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婚約破棄ですね。では議事録を取ります 〜元ベテランPMの悪役令嬢は、破滅フラグをリスク登録簿で管理する〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ


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第24話 計画どおりに混乱します

「想定済みの混乱は、事故ではなく運用です」


建国祭当日の王宮は、美しい顔をした炎上案件だった。


鐘が鳴る前から、課題ログは息をしている。


細い雨が、白い石畳を濡らしていた。


広場には王家の旗が並び、濡れた金糸が小さく光る。


花台の花は雨よけの布を外され、色だけは晴天のように鮮やかだった。


本番は美しい。


本番の裏側は、もっと忙しい。


式典会場脇の控え回廊には、長机が一つ置かれている。


その上に、当日課題ログ、変更受付札、同意条件表、実施判定記録の写し。


華やかな式典に似合わない紙束が、今日の会場連絡所だった。


当日の連絡と変更をここで受け、記録し、決める人へ材料を渡す。


採否はしない。


それが、この机の役目だ。


「お嬢様」


マルタが、濡れた裾を見てから私を見た。


「走る前のお顔をなさっています」


「走りません」


私は、紙面から顔を上げた。


「走るのは私ではありません。経路です」


「では、経路が走るのであれば、お嬢様は座ってください」


言い返せなかった。


会場連絡所の椅子は、飾りではない。


ここに座り、情報を受け、記録し、必要な材料だけを上へ渡す。


それが今日の私の仕事だった。


小姓が、最初の札を抱えて駆け込んできた。


息は乱れている。


けれど、足は会場連絡所へ向かっている。


それだけで、昨日より進んでいた。


「地方代表の控え位置が内回廊へ移りました。雨天時導線に切り替えます。ただ、来賓列と近くなります」


宰相府書記官が札を受け取り、すぐに表題を読む。


「雨天時導線。地方代表と来賓導線が接近」


私は立ちかけた膝を、椅子へ戻した。


マルタの視線が刺さる。


「儀典準備室と騎士団の確認は」


宰相府書記官は、札の下段にある確認済み欄へ目を落とした。


「騎士団担当者が、内回廊の柱二本分を空けると」


「儀典官は」


「地方代表の礼位置を半歩下げる、と」


半歩。


儀典官にとっては大きな譲歩だ。


騎士団にとっては足りない距離かもしれない。


「魔術師団の安全区域には触れますか」


「記念灯火の待機円には触れません。ただ、退避経路の端が近いです」


昨日見つかった穴が、今日もう一度口を開けた。


想定外ではない。


まだ狭いだけだ。


「会場連絡所から、儀典準備室と騎士団の確認済み運用を伝えてください」


私は、札の余白へ指を置いた。


「地方代表は雨天時導線へ。来賓列は青紐の外側で一度待機。王族導線には入れない」


宰相府書記官が復唱する。


「地方代表は雨天時導線。来賓列は青紐外側で一度待機。王族導線には入れない」


「採否ではありません。運用切替です」


「運用切替として記録します」


小姓が、ほっと息を吐いた。


誰かに叱られる前に、手順へ戻れた顔だった。


二枚目の札は、商会代表から届いた。


「東側花台の飾り紐が一箱遅れております。荷車が雨で足を取られました」


儀典準備室担当官の顔色が変わる。


「東側は王族席から見える」


「西側の予備装飾を回せます」


商会代表は、声を小さくした。


王宮相手に、遅れを言うのは怖い。


その怖さを減らすために、宰相府確認書案を作った。


ここで責めたら、次から遅れは遅れた後にしか見えない。


儀典準備室担当官が、息を整えて頷いた。


「東側優先でお願いします。西側は予備装飾と紙札で代替します」


私は当日課題ログの二行目を押さえた。


「記録します。東側花台を優先。西側は紙札で代替。支払いと追加搬入の確認は、式典後の残課題へ」


「式典後、ですか」


商会代表が瞬いた。


「今は式典影響を止めます。支払い確認を消すわけではありません」


「承知しました」


儀典準備室担当官も、短く頷いた。


「西側なら、遠目には布で隠せます」


よかった。


美しさは守れる。


職人を徹夜前提で潰さずに。


開式の鐘が鳴るころ、宰相府書記官が当日課題ログの上の二行を読み上げて確認した。


◆ 当日課題ログ

項目    :当日課題ログ DL-024

DL-024-01 :雨天時導線への切替で地方代表と来賓導線が接近。判断は雨天時導線へ誘導、来賓列一時待機。結果は致命影響なし。

DL-024-02 :装飾品一部遅延。判断は重要箇所優先。結果は式典影響なし、支払い確認は残課題。


事故ではない。


運用の記録が二行、増えただけだ。


三枚目の札は、雨に濡れた花の匂いを連れてきた。


宰相府書記官が読み上げる前に、差出人の名で周囲の空気が固くなる。


地方代表対応官吏。


札には、地方代表の夫人たちから、控室のリリア様へ励ましの花束と短い札を届けたい、と書かれていた。


下段には、小さな追記がある。


受け取りの確認だけでも、夫人席へ戻してほしい。


悪意はない。


むしろ、善意しかない。


だから厄介だった。


花束は美しい。


けれど、式典中の控室へ届けば、リリア様は今すぐ受け取るか、断るかを選ばされる。


断れば非礼に見える。


受け取れば、式典への参加意思のように扱われかねない。


「非公式の励ましです」


儀典準備室担当官が、逃げ道を探すように言った。


「式次第には載りません」


私は同意条件表を開いた。


「式次第に載らなくても、式典中にリリア様へ判断を迫るなら同じです」


担当官の口元が止まる。


私は、控室確認欄を指で押さえた。


「リリア様は控室待機。付き添いあり。式典中に新しい判断を求めない」


「花束を返すのですか」


「返しません。会場連絡所で預かります」


花に罪はない。


善意にも、罪はない。


「式典後、会場連絡所から控室側の女性官吏を通じて、リリア様が受け取るかどうか確認してください。今は控室へ届けません」


宰相府書記官が、確認するように言った。


「保留、と」


「式典中不接触です。リリア様へ今判断を迫らないための保留です」


宰相府書記官が羽根ペンを動かし、書き上がった一行を読み上げた。


◆ 当日課題ログ

項目    :当日課題ログ DL-024

DL-024-03 :リリア様宛て励まし花束と短い札。判断は受取確認を式典後へ送り、会場連絡所預かり。結果は控室待機維持。


その紙面を見て、私は少しだけ息を吸えた。


リリア様はここにいない。


いない人の扉を、善意で叩いてはいけない。


宰相府女性官吏が、控室側から戻ってきた。


「リリア様は控室待機を選ばれています。付き添いの侍女と一緒です」


「花束の件は」


「伝えておりません。式典中に、リリア様へ判断を迫る内容ではありませんので」


正しい。


リリア様の同意範囲を守るとは、何でもリリア様へ投げ返すことではない。


決める側が守るべき条件を、弱い立場の人へ毎回背負わせないことだ。


「ありがとうございます。控室待機は、予定どおり守ってください」


女性官吏が頷いた。


リリア様が舞台に出ないことも、今日の成功条件の一つだった。


四枚目の札が来た時、雨音より先に足音が乱れた。


第二王子付き書記ではない。


儀典準備室の若い書記だった。


「第二王子殿下の発言機会について、王族席近くより確認が」


会場連絡所の空気が止まる。


遠くで、王族入場を告げる鐘が一つ鳴った。


アルフォンス殿下は、まだ控え位置にいる。


入場前のこの時間なら、差し込みはできる。


できてしまう。


「内容を読んでください」


宰相府書記官が、書記から札を受け取る。


「雨天導線の切替で地方代表が一度待機した件について、第二王子殿下より労いの一言を添えたい」


宰相府書記官は、札の続きへ目を落とした。


「短い挨拶であり、式次第には大きく影響しない、とあります」


アルフォンス殿下の名は、便利だ。


アルフォンス殿下が望んだのか。


周囲が望んだのか。


雨の混乱を、王族の気遣いに変えたい誰かが、今なら通ると思ったのか。


それを私がここで推測してはいけない。


「アルフォンス殿下の確認済み文言はありますか」


「添付はありません」


「承認ログの発言確認欄は」


宰相府書記官が、実施判定記録の写しをめくった。


「発言機会は事前確認済み文言に限る。追加変更はアルフォンス殿下の確認必須」


私は頷いた。


「では、未承認変更です。会場連絡所で記録し、承認条件外として王太子殿下へ判断材料だけを上げます」


若い書記が、青ざめる。


「式典を止めるのですか」


「止めません」


私は、立ち上がった。


ここは走る場面ではない。


けれど、上位判断へ渡す材料は、私が確認する。


「今決める人に、今決める材料だけを渡します」


私は札の端を押さえた。


「材料は三つです。確認済み文言なし。地方代表向け挨拶への当日追加。式次第への当日追加」


「三つ」


マルタが小さく繰り返す。


「三つだけです」


王太子控えの紺色の幕の前に、ヴィクトル殿下は立っていた。


濃紺の礼装に銀糸が沈み、雨の薄暗さの中でかえって静かに光って見える。


「リューデンベルク嬢」


「会場連絡所より、上位判断事項です」


私は、札を差し出した。


「判断材料は三つです。確認済み文言なし。地方代表向け挨拶への当日追加。式次第への当日追加です」


ヴィクトル殿下は、札を読んだ。


長くは読まない。


必要な場所だけを見る。


「結論は」


「承認条件外の未承認変更です。式典本体は進行可能です」


「よい」


短い声だった。


ヴィクトル殿下は、近くの宰相府書記官へ視線を向ける。


「条件外の変更は認めない。式典は続ける」


書記官が復唱した。


「条件外の変更は認めない。式典は続ける」


その声が、幕の向こうへ渡る。


ざわめきが一度ふくらみ、すぐに引いた。


アルフォンス殿下がこちらを見た。


明るい青の目に、雨ではない冷たさが混じっている。


「この程度の変更まで、記録が必要なのか」


「はい」


私は、頭を下げた。


「王族の名で動く変更ですので」


「私の言葉だ」


「では、アルフォンス殿下の確認済み文言として、発言前に承認ログ上の確認手順へ戻します」


アルフォンス殿下の唇が止まる。


本当に彼の言葉なら、記録へ戻せる。


戻せないなら、誰かの願いが彼の名を借りている。


ヴィクトル殿下が、弟を見た。


叱責ではない。


判断を待つ視線だった。


アルフォンス殿下は、ほんのわずか顎を引いた。


「今は、式典を優先する」


「記録させる」


グレアム閣下の声が、横から入った。


「第二王子殿下は、当日追加発言を行わず、式典進行を優先する」


宰相府書記官が、その文言を書き取る。


言葉は静かだった。


けれど、逃げ道の形を変えるには十分だった。


王族入場の鐘が二つ目を鳴らす。


雨はまだ細い。


会場の花台は、東側だけが少し濃く飾られている。


地方代表は内回廊から導かれ、来賓列は青紐の外側で一度止まる。


止まる。


そして、戻る。


止まったままにはならない。


それが、今日の成果だった。


建国王の誓約文が読み上げられるころ、私は会場連絡所へ戻った。


マルタが椅子を指で叩く。


「座ってください」


「座ります」


「本当に」


「本当に」


私は椅子に座り、当日課題ログの四行目を確認した。


雨天導線混乱への労い発言追加依頼。


判断は未承認変更として不採用。


結果は承認条件維持。


採否を私が決めたのではない。


会場連絡所が記録し、ヴィクトル殿下が条件外変更を認めなかった。


そこを間違えないよう、紙面に残す。


午後の式次第が進み、広場の端で記念灯火の支度が始まる。


魔術師団の補佐が、雨に濡れないよう布を張った魔術陣の端を見ている。


火ではない光が、まだ低く眠っている。


その時、騎士団担当者から札が入った。


宰相府書記官が、声を早める。


「記念灯火の起動前です。今止めれば式次第に響きます」


続けて、札の二行目を読む。


「退避経路の端が、雨天時導線の折り返しと近い。安全区域は維持できますが、地方代表の列を半歩下げる必要があります」


儀典官が、今度はすぐに頷いた。


「礼位置を半歩下げます。宣誓台からの見え方は保てます」


魔術師団の補佐も、黄色い粉で引かれた円を見直す。


「安全区域は維持できます。円の内側には入れません」


三者の声が、会場連絡所へ集まる。


私は一つずつ復唱した。


「地方代表の列を半歩下げる。礼位置の見え方は保つ。記念灯火の安全区域は維持する」


宰相府書記官が、当日課題ログへ続きの行を書き足した。


◆ 当日課題ログ

項目    :当日課題ログ DL-024

DL-024-04 :雨天導線混乱への労い発言追加依頼。判断は未承認変更として不採用。結果は承認条件維持。

DL-024-05 :記念灯火前の退避経路再確認。判断は安全区域維持。結果は進行継続。


遠くで、宣誓の声が上がった。


式次第どおりの王族代表の声。


地方代表の礼。


商会が整えた花台。


騎士団が空けた青紐の外側。


魔術師団が守った黄色い円。


その全部が、紙の外で動いている。


私が動かしたのではない。


決めた経路が動いた。


花束も、王族の名で動く変更も、雨で狭くなった道も。


どれも同じ机を通り、決める人のところへ流れていった。


混乱は今日、何度も来た。


けれど、どれも事故にはならなかった。


その事実に、胸の奥が少しだけ軽くなる。


夕刻の鐘が、一つ鳴った。


雨は、糸より細くなっている。


魔術師団の補佐から、新しい札が届いた。


宰相府書記官が読み上げる。


「記念灯火、準備完了。点灯は式次第どおり、夕刻の鐘の三つ目に合わせる」


「会場連絡所、受領しました。進行は変更ありません」


復唱を聞きながら、私は椅子から立たずに、広場の方角だけを見た。


布を外された魔術陣の中心で、火ではない光が目を覚ます支度をしている。


開式からここまで、当日課題ログは五行。


どの行も、運用で受け止めた。


残るのは、式典の頂点。


建国の夜を照らす、記念灯火の点灯だ。


濡れた石畳の向こうで、儀典官が合図の位置についた。


二つ目の鐘が、鳴り始める。


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