【第一章】20年 【01話】 平穏
「ふぅー。いい加減老いを感じてきたな……」
額の滲む汗を片手で拭って、一人溜息混じりに呟いた。
誰に向けたでもなく、ただ自分の身体に話しかけるように。
他に誰も居ない少しだけ広い草原の小さな畑で、男は呟いた。
「そりゃそうか。もう今年で44歳になるんだもんなぁ。それにしちゃあ元気なもんか。気分の問題かなぁ」
男の名前は佐藤悠真。
今年で44歳の一見冴えないおっさんオッサンだ。
そして、
「この世界に来て、ちょうど20年くらい、か」
異世界転生者である。
20年前に勇者として召喚されたが、彼はどうやら勇者としての素質が無かったらしい。
そもそも、異世界からの転生を頻繁に行っているわけではないらしいが、彼でおよそ5人目くらいだったらしい。
前世界でどこかの漫画沢山読んだような、よくある魔王討伐の為の勇者を探しているらしい。
しかし、ただの一般人にやはり適正はなかった。
転生前日本に居た頃は、ブラック企業での疲れにふらついたところ転落死した間抜けな男で、これといって特別な人間ではなかった。
大層にも子供の頃はサッカー選手や歌手になりたいとか、そんな夢を持っていてある程度努力してた気もするが、何の身にもならなかった。
確かに父と母を愛していたし、苦労をかけたくなかったのもあり、人生の相談なんてできなかった。
自殺なんて考えてもなかったが、結果死んでしまうとは情けない。
そして死後、彷徨う魂になるかと思えば、異世界に飛ばされていたのである。
最初、ユウマは興奮した。
俺にまさか、ゲームの主人公になれる日がやってきたのか、と。
蓋を開ければ、この世界で魔力が著しく低く、筋力も以前と同じく並スタート。
かと言って特殊なスキルもほぼ無し。
せっかくの異世界、魔法が使えると思って当時ワクワクしたのも束の間だった。
そこから召喚された場所からは半ば追い出され、路銀程の見知らぬ金を掴まされた程度だった。
どうせ、どうせ死んだ身だ。
この世界で精一杯楽しもう。
そう思って彼は生きてきた。
今彼は、ア・ディラントという少し大きな街が最寄りの数キロ離れた辺境の森の中で住んでいる。
魔物が多く生息しているから、人間が近づかない森でとても静かだ。
どうにもブラック企業勤めから疲れ果て、それから人間関係から緑の多い場所で住みたくて、ここで巣を作った。
人間関係に疲れたとはいえ、まだ人のことは好きではある。
交流こそ少ないが人の心は保っているつもりだ。
たまに街の酒屋に行っては人に混じったりはしている。
20年もこの世界に居れば、ある程度は顔知った程度の友人もできた。
しかし、この世界は生き物がよく死ぬ。
比較的治安のいい日本に生まれた人間からすれば、最初は戸惑いを隠せなかった。
魔物に殺されてしまったり、盗賊の被害があったり。
それこそ、魔族との戦争だったり。
魔物はどうやら魔王や魔族とは別に『邪気魔鉱石』と呼ばれる魔力を持った鉱石が動物に影響を与えて凶暴化させているらしい。
そして魔王は今でも元気に世界を脅かしている。
しかし、ユウマにとってはなんら影響の少ないものだった。
召喚されてこの20年一度も魔族にユウマは出会っていないからである。
このア・ディラント近くの山で魔族は活動しておらず、代わりに『邪気魔鉱石』が大量にある為、魔物が多いわけだ。
こんなに魔物が多い場所は人間はおろか、魔族すら近づかないのかもしれない。
故に町では対魔族よりも、対魔物に対するギルド等があり、日々対応に追われている。
ユウマはその魔物退治のギルドに誘われたが、何せ魔力の無い落ちこぼれの転生者。
足手まといになるくらいなら居ない方がマシってもんだ、と。
「おっ、今年も良い実がなってるなぁ」
今ユウマは自分で15数年前に耕した畑でできた食物を見て微笑んでいた。
瑞々しい赤色をしたトマトのような野菜はリアトと言い、まぁほぼトマトだ。
転生前には苦手だった野菜も食えるようになり、生きるために育て、自分の手で汗水垂らし収穫した野菜は格別だった。
少し隣にまた赤色をしたイチゴのような果物はカリンべと言い、これもまぁほぼイチゴだ。
個人で育てられる数少ない甘味故に貴重である。
「ま、1人分の食料だから大量とは言わんが、今年も育ってくれて嬉しいぞお前たち」
そう。
正に彼は、異世界スローライフをしている。
どうせ前の世界の俺は死んでしまったし元の世界には帰れないのだから、この世界をボッチに楽しんでこの世界の土となろう。
そう思って生きている。
「さて、そろそろ洗濯物は乾いたかなぁ」
良い天気、天日干ししていた布団や衣服を片付けようとしていた。
その時だった。
「……ん? 東の方から馬の足音?」
この家に向かってくる馬の足音が聞こえた。
転生前の世界に居た馬と大して見た目が変わらなく、最初は強い安心感を感じたものだ。
いや、そんなことより。
「配達が来るには少し早いな。10日前に来たばかりだというのに」
だが……。
「まて、東? 街は西の方だ。東には何も無いはずだが……」
こんな辺境の地に来る人間などは月に1度来るか来ないかの手紙の配達員くらいだ。
来るか来ないかの理由は、ある程度軽い手紙などは伝書鳩で送られてくる。
……魔物が居る森に近い家だ。
無理して人が来る場所ではない。
ましてや、街の方向ではない方角から。
迷い込んでしまったのか?
「やはり、近づいてくる。……なんだ?割と速いな。急ぎか? ギルドだったとしても……」
馬の足音が強くなってきた。
配達という長距離を走らせるにしては速い。
もう少しで、目の前まで……。
「んッ!?」
「えっ!?」
林から勢いよく馬が目の前に見えた。
ユウマはその馬に乗った者を見て、思わず声を上げてしまった。
「な、なんだぁ!?」
「な、なんでこんな所に人が!?」
「いや、なんでこんな場所に女が居る!?」
そう、そこには息を切らした馬の上に20歳に届かないであろう若い娘が乗っていた。
服は乱れているが質の高そうな布に腰には短剣、そしてよく鍛えられている馬。
そして何より白銀のように美しい銀髪が特徴的だった。
「ここは魔物がよく出る。早くもとの街に帰りさい」
「か、帰れって」
「まだ昼だ。今からなら余裕で街に着くだろう。道に迷ったのか?」
「ち、違うわ! さっきまで魔物に追いかけられていたのよ……!」
「そ、そうか、だからそんなに慌てて……」
「でも魔物は撒けたみたい……。助かった……」
安堵の表情を見せる若いお嬢さん。
その後すぐ、力が抜けたのか落馬しかけていた。
「おっと」
直ぐさま彼女を抱き抱え、支える。
白銀の髪が、綿が落ちるかのようにゆっくりと垂れた。
だが、それよりも気になることがあった。
「……これは」
その支えた俺の手には、血痕が付着していた。
どうやら脇腹を浅く怪我しているようで、しかし出血による気絶ではないらしい。
きっと緊張の糸が切れ気絶したのだろう。
「……仕方ない」
1人の気絶した女を40過ぎた男の家に入れるのは気が引けるユウマだったが、外で寝かせるわけにもいかない。
この後にあらぬ誤解が生まれるか心配だが、手当をしベッドに寝かせることにした。
そして、彼女が気絶してから約2時間後。
「ん……」
「お?」
「……ここは……?」
「気がついたか」
「はっ!? 私、魔物に襲われて……」
「そのままこの家に迷い込んだんだ。運が良かったな」
「えっ、まさか、貴方が手当を……?」
「そうだ。あっ、心配することはない。服は脱がせていないし、馬も外で繋いである」
「そ、そう……。ありがとう」
何やら不思議そうな顔をして、彼女はユウマの顔を見た。
「どうか、したかな?」
「あ、いえ。なんでこんな場所に貴方は住んでいるの? というか……」
「ん? ああ。スローライフってやつだ」
「す、すろーらいふ?」
「気ままに自由に一人暮らしをしているんだよ」
「す、住めているの? こんな場所に?」
「魔物の事か?何故か知らんがこの家の近くの平原に魔物は寄り付かないらしくてな。平穏も平穏だよ」
「そんなことって……あっ」
そこで何かを思い出したかのように彼女は起き上がる。
「恩人に名乗りがまだでした。私はカレン・エル・サーナトルテ。カレンと呼んでください」
「そうかカレン。俺の名はサトウ・ユウマだ。ユウマでいい」
「ユウマ……改めて、助けて頂いたこと感謝するわ」
「例には及ばんよ。それより、もうすぐ夕方だ……。君は何処から来たんだい?」
「そ、それは……」
何かまた言い淀んだ後に、彼女はあることに気づいた。
「えっ、無い」
「ん?無くし物か?」
「違うわ、怪我した場所の傷がなくなってる……」
「ああ。手当しておいたからな」
「え? 手当って……」
「てあて」
「何か特別な薬でも使ったの……?」
「それは文字通り手を……」
その時。
夕焼けが差し込む窓際の方から、地響きのような揺れを感じた。
「な、何!?」
そしてその直後、大きく野太い鳴き声が届く。
「あーあれは『邪気の輪熊』の鳴き声だな」
「じ、じゃきの?」
「俺が勝手にそう読んでる。紫の輪が胸にあるでけぇ熊だ」
「まさか、それって私を追い回したアイツじゃ……
。確か、『スゥエントベアー』っていう凶暴な魔物じゃなかったかしら」
「お前さんよくアレに捕まらなかったなぁ」
「ウチの馬は優秀だからそこらの魔物じゃ追いつけないの。でも、一瞬追いつかれて気づいたら傷をつけられていたわ」
アドレナリンでも出ていて気づかなかったのだろうか。
「馬に傷が付かなかっただけ幸運だな。そこで落馬していたら命はなかった」
「アイツ……ここらへんの長なの? 資料で見たことはあるけど初めて見たわ……。とんでもなく強そうだった。騎士が何人でかかっても倒せなさそうな……」
「え? その騎士ってやっぱ強いのか……?」
「え、オジサン騎士も知らないの? 国でエリート達しか慣れないような、スキルも剣術も魔法も最強の人達よ」
「マジか……そりゃおっかねぇ。つかオジサンって呼ばないね傷つくから」
「あ、あらごめんなさいユウマさん」
「別にいいよ。おっさんには変わりないしな……」
「ところで、ユウマさん」
「ん?」
カレンは俺をじっと見つめてから話す。
「貴方……魔力が、殆ど無いのね」
「あっ」
マジか、気づかれてしまった。
「そ、それは……」
「こんなに魔力が薄い人は初めて見たわ……探知から逃れるための偽装とかかしら?」
「自分家に居て偽装する意味はねぇだろよ。元からだよ元から」
「えっ?」
「俺はこの世界に来……いや、この世界に生まれてからずっとこの魔力だ。だから魔法はおろか、マトモなスキルすら持ってない」
そこでふと彼は、自身が召喚者だということは隠しておこう、と思った。
無駄に言いふらしても良いことはない。
「そ、そんなことって……」
まるで鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていた。
無理もない。
彼は魔力が1桁で、スキルもほぼ持ち合わせずこの世界に召喚された。
この少女はきっと他人の魔力やスキルを覗き見るスキルでもあるのだろう。
「まぁ驚くよな。最初は俺も驚いたさ。まぁ人並な生活を送れない分、こうやって辺境で一人暮らしさ」
「そうだったの……」
なにやら哀れに思ってくれているのだろうが、彼は単純にブラック企業で疲れ果てた精神を癒すため、いや、人間関係から逃避する為にスローライフをしているのだ。
「ま、俺は俺なりに自由に楽しくやってるよ。心配はいらねぇ。そんなことより、なんでお嬢さんはこんな辺境に?」
「それは……」
少女はそう呟いて、ポケットから何かを取り出した。
「それは?」
小さな写真だった。
凛々しく美しい男性の写真。
まさしく、騎士だった。
「兄様を、探しに来たのです」
「兄を? こんな場所に?」
「迷ってしまってここまで来てしまいましたが、ここからそう遠くない場所に、居ると思います」
「それって……」
「兄様は、騎士でした。私は貴族騎士の娘で、兄様は次期当主となる優秀な騎士。日々国の為に志高くありました。そしてある日、王宮からの依頼で、魔鉱石の調査を受け、専門家と共に鉱山に向かい、そこから消息を経ったのです」
兄の話をしている時は、まるで王宮に居るような
、貴族らしい口調だ。
「おい、貴族ってまさかお嬢さん、カレンさんの国って……」
「ええ。『マラストピエ王国』よ」
『マラストピエ王国』。
ユウマを異世界に召喚した教会がある王国だ。
その王国が勇者として異世界から高魔力、そして優秀なスキルを宿して召喚し、魔王を討伐しようとしていたのだ。
その国から無能として捨てられた訳だが。
「んで、まさかとは思うが周りの反対を押し切って一人でこんな場所に探しに来た、ってとこか?」
「……ご明察よ。情けない話だけど」
「そうか……でも」
言いかけたその時。
『ガァァァァアアアアア!!』
「『邪気の輪熊』か!?『スゥエントベアー』って言うんだっけ?」
「さっきより近いわ! すぐそこまで……」
地鳴らしのような鳴き声は、より近くで響いた。
きっとカレンの匂いを辿ってきたのだろう。
縄張りを荒らされたと思ったか、気が立っているのか……空腹なのだろうか?
「こ、この平原に近づかないんじゃなかったの!?」
「いやーそのはずなんだけどなぁ。若いのかな」
「そんな呑気に言ってる場合!? このままじゃ……」
「そうだな……んじゃあ……」
「仕方ないわ……私が行く」
「え?」
「私が倒すしかないじゃない。私も貴族騎士の娘。強力な魔法だって使えるんだから!」
……大丈夫だろうか。
と、静かにユウマは口の中で呟いた。




