恋のお芝居
入学式とHRを終え、明日からの学課を控えた学生らが桜吹雪のなかを下ってゆきます。斎木梛家のような名家も通うような有名校ですから、迎えの車も少なくありません。周は、今日は鼎を探しに行くから、とそれを断っていて、隣には三人の女生徒がいます。昨12月24日に鼎と最後に言葉を交わして別れた友人たちでした。
仲の良い友人がいなくなってしまった事件に押し迫られて、彼女たちも苦しんでいます。いつか日置南駅前でビラ配り、呼びかけをしていた周の姿に打たれてからは自然と手伝うようになっていました。
「いつものお礼になにかごちそうしたいけれど、いいかな?」
それまでは言葉を交わしたこともなく、鼎を通して知り合っていたほどの仲でしたが、多感で揺れ動きやすい時期に同じ目標に向かって力を合わせていると、妙な感情も芽生えやすいようです。
「う、うんっ、行きますっ。あ、ごちそうになりますっ」
一人は初な恋心を自覚していて、真剣に相談された二人はそれを応援しようとしていたので、まったく巧みに遠慮しながらも二人きりで送り出す方向に仕向けてしまいました。でも、今の周の目を奪える女性は鼎しかいません。
電車では隣あって座れましたが、周は窓から外を眺めていて、鼎と似た雰囲気や背格好の人がいると目で追っているばかりでした。それに気付いた女生徒は不快にもならないで、不思議と緊張がほどけてしまっていました。少女の頃をまだ抜き切れないでいるこの子は、大切な友人をなくした喪失感を成就の見込みがない感情で埋め合わせることで整理しようとしているのかもしれません。今日はきっと手も指先も触れ合わないことでしょう。
ここ数年、日置南の古民家をカフェにするのが流行りましたが、周が案内したのは数十年も営業を続けているうちに自然とそうなったような老舗でした。ちょっと外から見ただけではただの古い洋館で、頑丈そうな囲いと縦格子の鉄門がお店と知っても後込みさせがちです。でも、門の鍵は大昔になくしてそのままで、囲いには山の小動物が掘った穴がそのままなのを、通いの庭師さんが灌木の根で塞いであるように、実は大らかなのです。
「あら、周くんいらっしゃい」
春に芽吹いた小花があちこちに咲いている庭に水やりをしている老女が館の主人です。むかし、自転車に乗れるようになったばかりの鼎が、つい遠出をしてここに迷い込んでべそをかいていたのを迎えて、パンケーキを自家製のジャムでごちそうしたときもきっとこんな気優しい声をかけたのでしょう。
「あなたは……鼎ちゃんのおともだちね?」周のガールフレンドとは聞かず、
「は、はい。そうです」女生徒もとっさにこう答えていました。
「どうぞ入ってちょうだい。今日はチョコサンデーを作ってあるのよ」
招き入れる老主人は、かつて共に過ごした連れ合いとの日々とゆっくり安らおうとお店を続けていて、訪れる人の心苦しさをほぐして息をつかせてくれる柔和な雰囲気が館中から感じられました。周はこの時まで自分が無理をしているなんて少しも思っていませんでした。でも、ソファに体をゆだねた途端、その気配に癒されて、流れ出なかった涙で湿ったかのような吐息が漏れたのです。すると、この三月というもの、無理をせずには動けなかった体は支えをなくしたように崩れてしまい、母 姫子が陥る常世に近い夢に侵されて安眠をも得なかった意識は、まるで溶けるように眠りに落ちて行ってしまったのでした。
そこに老主人が紅茶を持ってやってくると、すこし呆れている女生徒に、
「悪く思わないであげてね。きっと疲れきっているんだわ」と声をかけました。
その寝顔はとても安らかなものでした。
「許してあげてね。おいて行かれた人にとって、ほんの少しの安らぎだから」
「あまね……」「周さん」
鼎と女生徒が心配そうに名を呼んでも、深く静かな寝息が返るばかりでした。
少しして周は目を覚ましました。その目覚め方は、心地よい微睡みを、哀しくも馴染んでしまった無理でもって断ち切ったかのようです。まるで、寝込みを襲われて慌てて正気を取り戻したかのような。
「ご、ごめん。寝てしまうなんて……」
「いえ……」
ここで何か言葉をかけられるほど、この女生徒は大人ではありません。自分の言葉でこれ以上、この人が傷つかないで、と祈るくらいしかできない無力な少女なのです。
そこに老主人が、今度はチョコサンデーを持ってきて、
「今日はとっても上手にできたの。ね、まず一口食べてみてくれる?」
と言ってくれました。
「っ、おいしい、です」
素直な感想を引き出して、二人の間の離れかけた空気を繋ぎ直すと、やんわりと微笑んで行ってしまいました。気を遣われたとも気付かない本当の気遣いは、やっぱり大人がやるべきものなのです。
「鼎のことを聞かせてほしいんだ」
ややあって、周は本題を口にしました。やっぱりこの人は私のことなんて見てないんだ……女生徒の胸の奥にちくりとした痛みが走ります。
でも、この恋心は決して届かないものと予感している少女は、振り向いてくれない相手でないと、日々膨らんでゆく女心が作りたがる表情と声色を露わにはできないのでした。いつかもし周が彼女を一人の女性として意識し始めるなら、親の後ろに隠れる恐がりの子供みたいに怯えてしまって挨拶すらままならないのではないでしょうか。これはきっと、一人の乙女が必死に演じるいたずらめいた恋のお芝居なのです。
女生徒は憧れをもって、溌剌と輝く鼎を語ったので、周はもちろん傍で聞いていた鼎自身にも身に覚えのない話ばかりでした。
「……僕はかなえのどこを見てたんだろうね……」
父 文武は、お前の望む鼎にしてはいけない、と告げました。そしてやっと、誰かの鼎を探しにきたのです。でも、そこで見つけた鼎のかけらはあまりに目映く、今まで集めた鼎とは大きく違っていました。周は強い悔いを感じ始めていました。体が少しずつ震えてくるのを止めることができません。両手で目を塞いで、泣いているのか泣いていないのか誰にもわからないようにしています。
「あまねっ、もう無理しないでっ。あ、あんたももう話さないで!」
鼎はこのとき、軽く念じただけだったと言います。しかし、その軽い一念は部屋中のガラスを一挙に弾き飛ばしてしまい、さらにその破片がまるで意志を持つように女生徒めがけて迫っていったのです。瞬発的に女生徒を庇った周を見て、鼎も正気を取り戻しましたから、ガラス片はごく当たり前のように絨毯に落ちましたけれど、そうでなければ顔にひどい傷を負っていたはずです。この少し後に斎木梛屋敷の窓ガラス一枚を割るのが、文武の怒気から逃れようと慌てふためく多量の霊が引き起こした事故なのに、斎木梛家直系双子の少女ではほんの軽く念じただけでこの有様なのです。