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パピエ・マシェ、あるいは神の声を聞く貴族令嬢  作者: RiePnyoNaro


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パピエ・マシェ、あるいは神の声を聞く貴族令嬢 その1~神に祈る少女のもとに聖女が降臨する~

 19世紀中頃のウィーンの片隅で、15歳のエレナは困っていた。


祖母が急に全身の痛みを訴え、ベッドから起き上がることができなくなったのだ。


そのことに継母が気付いたのは、エレナの父が鍛冶師(かじし)の仕事に出かけ、エレナが洋裁の教えを乞うため、近くの洋服店に出かけたあとのことだった。


夕方、エレナが帰宅すると父はおらず、夕食を準備しながら継母が不機嫌そうにエレナに話しかけた。


「おばあさんが朝からずっと体が痛いと言って寝たきりなのに・・・・

あんたは涼しい顔で一日中お出かけ、なんていいご身分ねっ!」


洋服店で売り子をする合間に、店主の妻に洋裁を教えてもらい、ゆくゆくは仕立てた洋服を売ることで貧しい家計の足しにする、と決めたのは両親だったのに、今更そんな愚痴を言われるとは、とエレナは心外だった。


エレナは祖母の寝室に入り、痛みにうめき声を上げながら目を閉じている祖母を見て、そっと


「おばあさん、大丈夫?痛む?

いつもの関節痛がひどくなったのね?

これから先生を呼んできますからね。

きっと大丈夫ですから。

何か口に入れた?

(かゆ)はどう?お白湯は?」


祖母がう~~~んと(うな)り苦しそうに首を横に振るだけで、話してくれないことに不安が強くなり、すぐに医者を呼びに行くことにした。


外に出ると、すっかり日が沈んでいて、あたりは真っ暗だった。


石畳の歩道を、建築途中の、自分たち家族が住んでるのと同じような貸集合住宅(ツィンスハウス)を見ながら歩いた。


賃貸集合住宅(ツィンスハウス)が、外見は宮殿のように立派な石造りなのに、中身はレンガ積みの壁、木製の扉や床梁(ゆかはり)で、外壁に漆喰(しっくい)を塗り、石を張り付けた『見掛け倒しの宮殿』だったのを知ったときは心の底から失望した。


でも住んでみると木やレンガにはぬくもりを感じてどこかホッとする安心感があり、すべてが冷たい石造りよりもましだったと思い直した。


真っ暗な夜道をできるだけ急いで歩いてるつもりでも、すぐに祖母の様子が気になり、先のことを考えて不安に駆られ、憂鬱な気持ちになった。


ときどき思い出したように現れるランプ灯の明かりや、飲み屋の窓から漏れるわずかな光を見つけ、


「大丈夫、きっとよくなるわ!望みはある!」


自分に言い聞かせ、真っ暗な、先の見えない不安に押しつぶされそうな気持ちを(ふる)い立たせた。


ある賃貸集合住宅(ツィンスハウス)の医者の住む部屋をエレナがノックすると、リネンのワンピースの寝間着(ネグリジェ)姿で、応対してくれた妻らしき女性が、わずらわしそうに眉間にしわを寄せ


「往診?

ごめんなさい、主人はもう寝てしまったの。

明日の朝、もう一度来てくれるかしら?」


と言い放ち、扉を閉めようとするので、エレナは必死で


「あ、あのっ!先生にっ!おばあさんの症状だけでも、聞いてほしくてっ!」


と食い下がった。


医者の妻は苛立ったように


「明日にしてちょうだいっ!」


バタンッ!!


無慈悲に扉を閉めた。


4月だというのに、夜は凍り付くような冷たい風が吹いた。


途方に暮れたエレナは、肩から頸を覆うショールをきつく巻き付け、自分を抱きしめるようにして腕を擦って手と体を温めようとした。


赤い生地に紺の縦縞模様が入った綿のワンピースは、腰より高い位置に(プリーツ)を作ってすぼめてあり、袖の肩の部分にも(プリーツ)をよせて高さをだしている。


腰には白いエプロンをつけ、髪を見せないようにスカーフで頭を覆っている。


ウィーン旧市街方向にあるグラシ(*作者注1)から土埃を運ぶ冷たい風に頬をなぶられ、エレナは暗い気持ちになり、困り果ててしまった。


売り子の仕事中、洋服店の店主が近所の人たちや買い物客と噂話してるのをエレナはよく耳にした。


それによると、十年ほど前、ヨーロッパ各地で起こった革命運動の波にのり、このウィーン市内でも暴動がおきたという。


労働者、学生、反乱兵士からなる群衆と、王侯貴族たちが戦い、大勢の血が、あのシュテファン大聖堂に流れたらしい。


敷き詰められた石畳の隙間に赤黒い血が()みこみ、その石の一つ一つが、断末魔の苦痛と、(みじ)めな境遇への憤怒と、虐げられた恨みに染まっていると想像するだけで、背筋が寒くなった。


エレナは店主のため息まじりの言葉を思い出した。


「1789年のフランス革命は、理不尽に富を独占する支配層が、王侯貴族から富裕市民(ブルジョワジー)に変わっただけの革命だった。

それとは違い十年前の暴動は、失望し(いきどお)った群衆が蜂起した革命だったが・・・・。

結局、戦乱中は逃亡していた王侯貴族が帰ってきて、また権力の座に収まっちまった。

奴らは無駄死にだったってことか。」


革命を求める群衆の目指した理想が何なのか、エレナは詳しくは知らない。


でも毎日の暮らしの中で、日に日に実感を強めていくのは


『富めるものはますます富み、貧しいものは貧しいまま』


の生活がこの先もずっと続くという絶望だった。


何も持たない、貧しいままのエレナができるただ一つのことは、神に祈ること。


求めるのは、わずかな『奇跡』だった。


ジッとしていられなくなったエレナは突然、ごつごつした石畳の歩道に(ひざまず)き、両手を合わせて握りしめ、神に祈った。


「神さま、聖母マリアさま。

どうかおばあさんを助けてください。

助けてくれるなら何でもします。」


これだけでは不安になったエレナは、修道士が司祭になるための儀式で行うような、地面に突っ伏す動作をしてお祈りした。


体を起こして(ひざまず)き、もう一度祈り、またごつごつした石畳の上にうつ伏せに寝転がり祈っていると頭の上から


「あんたっ!何してるの?

そんなところに寝転んでっ!

服が汚れるわよっ!

それに痛くないの?」


強気な少女の甲高い声が聞こえた。


エレナが体を起こし、膝をついて座り込んだまま顔を上げると、貴族令嬢のような身なりの美少女が立っていた。


クリーム色の絹とウールの交織(こうしょく)に花模様のプリントのイヴニング・ドレス姿で、大きく開いたデコルテ、なで肩を包む小さな袖、細いウエストラインに、スカートは三段の水平に重なる段飾り(フラウンス)のついた豪華で繊細で可憐な雰囲気をまとった少女が、エレナを見て、珍しい奇妙な動物でも見るような怪訝(けげん)な表情を浮かべていた。


庶民が暮らす新市街の、明かりの無い真っ暗な夜の、薄汚れた路地に、コテコテ!キラキラ!の貴族令嬢がいるという違和感にあっけにとられたエレナが思わず


「聖女さま?・・・・・ですか?」


呟くと貴族令嬢は眉根を寄せた。

(その2へつづく)

(*作者注1:ウィーンの都市城壁(市壁)の外側に広がり、旧市街とフォアシュタット新市街(Vorstadt)の中間に存在した野外空間。元来の設置目的は、町を包囲する外敵に対して遮蔽物のある空間を与えず、ウィーン守備隊による城壁からの火砲に対して敵を無防備に晒す役目を担う軍事上の理由だったが、時代が下ると市民にも開放された。)

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