第5話 被害者の声は要求です
被害者の声は、証拠ではない。
相手を裁くための刃にしても、自分を守るための盾にしてもいけない。
まずは、何を傷つけ、何を戻してほしいのかを聞く。
帳簿室の机の上で、使用人業務課題表のIS-003が私を見上げていた。
リリア様への謝罪面会の連絡が止まっている。
担当、未定。
期限、至急。
状態、未着手。
悪い項目が、見事に揃っている。
「侍女頭は、旦那様にご確認の途中だったそうでございます」
マルタが調べてきてくれた。
「旦那様は、王宮の出方を見てからとお答えになり、そこで止まったままだと」
止まった理由は分かった。
誰も悪くない顔をして、全員が待っている。
こういう停止が、一番長引く。
「担当は、私が引き取ります。ただし、私から直接手紙を出すのは保留です」
「保留、でございますか」
「相手が断りにくいからです」
リリア・ベルナール様は、私が実際に傷つけた相手だ。
彼女の発言を、私は家格で遮った。
その私からの面会依頼は、形がどれだけ丁寧でも呼び出しになる。
謝罪したい側の焦りは、被害を受けた側には圧力になる。
「断罪会議は、宰相府預かりの調査案件になっています。私が勝手に被害者へ接触すると、証言への圧力に見えます。ですから、面会の形式ごと宰相府に確認します」
謝罪は、相手を呼び出す権利ではない。
書きながら、少し胸に刺さった。
前世にも、謝罪会議という名の呼び出しがあった。
上位者が謝るために下位者を会議室へ呼び、相手が許すまで帰れない空気を作る。
あれは謝罪ではない。
圧力の形式変更だ。
宰相府の回答は、その日のうちに戻った。
面会場所、王宮内の小応接室。
立会人、宰相府書記官一名。
同席は、リリア様側の侍女一名と、こちらの侍女一名まで。
禁止事項は三つ。
証言誘導と、反論による圧迫と、二人きりの会話。
「厳しいのでございますか」
「適切です」
制約のある場は、自由な場より安全なことがある。
私が公爵令嬢である以上、自由な面会は相手の自由を奪う。
「マルタ。同行をお願いします。私の味方をするためではありません。私が圧を出していないか、横で見てください」
「私が、お嬢様を、でございますか」
「はい。必要なら、止めてください」
マルタは一瞬だけ目を伏せ、それから静かに頷いた。
命令を受ける返事ではなく、役割を受ける返事に見えた。
たぶん。
そう思いたくなった自分を、未確認、と心の中で止める。
王宮の小応接室は、断罪の場となった小ホールよりずっと狭かった。
中央に小さな丸卓。
私の隣にマルタ。
向かいにリリア様と、ベルナール男爵家の年長の侍女。
卓の横に、記録者である宰相府書記官。
逃げ道は扉側にあり、記録者は横にいる。
よく考えられた配置だ。
「リリア・ベルナール様。本日は、こちらの申し入れに応じてくださり、ありがとうございます」
リリア様の肩が揺れた。
色白の顔に、目元の赤が残っている。
第二王子はいない。
取り巻きもいない。
それでも、彼女は私を怖がっている。
当然だ。
私は座る前に、この面会の目的から確認した。
「今日は、私の無実を証明するために来たのではありません。リリア様に何が起き、何を望んでいるのかを聞きに来ました」
リリア様が、わずかに目を見開く。
「私は、リリア様の言葉を私の盾にしません。殿下や誰かを裁くための刃にも、今ここではしません」
書記官のペンが走る。
硬い言い方だ。
けれど、曖昧な優しさで包むより、先に境界線を示す方がいい。
「まず、謝罪させてください」
私は息を整えた。
「以前、私はあなたの発言を、家格を理由に遮りました。殿下のそばにいることについて、あなたの立場を考えず圧力をかけました」
記憶はある。
庭園の柱の影で、何かを言おうとした口元を、私は笑って止めた。
男爵令嬢が、殿下のお心を語るの。
言った。
間違いなく、私が言った。
「あの場で、あなたは言い返しにくかったはずです。私はそれを分かっていて言いました。申し訳ありませんでした」
頭を下げる。
長くはしない。
下げ続けることも、相手に反応を強いる。
沈黙が落ちた。
やがて、リリア様が小さく言った。
「謝っていただいても、何もなかったことにはなりません」
正しい。
完全に正しい。
「はい」
「あの時、私は、自分がとても恥ずかしいもののように思えました」
「はい」
「その後、手紙が届きました。社交界に出る資格がないと。殿下に近づけば、もっとひどいことになると」
嫌がらせ手紙。
私は送っていない。
その言葉が喉まで出た。
だが、今ではない。
罪状を混ぜれば、全部がひとつの悪意に見える。
混ぜたままでは、リリア様が何を怖がり、何を確認してほしいのかも見えなくなる。
「怖かったのですね」
「……はい。今も、また同じことが起きるのではないかと、怖いのです」
「怖かった、という言葉は証拠ではありません。ですが、対応すべき要求です」
リリア様の眉が動き、書記官のペンが止まった。
危ない言い方だと、自分でも分かっている。
切り取れば、被害軽視に聞こえる。
「証拠ではないから軽い、という意味ではありません。証拠として争う前に、あなたが怖いと感じる状態をどう減らすかを考える、という意味です」
私は手元の紙に線を引いた。
感情。
事実主張。
要求。
未確認事項。
「あなたの言葉を、この四つに分けてもよろしいでしょうか。怖かったという気持ち。何が起きたと認識しているか。これから何をしてほしいか。今ここでは分からないこと。あなたを疑うためではなく、対応を混ぜないためです」
「混ぜると、どうなるのですか」
「誰かが、都合よく使います」
リリア様の指が、膝の上で強く重なった。
「では、伺います。私と今後、どう接触したいですか」
リリア様はすぐに答えなかった。
待つ。
待つことも、聞き取りの一部だ。
急かすと、相手は私が欲しい答えを探してしまう。
やがて、彼女は言った。
「二人きりでは、お会いしたくありません」
「承知しました」
要求として書く。
わがままではなく、対応すべき項目として。
嫌がらせ手紙の原本は殿下の側の誰かが預かっているらしく、保管者の名も配送経路も、彼女自身は知らなかった。
夜会で罪状に挙げられた階段の件は、直接見たのではなく、誰かから聞いた話だという。
「分からないことは、悪いことではありません。あなたが直接見聞きしたことと、人づてに聞いたことを分けるだけです」
「分けると、私は嘘をついたことには」
「なりません。怖かったことと、事実の認定は別です。あなたが怖かったことは、誰にも否定させません」
リリア様の目に、涙が浮かんだ。
「私は、嘘をついているつもりは、ありませんでした」
「はい」
「でも、うまくお話しできなくて。だから……証言は、整理して話すようにと、言われました」
部屋の空気が変わった。
書記官のペンが止まり、マルタが息を呑む。
飛びつくな。
私は自分に言い聞かせてから、静かに尋ねた。
「どなたに、ですか」
「セレスティア様が、そうした方が伝わりやすいと」
セレスティア・フォン・ローゼンハイム。
返事を保留にしたままの、訪問申し込みの名。
それが、被害者の口から出た。
黒幕断定は禁止。
心の中で、太字で書く。
助言と誘導は別。
証言整理と証言操作も別。
今ここで決めない。
「分かりました。今の発言は、セレスティア様を断罪する材料にはしません」
リリア様が顔を上げた。
「え」
「あなたがここで話したことを、あなたの許可なく誰かを裁くために使いません。必要な確認は、宰相府の手続きで行います。私は、あなたの言葉を私の盾にも、誰かへの刃にもしません」
面会は、そこで区切った。
長く続ければ、聞き取りではなく尋問になる。
最後に、今日の確認事項だけを読み上げた。
当面、私はリリア様と二人きりで面会しない。
面会には、中立の記録者を置く。
手紙と階段の件は、未確認のまま宰相府の調査に委ねる。
リリア様は何度か瞬きをして、小さく言った。
「要求しても、よいのですか」
「はい。被害を受けた人が、次に何をしてほしいかを言うことは、わがままではありません」
リリア様は泣きそうな顔で、けれど泣き崩れはしなかった。
「何もなかったことには、できません。でも、二人きりでなければ」
彼女はそこで言葉を切り、続けた。
「もう一度だけ、お話ししてもよいかもしれません」
胸の奥が、少し熱くなった。
だが、これは和解ではない。
完了でもない。
次の安全な接点が、仮に置かれただけだ。
「ありがとうございます。決定ではなく、次の面会の候補として記録します。リリア様が断れる余地を残します」
退出の前に、私は宰相府書記官へ一つ申し入れた。
「本日の面会記録の写しと、関連の確認資料を、清書議事録へ添付して提出したいのです。提出期限の変更を申請します」
昨夜の控え室で合意した清書の期限は、今日の正午。これから添付資料を整えるには、時間が足りない。
間に合わせるだけなら、できる。けれど急いで綴じた資料は、たいてい誰かの確認を素通りする。
書記官は閣下に確認すると言って席を外し、戻って短く告げた。
「三日後の正午に改める、とのことです。それから、閣下より一言を預かっております。期限の変更を自分から申請する者は珍しい、と」
期限は、守るものである前に、合意するものだ。
私は変更後の期限を、その場で記録した。
公爵邸の自室に戻り、私は面会の記録を清書した。
◆ 被害者要求整理メモ案
項目 :要求 VR-001
区分 :感情
内容 :また圧力を受けるのが怖い
発言者 :リリア
対応方針:接触ルールを決める
担当 :エレオノーラ
状態 :対応中
◇
◆ 被害者要求整理メモ案
項目 :要求 VR-003
区分 :要求
内容 :二人きりで会わないでほしい
発言者 :リリア
対応方針:同席者ありの場に限定する
担当 :エレオノーラ / 宰相府
状態 :仮合意
◇
感情と要求は、これでいい。
問題は、その先だ。
守られている人が、自由に話せるとは限らない。
安全な場所にいることと、その言葉が誰にも使われないことは、別の問題だ。
私はリリア様の証言を、もう一度、証言ではなく流通物として見直した。
「発言者と、利用者を分けます」
背後で、マルタが小さく反応する。
「利用者、でございますか」
「リリア様の言葉を話した人。守った人。記録した人。使った人。同じ人物とは限りません」
私は新しい紙に列を作った。
発言者は、リリア様本人。
怖かったという感情と、二人きりで会いたくないという要求は、間違いなく彼女のものだった。
保護者候補は、第二王子側とベルナール家。
それから、中立の面会の場を整えた宰相府。
記録者は、宰相府書記官。
利用者候補。
そこで、ペンが止まる。
リリア様の被害者性は、殿下の婚約破棄の正当性を支えている。
証言の整理には、セレスティア様の助言が入っている。
守る人と、使う人が、同じ並びに置ける。
「守られていることと、利用されていないことは、同じではありません」
マルタが黙った。
「リリア様を責める話ではありません。守ることと使うことは、同じ人の中で両立します。善意のままでも、です」
前世の現場でも見た。
本人は困っているだけなのに、その言葉が誰かの決裁材料になる。
現場の悲鳴が、予算要求の根拠になる。
それ自体が常に悪いわけではない。
けれど、本人の知らない場所で言葉の意味が変わるなら、それは危険だ。
「お嬢様は、リリア様のお言葉を、殿下への反論にお使いにならないのですか」
「使いません」
即答できた自分に、少しだけ安堵する。
「使った瞬間、私はリリア様の言葉を、もう一度本人の手元から奪うことになります」
では、セレスティア様の助言の中身を、誰が確認するのか。
私ではない。
私が直接問えば、根拠はリリア様の発言になる。
彼女の言葉が、今度は私の反撃材料として流通する。
それは、今日の面会で私がしないと決めたことだ。
「この確認は、私が直接やるべきではありません。宰相府へエスカレーションします」
「えすか」
「上位の判断者へ上げます」
「でしたら、初めからそうおっしゃってくださいませ」
「改善します」
私は確認事項を書いた。
見立ては見立てのまま残し、次の動きを一つに絞る。
◆ 証言利用リスクメモ案
項目 :確認事項 TU-002
確認事項 :証言整理の助言者
発言者 :リリア
現時点の見立て:助言者名はリリア様発言あり。助言内容と意図は未確認
リスク :発言誘導、二次被害
次アクション :宰相府へ確認依頼
状態 :未着手
◇
◆ 証言利用リスクメモ案
項目 :確認事項 TU-004
確認事項 :セレスティア様の関与
発言者 :リリア
現時点の見立て:関与未確定
リスク :保護と利害の混同
次アクション :接触経路を確認
状態 :情報不足
◇
関与未確定。
この五文字を、黒く塗りたい誘惑は確かにある。
線でつなげば、図はきれいに描けてしまう。
リリア様の被害。
殿下の婚約破棄。
私の悪評。
セレスティア様の助言。
婚約再編。
けれど、図に見えることと、真実であることは違う。
相関が見えると、因果だと思いたくなる。
利害が見えると、悪意だと決めたくなる。
その瞬間、調査は濁る。
そして、接触経路の確認なら。
経路のほうから、すでに差し出されている。
「マルタ。文箱から、ローゼンハイム侯爵家の書状を」
マルタが目を見開いた。
「お返事を、なさるのですか」
「はい。保留の期限はこちらで決めると言いました。昨夜のうちに、今日までと決めてありました」
保留したのは、断る理由も受ける理由も揃っていなかったからだ。
今は、確認すべきことができた。
会わずに疑い続けるより、こちらの条件で会う方がいい。
私は返書を書いた。
ご訪問をお受けする。
ただし、当日の同席者を、双方とも事前に書面で知らせ合うこと。
こちらの同席は、侍女一名と記録の書記一名。
日時は、明後日の午後。
先方の書状には、日時はそちらの都合に合わせるとあった。
だから、こちらで指定させていただく。
「面会のご趣旨は、お尋ねにならないのですか」
「先方も書いていません。ご挨拶、とだけ」
ご挨拶のために、同席者の事前確認を求める令嬢。
我ながら、感じが悪い。
けれど、準備のない面会は、たいてい相手の議題で進む。
封蝋を押しながら、私は今日の面会を思い出していた。
リリア様の言葉は、対応すべき要求として手元に置いた。
セレスティア様の名前は、関与未確定のまま、確認事項として置いた。
そして明後日の午後、その未確定の人が、この屋敷へ来る。




