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婚約破棄ですね。では議事録を取ります 〜元ベテランPMの悪役令嬢は、破滅フラグをリスク登録簿で管理する〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ


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第19話 善意の提案にも利害があります

「善意と利益は、同時に存在します」


リリア様を守るための提案書は、驚くほど丁寧だった。


だからこそ、私は余白に赤い印を置いた。


寄付窓口の提案の扱いを整理する席は、昨日の言葉のとおり、翌朝の宰相府資料室に設けられた。


一昨日、中立面談室で作った同意確認メモは、宰相府書記官の手で清書され、薄い写しとして私の前に置かれていた。


本人コメント案は不可。


本名と家名の使用も不可。


匿名の支援対象例は、文面確認待ち。


式典出席は、本人の回答待ち。


どれも、リリア様がやっと置いた線だ。


その横に並べられた提案書は、線を踏み越えようとしているようには見えなかった。


むしろ、線を尊重しているように見える。


名前は出さない。


家名も出さない。


感謝の言葉も、本人コメントとしてではなく、王家の保護姿勢を示す穏やかな文言へ置き換える。


紙面だけを読めば、よく考えられた修正案だった。


そして卓の端には、もう一枚。


昨日の朝、儀典準備室前の廊下で私自身が書いた確認事項メモが置かれている。


ローゼンハイム侯爵家の侍女が持っていた、寄付窓口のご案内の紙。あの目撃を、見たままに記した一枚だ。


同意確認メモ、提案書、目撃の記録。


今日の席の材料は、この三枚で揃っていた。


「即時却下ではないのだな」


ヴィクトル殿下が、静かに言った。


宰相府資料室の空気は、中立面談室より少し硬い。


席には、ヴィクトル殿下、グレアム閣下、マルタ、宰相府書記官がいる。


リリア様はいない。


アルフォンス殿下もいない。


この紙は、本人に答えを迫るための紙ではない。


王家と宰相府が、採否を誤らないための紙だ。


「却下して終わらせるには、善意としての価値があります」


私は、提案書の冒頭へ置かれた一文を指で示した。


弱い立場に置かれた令嬢にも、王家の保護が届いていることを、穏やかな文言で示したく存じます。


悪い文ではない。


冷たい文でもない。


読む人によっては、救われる。


少なくとも、王宮が被害を受けた者を黙殺していないと示す助けにはなる。


「リリア様の孤立を減らす可能性もあります」


私は続ける。


「社交の場では、王宮が守ると示された人へ、露骨な距離を置きにくくなります」


マルタが、提案書を見下ろした。


「では、よい紙なのでしょうか」


「よい部分があります」


私は赤い印をもう一つ置く。


「ただし、よい部分があることと、無条件に採用してよいことは別です」


マルタは、小さく眉を寄せた。


「綺麗な紙ほど、余白に何か隠れているように見えてしまいます」


その言い方が、少しだけ面談室の緊張をほどいた。


けれど、笑いにはならない。


たぶん、それでいい。


この紙で笑いすぎると、誰かの息苦しさを軽く扱ってしまう。


私は白紙を一枚引き寄せ、上に線を四本引いた。


善意。


利益。


本人負担。


未確認事項。


「善意を疑うのではありません。善意だけで承認しないのです」


宰相府書記官の羽根ペンが止まった。


グレアム閣下が目を細める。


「利益相反の整理か」


「はい。ただ、書面ではあまり難しく言わない方がよいかと」


言ってから、私は口を閉じた。


書面。


今の言い方は、資料の文言の話としてなら通る。


だが、私の中の前世の癖が少し顔を出していた。


マルタが、横目でこちらを見る。


「お嬢様。今のは、資料の文言の話でございますね」


「はい。資料の文言の話です」


危ない。


王宮で、現代の仕事場みたいな言い方をすると、余計な説明が増える。


私は紙に書く言葉を選び直した。


「言い換えます。善意や役割があっても、利益が判断に影響しうる状態です」


ヴィクトル殿下は、少しだけ視線を上げた。


「セレスティアを疑っているのか」


部屋の温度が、半段下がった気がした。


名前が出るだけで、紙は重くなる。


セレスティア様。


リリア様の言葉を整えた人。


孤立しないよう同席者を探した人。


昨日の朝、廊下で完璧な挨拶だけを残していった人。


そして、第二王子殿下の新しい婚約者候補として見られている人。


「意図ではなく、採用した場合の影響を見ています」


私は答えた。


「得をする人を記録しても、罪を決めたことにはなりません」


ヴィクトル殿下は、そこで黙った。


責められたからではない。


たぶん、言葉の重さを測っている。


グレアム閣下が、提案書の端を押さえた。


「影響として整理しろ。断定は不要だ」


「承知しました」


私は、赤印を一つずつ言葉にしていく。


まず、善意。


弱い立場の令嬢を例にすることで、救済事業の意味は伝わりやすくなる。


名前を出さないなら、直接晒すより危険は減る。


王家が被害者保護を軽視していないと示せる。


これは、採用可能な理由だ。


次に、本人負担。


名前がなくても、境遇が似ていれば推測される。


式典会場にリリア様がいれば、なおさらだ。


欠席すれば、なぜいないのかと囁かれる。


控室にいても、連れてこられたのに出なかった人として扱われるかもしれない。


そして何より、助けてくれた人の願いは断りにくい。


「本人の負担は、善意の中に紛れるほど見えにくくなります」


私は、同意確認メモの写しへ目を落とした。


「本人コメント案は不可です。本人の言葉として式典資料や口上に載せる文は作らない」


「そこは確定だな」


ヴィクトル殿下が言った。


「はい。匿名の支援対象例についても、文面確認待ちです。文面がないまま最終同意にはできません」


宰相府書記官が、短く復唱する。


「文面確認待ち」


その音が、紙の上に沈んだ。


グレアム閣下が、同意確認メモの写しを指で押さえた。


「リリア嬢の回答があるなら、それを採否理由にしてもよいのではないか」


「一部は条件にできます」


私は答えた。


「ですが、本人の回答だけを盾にすると、別の危険があります」


「本人が断ったから、王家はできない」


ヴィクトル殿下が低く言った。


「そう見える、ということか」


「はい。拒否や保留を、王家の不採用理由として前に出しすぎると、リリア様が王家の判断を背負う形になります」


それでは、守ったことにならない。


本人コメント案は不可。


匿名の支援対象例は文面確認待ち。


それはリリア様の線であって、王家が責任を避けるための盾ではない。


「本人の回答は、守る条件です。判断の責任は、判断する側に残します」


グレアム閣下は、短く息を吐いた。


「厄介な整理だな」


「はい。ですが、ここを混ぜると、本人に別の負担が戻ります」


次に、利益。


ここからが、この提案書の本当の重さだった。


「王家には利益があります」


私は言った。


「被害を受けた者を守る姿勢を示せます。建国祭で救済事業を紹介する意味も強くなります」


これは、隠す必要のない利益だ。


王家が民と諸侯を守ると示す。


建国祭の目的にも合う。


問題は、その横に別の利益が並ぶことだった。


「第二王子殿下側にも、副次的な効果があります」


マルタが、そっと背筋を伸ばした。


「保護者側の王族として見えます」


私は、赤印の横に短く書いた。


「発言機会があれば、被害者保護を語る立場にも戻れます」


「今回の目的ではありません。ですが、効果としては接続します」


ヴィクトル殿下の表情は変わらない。


けれど、指先が一度だけ卓を叩いた。


怒りではない。


確認の拍子だ。


「公式目的ではないが、効果としては残る」


「はい」


「書け」


「書きます」


私は、赤印をもう一つ置いた。


ローゼンハイム侯爵家側。


ここはさらに慎重に扱う必要がある。


「セレスティア様の本心は、未確認です」


先に線を引いた。


「ただし、彼女の名に近い提案として扱われるなら、配慮深さは彼女と侯爵家の評価になります」


グレアム閣下が頷く。


「侯爵家に近い寄付窓口とも接続しうる」


「はい。支援に関わった家としての信用が生まれます」


良いことだ。


支援に人と金が集まるなら、救われる人は増える。


それ自体は悪くない。


悪くないからこそ、負担する人を見落としやすい。


そして、その接続は昨日から、言葉の上だけの推測ではなくなっている。


私は、昨日の確認事項メモを提案書の隣へ寄せた。


「材料を一つ、加えます」


事実の欄だけを、声に出して読む。


昨日の朝、儀典準備室前の廊下でのことだ。


ローゼンハイム侯爵家の侍女が、寄付窓口のご案内と題する紙を含む束を持っていた。


「表題と書き出しの一行は、清書を一時停止している札文案の写しと同じに見えました。見えた、までが事実です」


グレアム閣下が、メモの端を指で押さえた。


「昨日のうちに受け取っている。宰相府の出所確認に、侯爵家側の関与範囲を確認事項として加えた」


卓の上で、三枚の紙が並んでいる。


同意確認メモには、リリア様の引いた線が書いてある。


提案書には、その線を尊重する丁寧な文面が書いてある。


確認事項メモには、止めたはずの札文案と同じに見える文面が、侯爵家側の手の中にあった朝が書いてある。


三枚のどこにも、誰かの罪は書かれていない。


それでも、提案書の出所候補にも、寄付窓口の文面の傍らにも、同じ家の名が現れる。


「一枚なら、偶然と呼べます。二枚でも、まだ呼べます」


「三枚並ぶと、どうなる」


ヴィクトル殿下が聞いた。


「疑いではなく、確認事項の束になります」


疑える、なら昨日までも言えた。


今日からは、どこから確かめればよいかが、紙の上に書いてある。


それが、推測と確認の違いだ。


「正しい提案ほど、誰が得をするかを見落としやすくなります」


私がそう言うと、マルタが小さく息を吐いた。


「お嬢様、それは刺さります」


「刺すためではありません」


「分かっております。ですが、刺さります」


少しだけ、グレアム閣下の口元が動いた。


ヴィクトル殿下は笑わない。


ただ、紙から目を離さずに言った。


「善意として認めることと、王家として採用することは別だ」


「その通りです」


私は、四本目の線に未確認事項と書いた。


提案経路。


文面作成者。


寄付窓口との接続。


セレスティア様の関与範囲。


どれも、採否の前に確定させる必要はない。


けれど、未確認のまま承認済みの顔をさせてはいけない。


「確認対象です。断罪対象ではありません」


その言葉を置いた時、宰相府書記官が顔を上げた。


「提案影響メモとして起票しますか」


「お願いします」


私は頷く。


「変更要求一覧とは別に、採用した場合の影響を見ます」


「昨日の確認事項メモは、未確認事項の隣に添えてください。確認の出発点になります」


書記官が新しい紙を出した。


羽根ペンの先が、迷いなく走り始める。


私は、読み上げられる項目を確認した。


◆ 提案影響メモ

項目    :提案影響メモ PIM-019-001

対象    :CR-016-04 支援対象例の文言追加と本人コメント案

確認目的  :提案の善意、利益、本人負担、未確認事項を分ける


提案内容  :救済事業紹介に、匿名の支援対象例と保護姿勢を示す文言を添える

善意としての説明:弱い立場の者を王宮が見捨てない姿勢を示せる

利益としての接続:第二王子側の保護姿勢、侯爵家側の支援関与、寄付窓口案内

本人負担  :名前の推測、出席圧力、本人の言葉として扱われる危険

本人回答  :本人コメント案不可、本名・家名使用不可、匿名の支援対象例は文面確認待ち

出席扱い  :式典出席は本人の回答待ち

未確認事項 :提案経路、文面作成者、寄付窓口との接続、セレスティアの関与範囲

次アクション:匿名文面案と掲示物修正条件を作成し、商会または儀典側と条件調整する


読み終えると、ヴィクトル殿下は静かに頷いた。


「提案者を裁く紙ではなく、王家が採否を誤らないための紙だな」


「はい」


私は、提案影響メモを同意確認メモの隣に置いた。


二枚の紙は、似ているようで役割が違う。


同意確認メモは、リリア様の線を守る。


提案影響メモは、その線の外側で誰の利害が動くかを見る。


混ぜてはいけない。


混ぜると、本人の回答が、政治的に都合のよい採否理由へ変わってしまう。


そこで、儀典準備室担当官が呼び入れられた。


彼は、資料室の入口で深く礼をし、卓上の紙を見てから顔をこわばらせた。


「掲示物修正、でございますか」


「現時点では条件確認です」


私は言った。


「匿名の支援対象例を入れる場合、文面の作成、本人確認、掲示物修正、清書作業の差し替えが発生します」


担当官は、困ったようにグレアム閣下を見た。


宰相の顔色をうかがう。


それは責められる態度ではない。


王宮で仕事をするなら、誰の言葉が命令になるのかを見誤ると危ない。


「率直に答えよ」


グレアム閣下が言った。


「現場ではどこまで進んでいる」


担当官は、息を整えた。


「寄付窓口案内の札文案は、商会側で清書準備に入っております」


担当官は、言葉を一度切った。


「一時停止の伝達は出ております。ですが、商会側の手元でどこまで止まったかは、まだ戻っておりません」


「まだ掲示物として納められてはおりません。差し替えがあるなら、早く知らせる必要がございます」


マルタが、私の袖をそっと引いた。


「お嬢様」


「はい。分かっています」


白紙へ手を伸ばしかけたところだった。


また増やすところだった。


けれど、これは私が抱えて帰る紙ではない。


外部の商会と、儀典準備室の作業条件が絡む。


費用。


納期。


支払い責任。


清書済み作業の扱い。


王宮の都合で一方的に差し替えれば、商会と職人が潰れる。


「条件調整が必要です」


私は、伸ばしかけた手を戻した。


「匿名文面案を作るだけでは足りません。掲示物を直すなら、費用と納期を先に決めます」


私は、担当官の前に白紙ではなく提案影響メモを置いた。


「誰が支払い、いつまでに何を差し替え、どの品質を守るのか。そこが未定のままでは動かせません」


ヴィクトル殿下が、担当官を見る。


「商会側は、断れる立場か」


担当官は、少し遅れて首を横に振った。


「王宮からのご用命であれば、断るとは申しません」


担当官は、そこで声を落とした。


「ですが、短い納期で二度三度差し替えれば、職人の手配が厳しくなります」


その一言で、紙の向こうに人の手が見えた。


美しい札。


整った文字。


銀糸を入れた飾り紐。


華やかな式典の裏で、誰かが夜通し作るもの。


善意の提案は、そこにも負担を生む。


「次の確認は、商会または儀典側との条件調整ですね」


私は言った。


「王宮の権威で押せば、紙は直るかもしれません」


けれど、それは計画ではない。


ただの押しつけだ。


「相手が飲める条件にしなければ、合意は紙の上だけで終わります」


ヴィクトル殿下は、提案影響メモを指で軽く押さえた。


「よし。提案経路の確認は宰相府で進める。掲示物と商会条件は、別途席を設ける」


「承知しました」


グレアム閣下が書記官へ視線を送る。


「商会側窓口を呼ぶ準備を」


宰相府書記官が、次アクション欄へ線を引いた。


私は、その線を見つめる。


善意と利益は分けた。


本人負担も、未確認事項も見える場所に置いた。


けれど、見えたものは消えない。


次に必要なのは、正しい提案を、断れない商会と職人の無理で成立させないための交渉だった。


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