冬野つぐみはおもう
次話タイトルは『人出品子は念う』
「はい、コーヒー。私のとっておきを一本あげるから飲みなさい」
「……ありがとうございます」
ひんやりとした缶コーヒーが、手に心地いい。
「さて、今後の話をさせてもらうよ」
その言葉と共に品子は真剣な表情へと変わる。
「奥戸はもういない。今後このような行方不明者が出ることを、君が止めてくれた。本当にありがとう」
表情をゆるめ、ふわりとつぐみに微笑む。
「次に千堂君の件。表向きはそのまま病気が悪化し、退学して療養という形になるだろう」
「そうですか。……あの、沙十美のご家族には?」
つぐみの問いかけに、うつむきながら品子は答える。
「ご家族が彼女の行方が分からないことに気付いて警察に届が来るまでは、こちらからは特に何もしない。警察に連絡が来た時点で私の組織が、『介入』することになるだろう」
品子の言葉を聞き、チクリとつぐみの胸が痛む。
「そして君について。今回の件でとても危険な目に遭わせてしまった。今後はこのようなことがあってはならない。だから君は、今後は私達との関りを絶つべきだと考える」
品子はソファーから立ち上がる。
そうしてつぐみの正面に立つと、頭をゆっくりと撫でる。
「今まで本当にありがとう。こんな言葉でしか私は君に感謝を伝えられないのが。……とても、もどかしいよ」
品子が優しく触れている感覚。
つぐみはその心地良さに、ついうっとりとなってしまう。
「でも、先生。私は……」
「私の、……私の発動能力は」
つぐみの言葉を遮り、品子は続ける。
「相手の記憶を、操ったり消したりできる能力。この発動をもって今から君の私達に関する記憶を消させてもらう。君の意思に関係なく、だ」
品子の言葉に、つぐみは何も言うことが出来ない。
「きっと嫌だと言うのもわかっているよ。でも私達に関わるせいで。その為に君の心が傷ついていくのは、私達の本意ではない。そしてこれは、千堂君からの伝言だ。巻き込んで済まないと。君は千堂君の望みである平穏な日常に戻るべきなのだよ」
そうなのだ。
これは皆の、優しいからこその選択。
ならば自分はその気持ちを受け入れるべきだろう。
つぐみは品子を見つめ小さくうなずいた。
「もしも、ヒイラギ達に何か伝えたいことがあれば、今のうちに聞かせてくれるかい?」
「ヒイラギ君達へ伝えたいこと、……ですか」
頭の中に巡るのは。
一緒に過ごした時は、本当に短い時間ではあったけれど。
彼らと出会い、話し、自分を知ってくれたことに対する感謝。
つぐみを助けるために自らの命をも削り、守ろうとしてくれたこと。
どれも彼女にとっては、今までに決して知ることのなかったもの。
それを言いたいと思うのに、どうしたというのだろう。
それを伝える言葉が、今のつぐみの口からは表せない。
言葉にしようとすると、全てが軽くなってしまいそうなのだ。
きっとこれは、自分の中だけに留めておくべきということなのだろう。
そう判断し、つぐみは品子を見上げた。
(――あぁ、そうだ。ハンカチを返すのが、出来なかったな)
「先生。私、シヤちゃんにハンカチを返していないのですが」
「あぁ、そうか。どうしたものか」
「……ごめんなさい、いいです。このままで。先生から渡しておいてもらえますか?」
彼女の顔を見てしまったら、きっと記憶を消したくないという気持ちが勝ってしまう。
そんなわがままで品子達を困らせたくない。
自分でもわかる少し寂し気な笑顔。
つぐみはそれを浮かべながら品子へと話を続ける。
「わかった。必ず渡すからね」
「あと、皆さんには今まで私を必要としてくれてありがとうと。嬉しかったです。今までは、人に求められるということがあまりなかったので。本当に、本当に嬉しかったのです」
知ることができた、教えてもらえた優しさ。
求められる幸せ。
今からようやく知れたそれらを、手放さなければいけない自分。
それを思うとつぐみは、涙がこぼれるのを止められない。
(恥ずかしいけどいいや。どうせ忘れてしまうのだから)
「あの、先生に聞きたいことがあります」
「何だい? 私で答えられるのならば何でも」
品子の声はとても柔らかく、つぐみの胸に静かに染みわたっていく。
「今、先生の発動の力を教えてくれたのは。これは私のことを信頼してくれたからと思ってもいいですか?」
「……あぁ、もちろんそうだよ」
優しく。
とても優しく、品子は笑っていた。
「君の記憶は無くなってしまうけど、知っておいて欲しかった。……はは、どうも私は君のことになると矛盾だらけになってしまうね。一緒に居られた時間は楽しかったし、とても大切だったよ」
嬉しいという感情がつぐみを包む。
(先生に大切と思われることが、こんなに心がふわふわとするものなんて。もっと、もっと早く知りたかった……!)
「もう一つ。私がこんな泣き虫ではなくて、先程みたいに取り乱さないしっかりとした子だったなら。これからも一緒にいられたのでしょうか?」
品子は少し考えてから答える。
「うーん。わかんない。だって私は今の君しか知らないし。でもなぁ……」
品子の様子におかしくなったつぐみは、思わず笑ってしまう。
「えー、酷いなぁ。君の質問で、私がこんなに悩んでいるのに」
「あはは、すみません。先生の優しさが嬉しくて」
つぐみの言葉に品子は、悲しそうな顔を見せる。
「違う。これは優しさを纏った、ただの残忍なエゴだ。君が望んでいないことをしようとする、ただの、……身勝手でしかないのだよ」
「でもその身勝手は、私を思っての身勝手。ってあれ、よくわからなくなってきました。えーっと」
上手くまとまらない気持ちをどうやったら伝えられるだろう。
残された短く大切な時間。
その中でつぐみは考える。
「もしも記憶を失くした明日からの私が、先生達に相応しい成長をしていたら。その時は私を連れていって下さいますか? 私は皆と一緒にいきたいのです」
「……そうだね、約束するよ。だから」
品子はつぐみの頭に、そっと手のひらを乗せる。
「私達の事は全て忘れて、少し休みなさい」
ふわりと風が吹いた。
頭がぼんやりして、何も考えられない。
本当は、目を閉じたくないんだけどな。
本当は、忘れたくないんだけどな。
本当はもっともっと、皆の役に立ちたかったんだけどな。
本当は。
本当の私は……。
頭に浮かぶのは皆の顔。
たくさん話した言葉。
ぐるぐると回る思い出を私は今、手放していく。
さようなら。
ありがとう。
私のとてもとても大切な。
――愛おしい記憶。




