フォーディスタイド島の物語
ヘンリー=スタニングは自分でもジャグリングの不出来はよくわかっていた。
若い頃から手先が器用だから、手遊びにボールでよくジャグリングをしていた。
まさか、それがこんな時に役立つとは思いもしなかった。
とは言え、所詮は素人のお遊び程度、本職として人前でやるにはあまりに……
しかし、今のジャグリングの稚拙さは己の技量だけでもないことがわかった。
今、自分の芸を見ているのはケラー一族だけではなかった。
古き清泉亭には衛兵達が来ていた。
それに近所の住人も。
包囲戦が始まったものの、暫くは本格的な戦闘は始まらないだろう。
町の住人も一先ず、元の生活に帰り、この店にも客が戻ってきた。
衛兵達が集まる宿屋とは想定外だった。
衛兵達が自分達の正体に気づくとは思えなかったが、やはり緊張するものだ。
自分と同じように手先の器用な衛兵がヘンリーの横で一緒になってジャグリングを始めた。
もしかしたら大道芸人に扮している自分よりも上手いかもしれない。
「ははは!ロニー、君やるね!」
女のように優しく整った顔立ちの衛兵がからかう。
その横でごつい体格の衛兵が大笑いしてマグを呷ると空になったマグで卓を叩きながら拍子をとる。
拍子などとられると逆に緊張してしまう。
ヘンリーは傍らの子供に視線を送り、芸を終えた。
ジャグリングはもう終わりだ。
パントマイムの方がまだ上手くいきそうだ。
パントマイムを始めると横で一緒になってジャグリングをやり始めて冷やかしてきたロニーと呼ばれる瘦せっぽちの衛兵も席に着いた。
パントマイムも若い頃に仲間内でふざけて笑わせる為にやっていただけの素人芸だ。
それでも衛兵などと言うのは娯楽が少ないらしい。
ジャグリングよりはうけた。
アリスが空になったマグを集めて厨房に向かう。
(優しい娘だ……)
ヘンリーはアリスに感謝でいっぱいだった。
路銀もほとんど尽きかけたところで、この町の籠城戦に巻き込まれてしまった。
途方に暮れるような思いだったが、この娘の計らいにより、この古き清泉亭で食事と寝床にありつけた。
自分の横で覚えたてのパントマイムを真剣にやっている少年には大切なことだった。
この少年にこのようなことをさせているだけでも、心苦しいのに、この上、野宿などとは……
アリスがエールがなみなみと注がれたマグを持ってきて衛兵達の前に置いた。
その時、一番小柄な衛兵に少ししな垂れかかるような様子を見せた。
その衛兵に何か話しかけた。
衛兵は照れた様子で耳を彼女の方に向けた。
その耳にアリスがに何か囁いた。
衛兵はクスリと笑った。
アリスがその衛兵に気があるのは明らかだ。
(彼女の想い人か……)
アリスがその男に向ける笑顔を見ればわかる。
ヘンリーにも若い頃はあったからだ。
恋が始まってすぐの一番舞い上がっている頃、特有の笑顔だ。
男の方はかなり無愛想なようだが、それでも明らかに嬉しそうにしている。
(初々しいものだな。)
これからこの町は厳しい籠城戦が続く、この恋を始めたばかりの二人にとって、それはより愛を燃え上がらせるのだろうか?
それとも二人の恋を枯らせてしまうのだろうか?
少なくとも衛兵は命がけで戦わなければならない。
(死が二人を分かつところは見たくないものだな……)
パントマイムが終わった時、大きな拍手が起きた。
(おやおや?)
アリスにはパントマイムをする時の表情が硬いとからかわれていたが、今回は初々しい二人を見て心がほぐれたのか、我ながら良い笑顔で芸ができたと思う。
子供と二人でお辞儀をして見せた。
大道芸人のお辞儀など見様見真似なのだが、子供も自分も誰よりも優雅なお辞儀が求められる世界の住人であった。
だから大道芸人ならではのやり方にこだわらず、自分達の流儀を多少誇張して恭しくお辞儀することにしていた。
拍手は更に盛大になった。
(全く、大道芸人なんてやることになろうとは思いもしなかったな……)
マクリス王国の子爵ヘンリー=スタニングはお辞儀をした時にシャンシャンと鳴った自分の肩布付き頭巾に取り付けた鈴の音を聞きながら、密かに慨嘆した。
次は物語りだ。
ケラー一家は気に入ってくれたようだが、衛兵達や近所の住人達はどうであろう?
何と言ってもテーマが余りに渋い。
『福音の旅』。
自分達の故国では有名で人気の物語だが、隣国のしかも遠く離れた南部では誰も知らない物語だろう。
無論、その方が好都合だ。
出自はバレたくないのだから。
この御方にこんな真似をさせてまで、身分を偽り、潜伏しているだ。
この町にだって、敵の手先がいるかもしれない。
誰も信用できないのだ。
何と言ってもこの御方に伸びる魔の手は、余りに恐ろしい。
決して、油断はできない。
身分を偽る為とは言え、この御方にこんな真似をさせてしまった責任はとるつもりだった。
それくらいの覚悟はできている。
ヘンリーはリュートをつま弾いた。
「大杓鷸の物悲しい鳴き声は果ての浜辺でも響く。」
「クー・リィ、クー・リィ!クー・リィ、クー・リィ!」
「そして、灰色海豹も悲しげに鳴く。」
「ウルルー!ウルルー!」
「そして、灰色の海岸に一筋の光が差す。」
小さな大道芸人が背伸びして手をいっぱいに伸ばし、その陽光を示すように斜めに真っすぐおろす。
「その光は名無しの騎士を照らす。」
「その光に導かれたように霧は晴れていき……」
小さな大道芸人がくるくる回りながら横に移動し、霧の晴れる様子を表現した。
横でアリスがクスリと笑う。
ジェフリーは事前にアリスから物語りの子供が可愛いと聞いていた。
しかし、ジェフリーにはもっと興味深いことがあった。
(こいつは北方の物語だな。)
ジェフリーの故郷でも『クー・リィ、クー・リィ』の鳴き声は響き渡る。
懐かしい響きだった。
ジェフリーも幼い頃はこの鳴き真似『クー・リィ、クー・リィ』をよく口にしたものだ。
横で楽しそうに聞いているアリスはどこか異国の話と思っているだろう。
「おぉ!見よ!こは如何に!?」
「霧が晴れた先には島が見えた。」
ここで子供が子供らしい甲高い、それでいて美しい歌声を披露した。
「おぉ!御神の導きか!」
大人が深い声で続く。
「聖なる島が現れた。」
「神の業にて波はひき。」
「海を渡る一筋の道が現れた。」
「騎士は往く。」
「聖なる島へ。」
「騎士は見出す。」
「聖なる福音を。」
(フォーディスタイド島のことか……)
子供と大人が交互に歌い続けるのを聞きながらジェフリーは思い出した。
遥か北方、デーリア王国の北西にある島のことを。
フォーディスタイド島は干潮の時だけ陸続きになる島だ。
『神の業にて波はひき。』『海を渡る一筋の道が現れた。』とはそのことを指している。
北部人なら誰でも知っている。
北部丘陵以北では唯一にして無二の聖地だからだ。
北部人はフォーディスタイド島の聖堂を拠点にした司祭達の布教活動によって改宗し、荒ぶる神々への古い信仰を捨てた。
(こいつは北部地域の改宗の様子を謳った物語だな……)
ジェフリーの故郷にも同様の物語が伝わっている。
北部丘陵以北の各地に似たような物語が存在する。
土地によって、少しずつ内容が変わる。
(しかし、どこの物語だ?)
名無しの騎士が島に渡り、聖なる島の丘の上に建つ小さな聖堂に住まう聖人に出会い、『真の教え』を受けるところで物語りは終わった。
「続きをお聴きになりたければ、明日の夜に!」
大道芸人親子が肩布付き頭巾の鈴をシャンシャン鳴らしながらお辞儀をすると拍手喝采になった。
南部人にはやや不思議な物語だろうが、この大道芸人親子の物語りには、どこか人を惹きつける魅力があった。
ジェフリーのように、この手の物語に親しんだ者であれば、猶更だ。
「アリス、彼らはどこから来たんだい?」
ジェフリーは拍手しながら横にいるアリスに聞いた。
「王都の近くって聞いたわ。」
「えっ?」
しかし、ジェフリーの驚きの声は拍手喝采に打ち消されてしまった。
(おやおや?)
ヘンリーはアリスの想い人と思われる小柄な衛兵が不思議そうにこちらを見ていることに気づいた。
フォーディスタイド島のことを歌った時からだ。
(彼は島のことを知っているようだな。北部人か?)
そして、物語りの後のお辞儀から直った時、衛兵とアリスは拍手をしながら何かを話していた。
そして、驚いたような表情を見せた。
ヘンリーの視線に気づいて直ぐに元の無愛想な顔に戻ったが……
(どうした?北部人なら、どうしてこんな南部で故郷の物語を、とは思うだろう。)
だが、ヘンリーは見逃さなかった。
(あの男は何に驚いた?アリスとは何を話したんだ?)
ヘンリーはアリスと親しい衛兵とその仲間達の顔をよく覚えておくことにした。
今日もアリスは最後の見送りに出た。
皆がわかっていた。
アリスが誰を見送りたかったのか。
ダグやアガサは店の中に残り、マリーに指示を出しながら店じまいに専念した。
ロニー達、衛兵は足早に店から去って行った。
最後にはアリスとジェフリーだけが残された。
二人はまた唇を重ねた。
少し、ぎこちなさがなくなった。
「アリス。」
「どうしたの?」
「今日、敵が矢を射かけてきたのを知っているか?」
「聞いたわ。でも城壁に届かなかったんでしょう?」
「あぁ。でも、明日は届くかもしれない。」
「大丈夫?」
アリスの表情に不安が浮かぶ。
「大丈夫とは言えないかもしれない。」
「そんな……」
「衛兵なんだ。城壁の上で町を守るのは当然さ。」
「そうだけど……」
「ただ……」
「ただ、何?」
「あの剣は失くしてないな?」
「当り前じゃない。あんな大きなものなくすわけないでしょ?私の部屋で大切に保管しているわ。」
「良かった。」
ジェフリーが相変わらず下手くそな微笑を浮かべた。
「ちょっと、待って。あなた……」
「明日から暫くここへは来れないだろう。」
「何があるの?」
「全てを言うのは規則違反だ。」
「どういうこと?」
「誰にも言うなよ?」
「わかったわ。だから教えて。」
「近々、ロズベリー側から攻撃する予定だ。」
アリスはすっと息を飲んでジェフリーを見つめた。
「だけど、流石にその内容を詳しくは本当に言えない。」
「危険じゃないの?」
「戦争だ。何をやっても危険さ。」
「そんな……」
「俺はその任務に選ばれた。」
「いやよ!」
大声を出した時、もうアリスは泣き出していた。
「シッ!」
「だって……だって……だって……」
「聞いてくれ。これは町を守る為に必要なんだ。」
「どうして、あなたが?他の人じゃダメなの?」
「誰がやっても一緒さ。俺達は皆、衛兵だ。」
「そんな……」
「さっきも言った通りこれ以上は言えない。だけど、約束する。絶対に町を守る。」
アリスは涙を流しながら俯いた。
「……」
「なんだって?」
「ごめんなさい……」
「なんのことだ?」
「私、以前、ひどいことを言っちゃったわ。」
「なんか言ったか?」
「以前、あなたが『俺達は衛兵だ。明日、任務で死んだらどうする?』って言った時よ。私、あなたを笑い飛ばして言ったの『こんな,平和な町の衛兵が何を言うの?』って……」
「なんだ。そんなことか。」
「そんなことじゃないわ!私、どうせ明日は二日酔いでしょ?なんて言ったのよ!」
ジェフリーが笑い出した。
「当たったじゃないか!ロニーの奴、本当に辛そうに門番してたよ!」
「私、本当に皆がこんな危険な目に合うなんて思っていなかったの……馬鹿だったわ。」
「そんなことないさ。そんな風に言わせるのが俺達の仕事さ。」
「どういうこと?」
「町の住人が安心しきれるくらい町を平和にすることが衛兵の仕事なんだ。」
「でも……でも……でも……」
「だから、今回も絶対に俺達が守るさ。」
「ジェフリー、無事に帰って来てね。」
アリスの声は消え入りそうだ。
「帰って来るよ。またアリスが運んできてくれるクレーネが飲みたいからな。」
「約束ね?」
「約束だ。」
暗い路地でいつしか二人のシルエットは一つになった。
唇を放すとアリスは額をジェフリーの額に押し当てた。
「ねぇ、聞いて?」
「うん?」
「私、私ね。」
「うん。」
「あなたを愛しているわ。ジェフリー。」
「知っているよ。」
「でも、私、今まではっきりと言葉にしていなかったわ。だから言っておきたかったの。」
「それは俺もだ。だから、俺も言うよ。」
「うん。」
「心から君を愛している。アリス。」
二人は最後にもう一度、唇を重ねた。
アリスが店に戻るのを見届けたジェフリーは北門に向かって静かに歩き始めた。
そして、その背を物陰からヘンリー=スタニングが疑いの目で見つめていた。
今回の挿絵は大道芸人親子の物語りを聞くジェフリー小隊です。




