籠城前夜
この小説の舞台は中世イングランドをイメージしております。
決してそのままではありませんが、当時の文化や雰囲気を私なりに忠実に描いているつもりです。
そして中世と現代では人々の常識や価値観にも大きな違いがあります。
今回、酒場での表現について一部、現代人であれば少し拒否感を感じるかもしれない表現がございます。
気になる方は読み飛ばしてください。
(決してハラスメントを肯定するものではございません。)
狼煙が確認された時、ロズベリーアポンフロル衛兵隊司令官ローランド卿は英断を下した。
それは、全ての衛兵に休息を与えたことだ。
狼煙を上げた斥候の位置から、ワクソニア王国軍の到達は翌日の昼頃と思われた。
ローランド卿は全衛兵隊を二つに分け、交代で半日の自由を与えた。
「ふん。こんな時に女のいる店に飲みに行くとはね!」
ジェフリー達は後ろから聞こえてくるジェロームの嫌味を無視した。
他の小隊にも一々同じ言葉をかけたのだろうか?
ジェロームは半日の自由時間を練兵場と城壁の確認に使うつもりとのことだ。
(衛兵として立派なのはわかるが、司令官のローランド卿のお計らいを何だと思っているんだ?)
ジェフリーはモヤモヤする思いを振り切って、歩き始めた。
ロニー、ボリス、フィルが北門前の十字路で待っている。
三人に追いついたジェフリーは言った。
「さ、古き清泉亭に行くか?」
言わずもがなだった。
皆、それ以外の選択肢を持ち合わせていないのだから。
「あら?ジェフリー!遅いわよ!」
例によって赤銅でできたベルのカランカランという音が鳴りやむ前にアリスが反応した。
「もう!あと一卓しか空いてなかったのよ!ギリギリじゃない!」
古き清泉亭の中はほとんど衛兵で埋め尽くされていた。
「いよう!遅かったな?ジェフリーとおかしな仲間達!」
冷やかすように店の奥から叫んできたのはライリーと彼の小隊だった。
ランディとその小隊の馬鹿笑いが被さる。
皆、先に来ていたらしい。
「驚いたな。皆、早いな。」
「もう!暢気なんだから!来てくれないんじゃないかって心配したじゃない!」
アリスが左手を腰に当て、右手の人差し指でジェフリーの鼻を突っつきながら言った。
「すまない。エールを頼むよ。」
アリスはニッと笑った。
「わかったわ。さ!座って!」
店は気勢を上げる衛兵達の騒がしい話声でいっぱいだった。
衛兵以外と言えば扉近くの『指定席』に座っている魔道具屋の主、アイザック爺さんくらいである。
空いていたのはそのアイザック爺さんの『指定席』から扉を挟んだ反対側の卓だった。
以前、例の八人組がよく座っていた卓だった。
ジェフリー達が座るとアイザック爺さんが話しかけてきた。
「ジェフリー、大変なことになってきたのぅ。」
「全くだ。爺さん。そう言えば、この前はご活躍だったそうだな?」
「うん?あのアヴォンマスの兵隊を治療したことか?南門の衛兵達が血相変えて店に走りこんできたから、驚いたわい。」
少し離れた卓にいた衛兵がアイザック爺さんに手を振る。
どうやら、件の南門の衛兵自身か、その知り合いらしい。
古き清泉亭に入り浸る衛兵と言えば北門詰めの衛兵ばかりだがクレーネは町でも有名なエールだから、たまに南門の酒好きの衛兵も遠征してくる。
どうやら、彼らは最後の乾杯にクレーネを選んだ南門の衛兵小隊らしい。
「戦が始まれば爺さんに頼ることがあるかもな。」
「馬鹿者!儂は老人じゃぞ?もう戦など……」
「ハハハッ!わかっているさ。戦いは俺達に任せてくれ。だから町の住人が怪我した時は爺さんに頼むって言いたかったのさ。」
「まぁ、アリスからもそう言われて、今、ただ酒を飲ませてもらっとるからな。」
アイザック爺さんはうまそうにマグを呷った。
「さ?食事はどうするの?早くしないとみんな食べられちゃうわよ?」
どうやら、今日は衛兵達も大盤振る舞いで金をバラ撒いているようだ。
「グリルはなんだ?」
ロニーは詰所を出る時からグリルを食べると決めていた。
「今日は牛肉よ。なんと!雉もあるのよ!」
「おぉ!すごいな!でも、俺は牛肉にする!木苺のソースもたっぷりな!」
「俺も同じだ。」
ボリスは食べ応えのある肉料理が好きだ。
「雉はグリルだけかい?お嬢さん?」
「パイもあるわよ。」
「じゃあ、僕は雉のパイにするよ。どうせ、戦になればお金を使う暇もないからね。贅沢しなきゃ。」
「あら?そんなことを心配しているの?フィル?それなら杞憂ってもんよ。」
「?」
「じ・つ・は・ね!今日は全部半額よ。特別なんだから!」
「おいおい……大丈夫かい?」
思わずジェフリーが口を出す。
「うん。今日くらいは皆にたくさん食べてもらおうってお父さんと話して決めたの。大丈夫よ。食料はまだたっぷりあるわ。地下室に入りきらない痛みそうな食材を使い切ってしまうだけ。」
アリスは籠城に向けて食糧事情に関しては誰よりも気にしている。
そのアリスが決断をした。
「じゃあ、遠慮なくいただくか。俺も雉だ。グリルで。それにハギスも。」
「せっかく、半額にしているのにハギスなの?勿論、用意はしているけれど……」
「俺達、君の言う通り給金が出るとすぐに贅沢をしてお金を使い切って、いつも月の半分はハギスかブラックプディングだろ?俺にはハギスが『古き清泉亭のいつもの味』なんだよ。」
「おもしろいこと言うのね?でも、お母さんが喜ぶわ。」
「?」
「だって、うちのハギスはお母さんが試行錯誤して見つけた秘密の香草ブレンドの賜物なんだもの!じゃ、待ってて。」
アリスは背を向けて、厨房に向かった。
途中で悪戯心を出した衛兵のスカートをめくろうとする手を蹴飛ばし、胸元に伸びる腕を払った。
衛兵達から下卑た笑い声が聞こえる。
いつものことだ。
衛兵達も悪気はないし、アリスも楽しそうに適当にあしらっている。
いつものコミュニケーション。
衛兵達はそうやって自分達の下らないお馬鹿な行為を冷たくあしらいながらも見せてくれるアリスの笑顔に癒しを求めているし、アリスは衛兵達がくつろいでくれることが何より嬉しかった。
そう。
彼女は『看板娘』なのだ。
その夜、古き清泉亭はいつもより明るく、騒がしかった。
近所の住人はアイザック爺さん以外は店に来なかった。
彼らは町を守る衛兵達の戦前の最後の夜を邪魔する気はなかった。
また、近所の住人でもギルドに属する者は町の防衛に参加する義務がある。
彼らは戦前の最後の夜を家族とともに過ごしたかったのだ。
「ごちそうさん!うまかったぜぇ!」
「よく食った……」
「おやすみなさい。お嬢さん。」
三人はそれぞれに好きなことを言って店を出た。
最後にジェフリーが立ち上がった。
「そうだ。ダグ?」
「どうした?」
「あんたも北門か?」
ダグとその弟は酒造ギルドに属する。
弓を持って城壁に立つはずだ。
「あぁ。そうだ。」
「そうか。俺達もだ。明日からよろしくな。」
ジェフリーは厨房の方へ行って、手を差し出した。
ダグはその手を握り返した。
「こちらこそ。よろしくな。」
そして扉の所で衛兵達を見送りしているアリスの方へ視線を送った。
「ジェフリー。」
「?」
「頼む。死なないでくれ。アリスが悲しむ。」
「あんただって、そうだろ?ダグ?」
「あぁ。」
ジェフリーはダグとハグすると店を出た。
「ねぇ。ジェフリー。」
扉の前で立つアリスが優しい笑顔を見せた。
思わず、無愛想で知られるジェフリーの口角が僅かに上がる。
「何だい?」
「頑張ってね!でも、絶対、無理はしないで。良い?」
「わかったよ。」
ジェフリーは腰に吊るしていた剣を取り出した。
アリスは今日、ジェフリーが重そうに二本の剣を腰に吊るしている事には気づいていた。
「これを持っておいてくれないか?」
「これは?」
「俺が故郷から持ってきた剣だ。」
「そうなの?」
アリスは恐る恐る、差し出された剣を受け取る。
「一族や家臣から門出の祝いとして渡された剣だ。所詮、北部辺境の田舎領主の館にあった剣だからな。それほどの名品でもないんだが、一応、先祖伝来の剣だからな。」
「ジェフリーは使わないの?」
「衛兵は支給された武器を使わなきゃならないんだよ。こいつの所持は許されていたけれど、任務中に携帯することは禁じられていてな。部屋で埃を被っていたのさ。」
「どうして、私に?」
「どうしてかな?こんな代物でも一応、先祖伝来の剣だしな。戦になれば詰所の宿舎に置きっぱなしでは心配でな。それに……」
「それに?」
「君に持っていてほしいと思ったんだ。」
「わかったわ。私が預かるわ。でも、もしものことがあったらこれを使わせてもらうわよ?」
「ハハッ!それは無理かもな。」
「どうしてよ?私だって包丁なら結構使うのよ?」
「一度、振ってみてごらん?」
アリスは鞘に納まったまま剣を振った。
剣の重さと遠心力にバランスを崩してしまう。
「何これ?結構重いのね?」
「両手でしっかり持って、ゆっくり振り上げて。」
「よいしょっと!」
「じゃあ、振り下ろしてごらん。但し、先ずは力はいらない。剣の重さを使って振り下ろすんだ。それに剣は斬るもんじゃない。何というかな?剣の鋭い側でぶっ叩くものと思った方が良い。さ、やってごらん。」
「えいっ!あらら?」
また、アリスはバランスを崩した。
「もっと、腰を落ち着けなきゃダメだ。」
「腰を?」
「そうだ。横から振るにしても縦に振り下ろすにしても、しっかり重心を低く構えて、剣に振り回されないよう腰を落ち着けないと。あと腕だけで振ると言うよりは体全体で振る方が良いな。」
「難しいのね?」
「最初は剣じゃなくて重い木の棒なんかで練習するんだよ。」
「なんだか、腕が引き締まりそうね?やってみようっと!」
「怪我しないでくれよ。」
「大丈夫よ。」
「それに俺は君がこんなもの使うことになって欲しくない。何と言うかな……お守りみたいなつもりで持っていてほしいんだ。ただ……」
「ただ?」
「もし、君が自分の身を守る為にこの剣を使わなきゃいけなくなったら。」
「いけなくなったら?」
「相手を突くんだ。」
「突く?」
「そうだな。その方が良い。こう持って……」
夜の路地で剣の使い方を教わるなどと、とてもロマンチックと言えるものではなかったがアリスは陶酔していた。
時折、自分の体に触れるジェフリーの手、いつもの低い声。
「ありがとう。ジェフリー。」
「言っておくが、ほんの基本的なことを教えただけだからな?これで敵と戦えるなんて思うなよ?」
「大丈夫よ。あなたの言う通り、お守りくらいのつもりでね!」
「本当に大丈夫かなぁ……」
「ジェフリー。」
「うん?」
アリスは扉の前に立ってジェフリーを見つめていた。
ジェフリーも見返した。
アリスの笑顔はやはり優しい。
アリスが心配させない為に笑顔を見せていることはジェフリーにもわかっていた。
だから、ジェフリーは癖でいつもの下唇を軽く噛みしめる無愛想な顔だったが、口角を僅かに上げた。
二人は見つめ合う。
さっきまでの喧騒は消え、そこは静かな路地裏だった。
そして、ジェフリーとアリスは唇をそっと重ねた。
今回の挿絵は…
野暮なことは言いません。




