第29話 〜暴走〜
「レーネ、ちゃん……?」
「私は、エリス=フェルマリーザ。
ノステルさん、貴男は覚えているでしょう?
自分の隊を一瞬で殺そうとした男の事と、その『所有者』と呼ばれていた者のこと」
「先月の事? ……その日、私は休みだったわ」
「そういうこと、か。
センブルクの方が、担い手ではなかったのだな」
「違います。センブルクの方が担い手です。
だって、センブルクは……。
いえ、こんなことをしている場合ではないのです!
マリエラが、……アナタも知っているでしょう!?
十年前の悲劇は起こさない、貴男もそう決めた!
あの子が城なんかに行ったら……」
「それを早く言え!
マリエラ、あの書が城に行けば……」
「私も手がつけられなくなってしまう!
『所有者』である私も、もう、……きゃああ!!」
刹那、フッとエリスの足の力が抜け、派手に倒れかける。
ノステルは急いで支えたが、エリスの意識は完全に無かった。
「エリス!?」
「……隊長。書とは、マリエラとは何ですか?
レーネちゃん……エリスちゃんは、誰ですか?」
「今はそんな事を言っている場合ではない。
マリエラが止められなくなる。
リミットは日没。……それ以降は、もう止められないだろう。
だが……、いや、とりあえず城へ行くぞ!」
「色々腑に落ちませんが……了解です!」
やはり納得のいかなさそうな顔をしながらも、こう見えてもノステルの忠実な部下であるティーシャルは勢い良く返事をした。
今は昼。日没まで、あと6時間。
不幸中の幸いであったのは、今の季節は日が落ちるのが遅い事だ。
「短縮魔法を使う、近くに寄れ。
『真実』の主、ノステリサ=フレアン=レイヴラリーの名に於いて命ず。
誉れ高き風よ、舞い上がれ。
我らを運べ!」
ノステリサ=フレアン=レイヴラリー。それは、ノステルの本当の名だろうか。
だが、それは今は語られない。
状況の飲み込めていない筈のティーシャルは、それを聞こうとしなかった。
そんな事を聞いている場合ではないと悟った為だ。
「隊長……」
同刻、雪の降る城、謁見の間にて。
「祈りは詠にあらじ。
狂いは眠りにあらじ。
天は我に味方せず。
天は我に屈せず。
幾度の運命を超え、天は光なり。
天の汝。故に問おう。
ー—汝、何を求めるか?」
彼は詩人の様にうたった。
だれにも邪魔される事無く、静かに。
「マリィね、マリィね、怒っちゃった……」
レモン色の髪をした小さな少女こと、マリエラは俯き、肩をふるわせて怒っている。
「否、答えは求めない。
答えなど、知る事無きに等しく」
近くに居て、会話している様にも聞こえるが、全く話はかみ合っていない。
古風な喋り方の男性は、傍観の位置に立つ。
「みんなみんな死んじゃえ!!
あははははははははははははは!
みんなみんな、死んじゃえば良いの!!
あははははははははっ、うふふふふっ!」
発狂した様にマリエラは笑う。
狂っているのはマリエラではないのかも知れないが……。
まず、マリエラがこんな事になったのは、ルティリアとユティリアに帰還せよと告げられ、転移魔法を使ったは良いが、何故か座標が二人共ここになっていた。
マリエラは『負と詠いの書』と呼ばれているが、それはなぜか?
負を吸う書の性質があったからだ。
負を吸う、つまりは城というところは陰謀が渦巻く巣窟の為、マリエラが発狂してもおかしくない程だ。
今のマリエラは、外見年齢と同じく、精神年齢も幼く感じられた。
「気高き華、散る事を知らぬ。
故に眠る愛、呼び覚まされん。
……なあ、主よ」
この場合、気高き華はマリエラととって良いだろう。
『焰』はここには居ない主へ問いかける。
「皆殺しなんだからぁっ!
抵抗しても無駄だよぉ?
だって、マリィはマリエラなんだからぁ!」
マリエラの声が響いた瞬間、黄色い花が一気に舞った。
マリエラの花だ。マリエラに呼応して舞っているのか、意図的に舞わせているのか、定かではない。
「止めても無駄。知るからこそ、我は傍観者。
雪の幼子は、もう存在せず。
主はこれぬ。
其の国に存在する『所有者』は……。
おお、『真実』が居たか。
書としては『嘆き』や『愛』もおるようだが……、あれらに期待せぬ方が良いな」
一人、傍観の位置に立ち、『焰』は考えているようだ。
しかしながら、あまり良い答えは出なかったらしく、苦々しい顔をしている。といっても、眉を少し顰めただけだが。
「もう知ぃらない!
マスターを傷つけてぇ、追いつめたんだからぁ、それなりの事は覚悟してぇ!!
いっくよぉ〜」
抜けたその声を合図に、マリエラはその場所から大きな魔法陣を描き、魔法を組み立てる。
「チッ、間に合わなかったか……」
時間的には少し後。ノステルは一部壊れた城の惨状をみて舌打ちした。
「これは!?」
何も知らないティーシャルは驚愕した表情を見せた。
「恐らく、マリエラが暴走した後だろう。
……思ったより、酷くはなかったな」
ノステルがホッとしていたのは、予想していたよりも被害が酷くなかった為だ。
「これでですか!?」
「書がその気になれば、数十分で城を崩壊させる事など容易いだろう。
中へ入る。
シャルは目の前の門から入り、けが人を一人でも多く救え! ただ、神聖魔術を使ってはならない。
俺は東門から入り、鎮圧に向かう」
「了解!」
「たっのしいなぁ……。
でも、どうしてだろうねぇ〜、マリィは満たされない。
どうしてなの? どうして」
無邪気で嬉しそうな表情をマリエラはしたが、ちょっと経つと、つまらさそうな表情をする。
マリエラの周りには、紅い血と、死体が転がっている。白を基調としていた服は、返り血を浴びて真っ赤に染まっている。
マリエラ自身、何がつまらないのかわかっていない。
「はぁっ、はぁっ……。
……はぁ、お前自身『所有者』の事が大好きで、『所有者』のそばに居くては満たされないからだ」
息を切らして謁見の間に駆けつけたノステルが姿を現す。
ノステルの姿を見た瞬間、マリエラの雰囲気は少しだけ柔らかくなった気がした。
「ようやっときおったか、『真実』の主よ」
「……その呼び名はあまり好きではない。
マリエラ……。『負』、先ほどの言葉は、『真実』よりの宣言と受け取ってくれて構わない。
だから、引いてくれ」
「むー…………やーだよぉ!
だってね、私は今、マリィなんだよぉ?
マリエラは知らない。マリィだけが知ってる。
……滑稽だよねぇ、皮肉だよねぇ、……ほんと、滑稽で皮肉。
やだやだぁ、これじゃまるでぇ、センブルクのメイドみたいじゃないのぉ。
マリィには主が居るもん、……居るんだもん!」
最初は駄々っ子なような表情を見せたが、半ば自問自答して自棄になっていた。
「お前の所為で、その主は寿命を延ばしてしまう」
「知ってるよぉ、だからやってるんだもん!
例え苦しくても、マスターは大切な人なのぉ。
失いたくないから、だよぉ。それじゃ駄目なのぉ?」
無邪気で害のなさそうな笑顔をノステルに見せる。その瞳の奥には悲しい色が漂っていた。
それを見たノステルはため息を吐きながら言う。
「あいつが、……お前の『所有者』が、それを望むと思ってるのか?
そうだと思っているならば、相当の勘違いだ。
むしろ、あいつは……」
とここで、『焰』からストップが掛かった。
「それ以上はならぬ。
汝がはなせる範囲はここまでと定められている。
……『負』よ、その先を知りたいのであれば『眠り』を尋ねよ。
その先の責任を、我らはとらないが」
『焰』がそれを言い終えた後、キィィ……と固く閉ざされていた謁見の間の扉が開く。
開かれた扉の先には、綺麗な緋色の髪をしたおとなしそうな女性が佇んでいる。
「愛を……教えて下さい。
愛の何がいけなかったというのですか。
……愛を、伝えて下さい。
愛のどこが罪だと言うのですか。
……愛を、見つけて下さい。
愛は罪ではないのですから……」