1 格闘
ノイエがメアリーアンを担いで文字通り奔走していた丁度その折、廃墟の足元では、ミハルとアイボリーが真正面から対峙していた。
アイボリーにしても、逃げ去った少年が大事そうに抱えていたメアリーアンを追いかけたいのは山々だった。だがそちらにはサラエサラスが向かっていったし、まずは目の前にミハルが立ちはだかっていた。
特別アイボリーにとって脅威と思える相手ではなかったが、彼女は倒しても倒してもなお立ち上がり、行く手を阻もうとする。彼女が〈シミュラークル〉であることをアイボリーが知っていたわけではなかったが、普通の人間よりは多少耐久力もあるようで、その相手をするのは煩わしいようにアイボリーには思えた。
一方で、駐留軍の部隊が遠巻きにではあるが包囲の輪を狭めて、徐々にこちらに近づいてこようとしていた。もはや人の姿に戻り、この地で息をひそめて暮らす生活に今更戻れるとは思わなかった。仕方がない、彼ら兵士も蹴散らしてしまうより他に選択肢はないのかも知れなかった。
ともあれ、まずは目の前のミハルだった。
ミハルの方でも、じっとアイボリーと向き合ったまま、迂闊に身動きすることも出来ずに立ち尽くすより他なかった。〈バーサク・モード〉が起動していることによって彼女の身体能力の全ては格闘戦に最適化されていたが、だからといって闇雲に突撃さえすればよいわけではない。ここまでのアイボリーとの戦闘で、彼女にダメージを与え、あまつさえ行動不能にまで持っていくことはミハル単独ではなかなか実現が難しいように類推された。
目の前の敵は排除せねばならなかったが、彼女が何よりも優先すべきはこのアイボリーが逃げたアシュレーやノイエ達を追撃すること、それを防ぐためにここに足止めすることのはずだった。だからアイボリーの方が様子を窺ってじっとしているのであれば、ミハルの方でも無駄に刃向かっていかずに、同じようにじっと動向を窺うのだった。
異形の面持ちへと変容を遂げたアイボリーは、人間の姿に偽装していたときと比べても堂々とした体躯を晒していて、両者の体格差はあまりに歴然としていた。事実何度ぶつかってもミハルの方がアイボリーを圧倒することはなかった。
だがいつまでもにらみ合ってはいられない。アイボリーがゆっくりと動いて、ミハルとの間合いを詰めようとしてくるのが分かった。
ミハルもまた、それに呼応し一歩踏み出そうとした、その瞬間。
何かが近づいてくるのに気づいて、彼女はさっと後方を振り向いた。サラエサラスでもない。まったく第三の敵でもない。
そしてそれは彼女に攻撃の意図があるものですらなかった。まるで場違いな様子で、一台のトレーラートラックがこちらに走ってくるのが見えた。
「ミハルさん!」
牽引車の助手席の窓から身を乗り出すようにしてそう叫んだのは……防護マスクで覆われていて顔を直接は視認出来なかったが、声で識別がついた。駐留部隊の、例の若い伍長だ。
だが次の瞬間、アイボリーの側に動きが見えた。彼女は例の長虫のようなグロテスクな触手をぶんとふるって、ミハルの立ち位置を越えて、近づいてくるトレーラーを側面から殴打したのだった。
「危ない!」
ミハルは慌ててその触手に掴みかかろうとしたが、一歩遅かった。伍長が慌てて身を引っ込めた、その助手席のドアの真横を、触手は横なぎにものすごい勢いで叩いたのだ。折からの〈ブリザード〉の強風でよたよたと走っていたトレーラートラックは重い衝撃を受け、そのまま前方の牽引車の部分がごろりと横倒しになってしまう。
転倒時の衝撃でトレーラー部分の接続は外れ、牽引車だけが運転席側を下にした状態で、けっこうな距離を横滑りに滑っていく。
アイボリーの触手の攻撃が牽引車側に続けざまに繰り出されようとする中、伍長は上向きになった助手席のドアを乱暴に蹴りあげると、運転手をつとめていた連れの兵士の肩を担ぐようにして一緒に這い出てきて、地面に転がり落ちた。
ミハルは横倒しになった牽引車へと大急ぎで駆け寄っていく。
「伍長、危険です。下がって――」
「ミハルさん、こいつを使ってくれ!」
伍長はここまで牽引してきたトレーラーの荷台を指さしてそう告げたが、アイボリーが次の一撃をいつ繰り出してくるのか分かったものではない。手短にそれだけを告げると、運転手と一緒にそのまま泡を食って後方に走り去っていった。
取り残されたミハルはトレーラーの荷台を見やる。斜めに傾いでいたがこちらはどうにか横転は避けられたようだった。黒い四角いコンテナのようなものが固定されていたが、それが何なのか、彼女は補助記憶に格納されたデータベースの中にその知識をみつけていた。
荷台に駆け寄り、固定ロープのハーネスを解除し、箱の外縁部にある安全ロックを解除する。現れた隙間からのぞき込めば、そこから人間が入り込める搭乗口があるのが見えた。
ミハルはためらうことなく身を滑らせ、狭苦しいシートに身を沈めると、足元にある起動レバーをぐいと倒した。もちろんそれを触るのは初めての事だったが、彼女にあらかじめ入力されていたプログラムがそうさせたのだった。
伍長たちが遠巻きに見守る中、固定を外されたコンテナは荷台の傾きに沿ってずるずると滑り落ちていこうとしたが、水平方向に走った亀裂から下の部分が荷台からはみ出すように横方向にせり出したかと思うと、そのまま脚のように下に伸びて地面を踏みしめた。
そう、それはまさに「脚」であった。
もちろん人間の身体のようにすらりとしているわけではない。重量級の躯体を支えるに充分なだけの、底面にキャタピラを備えた、車輪とも脚部ともつかないそのパーツが、ゆっくりとリフトアップしていく上半身の重みをしっかりと支えていた。上部に走った亀裂からせり出した部分は同様に頑強な二本のマニピュレータとなり、乗員が乗り込む部分がぐいと上方にせり出したかと思うと、それは人々の前に威風堂々たる立ち姿を見せた。
〈強化機動服〉……服、とは名ばかりの、人間が乗り込んで操縦する、まさに鉄のかたまりであった。
設計思想としてはあくまでも人間の動きを補助する強化外装の延長ではある。それが故に強化服という呼称になっているわけだが、その一方で兵装として厳密に分類するならば戦車ないし装甲車両の一種という事にはなる。
だが例えば重戦車部隊のようなものと直接的に対峙する機会が駐留部隊に想定されていたわけではなく、せいぜいが暴徒鎮圧用の名目で配備されていたものであり、実態としては屑鉄平原の瓦礫の山の中で何かしらの土木作業を必要とした場合に備えてあったものに過ぎない。だがそれでもいっぱしの兵装として配備されているものには違いなかった。
踏みしめた脚部の車輪が駆動し、ミハルの操る〈強化機動服〉はアイボリーと真正面から対峙する位置につく。背中の翼をいっぱいに広げればそれでもアイボリーの方が上背は大きかったかもしれないが、異形の怪物と相対するにはそんな武骨な鉄の塊ぐらいの威圧感がなければ拮抗出来なかったかも知れなかった。
アイボリーからはその鉄の塊はどう見えていただろう。彼女の生命を脅かすものに見えたか、それとも苛立たしさを覚える無粋な玩具のように見えていただろうか。いずれにせよ、両者向かい合ったかと思えば、すぐさまアイボリーは威嚇的な金切り声とともに、グロテスクな太い触手を繰り出し、〈強化起動服〉の胴体側面を強く叩いたのだった。
丁度そこはミハルが乗り込んだ操縦席の辺りで、躯体は激しい振動で揺さぶられたが、直立するその姿勢に大きな変化はなかった。衝撃でかすかに傾いだ分だけ、バランサーが自動的に作動し脚を一歩外に踏みなおし、重心をはかり直した、ただそれだけの話だった。
いずれにせよアイボリーは戦う意思を見せた。体躯は五分になったが、相手の側面や背後にさっと回り込めるような俊敏な乗り物ではない。マニピュレータを繰り出し、その重量でもってアイボリーの身体を固定し、拘束を試みるしかないようだった。
ミハルは体勢を立て直すと、上腕を大きく広げ、猛然とダッシュする。キャタピラが急回転し瓦礫を荒々しく踏みしめて、一気に間合いを詰める。
アイボリーも真正面からこの鉄の塊にぶつかっていく。懐に飛び込んでくる〈強化機動服〉の、その剛腕ともいえる鉄のマニピュレータにはっしと掴みかかると、捩じり上げながら力任せに引っ張ろうとする。
関節が悲鳴を上げているのが分かった。異常な負荷にセンサーが悲鳴に似た警報を告げるが、それ以上に関節部の金属ジョイント部分から不自然に金属同士がこすれあうような音が、ミハルが座わるコクピットにまで、装甲越しに響いてくる。
ミハルはアクセルを小刻みに動かし、躯体の先端をアイボリーに体当たりするようにぶつけたかと思うと、そのまま急反転し猛然と後進する。
後退しながら、右肩に装備された半可動式の主砲に弾頭を装填する。配備されているモデルにもよるのだろうが、いま彼女が乗っているこの車体の場合は主砲の操作に関しては誤射を防ぐためか一連の発射プロセスがいちいち手動操作になっている。そのくせコクピットは単座で躯体の操縦と銃撃は集約されており、人間の操縦士であればこの局面ではもしかしたらパニックに陥っていたかも知れない。だがミハルは冷静に一連の操作をこなし、照準を標的に向ける。
だがアイボリーの動きの方が早かった。砲塔の動きを読んだか、彼女は後退するミハルに大股で追いすがったかと思うと、主砲の可動域の外に素早く回り込む。
「……くっ!」
ミハルの視界から一瞬アイボリーの姿が消える。センサーは車体右に熱源を感知している。ミハルはアクセル操作で後進しながら急旋回し、アイボリーの姿を正面に捉えようとする。
次の瞬間、側面からものすごい衝撃が加わった。トレーラーを横倒しにした例の触手が操縦席を叩いたのだろうか、シートが激しく揺さぶられるのをどうにかこらえたかと思うと、続けざまにもう一度同じ強さの衝撃が加えられる。主砲の照準が大きくぶれるが、ミハルは構わずに発砲した。
砲撃はアイボリーの肩をかすめて彼方へと逸れていった。ミハルは体勢を立て直すためにさらに後退しようとするが、キャタピラが未整地に乗り上げてしまったのか今度は下部の方から操縦席ががくがくと揺さぶられる。
今度こそアイボリーがミハルの車体に追いすがる。ミハルは上腕マニピュレータを大きく振り上げ、アイボリーに向かってひとおもいに振り下ろす。巨大な鉄の塊に殴られて彼女はよろめくが、自分を殴ったそのアームにむんずと掴みかかり、今度こそ力任せにひねり上げるのだった。
今度こそ動きを封じられてしまったが、ミハルはまだあきらめない。装備を冷静に確認する。伍長も慌てて持ち出してきたのだろう、そもそも重火器のたぐいは主砲のみで、弾頭も残り一発のみだった。
アイボリーがマニュピレータを強く引っ張ると、車体は軋みを上げながら徐々に彼女の方に引き寄せられていく。アクセルをふかして後方に下がろうとするが、キャタピラは空転するばかりだった。
あわや、という所で主砲とは反対の左肩から、格納されていた細身のサブマニピュレータアームが展開される。先端で光っているのは溶接作業用のトーチだった。
「――!」
慌てて身をひるがえそうとするアイボリーの胸部に、トーチが無造作に押し付けられる。
金切り声が響き渡って、アイボリーが後方によろめいたかと思うと、その隙をつくように主砲が旋回し、至近距離からアイボリーの腹部に向かって砲撃を見舞うのだった。
(次話につづく)




