1.
春雨は、降っているのか止んでいるのか分からないほど細かった。傘を差すほどではないのに、差さずに歩けば制服の肩がじわりと湿る。篠原悠真は校門の前で一度足を止め、左手に持った学生鞄を持ち直した。
校門の横には、白く塗り直されたばかりの掲示板があり、そこに貼られた新年度の行事予定表が雨粒で少し波打っていた。四月。新しい学年。新しい学校。誰にとっても、何かが始まる季節なのだろう。けれど悠真には、その言葉がどうにも軽く聞こえた。
彼にとって転校は、始まりというより、逃げた先の続きだった。父の仕事の都合。親戚の家に近い場所。母の体調。大人たちはいくつか理由を並べたが、どれも本当で、どれも本当ではなかった。十年前の事故から、【 篠原 】という名字はときどき重くなった。普段は忘れていられる。けれど、どこかで誰かが大型トラックの事故を話題にすると、家の空気は湿った布を被せられたように重くなる。
悠真自身は、その事故のことをはっきり覚えていない。覚えているのは、夜中に母が電話口で何度も「すみません」と言っていた声と、翌朝、父が家にいなかったことくらいだ。テレビの画面には、横倒しになって黒く焦げた乗用車と、黒く焦げた道路が映っていた。子どもだった悠真は、それが父の運転していたトラックと関係していると理解するまでに、少し時間がかかった。
その後の記憶は、ところどころ欠けている。父が留置場から戻ってきた日のこと。親戚が集まり、誰も大きな声を出さなかったこと。母が仏壇に向かうような姿勢で何かの封筒を両手で持っていたこと。悠真に分かっていたのは、父が誰かをひどく傷つけたということと、そのせいで自分たち家族も以前とは違う家になってしまったということだけだった。
被害者の家族について、大人たちは詳しく話さなかった。両親と兄が亡くなった。娘だけが助かった。そこまでは知っていた。けれど、その先についてはいつも言葉が曖昧になった。
「女の子は助かったんだって」
「今は普通に暮らしているらしいよ」
「子どもは回復が早いから」
そういう声を、悠真は何度も聞いた。誰が言ったのかは覚えていない。親戚だったか、近所の人だったか、あるいは母だったかもしれない。
その言葉は、彼の中で少しずつ形を変えた。助かった。普通に暮らしている。だから、大丈夫なのだろう。もちろん、そんなふうに考えてはいけないことは分かっていた。分かっているつもりだった。それでも、自分が苦しくならない形に現実を折り畳むことは、思っていたより簡単だった。




