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 寂れた村のすぐ近く。【夜中になると死者の声がする】との噂がある墓地を抜け、森と墓地を隔てるようにして流れる小川を越える。

 小川を越えればそこには鬱蒼とした森があり、その森に囲まれるようにして山がそびえていた。

 わざわざこんなところに来ることになるとは思わなかった。人里離れた、という表現がぴったりな光景が続く。

 迷うことなく山に踏み込んだニックに、クルクは一瞬戸惑ってしまう。


 『つまんねえ世界に、風穴を開けてやる』。

 そういった青年に連れられて、クルクは今、山の中を歩いている。

 山歩き自体はどうとも思わないのだが、こんな山奥に【変わり者のクドラク】がいるとは思えなかった。


 クドラクとはいえ、食料――要するに他者の血――は必要なのだから、人里離れたこんなに不便な山奥に住んでしまっては、獲物となる人間に遭遇することも出来ないだろう。

 そうなれば、クルースニクと同じくらいには頑丈で、死ににくいクドラクとはいえ――栄養が補給できないとあらば死ぬほかない。

 御伽噺の類では、吸血鬼とは古城に住む優雅な闇の生物として伝えられていたりするが、実際はもっと俗っぽいのだから。


 クルクが今までに退治してきたクドラクの大半は、手入れの行き届いたアパートに住んでいたり、或いは一軒家に住んでいたり。変わり者なら花屋を営んでいたりと、普通の人間と差が無いように、極めて巧妙に隠れていたものだ。

 着ているものだって、人が着ているそれと大差ない。

 大きな違いは日光を嫌うところ、銀を嫌がるところだろうか。あえてそういうものに近い生活に身を置くことで、クルースニクに見つからないようにしている者もいた。花屋がいい例だ。


 ただ、クルクの見た感じ、クルースニクはかっちりとした堅苦しい服装を好み、クドラクはラフな格好を好むようだった。

 三拍子揃って屑なニックも、服装だけならきちんとしている。

 光り輝くような白い生地に、繊細な金の刺繍がしてあるコート。すらりとした白いスラックスに、どこか洒落た趣のある茶色のブーツ。

 見ようによってはどこかの国の王子のようなのだが……如何せん、中身が【三拍子揃った屑】だ。

 酒を飲み、賭博を好み……と、服装から受ける優雅、高貴そうなイメージや、【王子様】といったものとは真逆の方向を向いている。


 黙っていればまともなのに、という言葉がこれほどしっくりくる存在を、クルクは他に知らない。

 できれば、これ以上増えて欲しくも無い――というのが、正直なところだ。

 さて、ニックの兄弟とはどんなクドラクなのか。


「さて、ようやくあの【変わり者】の面が拝めるな――全く、こんな不便なところに家なんかおっ建てやがって」


 山道を散々歩き回った挙句にたどり着いたのは、木々に囲まれてひっそりと佇む、山小屋のような一軒家。


 鳥がちゅんちゅんと啼き囀り、穏やかな日差しが木の葉の隙間から漏れ出ている。

 平和、という言葉を【光景】で具現化したらこうなるのではないかというような、穏やかな風景。

 家庭菜園なのだろうか、山小屋の隣には小さく畑のようなスペースが設けられている。

 蝶や翅のついた虫がひらひらと舞う中、そこにはハーブやトマト、そして大蒜などが育っていた。


「……ここ、本当に吸血鬼の家なの?」


 日の良く当たる『家庭菜園』をしっかりと視界の中に収め、クルクは呆然と呟く。

 大蒜を育てる吸血鬼など、聞いたこともない。


「変わってるだろ?」

「ええ……すっごく」


 勝手知ったるなんとやらなのか、ニックは山小屋のドアの前に立ち、ドンドンとそれを叩いている。――否、蹴飛ばしていた。

 借金取りが家主を脅しつけるのとよく似たそれに、クルクはニックを白い目で見てしまう。

 クルースニク的には確実に『屑』であるこの青年は、どうやら一般的な人の基準に照らし合わせてみても、『屑』の烙印を押されることば免れなさそうだった。

 そんな烙印を押されたところで、彼は何の痛手も負わないのだろうが。


「そんなに煩く叩いたら、迷惑だわ」

「気にすんな。どうせ中にいるのはただの――」


 ニックがそこまで口にしたところで、ドアが大きく開かれた。

 咄嗟に後ろに下がらなかったら、ニックの顔面にはドアがぶつかっていたことだろう。

 彼の鼻先すれすれを掠め、開かれたドアの向こう側から、黒い何かが滑り出てくる。


 滴るような鮮血の瞳、宵闇の黒髪。

 眼鏡のレンズを通しても鋭さを感じさせる目付きに、健康的ではない肌色。


「少しは気にしろ。クルースニク……またお前か」

「遊びにきてやった弟に随分厳しいな、クドラク?」

「また消臭剤をかけられに来たのか? 望みとあらば弟のよしみだ、バケツ一杯だなんて心の狭いことは言わないさ」


 ――バスタブ一杯ぶちまけてやるから、可及的速やかに帰れ。


 無表情で淡々とそう述べた男に、クルクは目を丸くした。

 黒い髪にも赤い瞳にも見覚えがある。

 そう、彼とはこんな風に穏やかな光景の中で一度、出会っている。


「貴方は、この前の」


 古ぼけた教会の前の小道ですれ違った、【クドラクのような男】。

 あの時と同じ無表情で、男はクルクを目にすると、一度だけ会釈をし、それからニックの方を向いて意外そうに言葉を紡いだ。


「お仲間まで連れてきてどうした? 私を狩りにきたのか、クルースニク? やっと自分の仕事をする気になった、とでもいったところか。喜ばしいな」


 明日は雨どころの話ではないな、この世が終わる――そう面倒臭そうに呟いて、黒髪の男はやれやれと頭を振った。

 クルースニクに家を訪ねられたというのに、随分と余裕なクドラクだ。


「仕事なんかするわけねえだろ」

「この屑め」

「聞きなれた罵倒をどーも。聞く度に落ち着くよ」


 人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて返したニックに、男は舌打ちをした。

 何の用だ、と酷くうんざりした様子で問う男に、「常識をぶち壊してやろうかと思ってよ」とクルースニクらしからぬ青年が返す。

 「これ以上壊せる『常識』が貴様にあるのか」と冷ややかな目付きで睨む男に、「俺じゃなくて、こっちのお嬢さん」とニックはクルクを、クドラクの男の眼前に押し出した。

 ちょっと、と抵抗する間もなくニックの兄だというクドラクの目の前に突き出され、クルクは思わず身をこわばらせる。

 そんなクルクを知ってか知らずか、ニックは楽しそうに兄である男に話しかけている。


「俺の【同胞】であり、お前の【お仲間】だ」

「……また面倒なことを」

「まあそう仰らず――人助けだと思えよ」

「お前が『人助け』か。……中に入れ」


 呆れたようにも見える表情を見せて、クドラクの男は扉を押し開き、二人に入室を促す。

 ニックに続いてクルクが入れば、すれ違いざまに「愚弟が申し訳ない」とひっそりと謝られた。

 クルクはそれに思わず動揺し、何とも中途半端な頷きを返すだけにとどめてしまう。


 ――この人、本当にクドラク?


 クルースニクに謝るクドラクなんて、聞いたことがない。



***



「――で、私に何をしろと?」


 黒い長袖のハイネックのセーターらしき上着に、黒っぽいジーンズを身につけた吸血鬼がそう言葉にした。

 眼鏡の奥の瞳は鋭く見えるが、機嫌が悪いわけではなさそうだ。もともと目つきが厳しい顔つきなのだろう。

 目じりが甘いニックの顔とは正反対というべきだろうか。


 家の主に案内されるがままに客室に落ち着いたクルクだったが、家主の吸血鬼は突然の来訪だったと言うのにも関わらず、手際よく茶と茶菓子を用意して卓に並べた。

 ――但し、二人分だ。

 「俺の分はないのか」と聞いたニックに、クドラクの男は「塩入りのワインでも出そうか?」と淡々と聞く。

 途端にクルースニクらしからぬ青年は顔を歪め、「ご遠慮させて頂こうかな」とクドラクの顔から目を反らした。


「遠慮はしなくていい」

「出来れば普通の飲み物を出してくれ」

「君に限ってその要請は却下だ。恨むなら日頃の自分を恨め」


 ただ淡々と連なっていく言葉に、「相変わらずでむかつくぜ」とニックは爽やかな笑みを浮かべる。

 それに対しても、家主は紅茶を飲みながら極めて『穏やか』に「無駄口を叩くのならさっさと出て行け」と答えるだけだった。


「つれないですねェ、オニーサマ?」

「君と話している時間が惜しい。もっと有効で生産的な使い方が出来ただろうに」

「……兄だってのが憎いところだ」

「弟だというのが心底残念だよ」


 ため息こそつかないものの、心底無いという顔をしてニックに男が顔を向ければ、やっとニックが口を閉じた。

 道ですれ違ったこのクドラクがニックの双子の兄であることは、会話の流れから『本当らしい』とクルクにも何となく察することが出来たのだが。

 何かの冗談なのではないかとも思ってしまう。ニックの兄にしてはこのクドラクは常識的過ぎる。

 『クドラク』という種族を引き合いに出しても、全く同じことが言えた。


 クルクの知っているクドラクは、大体において堕落した性格のものが多い。

 血や争い、実力行使を好み、目的のためになら手段を選ばないものがほとんどだった。

 尤も、クルースニクの中にも好戦的な者はいるし、クドラク絡みのことになれば手段を選ばないものがいるのも事実。


 しかし、これほど『落ち着いている』クドラクに、クルクが出会ったのは初めてだった。

 大抵のクドラクは人の血の匂いを漂わせているが、目の前の無表情な男からはそれは感じられないし、クルースニクと知ってクルクを攻撃してくる素振りも無い。


「どうだ? 世の中にはこんなクドラクもいるんだぜ、クルク」

「そうね……でも今は、この人が貴方の血の繋がった兄だということに驚愕しているわ」

「失礼だっつーの」


 貴方も少しはお兄さんみたいに常識的だったら良かったかもしれないわ、としみじみと言ったクルクに、クドラクの男も「常識的であってほしいというのは常日頃思っていることだ」と肯定を返した。

 二人して酷いよな、とクルースニクの青年は言うと、口をつけていなかったクルクの前に置かれたカップを手に取り、遠慮なく中身の茶を飲み干した。

 あ、と声を上げたクルクに、「ワインの仕返しだ」とニックが舌を出す。

 子供臭いことを、とクドラクの男は深いため息をついた。


「申し訳ない」

「いえ、こちらこそ急に押しかけてしまって」

「こいつに連れてこられたのでしょう」


 迷惑をかけますと謝るクドラクの男は、弟とはうって変わって常識的だ。


「で、君は何をしに山奥くんだりまで【お仲間】のお嬢さんを連れて来たんだ。人助けとは聞いたが」

「お、それなんだけどよ」


 やや間を置いてから、クルースニクの青年は首をかしげながら言葉を紡ぐ。

 こういう質問の仕方はおかしいかもしれねえなァ、と言いながらも、血の繋がった双子の兄に「お前普段何喰ってんの」と食事の話をし始めた。


「……なんだ君は? 私の食生活を知りたいが為にお仲間のお嬢さんと共に山奥まで来たと?」


 暇人もいいところだな。

 無駄なことに時間を費やした私と彼女に謝れと、面倒くさそうにクドラクは言う。


「あー、聞き方が悪かったな。正しくは“空腹”を押さえる食事のとり方を知っているか、ってところなんだけどよ」

「……そういうことか。そっちのお嬢さんが『お仲間』とはそういう意味か」

「大正解だよクドラクさん。流石賢くていらっしゃる――というわけで、そこのクルクちゃんに吸血衝動を抑える食事の仕方と、まあ適当にありがたいお説教でもしてやってくれ」


 教会に行くくらいだしそのくらいできるだろ、と丸投げした青年に、生憎だが神は信じていないと吸血鬼は言う。

 何でそれなら教会なんぞに行くのかとニックが問えば、ただの習慣だとあっさりとした答え。


「“ありがたいお説教”ならそれこそ、牧師か神父に頼んで聞くといい」

「じゃあそんなにありがたくない話でいいぞ」

「いい加減だな、君は」


 褒めるなよ照れるだろ、と涼しい顔で言ったニックをさらりと無視し、クドラクはクルクに向かい合って話し始める。


「君はまだ、クドラクとしての体質を理解していないのだろう」

「ええ」

「まずは“空腹”には二種類あることを知っておいたほうがいい。いわば【見せかけの空腹】と【本能的空腹】と言ったところだ」


 見せかけの空腹を本能的空腹と間違えるから、大抵のクドラクは「吸わなくても良い血」を吸ってしまうのだと男は続ける。

 見せかけの空腹とはいわば、「血を吸わなくても問題のない衝動」だと、茶菓子をつまみながらクドラクの男は話す。


「見せかけの空腹のほうが、空腹感――“飢えた感覚”が強いから、血を飲みたくなる欲求も強くなる。しかしこれは抑えることも出来る」

「どうすれば?」

「三食欠かさず“普通の食事”をするんだな。半分はクルースニク、というのが君と私の違いだが、恐らくはこれで空腹感を紛らわせることは可能になる。真面目にクルースニクをしていれば、食事をとるのもおろそかになりそうだ」


 クドラクの男は物言いたげにニックの方を見る。ニックはにやりとしているだけだ。

 はあ、とため息をついて「但し、命を継続させる意味での栄養は摂取できない」と男は付け加え、茶菓子を食べた。


「【見せかけの空腹】さえ制御出来れば、頻繁に血を飲む必要はなくなる」


 酷く喉が渇いた時だけ血を飲めば良いとクドラクは告げ、少し黙ってから再び口を開く。


「君はクルースニクとして生きたいようだから、大きなお世話かもしれないが――あまり、種族にとらわれる必要はない。役割に縛られる生き方は息苦しいぞ」


 半分クドラクだろうが、君が【善の象徴】であることに変わりはない、とクドラクの男は口にする。

 ああ、確かに兄弟だとクルクはその言葉に頷く。


「そこにいる私の愚弟より、余程立派に生きているよ。クドラクだからといって引け目を感じる必要は無いし、クルースニクだからと驕ることもない」

「そういう……ものなんでしょうか」

「個人の生き方は個人に委ねられる。種族としてのクルースニクは立派なものかもしれないが――」


 クドラクの男は、そこで一旦言葉を切り、暢気に茶菓子を摘まむニックを平坦な目で見る。

 それに気付いたニックが、わざとらしくにっこりと笑い、手を振った。


「こういう屑もいるだろう」


 愚弟を視線で刺しながら、どうあるかは自分次第だと黒髪の男は続ける。

 ちょうどいい見本――ニックを見ながらのその言葉には強い説得力がある。


「私も出会ったことはないが、この世にはもしかしたらクドラクを退治するクドラクがいるかもしれないし、クルースニクを始末するクルースニクがいるかもしれない。それが善であれ、悪であれ、そこに種族は存在しない。個人の行動に基づいて判断されるのが『善悪』なのだから」


【善の象徴】でありたいのなら、君が善いと思った事をし続ければいい、とクドラクの男は口を閉じた。

 しんと、部屋が静まった。


 ――【善いと思ったこと】。


 クルクは、しばらく考える。


「流石オニーサマ。牧師殿と対して変わらないありがたいお話をどうも」

「――君はもう少しクルースニクの役割に縛られて欲しいものだがな。クルースニクであることが信じられない程に屑なのだから」

「願い下げに決まってんだろ? クルースニクの役割は面倒だっての。俺の役割は【女の子を愛でること】だ」

「その調子で人類全体も愛でろ。ついでに真人間になるといい」

「無理な相談だな」


 室内の静寂をぶち壊すかのようにおどけて見せたクルースニクに、クドラクがやれやれと肩をすくめる。


 ほぼ投げやりに言ったクドラクの男に、クルースニクの青年は無駄に笑う。

 まともなクドラクと、どうかしているクルースニクの会話にクルクはしばらく混乱し、それから考えるのをやめた。


 これが人であっても、人でなくても、きっとこの二人の本質は変わらないのだろう。


 ――それはきっと、私も同じね。


 クドラクであっても、クルースニクであっても、きっとクルクは『クルク』のままだ。


 それに気づかせてくれた、クルースニクらしくないクルースニクとクドラクらしからぬクドラクを見て、クルクはふふ、と微笑んだ。


「ありがとう、ニック。少し、わかった気がするわ。お兄さんの方も、ありがとうございます」

「ふーん? ま、悩むことばかりが人生じゃねえってことに気付いたならそれでいいんじゃねえか」

「お前は……全く」


 どうしようもないなとため息をついたクドラクにクルクも苦笑いを浮かべる。

 ニックが口をつけた茶の代わりにと差し出されたカップを素直に受け取って、クルクはそれを一口飲む。

 差し出されたハーブティーはどこまでもやさしい味がした。

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