5.先導
マシロに、誘の舞をするにあたって本格的に先導役を担ってみないかという打診があったのは、萌子の家を訪れた三日ほど後だった。
マシロはまだ儀で行なう舞は誘の舞のみに留まっており、そろそろ社での儀も行なえるのではないかと囁かれるくらいの成長具合となっていたが、その前に”先導役”を経験するのが痣子の中では常となっていた。
打診をしに来たのは他ならぬ支部長の恩地で、本格的にと言ったのは、今の時点ですでにマシロは真那などの先輩痣子と誘の舞をする際、何回か先導役を試しており、初めてということではないからだった。
マシロは数か月前にここにやってきたばかりで舞自体も始めてそれほど年月が経っていないが、その上達具合は他の痣子たちよりも群を抜いていた。
同じく儀をやり始めたばかりの中学一年生たちと比べると、それは一目瞭然だった。
マシロはいまだに年齢がいくつか定まっていないのだが、真那と同じ中学三年生の括りに入れられるようになり、実力もそのあたりだと見当付けられていた。
そこで、中学一年、二年の誰かと誘の舞で組になり、彼らの先導役を試みてはどうか、ということになったのだった。
マシロは、また新たな段階を踏める、と奮い立った。明日か、それとも明後日か、と意気込んでいたが、実際に指定された日付はもう少し先だった。
明日でも行けます、と自ら申し出たが、その日でなくてはいけないのだ、と言われてしまった。
訳を聞くと、恩地から説明があった。
「その日は、年長痣子が他県に儀をしに行く日なんだ。……このことは、まだマシロには話していなかったな。先日、支部はここの他にあと二つあり、その支部が設置されていない場所にも数カ所社が建てられているという話を真那たちからすでに聞いたそうだが――……。その、支部以外の社にもカゲが現れないようにと、月に一度、痣子の舞によって場を清めるという儀を行なっているんだ。これも、代々引き継がれてきた事項のひとつである。本来そこにカゲは滅多に発生しないが、つい数ヶ月前にそれがあった。ここの、隣県でな。――マシロが初めて見たカゲが、それだ」
マシロは頷きながら、自分が知らない事柄がまだあったのかと、軽く息をついた。
恩地が続ける。
「そこには年長痣子が向かうのだが、それに加えて他に用事があったりと、その日ここに残る者が少し足りなくなる。そこでこの機会に、マシロに先導役をやらせてみようかという話が持ち上がったんだ。だから、日付はその日でお願いしたい。――私が見る限りでも、マシロは誘の舞が良くできるようになったし、魁成に聞いたところ、鎮以降の舞もなかなかに上達しているらしいじゃないか。今回のは、それらを鑑みてのことだ」
表情を緩める恩地を見やって、ありがとうございます、とマシロは頭を下げる。その頬は仄かに紅潮していた。
そして顔を上げるや、恩地の目を見据えて言った。
「組になる子は、誰ですか?大樹くんですか?それとも、悠馬くん……?」
マシロは年少痣子の名を挙げる。
中学一年生である二人は、マシロがまだここに来て間もない頃に開かれた痣子の食事会で、テーブルを共に囲んだ者たちだった。
あどけなさが残っていて、可愛らしく人懐っこい印象があった。マシロの舞を見てみたい、とも言っていて、年下の痣子の中でも、親しみのある存在となっていた。
しかし、その名を出すや恩地は途端に顔を顰めた。その拍子にマシロの眉もピクリと上がる。
それから少し言い難そうにして、恩地が口を開いた。
「その二人なんだが……。――実は、今痣子の務めを休んでいるんだ」
「……え?」
マシロの目が見開かれる。すぐには理解ができなかった。
咄嗟に、どこか具合でも悪くしているのだろうか、しかし二人とも同時に?と、様々な考えが頭を巡り出す。
「……何かあったんですか?二人」
考えが収まらず素直に訊ねると、恩地は一度唸り、腕を組んでから答えた。
「――文也が亡くなった日あたりから、どうにも調子が悪くなったらしくてな。塞ぎがちになり、ついかには『儀に行きたくない』とまで言うようになったんだ。……私も直接様子を見に行ったが、私と会っただけで顔色を悪くしていた」
マシロは息を呑み、少しした後にそういえば、と胸の内でつぶやいた。
文也に捧げる弔の儀が行なわれた日、マシロは二人を見た。年少のため舞には参加せず見ているだけだったが、二人とも、呆然とした顔をしていた。
「二人はことのほか文也に懐いているような素振りをみせていたから、余計にかもしれない。学校には行けているが、儀に関わる話になると、途端に具合悪そうにするらしい。――その状態で儀を行なってもおそらく務め上げることができないだろうからな。しばらくの間、休ませることになった」
マシロは軽く頷いてから、そうなんですか、と声を落とした。
――痣子になったばかりであのようなことが起きれば、そうなっても仕方ないのかもしれないと思った。
マシロも胸が塞ぎような思いになったが、――今でもそうなるが、それよりも、文也の思いを受け継ぎたい、伝説の巫女と関わりを持っているかもしれないという立場を全うしたい、という気力を持って、何とか儀に心を向かわせることができているのだった。
けれども今儀を休んでいるという二人は、そこまでの想いや気力を持ち合わせていないのだろう。だからと言って、責める思いは全くもって湧かなかった。
「それで、マシロと組んでもらう痣子だが……」
恩地が声を改めて言う。それにマシロは伏せていた目を見開き、居住まいを正した。
――そして、他に誰がいたかと、思考を巡らせた時だった。マシロの胸がドクン、と高鳴った。まさか、とある考えが頭を過る。
まさか、他支部からやって来たあの子ではないか。と、思い、マシロは一抹の不安を覚えた。
小野の料理を真那と萌子に届けようとした際、いきなり帽子を掠め取り、さらにひどく悪態をついてきた、あの子。
一度しか会っていないが、それが衝撃的過ぎたので夢のような出来事に思えていたが、思い出すと、ちくちくとした鈍い痛みが胸のあたりに巣くう。
先導役は務めたいが、その子との組は、まだ自分にとって困難かもしれない、とマシロは思った。
そんな思考が一瞬のうちに駆け抜けたあとだった。恩地が先を続けた。
「――寒水 柊だ」
「……かのみず、しゅう、くん……」
その名前を聞き、口の中で繰り返し、それからマシロは音のない息をひとつ吐いた。
よかった、と密かに胸を撫で下ろすと同時に、聞いたことのある名前だ、と思う。
自分でもその時初めて気づいたが、マシロはまだ、新しくやってきた痣子の名前を知らなかった。
――あの時、痣子同士初対面なら名前を言い合ってもよかったはずなのに、そんな雰囲気には些かにもならなかったのだった。
安堵の末、マシロは少し首を傾げる。
――寒水柊。名前は聞いたことがあったが、顔がどうにも、はっきりと思い出せないのだった。
食事会の時も話す機会はなかったし、それから関わりは全くと言っていいほど持っていなかった。どんな子だったか、思い出そうにも、これといって何も出て来なかった。
「彼はまだ中学一年だが、実力を見れば良い方ではないかと思っている。落ち着いているし、マシロと組んでもきっと問題ないだろう。――良いか?」
マシロは頷く。
断る選択はなかった。移って来たあの子でなければ、きっと大丈夫だろうと思った。
痣子らは基本的に皆心持ちがしっかりしていて、真面目な子が多い。――大樹や悠馬は、仕方ないとして。
「はい、大丈夫です」
強い返事が聞こえ、恩地は満足そうに頷いた。
その後ややあって、ふとあることを思いついたマシロは、少し思案した後、恩地に訊ねた。
「――あの、寒水くんの家って、どのあたりですか?」
恩地は少し眼を見開いて答える。
「ん?柊のか?――ここからだと車でじゃないと行けない距離だが、……何かあったか?」
訊き返され、マシロははっきりとした声で答える。
「本番前に一度、一緒に練習しておくといいかなと思いまして……。――年少痣子の先導役はまだ初めてなので、自分のためにも。そんな人といきなり本番に入るのは、寒水くんの方も少し不安かなと」
マシロが初めて真那以外の年長痣子、歩岐島朔と組むとなった時、今マシロが言ったことと同じことを、彼はしてくれたのだった。事前に、練習の場を設けてくれた。
それがマシロにはとてもありがたく、その練習があったおかげで、次の本番でそれほど緊張感を持たずに儀に臨むことができたのだった。
そのことを思い出し、自分もそういうことをした方が良いかもしれない、と思い立った次第だった。
マシロの申し出に、恩地は頷き納得の表情を見せた。
「なるほどな。それなら、連絡先を教えるぞ。柊はまだ自分の携帯を持っていないから、母親のものになるが」
「ありがとうございます」
そうしてマシロは柊の連絡先を手に入れた。
そこで話は終わり、程なくしてから恩地は帰っていった。
そのあと、マシロはさっそく柊に連絡を入れることにした。
恩地に教えてもらった、柊の母の番号を自分のスマホに打ちつける。
発信すると、コール音が何度か続いた。そして、今は出ないかと思った矢先、音がプツンと弾けた。
『はい、寒水です。マシロくん、かな?』
高い女性の声が耳をくすぐる。名を言われ、マシロはすぐに返事した。
『恩地さんから聞いたよ。今度、よろしくね。いま柊くんと替わるから、ちょっと待ってね』
言われ、はい、とまた返事をすると、電話の向こうで声を飛ばすのが聞こえた。
『柊くーん、マシロくんから電話だよー』
マシロが黙ったまま待っていると、もぞもぞと耳元で聞こえ、その後に「ハイ」ととても小さな声が続いた。まだ声変わりをしていない、少し高い声だった。
「あ、あの、マシロです。今度、組をすることになって……。よろしくね」
少し詰まりつつも、マシロは電話越しに、優しく語りかけた。
――しかし、その後柊から返事と言う返事が聞こえてこず、一瞬電話が切れたかと思うほどの静けさが耳に伝わってきた。
マシロは慌てて言葉を探す。
「えっと、それで、本番までに一回、練習しておいた方がいいのかなと思って、連絡したんだ。……あの、どうかな」
『……』
また、何も聞こえなかった。
電話が繋がっているのかどうか、ますます不安を煽られたマシロは、柊くん?と名前を呼んでみる。
『――ハイ』
そう言うのが聞こえ、ほっと息をついたあとだった。
また耳元で、ゴソゴソとくすぐるような音が鳴った。そして、柊よりももっと高い声が聞こえてきた。
『しゅーくん、おでんわ?だれ?だれ?もしもし?もしもし?』
とても幼い、赤ちゃんのような声だった。男の子か女の子か、どちらとも判別できない高い声が、少しくぐもって聞こえた。
その後奥から「こら、邪魔しちゃダメよ」と柊の母親が声があって、それから幼い声は聞こえなくなった。
「……柊くん?大丈夫?」
窺うようにマシロが訊くと、また短く「ハイ」とだけ返ってくる。
「あ、あの、どうかな?練習。いきなり本番にいくのも不安だろうから、練習しておくと柊くんも安心するんじゃないかなと、思ったんだけど……」
『……』
どういうことなのか、またもや沈黙が流れてしまう。マシロはもどかしい他なかった。
しばらく待っていると、やっと柊が返答らしい返答を返してきた。
『――いいです。別に、やらなくても』
声は高いが、淡々とした口調で柊は言った。
断られた。心のどこかに、快く承諾してくれるのではないかという思いがあったためか、マシロは拍子抜けしてしまった。
瞬間的に頭が真っ白になり、あぁ、えっと、と少しの間言い淀んだ。
そして最後に、マシロの方が「ごめん」となぜか謝った後、柊の方から電話は切られた。




