03
五日ほど馬車に揺られてようやくたどり着いたライネル帝国の皇宮はエルドラド王国の王城と比べ、遥かに大きかった。イオもエルドラドの王城も十分大きいと思っていたが、これはそれを遥かに超えている。石造りの宮殿は四方に高い塔を持ち、奥にどこまで伸びているのか分からない広大な庭があった。
「…なんて立派な宮殿なの」
馬車から降り、イオは思わずその光景に唖然としてしまう。あまりにも立派な宮殿に見とれていると壮年の男が近づいてきて一礼する。豪奢な身なりからして上位貴族だと分かる。
「イオ王女殿下ですな」
「…えぇ、失礼ですが、あなたは?」
「お出迎えにあがました、外務大臣のエドワーズ・レイテスと申します」
「お出迎えに感謝いたしますわ、レイテス卿」
「早速ですが、皇帝陛下に謁見ということでよろしいでしょうか」
イオは傍らに控えていたイザベラの顔をチラリと見た。
「王女殿下は旅着のままですので、支度のお時間をいただけませんか?支度ができ次第、すぐに拝謁にむかいますわ」
「分かりました、では支度ができ次第ということで。殿下のお荷物はすぐに部屋に運ばせましょう」
「着替えるだけでもいいのじゃなくて?」
イオの髪を結直しているイザベラに声をかける。イオは馬車の中で着ていたドレスを脱ぎ、新しいドレスに着替えた。鮮やかな青い絹の生地のドレスには金糸で細やかな花模様が刺繍され裾には幾つものサファイアが縫い付けられていた。
「なりませんわ。これから皇帝陛下にお会いになるのですよ。殿下のご聡明さがきちんと伝わるようにしなくては」
「そう…なのかしら。私なんて、」
「もう…!殿下ったら、私なんてなど言わないでくださいまし。ほら、こっちをお向きになって」
イザベラに促されてイオは鏡面を向けていた身体を振り返る。イザベラはイオの頭にサファイアがあしらわれたティアラを載せた。
「私は、殿下以上にお綺麗な方を知りませんわ。誰がなんと言おうと殿下は見た目も心もお美しいですわ」
「…お母さまみたいに、綺麗じゃない…」
「いいえ!皇帝陛下ならお分かりになるはずですわ。分からなかったら、イザベラが一発こうですわ!」
イザベラが冗談で殴る仕草をするのでイオは思わず笑ってしまった。
「ふふっあはは、…そうね、そうよね。ありがとう、イザベラ、一緒に来てくれる?」
「えぇ、喜んで」
侍従たちに案内され謁見の間の前に来たイオは黄金に輝く扉に圧倒される。謁見の間へと続く黄金の扉にはライネル皇室の紋章である獅子が百合の花を咥えた意匠が施されている。
「エルドラド王国第一王女、イオ・プリマベラ・エルドラド殿下のご到着でございます!」
侍従の声とともに目の前の大きな扉が開かれた。緊張とともに歩き出したイオの目に最初に飛び込んできたのは、荘厳な光に満ちた色とりどりのステンドグラスだ。ステンドグラスには獅子に跨り百合の花を携えた乙女の姿が描かれていた。磨き抜かれた白亜の大理石には扉から玉座まで真っ直ぐ臙脂色の絨毯が敷かれている。
謁見の間には上位貴族たちが王女の拝謁を見届けようと集まっていた。イオが伏し目がちに一歩一歩歩く度にヒソヒソと噂話が聞こえてくる。
「…あれがエルドラドの姫君…」
「…なんと美しい。お母君に瓜二つですな」
「…しかしながら、噂によれば容姿は母親に似たが体が弱く世継ぎは望めないとか。我が皇帝陛下なぜあのような」
列席する貴族たちの噂話は距離のある皇帝の耳までは届かない。
イオは数段上にある玉座の前で足を止め、ドレスの裾を持ち一礼する。伏し目がちな視界に皇帝の壮麗な白と金の宮廷服の端と青いマントが見えた。
「エルドラド王国第一王女、イオ・プリマベラ・エルドラドにございます。シャルール・ド・ラリヴェ皇帝陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう。両国の平和の為、そしてライネル帝国の皇后として務めを果たす所存です。至らぬ身ではありますが精一杯務めさせていただきたく存じます」
定型の挨拶をイオは噛むことなくスラスラ述べたつもりだったが皇帝から何も返ってこず、焦りが生まれた。何か間違ったことを言っただろうか。鼓動が早くなる。周りを囲む貴族たちがクスクスと嘲笑をあげている。緊張と焦りから涙が出そうだ。
「ようこそ、イオ王女」
皇帝が凛と響く声で返した。その言葉はエルドラド語だった。イオはそこで理解した。緊張の為、口から溢れたのはエルドラド語だった。ライネル皇帝に挨拶するのだからライネル語で話さなければならなかったはずなのに無意識に祖国の言葉で話してしまった。
「…も、申し訳、ありません…!わ、わたし」
「いいんだ、故郷の言葉の方が先に出るよな。それよりも顔を上げてくれないか?」
皇帝に言われイオは顔を上げた。皇帝と目が合う。整った顔立ち、陽の光のような金の髪、凛々しい双眸は紫陽花のような美しい青紫色だ。齢二十四の若き太陽の皇帝がそこにはいた。
「遠いところからよくぞ来られた。長旅で疲れてはいないか?」
「…お気遣い痛み入ります、陛下」
「急な申し出にも関わらず、婚姻を受けてくれたこと嬉しく思う。ライネル帝国は君のことを心から歓迎する。この婚姻によって互いの国がますます繁栄することを願おう」
皇帝―シャルールはそう言って微笑んだ。
「とまぁ、堅苦しい挨拶はこの程度にしておいて…。君と俺は八歳も離れてるわけで。お互いのこともまだよく知らない。だろ?」
「……えっと、はい…」
「おまけに君はまだ十六歳。皇后なんて重い責務を全うさせて申し訳ない。まだまだ若い君に務めを果たせなんて酷なこと言えるわけがない。だから、最初はお互いのことを知ることから始めよう。皇后の務めは焦らずゆっくり覚えていってほしい。まずは、そうだな…ライネルの美味い料理でも覚えていこう」
人懐っこい笑顔で笑うシャルールに思わずイオも笑みが零れた。
拝謁を終え、イオはライネル帝国王城の侍女たちに案内され、皇后宮に入った。皇后宮は皇宮の中でも奥の方に位置していた。歴代の皇后がここで一生を過ごすのだ。エルドラドではこのように王族が独立した宮殿をもつことはない為、何だか慣れない。皇后宮も白い大理石で造られた壮麗な宮だった。
「こちらが皇后宮ですわ。殿下は普段はこちらでお過ごしになることが大半になるかと」
「そうなのね。宮殿もとても美しいけど…庭が素晴らしいわ」
皇后宮の窓から見える庭には様々な花が咲き乱れている。樹木は細やかな剪定がされよく手入れをしているのが分かる。
「歴代の皇后陛下がご自分の好みに合わせて増築されたりなされたので。春先の今からは特に美しいですよ。後日案内しますわ」
皇后宮の侍女がそう言って案内していく。皇后宮の中を一通り案内すると皇后専用の謁見の間にイオを通した。
『皇后宮にも謁見の間があるのね』
皇帝が使う謁見の間よりは小さいが玉座もある。侍女によると皇后にのみ拝謁する場合に使用する為頻度は高くないそうだ。
イザベラに促され、イオは玉座に座る。イオの前に三人の侍女が並んだ。侍女の年齢はみな三十代前半に見える。
「改めてご挨拶申し上げますわ、殿下。皇后付き侍女のマリーと申します」
「アンナですわ」
「エリーです」
三人が一礼すると、マリーがイザベラの前に進み出る。
「私達3人は皇帝陛下より直々に皇后付き侍女としてお仕えするように申しつけられております。そして陛下はイザベラ様を皇后付き侍女長となさるように仰せですわ」
「…わかりました。ですが、私もライネル帝国のしきたりには疎い所もあります。ご教授ご鞭撻のほどお願いしますわ」
イザベラが挨拶するとイオは三人に微笑んだ。
「イザベラと同じく私もライネルのしきたりはまだまだ知らないことも多いの。至らぬ身だけど、精一杯務めるからよろしくね、マリー、アンナ、エリー」
「それと殿下。皇后付き侍女としては私たち四人では心もとないので、あと数人は後から入ることになると思います。恐らく、ライネル帝国の高位の貴族子女から選ばれるかと」
―エルドラドから嫁いだ齢十六の王女。
ライネル帝国の高位貴族が自分のことをどう思うだろう。イオの手が小さく震えた。
「大丈夫ですわ、殿下。私がおります」
イザベラは安心させるように手を重ねた。
三人の侍女たちとの顔合わせを終え、イオとイザベラが自室で休んでいるとエリーが入ってきた。
「殿下、お休みのところ、申し訳ありません。皇帝陛下付きの侍従が来ております」
「…通してちょうだい」
エリーに連れられて侍従が一人入ってきてイオに一礼する。
「王女殿下、お休みの所申し訳ございません。皇帝陛下が今夜の夕食を共にしないかとの仰せにございます」
疲労は少し感じていたが、まだ不調を感じるほどでは無い。イオがイザベラの顔をチラリと見る。
「……殿下のお好きなようにされていいのですよ」
イザベラが顔を近づけて耳打ちをした。そのひと言にほっと胸を撫で下ろす。
「…わかったわ。陛下に是非ご一緒させてくださいますよう、伝えてくれる?」
シャルールは謁見の後、自室で正装を脱いでいた。侍従たちが重い正装を脱がせ、シンプルなシャツを着せていく。飾り気のないように見えるシャツだが裾には銀糸で細やかな刺繍が施されていた。
「ご機嫌ですね、陛下」
「そう見えるか?ユリウス」
「はい」
侍従長―ユリウスが他の侍従たちに服を片すように指示をする。部屋の中はユリウスとシャルールの二人きりだ。
「王女が夕食を共にしてくれるそうだ」
「あぁ、それで…」
シャルールの顔は嬉しそうな笑みを隠しきれずに浮かべている。
「ですが、…意外でした。かの悪女ベレンガリアの娘と聞いていたので、さぞかし大層な姫君かと身構えていたのですが」
シャルールに命じられ、ユリウスはイオをここまで護衛してきた。
「拍子抜けしたの〜?」
気の抜けたような間延びした声で入ってきたのは若い男だった。歳の頃はシャルールとそんなに変わらない。白銀の緩い巻き毛と柔和な顔立ち、長いまつ毛に縁取られた双眸は青紫色。防具と紺色のマントに身を包んでいる。腰には剣を携えていた。
「帰っきていたのか、エイラ」
紺色のマントに施された百合の花の刺繍は金糸。金糸は団長のみが使用できる。この男は聖騎士団長―エイラ・パルテール・エスランティーユである。
「討伐任務が意外と早く済んだんだよ、それよりどうだった?噂のお姫さまは」
「綺麗だったよ、イオは」
「そっか〜」
シャルールとエイラは皇帝と聖騎士という身分差でありながら砕けた口調で話している。
「まぁでも初めてあのお姫さまを見て、拍子抜けするのは納得。あのベレンガリア様の娘とは到底思えないもの」
エイラは肩をすくめる。
「…もう十年か」
「あの子と出会ってから十年も経ったな」
イオに初めて出会ったのは十年ほど前。ベレンガリアの母が亡くなり、葬儀の為にイオを連れて帰国していた。イオは六歳、シャルールは十四歳だった。
「十年も片想いを…!?」
ユリウスは驚きを隠せない顔をしたが、シャルールは苦笑いを浮かべて首を振る。
「…片想いなんて、そんな大それたものじゃないさ。ただあの頃の俺の中で一番美しい人はベラ姉ただ一人だった。」
ベレンガリア―ベラ姉と呼んで慕っていた。九つ歳上の美しい従姉。
「初めてだったんだ、ベラ姉以外に、美しいと、心まで美しい人がいるのだとそう思ったのは」
シャルールは窓にうつる景色よりも遥か遠くを見つめる表情をしていた。
「あの子のことをもっと知りたい。そう思ってエルドラドに調査をいれたこともあった。最低だよな、コソコソ裏で嗅ぎ回って…。最初はそれだけだった…。彼女の様子だけ分かれば、…ただ、それだけで良かったんだ」
彼女のことを知りたい。
ただそれだけだった。恋なんかじゃない。
歳も離れてるし、何より他国の姫だ。自分が恋して許される相手でない。
ただ、そう欲を言えば幸せでいてほしかった。
だが、――調査して知ったのは…
「ベラ姉がイオに歪んだ愛情を向けていること。賢王と名高い父親ですら、イオに対して無関心だということ」
シャルールは窓枠に手を置き強く握る。
信じ難いがそれでも無理矢理飲み込み、理解した。どうすればいい?イオを救い出すには、どうしたらいいのか。
「無理矢理奪うのは簡単だ。我が国の軍事力を持ってすれば容易ではないだろうが、イオを救うことができる。だがそれは侵略以外に他ならない。そんなことをしてしまえば、イオに俺は顔向けできない。故に、婚姻という形を取るしかなかった…。婚姻を申し込めるイオが成人になるまで待つしか無かった」
「…最善の手だったと思うよ、僕は?だからさ、いい加減自分を責めるのやめなよ。君、今ひっどい顔してるよ?そんな辛気臭い顔してお姫さまに会うつもり?」
辛辣なひと言の割にエイラの表情は優しい。
「すっごくかっこ悪いぞー」
「…そうだな、こんな顔じゃイオに会えないな」
シャルールはそう言って笑った。
夕日が皇宮を染め上げる頃、イオはシャルールの待つ皇帝宮の一室の前に立っていた。この先に皇帝が待っている。
『二人だけの私的な晩餐会だ。堅苦しくするつもりはないから、気楽に来てほしい』
というシャルールの言伝を事前に受け取ってはいるものの、それでも緊張する。謁見の時とは違う。皇帝と初めてゆっくり話す機会だ。心臓の鼓動が早くなる。後ろではイザベラが見守るように控えていた。
シャルールの待つ部屋の扉が開き、イオはゆっくり入室するとドレスの裾を持ち、一礼する。
「…本日は、夕食のお誘い誠に嬉しく存じます」
「こちらこそ。急な申し出にも関わらず、来てくれてうれしいよ。…さ、座って」
「…はい」
イオはシャルールの座る大理石のテーブルの向かい側に座る。シャルールが手を掲げる合図をすると、侍女と侍従たちがテーブルのワイングラスにワインを注いでいく。白ワインの芳香が立つ。白ワインの匂いにイオの唇がぴくりと少し震える。酒の類は成人の儀式で舐める程度に飲んだだけだ。美味しいと感じたことはない。
「…王女、無理に飲まなくていいからな?」
『…気を遣わせてしまった…』とイオは内心慌てる。
「…え、あ、ごめん、なさい」
「…俺は君に謝らせてばかりだな」
ぽつりとシャルールが呟く。なんと言ったのだろうか。
「…え?」
「いいや、何でもない。それよりも王女には何か別なものを注いでやってくれ」
シャルールが隣にいた侍従に命じるとイオのワイングラスの中身が酒では無いものに変えられる。匂いからしてジュースだろうか。シャルールがワイングラスを指で掲げたので慌ててイオもワイングラスを持つ。
「今日の良き日に、乾杯」
「……か、かんぱい」
シャルールがワインに口を付けたのを見て、イオもグラスに口をつける。やはり、中身はジュースに変えられていた。シャルールがワインを一口飲むのと同時に料理が運ばれてくる。
真っ白な陶磁器に金の模様が施された皿には摘めるほど小さなバゲット。バゲットの上には生ハムとオレンジが飾られていた。皿の上に弧を描くようにソースがかかっている。生ハムから香ばしい桜の燻製の匂いがした。
『…前菜?なのは分かるけど…』
エルドラドでは前菜は手で摘んで食すものだった。ライネルではどうなのだろう。きっとマナーが違うはずだ。イオはテーブルの下で、膝の上に置いた手を小さくきゅっと握った。
「…王女?嫌いなものだったか」
「…い、いいえ!違い、ます…!ただ、」
マナーが分からないのだと正直に言ってしまえば、皇帝は自分にきっと失望する。そんなことも知らずに嫁入りしたのかと。
「…あぁ、そういう事か。…王女、それはどっちでも大丈夫だよ。手で摘んでもマナー違反じゃない」
シャルールの言葉にイオの耳が真っ赤に染まる。イオは視線を合わせられず俯いたままだ。俯いたままのイオを見ているとシャルールの心は休まらない。
「…何にも恥ずかしいことはないよ、これから覚えていけばいいんだ。それに実を言うと、俺も苦手なんだ、こういうの。だから、顔を上げてくれ」
イオが俯いていた顔を上げ、シャルールと目が合う。シャルールは優しく微笑んでいた。こんな風に、食事の席で優しく微笑みかけられた記憶はない。
「挨拶の時のドレスも似合っていたが、そのドレスも似合っているよ。桜色がよく似合う」
「…あ、ありがとう、ございます……」
イオは桜色のドレスを身にまとっていた。ふわふわと揺れる何重にも重なるレースには小さな真珠が散りばめられている。オフショルダーのドレスから華奢な肩が見えていた。
料理が次々と運ばれて魚料理がきたところで、シャルールが不意に口を開く。
「…昔、君に会ったことがあるんだ」
シャルールのひと言にイオは目をぱちくりさせている。
「…申し訳、ございません…いつ、お会い、したのでしょうか」
「覚えてないのも無理はないと思う。もう何せ…十年も前の話だから」
――冷たい雨が降りしきる日だった。
ベレンガリアの母エスランティーユ大公妃が亡くなり、大公家では葬儀が執り行われていた。
ベレンガリアと従姉同士だったシャルールもまた式に参列する為、大公家を訪れていた。大公妃とは面識がないわけではないが、齢十五の皇太子には少し退屈だった。皇帝と皇后に連れられて来ていたが、二人の隙をついて逃げ出してきてしまった。
『今日は、ベラ姉もきてるんだったよな』
他国に嫁いだ公女が葬儀の為に母国に戻ることは滅多にないのだが、ベレンガリアは特別に許され葬儀に参加しているはずだ。
葬儀に参列している貴族の間を小走りで駆けて行くと、人目を惹く美貌の麗人がいた。
「ベラ姉っ!」
シャルールははしゃいでベレンガリアの喪服の裾に抱きつく。
「シャルール、久しぶりね。七年ぶり?前よりも大きくなったかしら?」
「ベラ姉こそ、今日も美しいね!」
着ているものは黒いドレスなのだが、よく見ると裾に細やかな黒曜石の飾りが施され、黒いレースが幾重にも重なり合っている。エルドラドに嫁ぐ前も美しかったが、嫁いでからますます美しくなったと思う。
「ありがとう、シャルール。また会えて嬉しいわ」
「俺も嬉しいよ」
姉と慕うベレンガリアと他愛もない話をしているが、他の貴族たちはヒソヒソと噂話をしている。
「…ベレンガリア様ではなくて…?」
「…あれだけ母君にご迷惑をおかけして、よくもまぁ来られたものだ…」
「…葬式だというのに、あの派手なドレス…。礼儀がなってないのではないのか」
ベレンガリアは手に持つ黒い扇子を口許にあてて笑みを浮かべた。
「……本当に、うるさいわねぇ」
ぽつりと何か言葉にしたが、シャルールには聞こえなかった。
「ベラ姉?今、何て言ったの?」
「…何でもないわ。あぁシャルール、あなたに私の娘を紹介するわ!今年六歳になったのよ!葬儀に一緒に連れてきたの!」
ベレンガリアがそういうが娘と思われる子はどこにもいない。
「あら?あの子どこに行ったのかしら?さっきまでここにいたのだけれど」
ベレンガリアが困ったわねぇ、と呟いたのでシャルールは得意気な笑みを浮かべて走り出した。
「ベラ姉、俺が探してくるよ!待ってて!すぐに戻るから!」
シャルールはそのままバタバタと走り去ってしまった。ベレンガリアは扇子でヒラヒラと顔を扇ぐ。
「……あの子、イオの顔も分からないでしょうに。…馬鹿な子。見つけられるかしら」
ベレンガリアの赤い唇に愉しそうな笑みが浮かんでいた。
シャルールは人混みの中を縫うように女の子を探していた。
『六歳って、さっきベラ姉が言ってたっけ。…顔は、分かんないけど、きっとベラ姉そっくりなんだろうなぁ〜』
呑気なことを考えて鼻歌を歌いながら、シャルールは不意に何気なく中庭に視線がいった。雨にぼやける中庭に小さな人影があった。シャルールは雨に濡れるのも構わずに人影に向かい走った。
人影は小さな女の子だった。雨に濡れる髪は輝くような銀髪。それだけでひと目見てベレンガリアの娘だと分かった。少女は一心不乱に中庭の花を摘んでいた。一本一本摘んでは胸元に抱え込んでいた。シャルールは肩に掛けていたマントを広げて少女を雨から遮る。
「…濡れてしまうよ」
シャルールが声をかけると少女がゆっくりと顔を上げた。ペリドットのような瞳と目が合う。幼いながら少女は人目を惹く美貌を持っていた。その美貌はまさにベレンガリア譲りだった。少女はキョトンとした表情でシャルールを見つめ返したが、ふわりと微笑んだ。
「…ありがとう」
「…何をしてるんだ?」
「…お花をお祖母様に摘んでいるの」
少女の白い顔が雨に濡れて血色を失っていたのでシャルールは咄嗟に少女の手を取り、屋根のある場所まで走り出す。少女の手は雨に濡れて氷のように冷たかった。
「このままだと、風邪をひいてしまうよ。…行こう」
少女の了承を得る前にシャルールは中庭から廊下へと移動した。少女は先程と変わらぬ表情でシャルールを見ていた。
「それで?どうして、花なんて」
「…ひつぎには、お花をいれるんでしょう?」
「…そうだが…」
「おかあさまがね、おばあさまにはお花なんて入れなくていいって、」
少女はしょんぼりした表情で摘んでいた花を胸の前で持つ。
ベレンガリアが母である大公妃と仲が良くないのは知っていた。娘にも最後まで仲良くさせる気はないらしい。
「でも、お花、入れないと、おばあさま、きっとかなしいわ」
「…君、お祖母様に会ったことないだろ」
「そうだけど…」
シャルールの言葉に納得がいかないように少女は手に持つ花を指先で弄る。
「大公妃には会ったことなんて数える程しかないから、俺は退屈だよ」
「…でもね、ないてる人、いたわ。かなしい人、いた」
少女のペリドットの瞳は真っ直ぐ射抜くようにシャルールの目を見つめた。
「おばあさまのことは、しらないけれど…。だれかを思うことに、理由はないわ」
――――雨音だけが静かに響いていた。
あの日、雨の中で花を抱えていた少女の姿は、何年経ってもシャルールの心から消えることはなかった。
シャルールはあの時、世界でいちばん優しい女の子に出会ったと思った。
シャルールはあの頃から十年経ち、少し大人びたイオを真っ直ぐ見つめる。
『あの時からずっと君を想っている』
そう言いたい言葉をシャルールはぐっと飲み込む。
「…やっぱり、覚えて、ません……ごめんなさい…」
「――そうか。いや、いいんだ」
シャルールは自然に返したつもりだったのだが、イオにはがっかりしているように感じた。
「…あの、申し訳、ございません、…もしかしたら、お時間をいただけたら、思い出すかも…、だから、あの、」
イオの宝石のような瞳にみるみる涙が溢れていく。涙を必死で我慢しようとしているのかイオは唇をぎゅっと噛んでいる。
そんな顔をさせたかったんじゃない。シャルールは椅子から立ち上がるとイオの傍へ行き、足元に跪く。
「すまない。…泣かせるつもりはなかったんだ」
「…ごめんっ、なさいっ…泣きたい、わけじゃないのにっ…泣き止むからっ、」
ごしごしと目元を擦るイオの手をシャルールはそっと掴む。手を掴まれたイオは驚いたように目を見開く。
「…擦ると赤くなってしまうから」
まるで小さな子供に言い聞かせるようにシャルールはイオの両手を握った。自分よりも小さくて白い手に壊れてしまうんじゃないかとさえ思った。
『…小さい手だな』
「…さっきも言ったが、覚えていないことを俺は怒ってないよ。十年も前のことだし、君はあの時まだ六歳の女の子だった。覚えてないことの方が当然だと思う」
「…でも、…でも、陛下は、ずっと、覚えていて、くれたんでしょう…?」
「正直に言えば、君をずっと忘れたことなんてない。君にしてみれば、あれはきっとなんて事ない些細な記憶かもしれないけれど、俺にとっては美しい思い出だったんだ」
シャルールの優しい笑顔にイオは思わず握られた手をそっと握り返した。
「やっぱり笑った顔の方が素敵だ。王女、俺は君のことをもっと知りたいよ。政略結婚ではあるけれど、君のことを知って君を幸せにする努力をしたい」
「陛下………」
「…もし、君がよければ二人の時はイオと呼んでもいいだろうか?」
イオは袖で涙を拭って嬉しそうに微笑んだ。
「…喜んで、陛下」
シャルールはほっと胸を撫で下ろした。ようやくきちんと笑ってくれた。
「明日は、俺が皇宮を案内するよ」
「…陛下自ら、ですか…?」
「今日からここが君の家になるんだ。だから、俺が案内したいんだよ」
「…うれしい。…約束ですよ、陛下」
「もちろん」
イオとシャルールは互いに見つめて笑いあった。二人だけの晩餐会は暖かな空気に包まれていた。




