2.
校舎の玄関に入ると、上履きのゴム底が床に擦れる音があちこちで重なっていた。新学期特有のざわめきが廊下を満たしている。久しぶりに会った友人同士の笑い声、クラス替えの話、担任の噂、部活の勧誘。知らない学校なのに、どこの学校にもあるような朝の匂いがした。
職員室の場所は、事前にもらっていた校内図で確認していた。それでも、廊下の角を曲がるたびに自分が正しい方向へ進んでいるのか不安になった。壁には去年の文化祭の写真が貼られている。笑っている生徒たちの顔、紙で作られた花、体育館のステージ、模擬店の看板。そこに写る誰もが、この学校に居場所を持っているように見えた。
悠真は鞄の肩紐を握り直した。自分も、今日からこの写真の中へ入っていくのだろうか。そう思った瞬間、腹の奥が少し冷えた。入っていけるかどうかではなく、入っていいのかどうかを考えてしまったからだ。
職員室の前に着くと、扉の向こうから印刷機の回る音と、複数の教師の声が漏れていた。悠真は一度だけ深く息を吸い、軽く拳を握ってから扉を叩いた。
「失礼します」
思ったより声が小さくなった。扉の近くにいた若い女性教師が顔を上げ、すぐに「ああ、篠原くんね」と言った。その言い方には、待っていたという明るさがあったが、同時に、何かを知っている人特有の慎重さも混じっていた。
「二年三組担任の藤枝です。今日からよろしくね」
藤枝先生は三十代半ばくらいに見えた。柔らかい声をしているが、目はよく動く。悠真の制服の濡れた肩、固くなった指先、少しだけ落ち着かない視線を、一つずつ確認しているようだった。
「よろしくお願いします」
悠真が頭を下げると、近くの机でプリントを揃えていた男性教師が一瞬だけこちらを見た。その視線はすぐに外れたが、名前を聞いたのだろう、と悠真は思った。篠原。口に出されなくても、その二文字が職員室の空気の中で小さく沈むのが分かった。
「少し早かったね。ホームルームまでまだ時間があるから、ここで待っていてもいいし、先に廊下でクラスの様子を見ていてもいいけど……どうする?」
「ここで待ちます」
即答してから、少し子どもっぽかったかもしれないと思った。けれど、知らない教室の前で一人立っている自分を想像すると、それよりは職員室の隅に置かれた椅子に座っているほうがずっとましだった。
藤枝先生は頷き、窓際の応接用の椅子を示した。悠真が座ると、先生は向かいではなく斜め前に腰を下ろした。その距離の取り方が、近すぎず遠すぎず、よく考えられたもののように感じられた。
「昨日、お母さんからも連絡をもらいました。通学経路は大丈夫そう?」
「はい。駅からも近いので」
「前の学校の学習進度とは少し違うところがあるかもしれないけど、最初は無理しなくていいから。分からないことは、私でも、教科担当でも、近くの子でもいい。ちゃんと聞いてね」
「はい」
会話は普通だった。転校生にかける言葉として、どれも自然だった。けれど悠真は、その普通さの下に薄い膜のようなものを感じていた。先生は事故のことを知っているのだろうか。知っているとしたら、どこまで知っているのだろうか。自分の父が何をしたのか。被害者の家族がどうなったのか。そして、自分が加害者の息子であることを。
聞くことはできなかった。聞けば、先生の口から何か決定的な言葉が出てくるかもしれない。もし「何も知らない」と言われても、それはそれで落ち着かなかった。だから悠真は、膝の上で指を組み、爪の形を見つめた。




