【05話】あれ、またボク……
窓から朝の日差しが瞼の裏まで感じて、カレンは目を覚ました。
森の中は朝も静かで、少し離れた場所から小鳥達の鳴き声が聴こえる。
ゆっくりと瞼を開き、見慣れない天井を見つめた。
(……そっか、此処は)
寝惚けた頭で昨日の事をなぞるように思い出した。
怖かった。
というのが正直な感想であった。
親や学校の教師、本などで魔物の恐ろしさは勉強し、貴族騎士の娘として鍛錬も怠っていないつもりだった。
しかし、目の前の魔物はあまりにも強力で、自分の力ではどうにもならない現実だった。
魔物の森で消息を絶った兄を探し、魔物に追われ見知らぬ男に救われた。
まさか、自分がここまで無力だとは思わなかった。
魔法学校では常に成績上位であり、目上の生徒にも引けを取らず、教師にも一目置かれていた存在であったと自負している。
その自信が、跡形もなく崩れた。
森の中で魔物に遭遇した時には本能的に最上位の危険信号が心臓を鳴らし、逃げるしか無かった。
そもそも、本や学校で習った知ったはずの魔物とは大きく違っていた。
スゥエントベアーは物理攻撃よりも魔法の属性攻撃の方が簡単に倒せる。
ある程度の火力があれば充分であった。
だが、この森の魔物はそのレベルではなく、知っていたよりも巨大で凶暴。
あの『魔術』を使う男が住んでいなければ、自分は今頃土のひとつになっていただろう。
そう思うと、昨日の夜止まったはずの手の震えがまた再びぶり返してきそうだった。
「……?」
だが、ふと自分の左手に違和感を覚えた。
昨日の恐怖が鮮明に思い出されようとして再び震え始めるかと思った手に。
彼女の左手は、夜眠らせてくれた温かい手が未だに包んでいた。
「あっ」
「ん……?」
急に気恥ずかしくなり、手を振り払おうとする。
しかし、優しく包んでいただけのように温かな手は、振り払おうとも払えなかった。
「んん……? 朝か……」
その手の持ち主が目を覚ます。
「ってええええええ!? ごめんごめんごめんごめん」
温かな離さぬ手の持ち主、ユウマは握っていた手に気づき飛び起きた。
「ああ、昨日あのまま寝ちまったのか……」
「……」
「す、すまん。君が眠ったのに安心して俺もそのまま寝ちまったらしい」
「……そ、そう」
「いてて……変な体勢で寝たから腰が……」
この歳には床で寝るのはなかなかに辛い。
「あ、ありがとう」
「ん? ああ、気にすんなって。寝れたようでよかった」
「うん……」
貴族のプライドも少なからずあるだろうに、それでもカレンは真っ直ぐにお礼を言った。
「はぁー朝だ。よし、朝食を作るからちと待っててくれ」
「分かったわ」
返事を聞いてユウマは台所へ向かう。
ベーコンと自家製の野菜が残っており、それを朝食の献立とした。
台所に立ち、ユウマは野菜を並べ、ゆっくりと両手を台所の端に置き……。
固まる。
(ぎゃぁぁあああ!! まずいまずいまずいまずい)
決して野菜が不味いものである、という話ではない。
(……やばい、どさくさに紛れてって訳じゃないが……ちゃんとした理由もあったけどかなり年下の女性の手を握っちまったァ!!)
あの時は彼女の為を思い、の一心で手を握った。
その時こそこんな感情にならなかったが、朝起きて思い返せばなんてことをしてしまったのだ、と。
やましいことはしていないが、平民が貴族に自ら手を握ってしまった。
これは首は許されても握った手首が切り落とされてしまうのではないか。
そんな焦りが、額と背中に冷たい汗を流させる。
「……どうしたの? 台所に立って動いてないけど」
「え、えーっとなんでもない! いやー何作ろっかなって思ってな!」
「そんな気にしなくていいわよ食べれれば。頂けるだけで有難いもの」
(そっかぁぁあああ。俺今から貴族に朝飯作るんじゃん!!)
貴族はおろか他人に飯を振る舞うことなど産まれてこの方初めてだった。
自分が食えて自分の為だけに満足していた雑な男飯。
それをあんな可憐な貴族の少女にお出しするのだ。
「くっ、嘆いても仕方ねぇ……作るか」
どんなに焦ろうが目の前の事は変わらず。
ユウマはカレンという少女に対して気さくな気持ちでは居られるものの、何かを自分発信で行うにはやはり身分の差を気にしてしまう。
一人暮らしの平民とも言い難い平民に、貴族に対する礼儀等ハナから知るわけもないのだ。
とは言っても今更気にして敬語にしたって気持ちが悪い。
よくよく考えれば昨日出会った時から貴族に対する接し方じゃなくね? と自問自答しては諦めるを繰り返した。
そんな思いに頭を悩ませながらなんとか朝食を作る。
甘辛な味付けをしたベーコンに自家製野菜、そしてユウマが好んで街で買ってくるパンを出した。
「へー。思ったより良い朝食ね」
「お褒め頂き光栄でございます」
「……なんか今更敬語は気持ち悪いわね」
「……だよねぇ」
「折角だし頂くわ」
「口に合えばいいが……」
そんなドキドキなユウマの思いも知らず、カレンは朝食に手を伸ばす。
ユウマの視線は口に運び咀嚼するカレンの顔に釘付けだった。
「……え、とっても美味しいわ」
「ま、まじ? 貴族様のお口に合う?」
「貴族様やめて。ていうか本当に美味しわ。私の知ってるベーコンじゃない」
「それは俺のオリジナルソースを使ってるからな。ちょい甘辛で野菜によく合う」
「野菜も新鮮で良いわね。家で食べるのと違うわ」
「新鮮さが分かるのか!? こりゃ見込みあるな……」
とは言え貴族にスローライフを教える訳にもいかない。
「んで、これからどーするよ」
「どーするって……また兄さんを探しに行くわ」
「あんな目にあってもか? 危険だからやめておけ。本国で捜索隊が組まれてるんじゃないのか?」
「組まれてるわ……。でも、魔物が強力すぎて難航しているの」
「なら尚更危険だ」
「……気になってたけど、なんでこの家が建つ狭めな草原には魔物の気配が無いのかしら」
昨日倒した熊はカレンが連れてきたようなもの。
それ以外は見渡す限り魔物の気配は無い。
「なにか特殊な作用が……」
「あー……いや、ここら辺の魔物は狩り尽くしたからな」
「か、狩り尽くした!?」
「そそ。昨日の熊はデカかったけど若い魔物で、ここら辺じゃそこまで強くはない部類だな」
「……あ、あれで強くは無いって」
死を覚悟した魔物が実はそうでもない相手でした。
なんて彼女からすれば簡単に受け入れられる現実ではない。
「……はぁ」
「な? このまま独りで探すには危ねぇだろ?」
「……」
数秒沈黙して頭を悩ませるカレン。
論理的思考と感情が葛藤しているのだろう。
しかし若くも精神力が高い貴族の娘。
これ以上の無謀は意味を持たないと落ち着いた。
「……そうね。一旦諦めるわ」
「それがいい。最寄りの街まで送るよ」
「……ありがとう。あ、あともう1つ」
「なんだ?」
「……もう一度、『魔術』を見せてもらえないかしら?」
「もう一度? どうして?」
「この目でまた見てみたい。ただの興味よ。安心して、使おうだなんて思わないから」
「……んじゃ、1回だけな」
仕方ないお嬢様だ、とユウマは家の外に出る。
優しい風が吹くいい朝だ。
本当に、昨日あんな死闘を繰り広げた場所とは思えないくらいに。
だがその痕跡を大きく残した地面は、そこだけ円状に黒く焼け焦げていた。
「そんじゃ、昨日熊をやったやつとは違う魔術を見せてやろう。なかなか凄いやつを」
「……っ」
その言葉を聞いてカレンは生唾を飲む。
ユウマは長い木の棒で地面に軽く、かつ目のにも止まらないような速さで彼の足元で何かを描いていた。
その時間、1.5秒。
複雑にかつ規則的にも見える線が交差し、1つの円となる。
「これは……?」
「簡易的な魔法陣だ。魔力を介した時に生まれるヤツと同じだな」
木の棒をそのまま肩にポンっと乗せると、黄色い魔法石を中心に投げ置くと、その魔法陣が白く染まってゆく。
「──暗雲よ」
詠唱が始まった。
「鴉は遠く、光が刺した轟に怯え、雷の怒りは涙を伝う」
すると、先程まであんなに穏やかだった空が、ユウマの頭上を隠すかのように暗くなってゆく。
それは直接の光を遮り、ユウマを光から守るかのように。
見上げれば、近い空に黒い雲がユウマの居る座標を中心に広がってゆく。
「劈く槍は空の泣き声と共に空虚を穿つ」
空一面を覆う程ではないが、空に湧いた黒い雲が渦を巻いてゆく。
「──雷ノ歌槍」
直後、鼓膜が破れるかのような轟音と共に、雲の渦の中心から青白い光が槍の形をし、地上に降り注ぐ。
それこそ、音を置き去りにした光の速さで。
バガガガガゴッ!!! という轟音の光の槍は地面に到達する瞬間に粒子のように消えた。
辺りの鳥が驚き飛び逃げた後に、空に漂う黒い雲な、何事も無かったかのように消え去りまた青い空を覗かせた。
「あ、あああ……」
「ま、こんなもんか。地面に当たったら爆風で砂煙がすげぇから途中で消えるように距離調整したけど上手く行ったなぁ」
そんなユウマの言葉を他所に、カレンは文字通り空いた口が塞がらなかった。
「ま、これ急いでやっても詠唱込みで発動まで5秒以上かかるから実践向きじゃないんだけどね」
「貴方……あ、あれって……」
空いた口をパクパクさせながら話すカレン。
「さ、祭壇上位魔法レベルよ!? しかも雨の日にしかできない封印された魔物を消滅させる為の! 普通なら半日かけて20人の専用魔法を扱える者が居て発動できる、そんな魔法!! それを……こんな一瞬で……」
「あっ、えっと……」
あんぐりとしたまま自分でも理解できない驚きを超えた何かで叫ぶカレンを前に、ユウマは頭をポリポリ掻く。
「……なるほど、ここにきてこのセリフが言えるのか」
何やら感慨深そうな顔をしてユウマは、1度キラッとした顔をした後、わざとらしい困り顔でこう言った。
「……あれ、ボクまた何かやっちゃいました?」




