斎木梛家のこと
屋敷内は畳と板張りの廊下を二列敷いて、ほかに様々なところでも格を明らかにする斎木梛家の表口ともなればそう何度も開かれません。家録を紐解いても、この百年で開いたのは1912年、1923年、1926年、1945年の四度しかなく、その後もう四度開くかという事もありましたが結局は見送られました。1989年は宮内庁を通して「憂慮の念」が示されて、年に二度もあった1995年、そして2011年3月。両年は当時の政権が斎木梛家に無知あるいは一蹴したものと言われております。
斎木梛の斎木は平安期には由岐と書き、その頃に鞍馬の地に遷宮した由岐神社の御縁が深く、また、梛は熊野神社の神木として有名であります。要するに、歴史のいたずらによって二社を密かに合祀することで生まれた家系が、明治期の神仏分離令に際して斎木梛と改めたものなのです。
そして、これが決して名ばかりではないのです。熊野の縁と梛の字が交わって以来、かなり強力な霊媒能力が宿るようになってしまったのでした。今こそ明治の行幸に従ってK県にありますが、元あった京都の地形といえば有名な盆地。当時流行の陰陽や呪の術がそこにひっそりと溜まっていったのを、見たり聞いたり寄せたりして鎮めていたのです。つまり、およそ千年もの長きにわたって、この国の常世と深く関わり続けてきた家系なのでした。
その屋敷の表口が開くというのは、御霊が決して迷わぬように導き入れて、そして無事に鎮めるという意なのです。
しかし、周が鼎を寄せるのは早すぎました。肉を失くした霊は家族のもとに戻ろうと、元の姿形を象れる程度には集まってきてはいましたが、不慮・非業の死を遂げた死者に多く見られるように、霊に体を保たせる魂がどこかに縛られたままなのです。
もしも霊だけを鎮めてしまえば、いまだ現世に大部分を残す魂はじきに遊鬼と化して災いを招き起こすでしょう。只人であれば怪奇現象や心霊写真というような都市伝説に収まる微力しか発揮しませんが、斎木梛家直系、古来より霊力が強いと信じられる双子の少女ともなれば、もう祟り神と恐れられるほど強力なものに違いありません。




