3 襲撃
診療院を退出する間際、アシュレーは再度スレイトン医師に念を押した。
「彼女の遺体の事で、もし何か気付いた事があったら俺たちに連絡をくれないか。駐留軍のエッシャー大尉のところに伝言をくれれば、俺達にまで回ってくるはずだ」
そうは言われても、すでに物言わぬ死体にこれ以上何を見るべきものがあるというのか、スレイトン医師には皆目見当もつかなかった。釈然としない表情の彼を後目に、二人はその場を後にした。
「これが受け取った死亡報告書のコピーです。念のため、スキャン情報を私のメモリに記憶してありますので、必要であれば口頭で説明出来ます。あと、傷に付着していたという物質ですが、スレイトン医師に分析を依頼しておきました」
「……よく頼めたな」
「快く引き受けてくれましたけど?」
ミハルはそう言ったが、実際に医師がすぐにでも手間を割いてくれるとは限らなかったし、そこで何か目立った手がかりが得られるかどうかは保証の限りではなかった。
その足で二人は駐留部隊の詰所へと引き返した。
バスが到着した時点ですでに午後に差し掛かっていた事もあって、すでに日は傾きつつあった。宿をどうするかという懸念もあったが、エッシャー大尉は親切にも、調査団の宿舎を使うように勧めてくれた。食事がつかないのが残念なところですが、と念押しされたが、そこまではさすがに高望みというものだった。
「何なら送っていきますよ?」
「伍長、それはありがたいが、さすがにそこまでは君の任務じゃないだろう」
歩いていくよ、と言ってアシュレー達は詰所を後にした。人を捜してこの先街を歩き回る事になるだろうから、道を覚えたり、景色に慣れたりもしておきたかった。
そんな二人は旧市街の人気のない路地で、親子連れと思しき二人とすれ違った。
まだ幼い少女と、年若い母親のような女の二人連れ。その二人が……特に女の方が、アシュレーをやけにじろじろと見やっていた。
不審に思ったのか、ミハルが小声でアシュレーに問いかけてくる。
「何者でしょう?」
「さて、俺には何とも」
アシュレーも首を傾げる。確かに、彼らの正体をどう解釈したものか、判断に迷うものがあった。
子供の方は、やけに怯えた目で二人を見やっている。アシュレー達の方がこの場合はよそ者だったから、警戒されるのは仕方がないところだったが……。
だが女の方にはそこまで深刻に用心している様子は見受けられなかった。彼女はアシュレー達がこちらを見返している事に気付くと、少女に二言三言何かををささやいて、そのまま彼女の手を引いてその場から離れていった。
「……あなたの知り人ですか?」
「いや、そんなはずはないが」
「そうですか? あなたも気付いていたと思ったんですが」
「何だ?」
「女性の方です。先ほどのメアリーアンに、面影が似ているような気がしました」
「まさか」
反射的に否定したが……確かに、よくよく考えてみれば、似ていると言えなくもなかったかも知れない。
「……いや、確かにそう言われれば、そうかも知れないな。君にはどう見えたんだ?」
「確証が持てないから、あなたに尋ねました」
ミハルの声には戸惑いも苛立ちも無かった。実際に必要な情報と判断したからアシュレーにそのように告げた、という事だろうが、それをどのように受け止めるべきかはアシュレーには何とも言えなかった。
そのまま、二人して薄暗い路地を歩いていく。日はすっかり落ちて、辺りはすでに夜の闇に包まれようとしていた。その間、アシュレーもミハルも、交わす言葉さえろくに無かった。
ミハルが唐突に足を止めたのはそんな折だった。
「……?」
一歩先を歩いていたアシュレーは、やや遅れて彼女の態度に気付いた。まるで見えない何かをしかと見据えようとするかのように、彼女は立ち止まったまま視線を空に向けるのだった。
「どうした?」
「……アシュレー、気を付けて下さい」
彼女が警告を促す。
それが何に対する警告なのか、ほんの数秒後にアシュレーも理解した。
どこかしら遠くから、虫の羽音のような、耳障りなノイズが聞こえてくるのが分かった。はじめのうちはごく小さな音でしかなかったが、それでもざわざわと耳障りな雑音には違いなかった。
しかもそれは、徐々にこちらに向かって近づきつつあったのだ。
「……!」
アシュレーは頭上を仰ぎ見た。単に耳障りな雑音と思えたその羽音は、どれほどの猶予もないうちに瞬く間に彼らの頭上を覆いつくそうとしていた。その羽音から想像されるとおりの虫の群れが、何十匹と寄り集って、盛大な羽音を鳴り響かせていたのだ。
数も多かったが、一匹一匹が、思わず目を見張るほどに巨大だった。薄い羽を羽ばたかせ滞空するその姿、下手をすると鳥と見間違えそうなくらいだった。
虫達は一瞬アシュレー達の頭上を通り過ぎて言ったかと思うと、空中でくるりと孤を描き、方向転換して……路地に佇む二人に向かって、ゆっくりと降下を開始してきた。
赤と黒のまだらに彩られた禍々しい腹部に、鉛筆くらいの太さのある鋭い針が光っているのを、アシュレーは見逃さなかった。
「……無害で安全な虫には、見えないな」
「アシュレー、気を付けて下さい」
再度同じ言葉で注意を促したミハルの手に、すでに銃が抜かれていた。
アシュレーもぼんやりとはしていない。彼もまた銃を手にする。まさかこんなに早く、それもこんな街中で使う事になるとは思ってもみなかった。
「……来るぞ!」
ゆっくりと高度を下げてきていた虫たちは、まさに群れをなしてアシュレーたち二人に襲いかかってきた。
大きく羽を広げて急降下してくるさまは、猛禽かというぐらいに迫力があった。アシュレーは銃口を上空に向け、引き金を引いた。
銃声がとどろいた。
最初の二発は直撃し、二匹の虫が空中で四散する。だが脆かったのはその二匹だけで、続く虫たちは銃弾を受けてもなお、よろよろと墜落しては地面で活発にもがきまわっていた。
アシュレーはうごめく虫たちを、容赦なく踏み付けてとどめを刺そうとした。銃弾にも辛うじて耐えた虫達は、かかとを叩きつけたぐらいでは簡単に絶命しなかった。
そうこうしている間に、他の虫たちがすでに銃の射程距離のはるか内側に肉薄していた。アシュレーが思わず首をすくめる中、数匹の虫が彼を取り囲む。
数匹が彼のすぐ側をすり抜けていく中、一匹の針が左腕の袖口をすっとかすめた。
「……ッ!」
思いの外激痛が走った。突き刺さりこそしなかったものの、分厚いジャケットが簡単に引き裂かれ、アシュレーの腕に浅からぬ裂傷を残すのだった。
アシュレーは痛みをこらえつつ、地面に落ちた一匹を踏み砕く。
傷口を見れば、血ではない何かでどす黒く汚れていた。
「……ミハル!」
振り仰いでみれば、彼女の方はさすがに攻性生物らしい戦いぶりを見せていた。
飛来してくる虫の群れを、正確無比な射撃で一匹ずつ着実にたたき落としていく。もちろん、彼女にしてみても虫の速度に追いつけるほどに俊敏でもなかったのだが、それでも巧みに右へ左へと移動し、彼女を取り囲もうとする虫の動きを翻弄していた。
至近距離から狙って発砲し続ければ、あっという間に弾丸は尽きてしまう。
こんな敵に襲われると知っていれば、二人で拳銃を一丁ずつなどという軽装備でうろつくものではなかったのだが……さすがにこのような襲撃を予見出来たわけでもなかったので、仕方がない。
何よりそこには、ミハルという強力な「武器」があった。彼女は銃をしまい、からっぽの両手をぎゅっと握り締めると、虚空に浮かぶ虫の群れを真正面から睨み据えた。
目の虹彩の色合いが、黒から鮮やかな赤色に変貌していく。
その彼女に、羽虫が真っ向から襲いかかってきた。ミハルは針の攻撃をものともせず、みずから虫の群れに突進していくと、おのが手を伸ばし、虫をわしづかみにしていく。銃弾にも耐える虫たちを、彼女はいとも簡単に握りつぶし、引き裂いていった。
一匹、二匹、三匹……彼女の足元に、潰れた虫の死骸がみるみるうちに山積みになっていく。
「〈バーサク・モード〉か……!」
アシュレーはそれを見やりながら、ぽつりと呟いた。
攻性生物に機械の身体を与え、一定の知能を持たせ、人間の兵士に混じって作戦行動させる――〈シミュラークル〉は攻性生物でありながらむしろ人間の兵士の代用品となるべく開発された兵器であり、もちろん人間と同じように武器や兵装を扱うが、その身体そのものもまた強大な武器なのだった。普段はその立ち振る舞いは「人間らしく」制御されているが、戦闘時にはその身体能力をフル活用すべく、まったく違う制御をするように設計されているのだ。
今現在のミハルも、その〈バーサク・モード〉に切り替わっていた。今の彼女は任務を進展させるためにアシュレーに助言をしたり状況を解析したりするミハルではなく、ただ目の前の状況を終了させるため、敵を叩きつぶすだけのミハルだった。
羽虫の群れも、ミハルの方がより厄介な敵だと本能で察知したのだろうか、アシュレーを取り囲んでいたはずの虫までもが、彼のもとを離れミハルの方へと集まっていく。
虫たちも器用なもので、脇腹や背中と言った、死角や急所から襲いかかろうと回り込むのだったが、それを見逃すミハルではなかった。もちろん機械の彼女にとって人間と同じ部位が急所であるわけではないが、だからといって攻撃を許すわけもなく、前後左右に華麗に立ち回っては、一匹ずつ着実に叩きつぶしていく。
だが虫は、潰しても潰しても、どこからか現れてくるのだった。
ミハルはまとわりついてくる虫の群れを振り払おうと、地面を蹴って大きく跳躍する。そのまま路地の建物の壁面に足をかけ、三角形の軌道を描いて――高々とした跳躍に虫達も器用に追従するが、それを引き離さんとするミハルの俊敏さも特筆すべきものがあった。
アシュレーはというと、身体能力ではさすがに攻性生物にかなうべくも無く、ミハルに群がるよりもずっと少ない数の虫を相手に四苦八苦していた。ジャケットを脱いで、それを振り回して虫を追い払おうとする。銃の残弾はとっくに尽きていた。
気がつけば、虫の針が左のふくらはぎに深々と突き刺さっていた。さっきの手首のようなかすめる程度のものではなく、まともに直撃を食らったのだった。
口径の小さな銃で撃たれたくらいのダメージはあっただろうか。アシュレーは思わずその場に膝をつく。傷の痛みもあったのだが、とにかく足元がふらついて、それ以上まっすぐに立っていられなかった。
虫はなおも彼の頭上に群がってくる。追い払わねば……とは思うのに、痛みを押して立ち上がろうにも、足が言うことを聞かなかった。
目の奥がガンガンと痛む。視界が徐々に斜めに歪んでいく。平衡感覚がすっかり喪われてしまっていた。
「……アシュレー!」
ミハルが叫んでいるのが聞こえた。
彼女の目にも、彼の異常ははっきりと見て取れたのだろう。彼女はインプットされた任務の通り、アシュレーを庇うべく駆け寄ってくるのだった。
数は相当減ったとは言え、まだかなりの虫が上空に残っていた。
一斉に襲いかかってくれば、二人ともただでは済まなかっただろうか。
しっかりして下さい、と叫ぶミハルの声が耳のずっと奥の方でかすかに響いていた。意識が徐々に遠のいていく。
ああ、過去に何度も、こういう感覚は体験したことがある。
どういう死に方をしてもおかしくはない任務だったが、まさか化け物じみた虫に襲われて死ぬとは。彼にしてもそれは前代未聞の死に様だった。
ミハルが、倒れ伏したアシュレーを必死で揺り起こそうとする。
これで最後か――。
そう思った瞬間だった。死に行くアシュレーにも、彼を庇うミハルにも意外だったことに……虫達は突然、襲撃を諦めて、街並みの彼方へと粛々と飛び去っていったのである。
アシュレーは倒れ伏したまま、消えゆく意識の中でそれを見ていた。
「……どういう事でしょう?」
「さて。少なくとも俺を仕留めるのには成功したのだと、勘違いしたのかもな」
「しっかりして下さい」
虫達が戻って来そうにない事を知ると、ミハルはてきぱきと傷の応急手当を開始する。その頃には彼女は〈バーサク・モード〉から立ち戻り、元の彼女に戻っていた。
瀕死の傷とはいえ、アシュレーの身体ならいずれ放っておけば完治するのだが、それでも処置の有無でその後の経過は変わってくるだろう。
「……あなたは本当に〈不死人〉なんですね。少し安心しました」
ミハルがそんな事を言う。安心する、という表現を使ったのがアシュレーには意外だった。
次の瞬間、彼の脇腹に激痛が走る。
「……!」
「我慢して下さい。今、針を抜きますから」
「いつの間に刺さっていたんだ……気付かなかった」
アシュレーの腹に刺さっていた針は、なかでも格別に大きかった。鉛筆大とはいうが、その一本に限ってはそれよりふた回りは巨大で、そんなもので腹部を串刺しにされれば普通の人間ならとっくに絶命しているはずだった。
「……診療所に向かいます」
「ああ……済まないが自力で歩くのは難しいな。あとの事は頼む」
彼の意識が続いたのはそこまでだった。がくりとうなだれたアシュレーの身体を、ミハルは軽々と担ぎ上げた。
人通りの途絶えていたはずの路地だったが、不意の発砲騒ぎに付近の住人たちも何事かと思ったのだろう、そこかしこに野次馬の人々が顔を見せつつあった。
誰かが通報したのだろうか、駐留部隊の兵士が数名、ぞろぞろとその場に駆けつけてきた。彼らは皆、その場の光景に絶句した。
負傷した男女が二人。そのうち男の方が気を失っていて、少女がそれを軽々担ぎ上げている。周辺に散乱するのは、見慣れないグロテスクな羽虫たちの、無数の死骸。
ミハルは攻性生物だったから、状況を説明しろ、と「命令」されれば従わざるを得なかったが、兵士達はおろおろとするばかりだったので、事情聴取よりも先にアシュレーの生命の安全を優先させた。
「怪我人がいる! 診療所まで運びたい!」
その言葉に、兵士達は彼女の手からアシュレーの身柄を受け取ろうとしたが、ミハルはそれを拒んで自らアシュレーを運んだ。
それが一番確実で信頼できる、という判断は果たして彼女の脳殻が考えたことか、補助電脳が出した分析だったのか……それを彼女自身が意識する事はなかったのだが。
(次話へつづく)




