炎竜と『はなみずき』
狂乱する上の姉君を思わず黙らせてしまったぼくに力ない瞳を向ける『はなみずき』。
炎竜の被害は普通じゃない。襲来時の衝撃波に運悪く(!)耐えた者達もまず咆哮の前に死ぬ。
ある種の低周波をもって周囲を炎上させ、鼓膜を破り、昏倒するらしい。それのみならず恐怖を与えてほとんどの人間は心臓麻痺を起して死ぬ。
魔法や神や精霊による加護を得ているさらなる不幸な人間には破壊と絶望をまざまざと見せつけることになる。
爪の一振りで岩が吹き飛び、口から吐く火球の一撃で王城が吹き飛ぶのだから話にならない。加えてどんな魔導士よりも達者に魔法や魔導を使うそうだ。
そしてその鱗は鉄より硬く、ある種の精霊の力は全く効果を成さない。今回の竜は炎竜なので火は一切効かない。
「つまり、ここもやばいって事じゃないですか」「そうなるな」
ゆっくり回る手回しの観覧車やブランコを呆然と眺めながら『はなみずき』はつぶやく。
「夢の国で死ねるのだから、ある意味幸せかも知れない」……。
しっかりしてください。君は竜如きに負ける子じゃない。
ぼくが叱咤するが、彼女はうわごとのようになにか呻くだけ。
「人間は竜に敵わん。竜殺しなど伝説にすぎない」
夢だったのだ。
戦乱で消滅する間際の小さな国の無力な皇女の夢にすぎなかった。
調子に乗っていて忘れていただけだ。すべて夢だった。
「歯食いしばれ。矯正だ」思わず拳を握りしめてしまった『俺』にはっとした表情を見せる彼女。
『俺』も冷や汗を流す。女は殴らない。拳をおろし、頭を下げる俺に彼女は虚ろな目をかえす。
「しっかりしてください。あなたや姉上がしっかりしなければ絶望に沈む民はどうなるのですか。
あなたを信じてついてきてくれているのですよ」「お前は。お前まで言うのか」
今度はぼくの頬に衝撃が走った。手甲のついた拳で殴られたからだが。
唇に血の味が広がり、しょっぱい味を嚥下し、ふらついて膝をつく僕に殴打を繰り返す彼女。
「お前に何がわかるッ 気丈だッ? 勇敢なる聖女だっ?! 皇女だッ?! それがなんだっ?!
出来たからまた努力しろッ?! 中の姉君も、父上もいないッ 必死で守って、守って」
「遊んでいる間に、すべて失ったなんて。ありえないだろ」
子供の用に泣きじゃくる彼女をぼくはただ抱きしめていた。彼女が泣き終わるまで。
「夢の国。か」
最初の剣士とやらが目指した平等の世界を具現化するという名目で三国が作った遊園地と各種劇場だが、現在は避難民であふれかえっている。それでも芸を絶やさない芸人や遊園地スタッフの根性には頭が下がる思いだ。ぼくだってそこまで指導していない。
「まぁ。俺の普段の指導のおかげ」ん?
「よっ! 兄ちゃん! 」……。
手を振り上げ、ニコニコ笑う少年には見覚えがある。
思わず足をマジマジと見てしまう。
ニヤニヤと笑う少年は身なりは良いのだがどこか下品な印象を隠せない。
「オルデール。お前生きていたのか」間違いない。知り合いである。
「縁起でもねぇ。逃げ足は一流のつもりだけど? 」
ニキビ面がだいぶ治って男前になった彼はニヤリと笑って返事。
大げさにポーズをとり、軽くどこぞに投げキスをかまして彼は笑う。
「あと、一応俺、『侯爵』だからワイズマン兄貴より魔力あるんだぜ」マジか……。
ってことは。
優雅に、気障に歩み寄る男にぼくは全力無視を決め込もうとしたが、『はなみずき』の肩に手を乗せたので思わず威嚇してしまう。フー!!!!!!!
「猫か。君は」ワイズマンは優雅にほほ笑み、何処からか茶の入ったカップを手ににやり。
「転移魔法が成功したっぽい」「命がけだったがね」
「ほれ、兄ちゃん。ジテンシャ。兄ちゃん、ヤバいときはカネは要らないからとにかく貸し出せって言ってただろ」
避難民が私物化していた自転車を回収してきてくれたらしい。勝ち誇る彼にへなへなと崩れ落ちる。
「ワシもおるぞ」む。ぼくはなにも見なかった。
「『ダンミツの禁書』を貰って良いのなら無視を決め込むと良い」
すいません。返してくださいソル様。
彼の後ろではしっぽをぱたぱたさせる狼娘。
「しっかりしてくださいませ。皇女さま。非力ですが私もついています」
大剣を手にアンジェラさんが微笑む。「国王様が死ぬわけがありません。国王様は竜にも堂々と戦っておいででした」嘘つけ。あんな化け物に喧嘩うれるわけないだろ。
「そろそろ仕事してほしいんだけどな。皇女さま」
エースと女たちは避難民を率いて治安維持に忙しいらしい。
「……」
なおも呆然としている皇女に優しい声が重なる。
「皇女さま」「皇女さま」「『はなみずき』。立ち上がれ」「姉ちゃん。姉ちゃんはちょっと乱暴なくらいが可愛いと思うぜ」「皇女様。ふぁいとです」「皇女さん。もうちょっとがんばってみようや」「竜なんてぶっとばしてしまいましょう」「そうだそうだ」
ゆっくりと涙をぬぐい。
「取り乱していた」とつぶやく彼女は皆に頭を下げた。
「私の力は僅かだ。皆の知恵と力を貸してほしい」
大きな歓声が上がった。
この世界では珍しいゴム底のブーツのかすかな音。
ゆっくりぼくに歩み寄る一組の男女。
「まったく。『かんもりのみこ』とのんびり子作りでもしておきたかったんだが」「それどころではないようだな」
ひたすらバカでかい猟師と、それに似合わない美女の組み合わせ。
「がうる? 」「竜退治するんだろ? 旦那? 」
長い耳を振るわせて駆け込み、抱き付く『かげゆり』。「いきてたっ?! 」「おい。俺が死ぬか。『かげゆり』」
ガウルはニコリと笑い、力こぶをみせてきた。
「策はあるのかい? いつでも俺はお前の言うことを聞く準備があるぜ」いつもの能天気な笑みを浮かべる猟師に続いて。
「なんせシャッキンとやらを返さなくば安穏な『フーフセイカツ』を送れないらしいのだ」
自分が言っていること解っているのか怪しい美女は不満げにそう告げた。