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第6話 黒い宝石(トリュフ)と崩れる日常(前編)

時間がかかった上に長くなったので二つに分けました。



 竜舎の談話室は、集まった竜騎士たちの熱気でいつもより少しだけ賑わっていた。


 ティーカップが並ぶ長机の上に、菓子箱が置かれていた。侯爵家の印章付きの封蝋は、丁寧に剥がされ、脇に残されている。

 蓋の隙間から、濃いカカオの香りがこぼれた。砂糖の甘さの奥に、ほろ苦い余韻がある。


「幻の店『マダム・ショコラ』のトリュフですって!食べる宝石と呼ばれてるんですよ!」


 キリが両手を胸の前で握りしめ、目をきらきらさせた。

 いつものフリルたっぷりのメイド服のまま、今にも箱に飛びつきそうな勢いだ。


「キリ、落ち着け。マリア様は団員でいただくと言っておられただろう」


 相も変わらず銀縁眼鏡に無表情のフリオが、キリを牽制する。

 だがキリは止まらない。むしろ、マリアを急かす気満々だった。


「マリア様ぁ、皆さん揃ってきてますよ?もう今が食べ時です!チョコは鮮度が命です!」

「トリュフに鮮度を主張するのは初めて聞いたわね」


 そしていつの間にか談話室には竜騎士団の面々が、ぽつぽつと集まっていた。


 竜騎士団は十一名。

 竜に選ばれた者だけが所属できる、空の独立戦力だ。身分も経歴も年齢もばらばらで、剣を持つ者、槍を持つ者、鞭を操る者、魔導を扱う者もいる。

 竜にはそれぞれ好物があり、週に一度の狩りで絆を深める。

 今日は空の警護に出ている者も多く、ここにいるのはマリア、フリオ、キリと、竜騎士であるマルシオ、ローエン、ヴァレリナ、リンネア、エルザールだけだった。


 やがて、部屋の隅の机で礼状を書き終えたマリアが、談話室の中央テーブルへやってきた。

 椅子に腰を下ろし、菓子箱を見下ろす。


「……お詫びの品ねぇ。決闘の対価にしてはずいぶん割に合わないこと」

「しかしさすがは侯爵家ですね。お詫びに幻の店の品物を持ってくるなんて」


 マリアの呟きに、マルシオが穏やかに笑った。大きな丸眼鏡をかけたふくよかな彼は、元文官というだけあって一見して竜騎士には見えない。


「……団長、これ、少し持ち帰ってもいいですか?妻と子が喜びます」

「もちろん大丈夫よ。皆で食べた後ならね」

「菓子ごときで絆されるとは情けない」


 その隣で鼻で笑ったのは、ローエンだ。眼光が鋭く、隊服をキッチリ着こなす彼は生粋の騎士に見えるが、実のところ中身は更生したとはいえ元盗賊である。


「エルザール、お前もあの小生意気な坊ちゃんに一発入れてやれば良かったのに」

「相手は腐っても師団長で侯爵家のご子息様だ。平民の俺が手を出せば後が面倒になる。揉め事はご免だよ」


 名指しされたエルザールは、大きな肩をすくめた。大剣で敵を薙ぎ払う豪快な戦い方をする男だが、根は諍いを嫌う温和な性格の持ち主だ。


「あの方、上から数えた方が早い御身分なのに、態度や口調は下から数えた方が早い私の家よりひどいのよねぇ」


 三人のやり取りに、にこにこと悪気なく口を挟んできたのは、田舎の男爵令嬢であるリンネアだ。

 男爵と侯爵という天と地ほどの身分差を承知しての発言。『無自覚毒舌美女』と陰で呼ばれる面目躍如である。

 そんなリンネアの言葉に、ヴァレリナが飾りだらけの杖を揺らして吹き出した。


「貴女は身分と顔が合ってないわよね。儚げな美女がメイス振り回してるの見た時、腰を抜かしたわ」

「まあ、失礼ね。メイスは一撃必殺、時短な武器よ」

「メイスで時短とかありえないわ……」


 呆れたようにつぶやくヴァレリナは、団で唯一魔導を扱える存在だ。元は第二師団所属だったが、魔力切れのところに竜に懐かれて竜騎士団入りしたという変わった経歴を持つ。杖をくず宝石やガラス片でゴテゴテと飾るため、密かに『カラス』とあだ名されていた。

 団員の何気ないやり取りで空気が少し和らいだ頃、キリが我慢できず机に身を乗り出す。


「まっ……マリア様っ!もう開けていいですか!?」

「あらあら。今空の任務にあたっている団員も含めて、皆で休憩しましょう、のつもりだったのだけど」

「大丈夫です、お菓子は逃げません!マリア様はお疲れです、今すぐ糖分を摂取しなくては!」


 フリオがため息をつく。


「キリ。お前が早く食べたいだけだろう」

「違いますぅ!マリア様のお身体のためですぅ!疲れた時は甘いものがいいんですぅ!」


 キリはそう言うと、マリアの返事を待たずに、菓子箱の蓋を完全に開けた。

 整然と並ぶトリュフチョコレート。艶のある黒が、灯りを反射している。


「わぁ……!マリア様、とても綺麗で美味しそう!」


 キリは嬉しそうに一粒つまんだ。


「ブランデル侯爵家からの贈り物、しかも王家専属店の品だもの。きっと美味しいわよ」

「まったく……マリア様がそうやってキリを甘やかすから。主人よりも先に贈り物を食べようなど本来なら許される行為ではありませんよ」

「だって、キリはとても美味しそうに食べるから、見ていると私も楽しいのよ」


 フリオはため息をつく。

 キリは一番最初に口に放り込んだ。

 目を閉じて口の中でゆっくりと溶けていくチョコレートを味わっている。


「……うわぁ……幸せです……すごく美味しいですよこれ!皆さんも是非……っ」


 満面の笑みを浮かべてチョコレートを食べていたキリの様子が変わった。


 そして。


 キリの表情が崩れた。笑顔が消え、苦しそうに喉を押さえ、膝が折れてその場に崩れた。


「……っ、あ……っ」


 キリの呼吸が浅い。

 唇が一気に青白くなり、指先が震えている。

 体からは力が抜け、膝から崩れ落ちた。


「キリ!」


 フリオが駆け寄り、抱き留める。

 ヴァレリナも駆け寄り杖を構え、キリに向かって小さな光を浴びせた。

 光はほんの少しの間で消えた。


「……魔法の反応はしないわ」


 ヴァレリナはキリのそばにかがみ込み、頬や首筋に手を当てた。

 小さく息を吐くと、ヴァレリナは唇を噛んだ。


「私の魔力に反応はない……魔法的な干渉じゃないわ。何かしらの薬物……いえ、違う。体の中の組織が直接、ありえない速度で破壊されてる……!こんな反応知らないっ!」


 ヴァレリナは杖をキリに当て、魔力を流し始めた。

 先程とは違う、強い光の魔力がキリを包み込んだ。


 毒……それも即効性。

 一同が同じ考えに至る。

 今目の前でキリが口にしたもの。

 チョコレートだ。


「これに毒が?」


 マリアは顔色を変えず、机の上の菓子とキリを見比べた。


「……フリオ、キリを寝かせて。ヴァレリナ、魔法で何とかなる?」

「魔法による解毒は不可能です! 今、疑似的な仮死状態にして進行を遅らせていますが……だめ、削られるのが早すぎます!申し訳ありません、私の魔力じゃ長くは持たせられません!」


 実際ヴァレリナは額から汗を流し、かなりの集中力で魔力を流し込んでいる。


「スピタル師団長なら私よりも時間稼ぎができます!」

「師団長を呼んで参ります」


 ヴァレリナからスピタルの名を聞いたマリアが指示を出す前に、扉近くに待機していたローエンが静かに扉を開いた。


「ローエン、待て。スピタル師団長をそんな軽々しくお呼びしては」

つてがあるから大丈夫だ」


 ローエンは躊躇なく言い切った。かつて第二師団に捕まり、あの師団長に徹底的に叩き直された縁がある。

 フリオの言葉を遮るように、ローエンは扉を閉めようとした。

 ローエンが扉を閉める際、マリアと視線が合った。

 マリアは頷き、ローエンはそのまま扉を閉めた。

 足音も立てず、全速力でスピタルの元へ向かっているのだろう。

 マリアは再びキリの額に手を当てた。先ほどより体温が低くなっているようだ。そして呼吸も浅くなっている。


「キリ。なんとかするから動かないでね」


 キリはかすかに、笑おうとしたようだが、唇が微かに震えるだけだった。


「……マリア……様……私、ちゃんと毒味……」

「……馬鹿言わないで。これは私のミスだわ」


 あのレオニードが詫びを寄越すような事をする性格でないことくらいわかっていたはずなのに。

 確認を怠ったマリアの失態だ。

 レオニードを騙った何者かの犯行だ。

 マリアはギリッと唇を噛んだ。


 ほどなくして、足音が駆け込んできた。

 現れたのは第二師団長スピタル――そして、なぜか第五師団長バティスも一緒だった。


「竜舎で毒だと?一体どういう事だ?」


 スピタル師団長が状況を見て眉を寄せる。


「スピタル師団長!私ではもう持ちません!どうかお力をお貸しください!」

「わかった、代わろう」


 限界近くまで魔力を流し込んでいたヴァレリナは、スピタルの言葉を聞いてその場に座り込んだ。


「スピタル師団長、申し訳ありません。私の従者のために」

「構わないよ。ヴァレリナの初期対応は正解だね。このまま仮死状態にして、毒の巡りを最小限にする」


 スピタルはキリに向かい杖をかざした。

 杖の先は眩く光り、その光が水のようにキリの体に流れていった。

 光はキリの体に吸い込まれ、消える。

 スピタルは杖を下ろし、マリアを呼んだ。


「……ふう、これでとりあえずは大丈夫。ですが今は身体機能を極限まで下げ、魔法で補っている状態です。毒を突き止めて、解毒を急がねば……それにしてもマリア、貴女らしくないですね。油断しましたね」

「はい、申し訳ありません」


 マリアはキリが一先ず落ち着いたことと、自分の情けなさに拳を握り締め、スピタルへ深く礼をした。


「私の慢心です……このような事、少し考えればわかっていたはずなのに」


 血で血を洗う貴族たちの権力争いが、竜騎士団へも向いている。

 国防を脅かしてでも己の功名心のために、闇に手を染めるものは多いのだ。


「しかし毒とは……小賢しい真似をする」


 黙って一連の流れを見ていたバティス師団長は菓子箱へ視線を落とした。


「この菓子に毒か」

「おそらくは」


 つい先程まで元気に笑っていたキリが、チョコレートを食べた瞬間に倒れたのだ。

 今のところ原因はこれしか考えられない。


 バティスは菓子箱をじろじろと眺め、手を伸ばし、チョコの香りを深く吸い込んだ。

 目を閉じて香りを確かめているようだった。

 やがて、ハッと目を見開いた。


「チョコレートの香りに、知っている香りがある……甘い匂いで見事に消しているな」


 スピタルが視線を向ける。


「何だ?」

「これは毒草の類じゃない。あのほろ苦い香りはカカオではなく、溶剤の匂いだ」


 マリアが顔を上げる。苦味――最初から描写していたあの違和感が、ここで繋がる。

 バティスは続けた。


「俺の第五師団の役割は知っているな?兵站・工兵・後方掃討の他にもう一つ、魔導技術兵器の補修の手伝いも担っている……つまり」


 バティスはそこで一度、言葉を切った。口にするかしないか躊躇っているようだった。


「……ミロシュ外交官をお呼びする」

「外交官……?」


 リンネアが微笑のまま瞬きをする。ヴァレリナが杖を握り直した。フリオの目が、いつになく鋭くなる。

 バティスは、視線をスピタルに合わせ、短く付け足した。


「これは間違いなく魔導砲や精密機器の洗浄用溶剤だ。あちらでは『職人の指を溶かす』と言われている劇薬だ……取り扱いが難しい故、徹底的に数は管理されている」


 マリアは唇を結び、頷く。


「……ミロシュ殿をお呼びします。内密に」


 マリアは即座に指示を出した。


「フリオ。箱と残りは誰にも触れさせないで。封をして、部屋への出入りを止めて」

「封蝋の状態も記録いたします」

「ヴァレリナはスピタル師団長の補助を」

「はい」


 ヴァレリナは再び膝をつき、スピタルの魔法が乱れないよう支える位置に入った。


「俺がミロシュ殿を呼びに行こう」


 バティス師団長が短く言い、マリアを見た。


「マリア団長、同行されますか」

「もちろんです」


 マリアはキリの頬に一度だけ手を当てた。冷たい。


「キリ、待っていてね」


 そしてマリアは背筋を伸ばし、バティスと共に談話室を出た。




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