第5話 残滓
ルイからの依頼で、ヒストとノベル、ドクの3人は、嘗て王族が使用していたという、地下の緊急避難路の調査を行う。
暫く馬車に乗った後、ヒストとドクの後を追って降りたそこの、酒場とは別の種類の喧騒に、ノベルはつい、一歩引いた。
「…私ここ嫌い」
そう呟き、ヒストの背後に身を顰めるようにしたドクに、「我慢しろ」と、どこか冷たくヒストは返した。客引きらしい肌の露出の多い女がヒストに近寄るのが見えたので、取り敢えず、細身とはいえど高身長故に圧のあるノベルがそれを睨み、退ける。まだ少年の域を出ていないとはいえ、裏社会にいた身だ。女は息を詰まらせて逃げた。
道中、ヒストは無言のまま女たちに目を合わせようとしなかったし…この様子からしてヒストも、ドク同様苦手意識があるようだが、兎も角。ドクはその左頬を隠すように、ヒストの傍によって歩いていたので、ノベルは、先程の女同様、近づいてくるそれを退けることに徹底した。
「…お前意外と便利だな」
その様子に気づいたらしいヒストがそう呟いた。「アンタ言い方」とドクがそれを咎めたが、ノベルは「ありがとうございます」と返す。
そうは言ったが、ノベルは、小さくため息を吐いた。4区には娼館が多い。事前に、ヒストからは大まかに説明されていた。しかし、ここまでとは。
何度か客引きが近づき、そろそろヒストも、そしてノベル自身も苛立ちが募ってきたころ、漸く人気が減り始める。
辿り着いたのは、1区との境界になっている、森の端、どちらかと言うと城壁に近い部分であった。木々の間から遠目に兵士が見えたので、念のため、ヒストとドクが陰になるよう、ノベルはヒストの横に立つ。
その意図に気づいているのか、それともそもそもノベルの行動を気にしてすらいないのか、ヒストは、その行為を咎めることはしなかった。ただ、慣れているのか、戸惑うことなく雑草の中へと足を踏み入れた。
本来は門を経由しなくては1区への出入りはできないが、実際の所、森の経由を目論む人間が、いないわけではない。実際にその場を見られることは流石に避けるのだろうが、踏み荒らされていることから、それを察することは容易だ。しかしそれでも見て見ぬふりをされているのは、現状、それを厳しく取り締まらなくとも、大きな問題が起きていないからだろう。本当に取り締まりたいのであれば、森など置かず、1区を城壁で、完全に囲ってしまえばいい。単に、平地の森は方向感覚を狂わせ、実際に森を抜けることは極めて困難である、という話かもしれないが。
元々王族が使う避難路であったというだけあって、踏み場にさえ気を付ければ、露に濡れはするが、泥で汚れることも木で怪我することもないようになっていた。恐らく、自然に見えるが、人の手で創り出された森なのだろう。
そのままヒストに倣って進むと、1か所、地面の緑が不自然に途切れた個所があった。ノベルが見上げると、光沢のある、深い緑色に覆われていた。柊だ。
立ち止まったヒストの視線を追うと、地面のそれは、地面と平行に置かれた、錆びた金属の2枚を合わせた蓋のような何かだった。両開きの扉、というのが正しいか。本来取手があるような部分には、何かの凹みがあった。
「…何?これ」
同じことが気になったのか、ドクがヒストに問うた。ヒストは、「元々は魔力認識の機能」と、淡々と返した。
「もうとっくの昔に壊されたから、力づくでも簡単に開く。…ノベル」
「はい」
呼ばれ、ノベルは、その扉の凹凸に指をひっかけて、それを持ち上げた。簡単に、とヒストは言ったが、当然、金属のそれは相応の重さをしている。右の脚が痛んだので、ノベルは、片膝をついてそれを引き上げた。
少し時間をかけ、漸く扉を開くと、そこから現れたのは石造りの階段で、腐っても王族用と言うべきか、もう使われていないにもかかわらず、やけにしっかりとした作りになっていた。
ヒストは、迷うことなくそこへと足を踏み入れる。ドクとノベルがその後に続くと、扉は勝手に閉まり、暗闇に包まれた。直後、ヒストは右手に火をつける。照らされたその顔を盗み見ると、眼鏡を外したらしく、しかし、薄いガラスが無くなったところで、その表情からは何を考えているのかわからなった。唯一、首から眼鏡を下げる金属のチェーンが、僅かな光を反射する。
数十段降りた先、ヒストがその右手を空に振りかざすと、その火が壁を這い、壁に付けられたランプに火を灯した。手前の1つを皮切りに、通路の先まで、いっそ不自然なほどに、それは光源としての機能を果たしていた。
「…アンタ、無駄に才能あるわね…」
「無駄ではないだろ」
呆れたようなドクに、ヒストはそう返したが、それはどこか不貞腐れているようで、子供じみている、とノベルは感じた。
ランプに照らされた壁を見ると、やはりというべきか、階段と同様に石と煉瓦でつくられたそれは豪奢で、本来の用途から考え得る使用頻度に対して、やけに装飾が多かった。しかし、所々崩れた跡の見受けられることが、何かがあったこと…ヒスト曰くクーデターの痕跡を示していた。
ヒストは一度ノベルに一冊の書籍…小さめのそれを取り出すよう指示し、以降は、その書籍に書かれている地図と見合わせながら、無言のまま歩みを進めた。やけに曲がる回数が多いのは、崩れた個所を避けるためか。
暫く歩いて、ふと、ヒストが立ち止まった。
「どうしたのよ」
「どうかしましたか?」
どこか突き放したような口調…恐らく彼女のこれは生来のものだが、ドクのそれと、様子を、若しくは主人の機嫌をうかがうノベルの声が、冷たい地下路に響いた。
「…ノベル、本渡せ、古いやつ」
「はい」
返ってきたのは返答ではなく命令だったが、ノベルはそれに従って、古びた大きい書籍を取り出した。代わりに、彼が持っていた小さめのそれを受け取る。
ヒストは、頁を捲るのが億劫だったのか、若しくは単にそうしたほうが早いという理由からか、右手に書籍を持ったまま、魔力を流し込んで目的の頁を開いたようだった。
ノベルは、ヒストの視線の先を追った。先程までと同様の通路だと思ったが、違和感を抱き、内心首を傾げた。
数秒後、それに気づいた。崩れた痕跡がない。
「…どうしたの?」
今度は訝し気に、ドクが問う。ヒストは、ドクには目を合わせないまま、口を開いた。
「…この道は、1区に繋がる。塞がっているはずだ」
その言葉に、ノベルは咄嗟に、「引き返しますか」と返した。
「…否、」
数秒の沈黙の後、ヒストは、静かに否定した。
「もしそうだとしたら、既に手遅れだ」
「…どういうこと?」
「……多分ですけど、誰かがこの避難路を使っています」
ドクが問いかけたが、ヒストは無言のまま眼前を睨んでいたので、ノベルがそれに答えた。
「壁や床に崩れた跡がないですし、修復の跡もないので、教会の人間か貴族が、術を使って直したものかと…」
そう説明すると、ドクは、「ヒスト、」と声を掛けた。
「…アンタ、どうするつもり?」
「行くしかないだろ」
「危険よ!」
ドクがヒストの服を引いたので、ヒストは少し足元を崩して、その右手に乗せていた本を落とす。ノベルはすぐに手を伸ばしたが、それも虚しく、鈍い音が地下に響いた。ノベルがそれを拾い上げる。保護か何かの術を使っているのか、それとも元々損傷が見受けられる故に区別がつかないのか、目立った損傷はなく、ノベルは少し安堵して、それを左手に抱えた。鞄に仕舞うかは迷ったが、ヒストが再度、必要とするかもしれないと考えて。
それで冷静さを取り戻したのか、ドクは「…ごめん」と言って、食い下がった。しかし、その服は掴んだまま。
「……本当に行くの?」
「ああ」
ドクやノベルの緊張とは対象に、ヒストは平然と、「今更引き返すのも無駄だしな」と続けた。
「…あの、ヒストさん、」
声を掛けられて、ヒストが振り返った。
ノベルに、それを止める権利は無い。だからと言って、その身を案じる言葉を掛けるのは、適切ではないと感じた。
「…何かあったときは、僕を使ってください」
「ノベルくん!」
ドクはノベルのそれを咎めたかったようだが、ヒストは薄く笑い、「まあ今それを持たせているな」と、見当違いの言葉を発した。
「そういうことでは…」
「行くぞ」
ヒストは恐らく、わざとノベルを遮った。
「…はい」
しかし、ノベルには、ヒストがそう判断した限りはそれ以上何も言う権利がないので、そう、短く返すほか、与えられた選択肢はなかった。
それに満足したのか、それとも元から興味がないのか、すぐに、ヒストはノベルから目を逸らした。
そのまま足を進めるヒストを、ドクとノベルが追う。
少し早くなった革靴の音が、壊れた美しい路に響くさまが、やけに似つかわしかった。
「…アンタ、ノベルくんを買ったって言ったときはとうとう気でも狂ったのかと思ったけど…」
そう、ドクはヒストに声を掛けた。それは、まるで疲れているかのような声色で、呆れが滲んでいた。ノベルは内心同感した。不良品を自ら買い取るなど、正気ではない。
しかし、ドクはため息をひとつ吐いたあと、続けた。
「そういうところは変わらないわね」
「…『そういうところ』?」
ヒストが、どこか不審げに聞き返した。
「好奇心旺盛、自由奔放、傍若無人」
「…なあ女史先生、それは俺を貶しているということでいいか?」
そう問いかけたヒストに、ドクは、「逆に褒めてるとでも思ったの?」と返した。
「いっそ感心するわね、これだけ14区にいたら、普通は成長するでしょうに」
「何目線だよ」
「姉」
うわ…と心底嫌そうに呟いたヒストに、「最初に言ったのはアンタよ」と、ドクは無情な言葉を告げた。
ノベルは、声にこそ出さなかったが、その会話の内容を、少し気がかりに感じた。
ヒストのその性格に関しては、お世辞にもらしいとは言い難いが、動作の滑らかなことや、荒れているようでいて崩れることの無い言葉遣いが、どこか浮世離れしていた。そして、以前教会の、特に浄化師の事情について、ヒストは既知であった。何より、魔力を持っている人間であること、そしてドクから渡された薬草の浄化を難なく済ませたことから、教会から逃げ出した浄化師なのだろう。
教会は、魔力所有者を保護している。
どうして逃げ出したのだろうか。単に好奇心か、それとも、何か事情があったのか?そして、どうして教会が忌避しているはずの史学者という職に就いたのか?
ノベルは思案したが、しかしそれを本人に確認するつもりも、それ以外でヒストの真意を知る方法もないため、すぐに気を逸らした。或いは、ヒストの内心について理解したくないというだけであったのかもしれない。
ヒストは、ドクに声を掛けられたことで落ち着いたのか、早まっていた足は緩やかなそれへと戻った。
「…ラクさんたちは、この避難路について詳しくは知らない」
そう、ヒストは口を開いた。
「もし仮にここが、あの人たちが通った時のままだとしたら、彼らがここに迷い込んだ可能性がある」
「…衰弱死ってこと?」
そう問いかけたドクに、ヒストは、「さあな」と返した。
「魔力を通さない使い方は想定されていない。今は俺が魔力を通したが、あの人たちが手持ちのランプか何かを使ってここを通ったとしたら、酸欠の可能性もある」
淡々と、ヒストが言った。ねえヒスト、と、ドクが声を掛ける。
「…アンタ、この道通ったことあるの?」
「さあな」
ヒストが、そう返した。その声は平坦で、感情を読み取ることが難しい。
「言っただろ、以前は塞がっていた」
「じゃあ地図くらい使いなさいよ」
「必要ない」
「ヒスト!」
ドクが再びヒストの服を掴んだが、ヒストはそれを強引に振りほどいて、路を曲がった。
ドクとノベルがその後を追う。路は行き止まり…否、その奥に金属製の、取手があるべき箇所に透明な石の装飾をもつ扉があった。ヒストがその水晶に右手を翳すと、ひとりでに扉が開く。
ヒストはその先で立ち止まり、振り返った。
それは、異常であった。しかし、それでいて、どこか宗教画の様でもあった。
床には無造作に転がった5つの死体と、血の跡が広がっていた。それをヒストは戸惑いなく踏みしめたが、既に乾いて黒く変色したそれが、ヒストの革靴を汚すことは無い。ただ、行き止まりであるそこは小部屋のようになっており、先程まで密室となっていたそこには5体分の死臭が籠っていたが、ヒストはそれに顔を顰めることもなく、ただ、無表情のまま、こちらを見つめていた。
ひゅ、とノベルの喉が音を鳴らす。ドクは、口元を抑えて後ずさった。
「ドク」
ヒストが、声を掛ける。その声は、決して、冷たいというわけではない。ただ、その状況に驚くわけでも、嫌悪を覚えるわけでもなく、淡々としたそれが、おぞましかった。
「死因は」
それに、ドクは、ゆっくりと足を踏み出した。一番近くの、壁にもたれかかる様にして倒れている男に触れる。そして、暫くして、口を開いた。
「…失血死よ、死後1週間程度。多分、全員同じ」
「そうか」
やはり、短いヒストの返答に込められた感情を、ノベルは理解する事ができなかった。
ねえヒスト、という、ドクの声は、震えていた。
「もう戻りましょう」
そう告げたドクを、ヒストは無視して、ドクが触れていた死体の傍に屈みこんだ。そしてその男を退かし、赤黒いそれが付着した壁を見る。
「…弾痕だな」
そう呟いたヒストが立ち上がり、そのまま部屋を歩き回った。暫くして足を止め、指先程の大きさの、黒い何かを拾い上げる。それ…先端の潰れた金属塊を目前まで掲げて、ヒストは、感心したように息を吐いた。
「…旧暦の遺物だ。機能が単純で魔力を通すことなく使用できるが、音と反動が大きく、事故も多い」
今でもたまに使われる、と、ヒストはノベルを見た。
「お前は……」
そう、ヒストは黙り込んだ。知らず、ノベルは息を呑む。
そのまま、数秒。「…否」ふと、ヒストがノベルから目を逸らした。
「何でもない」
そう呟くように言ったヒストは、そのまま再び死体に寄り、首に掛けられた認識票の、下半分をパキリと折り取った。1枚づくりの民間人が身に着けているそれは、ヒスト曰く、嘗て王国領が戦場になった際の名残らしいが、ノベルは勿論のこと、ヒストも、それを所持しているわけではないらしかった。
ヒストの動きに倣い、ノベルも死体のそれを折り取る。腐敗の影響か顔の判別はつかなかったが、ふと認識票の表記をみると、それはラクであった。
汚いな、と、ノベルは思った。適切に保管がされていないそれらは、相応の醜さをしている。
ヒストとノベルが2枚ずつ、ドクが1枚を折った。ヒストはノベルに対し、それらと、黒い金属塊を鞄にある小袋に仕舞うよう指示する。終えると、ヒストは既に死体への興味を失ったのか、「帰るぞ」と言い放った。
ノベルは、自分の右手に収まる小袋に目を落とした。金属製とはいえ、薄いプレートの認識票5枚は軽く、それが人の命の証明であるとは、到底信じ難かった。
成瀬です。
ノベルは奴隷なので、感性が一般とは異なっています。この作品において、多くの描写がノベルの目線からなされているため、一度状況を俯瞰したほうが、物語が分かりやすいかもしれません。




