名前を奪われた愚者
森の中はとにかく走りにくいことを初めて知った。
視界は木々に遮られ、障害のように立ちはだかる。
足元には落ち葉が積もって滑りやすく、木の根や腐葉土に幾度となく足を取られる。
しかし、大石オッドは立ち止まるわけにはいかなかった。
背後から、黒い何かが追って来ているからだ。
振り返ってその正体を確かめる余裕もなく、ただひたすら逃げることしかできなかった。
「何で、何でっ、こんなことに」
今、大石オッドの中にあるのは恐怖と、異世界に転生できたのに何も上手くいかなかった後悔だけだった。
思い返せば、この世界にはずっと違和感を感じていた。
オレが、98人目の転移者と呼ばれたこと。
この世界は、オレの知識が通用しない程に発展していて、居場所が無かったこと。
そんなオレに、『開拓者』という仕事が紹介された。
未開の森と呼ばれる場所で魔物を狩って魔石を集める仕事がある、と。
オレは、その話に飛びついた。
何よりも主人公らしさを感じたからだ。
初めから、オレがそこへ行く為にこの世界はあるのだ、とすら感じられた。
他の転生者なんか関係ない。
いや、むしろオレの生活を快適にする為に、この世界は発展しているのだと思っていた。
流されるまま、壁際の街『ガレフ』に案内され、そこで紹介された開拓者の仲間を得た。
良い奴らだった。
オレを転生者として敬い、オレに合う装備を寄越した。
今日は様子見だけ、との予定で共に森に入った。
森の中の変わり映えしない景色に飽き始めたと思った時には手遅れだった。
仲間たちが、明らかに人間が仕掛けたとしか思えないような罠にかかった。
くくり罠にかかり木にぶら下がった奴もいた。
不意に飛んできた矢に貫かれた奴もいた。
それを待ち伏せていたかのように魔物に襲われ、仲間は殺された。
一目散に逃げ出す事ができた奴らとも散り散りになり、森で孤立し、魔物に追われ続けた。
異世界なら好きに生きていけると思っていたのに。
それが間違いだったと、大石オッドは気付けなかった。
異世界という未知の状況に自惚れ、酔いしれていただけだった。
逃げていた大石オッドの足が何かに掛かり、体が宙に投げ出される。
倒れながらも視界に写ったのは、樹木の間に張られた蔦だった。
背後から追って来ていた黒い影は初めからこの場所に追い込んでいたのだ。
それを悟った時には大石オッドの体は地面に落ち、斜面を転がり泥にまみれていた。
激しく樹木に体がぶつかり、体中に痛みが走る。
それでも立ち上がろうとした時だった。
大石オッドの体に、小さな衝撃が走った。
衝撃の震源である腰に視線を向けると、矢が刺さっていた。
「んだよ、コレ」
誰かに撃たれたのだと、大石オッドが理解する間もなく2本目の矢が背中から胸を貫く。
体から力が抜け、動く事もできない。
大石オッドはその感覚を知っていた。
死が迫り、体から命が抜けていく感覚。
この世界に来る直前、元の世界でも体験していた事だった。
体から熱が失われ、視界が暗くなり、五感と思考が鈍くなっていく。
体が動かなくなっても、大石オッドの視覚と思考だけは残っていた。
何かが近づき、大石オッドの首にかけられていたネームタグを奪った。
視界に写った何者かは、不気味な仮面とマントに身を包んでいるせいで誰かはわからない。
しかし、人間と同じ背丈と身体つきをしている。
大石オッドは、ぼんやりとそれを眺めながら、自分の思考が薄れていくのを感じながら、目を閉じた。




