで乗れたのです。その出来事は幼い鼎にとってたいへん印象深かったのでしょう。生来の負けず嫌いも手伝って自転車に打ち込むようになって、いつしか大会にも出るようになっていました。初めて入賞した日に、
「すごいね、かなえ」
周に誉められると、表彰台に上がっていた時より嬉しそうになって、ほんとうに晴れやかな顔をしていました。
鼎の霊体が安定すると、その遺品になってしまった自転車に乗って、周はよく外出するようになりました。通い慣れた道にさしかかるそのたびに、ここはむかし一緒に歩いた道だ、ここでどんな景色を見ていたろう、なにを思っていたろう、という胸を痛くする感情が湧いて溢れてくるのをどうしようもありませんでした。
いま走っている小道にも思い出があります。きっとあの日も日置南郊外の古い町並みに、風と共に届く潮の香りがしていたのでしょう。いつかこの道を家族四人で歩いたのでした。はしゃいで先を行く鼎が消えた曲がり角を曲がったら、そこは記憶よりずっとなだらかな坂道で、道先からかすかな潮騒が聞こえてきます。
「きょうは海に行くの?」
「うん。ここにはむかしみんなで来ていたんだよ」
「ほかにはどんなところに行ったの?」
「いつもここ」
「えー、もっといろんなとこ行かなかったの? ここ、近所じゃん」生前もこういう不満をよく口にしていました。
「父さんと母さんがお忙しいからね。なにがあっても二日以内に日置南に戻れないといけないから、遠出はできなかったんだ」
「ふぅん。あ、でもさ、あまねとは一緒にどこか行ったでしょ?」
まるで無邪気な質問になんと答えようかと案じる周の様子で鼎も察したようです。
「……あたしたちって仲よくなかったの?」
そういう気遣いと、返ってくる答えを怖れて不安げに聞くこうした表情は、最近になってよく見られるようになったのでした。
「そんなことは、ないよ」
けっして仲が悪かったわけではないのです。好みや志向が極端に異なっていた兄妹は、どう接してよいかまるで分からないままに離ればなれになってしまい、そして再会しているのでした。大人になりきれない二人は不器用さをそのままに、少しずつ少しずつ、かつてできなかったことをし直そうとしています。
そんな二人を遠くからを見守っているのはあのお爺さんで、実はこの人ももはや実体のない霊魂でした。無念を残すような最期を遂げたわけもなく安らかに看取られて、鎮魂の必要もないのに現世に留まっているのは、斎木梛家代々のとある宿業に関るからで、かれこれ70年も行われていない儀式の経験者として居残っているのです。そして、この人に警告されて、文武が周にある忠告をしました。別人のような霊魂を鎮めても、取り残された魂はやはり鬼と化してしまうのです。
「あれは鼎だ、お前が願う鼎にしてはいけない。くれぐれも別人のようにしてはいけない」
今の鼎は生前の鼎と似ているところと似ていないところが混在しています。もしかすると、周の主観が強調されただけの仮初めの魂に過ぎないのかもしれません。
でも、深い悲しみの間際にいながら希望の訪れを願わないで、その機会をも見送るような人がいるでしょうか。




