24.霞子・2
話を終えた恩地は台所にいる小野に一言かけた後、また今夜、と残して帰っていき、マシロは小野と並んでそれを見送った。
そのあと小野はまた台所に立ち、出来上がっていた料理を重箱に詰め始めた。いつもの倍以上の料理が、テーブルの上に並んでいた。
始めマシロはひとり椅子に座って小野の姿を眺めていた。が、どうにも気持ちが落ち着かず、おもむろに立ち上がって小野の隣に並び、手伝いを始めた。
小野と一緒に台所に立つ。いつもであればそれは心落ち着く時間であるはずなのに、この時マシロの心の臓は妙な跳ね方をし、頭も様々な言葉が浮かんでは消え忙しく動いていた。
それを打ち消すように、マシロは小野が支持するままに手を動かし続け、料理をお重に詰めていった。小野もそんなマシロに何か訊ねるようなことはしなかった。
お重に隙間なく料理が敷きつめられると、小野は藍染めが施された風呂敷で包み始めた。
そこでやっとマシロは口を開き、料理が誰のものなのかを訊ねた。それに、小野が柔らかく微笑みながら答える。
「これは、霞子の世話役を務める人たちのものよ」
また、聞き慣れない言葉が出てきた。世話役、と呟くマシロに、小野は料理を包みながら言葉を並べていく。
「霞子の人たちにはね、仕えの人が何人か置かれているの。その役目はもともと痣子や巫女だった儀の関係者で成り立っていて、交代しながら霞子たちの身の回りの世話をしているのよ。霞子たちの儀における責務はとても大きなものだから、自分たちだけでは生活がままならないの。だから、世話役が衣食住すべての管理を任されているのよ」
自分の身の回りの全てを世話してもらう。
その事実を聞いても、マシロは不思議に思ったり、訝しむことはしなかった。霞子の役割について恩地から話を聞いた限り、そうなってもおかしくないのだろうと素直に感じられるだけだった。
儀を行ない、そこで気力体力のほとんどを消耗し、終わればすぐに眠る。そのような状況下、誰かが付いていなければ、人としての生活を保てないのだろう。
そう得心するやマシロは心で頷き、お重を包む小野の丁寧な手つきに視線を落としながら、続く話を聞いていった。
「世話役の仕事は、それだけではなくてね。儀が行なわれている時も、ずっと霞子のそばについているの。日が暮れてカゲが姿を現し始めた時、霞子はその気配を感じ取ることができるのだけど、その後カゲの居場所を痣子に伝える役割も担っているわ」
「……もしかして、ここ第三支部では魁成さんに連絡が行くようになっていますか?」
「ええ、その通りよ」
「霞子の方が直接伝えるのではないんですね。……では、世話役の方はどういった手段を使ってカゲの位置を教えるんですか?」
「電話よ。そこは、現代的でしょ」
お重を包み終えた小野が口元を緩め、ふふ、と息を漏らす。
包みはどこにもヨレが見当たらず、素晴らしい形を保っていた。小野はそれにそっと手を添えると、どこか懐かしそうな目つきをして言った。
「実は私もね、かつて世話役の仕事に携わっていたことがあるの。もう、二十年以上前かしら」
「……そうなんですか」
マシロは少し目を見開いた。小野がまた笑みを重ねたが、そこにはわずかに苦笑が混じっているように見える。
「世話役の仕事は内容が内容だから、子育ての最中や働き盛りの人には不向きでね。それらが一息ついた、年配の痣子関係者がなることが常だったんだけれど。一時期、世話役をできる人がなかなか見つからなかった時があってね。その矢先、私に声がかかったのよ。子供がいないだけじゃなくて、残された親の遺産と土地のおかげで、お金にも余裕があって勤め仕事はしていなかったから……」
小野はそう言ったが、理由はそれだけではないのだろうとマシロは思った。
小野が信用に足りる人物だから声がかかったのではないか、そう考えた。
マシロの中で、霞子は崇高な存在としてすでに位置づけられていた。その霞子の世話係となると、それにふさわしいだけの人物しか選ばれないような気がするのだった。
「……大変でしたか?」
マシロの問いに、小野は素直に頷いてみせる。
「そうね。なかなかなものだったわ。ずっと、気を張り詰めていた。霞子はとても繊細な感覚を持っているから、それを汲んで動かなければいけない。世話役が霞子に心を砕くことを怠れば、儀全体に影響が及ぶことになる。痣子と同様、誰の目にも触れられることがないけれど、責任重大なお仕事よ。――だから、その仕事から離れた今でも、労いの思いも込めてたまにこうやって料理を届けに行っているの。今日も、せっかく顔を出すなら持っていこうと思って準備したのよ」
マシロは小野の手が添えられた料理の包みに目をやった。以前も、包みの柄は違ったが小野がこしらえた料理をどこかに出かけて行ったことがあった。それは一回だけでなく、数回見かけた。マシロは何も思わずそれを見送っていたのだったが、その行先がやっとわかった。霞子のところに行っていたのだった。
そして今日、今からマシロも、その霞子のもとに向かうことになった。
「――さぁ、料理も準備できたことだし。そろそろ出掛ける支度をしましょうか」
そう言って、小野はマシロを見た。マシロは唇を引き結ぶと、小さく頷いた。
***
日が傾き町に灰色の影が落ち始めた頃、マシロと小野は家を出た。霞子が住む屋敷は徒歩で十五分ほどの場所にあるということだったが、この日は車で向かうことになった。
到着するまでの間マシロは一言も言葉を発することなく、膝に乗せられたお重が傾くことのないよう、しっかりと抱え続けていた。数センチだけ開けられた窓から入り込んでくる風が、ふわふわと漂う料理の香りを何度か攫っていった。
民家から随分遠く離れたところに、霞子がいる屋敷はあった。マシロはその屋敷に対し、どれほど荘厳な佇まいをした建物なのだろうかとあらゆる想像を巡らせていたのだが、実際目の前に現れたのは、恩地や小野の家のような古風で昔ながらの日本家屋だった。山がすぐ近くにあり、その緑が家屋に覆い被さるようになっていた。
車を停め、中に入ると玄関も一般家庭のそれのように思えた。が、真っ直ぐと視線を据え奥の方に目をやると、一足早く夜を迎えた入れたような仄暗さがずっと続いているのが見え、マシロは息を呑んだ。
外観だけ見るとそれほど大きく見えなかったのだが、屋敷は奥に長く伸びていた。言葉にできない、ピンと張り詰めた空気が、果てしなく続いているように感じられた。
小野は屋敷に上がるとそこには向かわず、玄関のすぐ隣にある台所らしき場所にまず足を踏み入れた。
「ご苦労様です」
そう声をかけると、一人の女性がしずしずと小野のもとに寄ってきた。そして小野から料理を受け取ると、そのまま深々とお辞儀をした。
「緑さん、いつもどうもありがとうございます。美味しくいただきますね。――この子が、マシロさんですね。はじめまして、霞子の世話役の、日吉です」
そう言って日吉はマシロに目を向けた。マシロは会釈すると、はじめまして、と言葉を返した。思った以上に声が小さくなった。自然とそうなってしまった。
屋敷内はしんと静まり返っていて、物音がほとんどしないうえ、小野も世話役の日吉も、聞こえる最小限の声で話すのだった。それでマシロも、同じようになった。息をするにも気を遣う、そんな雰囲気が立ち込めていた。
「先ほどお伝えした通り、巫女の舞を見させていただきますけど、霞子さんたちの目に触れないところでそっと覗かせていただく程度ですので」
「えぇ、それでしたら……。お二人ともつい先ほどお起きになって、今食事を摂られているところです」
「そうですか。――では、また後ほど、儀が始まる前に部屋に伺いますので。よろしくお願いいたします」
二人は互いに会釈し合うと、日吉はそのまま台所に留まり、小野はマシロを連れてまた別の部屋へと向かっていった。
その部屋は畳が敷かれる以外何も置いていない部屋で、照明をつけても仄暗く、やはり物音ひとつしなかった。マシロは息を詰め、じっと坐していた。
そこに、ガラガラと静かに玄関が開く音がした。そのあと足音がいくつか重なるのが聞こえ、マシロたちがいる部屋よりもっと奥の部屋へと進んで行った。
「巫女たちね」
小野がつぶやくように言う。
聞くと、巫女役は男の痣子と同様人数は四人で、この屋敷の一室で巫女衣装に着替えたあと、痣子の誘の舞が始まるより早い時間に儀に臨むということだった。陽が陰り、霞子がカゲの気配を探り始めると同時にその場を清め始める。そして痣子がカゲを還し、霞子がそのことを感じ取って儀を終えると巫女の舞も終わるのだった。
巫女が屋敷を訪れてからしばらくして、また足音がさらに奥に進んで行くのをマシロは感じ取った。僅かにさらさらと布が擦れる音もした。その時小野も、落としていた視線を上げてマシロの方に顔を向けた。
「行きましょう」
そう言って小野は立ち上がり、マシロも次いで膝を伸ばした。ひとつ、深く息を吐く。
部屋を出ると、夜が屋敷の中に忍び込んできていた。続く廊下はやはり暗く、足元を照らす小さな灯が等間隔に置かれぼんやりと浮かんでいた。
奥へ奥へと足を進めるほど、空気が替わっていくのがわかる。マシロの中に緊張が走った。そのせいか、手先足先が冷たくなっていく気がした。
突き当たりにある部屋の前で小野は一度立ち止まると、マシロを手で誘導しその場に座るよう目配せした。
それを受けたマシロは開かれた状態の扉のすぐそばに静かに腰を下ろし、膝を折る。それから覗いても良いかと言うように小野の顔を見つめ、小野が頷いたのを確認してから、上半身を少しだけ傾け部屋の中をそっとうかがった。
その中にまず見えたのは、等間隔に横一列に並ぶ四人の巫女の姿だった。腰骨を立て、真っ直ぐ前を見据えている。一つに結えられ熨斗飾が括り付けられた長い髪が、背筋にそって伸びていた。
マシロは手前から二番目に萌子がいるのを見つけた。横顔だけでも、いつになく真剣な表情をしているのがわかった。
その顔は緋く照らされ、羽織る千早に描かれた鶴の絵も、仄暗さの中に浮立っている。
部屋の中に人工的な照明はひとつもなかった。窓もないので月明かりも届いていない。燭台が四隅に置かれ、そこでろうそくの火がゆらゆらと揺らめくばかりだった。
その揺らめきが保たれたまま、ふたつの影が部屋の中に入って来た。その瞬間、マシロの呼吸は一気に浅いものになった。なぜか、息をしてはいけないと、本能的に思ってしまった。
マシロが息を詰めながら目を留めたそのふたつの影は、巫女たちの前に静かに坐した。後ろ姿からしてそれは男性のように見えた。痣子と違い、全身白の衣を身に纏っている。そこから体の線は捉えることができなかったが、細く繊細な雰囲気がどこからともなく醸し出されていた。
――あれが、霞子……。
その姿は名前の通り、霞のように儚げである。
顔は俯き、その表情もまた捉えられない。声も、発せられない。静かに、その場に座すだけである。しかし、その存在は他と格を逸するものだと、後ろ姿から溢れ出すオーラがマシロに語りかけてくるのだった。
衣が擦れる音が浮かび、霞子が手を合わせる。
すると、巫女の手に携えていた神楽鈴がチリチリと音を散らせ始めた。四人の巫女たちが揃って一礼し、立ち上がる。
霞子の儀と、巫女の舞が始まったのだった。




