13.役割
その後も何日か、萌子は勉強会と舞の練習に参加した。舞の練習においては萌子は基本見ているだけ、たまにマシロを褒めるくらいで指導はしなかった。
萌子に見つめられながら舞をするのは少し緊張したが、真那の指導を受けながら、マシロは順調にコツを掴んでいった。
休憩に入ると、萌子はマシロを労って水を渡したり、汗を拭くためのタオルを差し出したりしてくれた。萌子の気遣いに、マシロはただただ感謝した。
そんなふうに優しくしてくれる萌子の人間性は、行動そのものだけでなく、仕草などにも溢れ出ているように思えた。マシロに何かを手渡す動作ひとつ見ても、心が込められ柔らかな空気を纏っている。全ての行為が丁寧かつしなやかで、萌子が舞をしたらきっとすばらしく美しいだろうと、マシロはひとり夢想した。
それをそのまま本人に伝えることは憚られ口にはしなかったが、ある日マシロは舞の稽古が終わった頃、萌子に訊ねてみた。
「萌子さんは、儀には参加しないんですか?」
マシロは今まで何度か儀を見てきたが、そこに萌子がいたことはなかった。けれど萌子は儀について理解があり、稽古を見学するところを見ていると舞についてもそれなりの知識がありそうだった。
もしかしたら萌子も舞をするのではないか、そう考えを巡らせたマシロはその場面を是非見てみたいと思ったのだった。
萌子の舞が見ることができたらという、マシロに萌したささやかな期待はそのまま表情に現れた。瞳に光を宿らせていた。
しかし萌子はそんなマシロの唐突な問いに、少し困ったような笑みをもって返した。
「私は真那や文也たちがやってる役割とはちょっと違うことをするんだ。……痣はあるけど、男の痣子みたいな舞はしないの」
「……違うこと、ですか?」
マシロはどういう意味なのかわからず首を傾げる。萌子は表情をそのままに続けた。
「私が務めているのは、巫女という役割。舞うのも、巫女舞」
萌子はマシロが使用しているノートを借りると、そこに“巫女舞”という文字を書きつけた。
「巫女……。巫女って……」
見るなりマシロが反応を示す。しかし真那がすぐさま言い添えた。
「伝説の巫女とは別物だからな」
聞いて、マシロは言葉なしに息をつく。また萌子に視線を移した。
「巫女舞はカゲを還すためのものじゃないの。女の子は、カゲを還すことができないの。それは男の子の役目。男と女、役割はそれぞれ違うんだ」
マシロはふうんと、何度か頷いてみせる。それから少し考えるふうにすると、また訊いた。
「……では、巫女舞はどんな舞なんですか」
舞というものに食らいつくような姿勢がマシロには見えた。それを目に留めた萌子は仄かに笑うと、首を横に振った。
「それはまた今度教えるよ。いろんな情報を一気に詰め込むのは良くないからね。今は、マシロくんはまず痣子の舞をしっかり覚えてね」
言われ、マシロは残念そうに肩を落とす。しかし、萌子の言葉に素直に頷いた。確かにこれ以上知識を増やそうとしたら、頭が爆発してしまうのではないかと思うほどマシロは短期間で様々なことを覚えていた。
今自分が成さなければならないのは舞の稽古、それだった。今一度、マシロはそのことを心に刻む。
が、今の状況に余裕が出てきたらまた聞いてみようと、心内で密かに思った。
***
マシロの舞がだいぶ形になってきたところで、また夜の儀を見に行くことになった。舞に憧れを持つマシロにとって痣子の儀を実際に見ておくことも、上達に関わるひとつの手段であると考えられたためだった。
その日マシロに同行したのは真那だけで、道中、真那はマシロに何か語り掛けるようなことはせず、互いに一言も言葉を交わさず歩くこととなった。真那は口調に前より鋭さがなくなったものの、普段の口数の少なさは依然として変わらなかった。
この日は小野の家から出て、前回と反対方向に向かって歩いて行った。カゲが出没する場所は毎回変わる、よって誘の舞の開始地点も日によって異なることは、すでにマシロが知識として得ていたことだった。
マシロは稽古が休みの日もノートを見返すなどして、勉強会で学んだことを確実に自分のものにしようと自己研鑽を積んでいた。その成果は、マシロ自身も確かなものとして感じることができていた。
マシロたちがそこに辿り着いた頃にはもう誘の舞が始まっていた。例によって少し離れた場所からマシロたちはそれを眺める。やはりカゲが近くにいると呼吸がしづらくなり、マシロは意識して呼吸を繰り返した。日中雨が降ったせいか、その名残の匂いが鼻腔を撫でた。
身を据えて舞を眺め始めると、真那が落ち着き払った声で言った。
「誘の舞は、二人の痣子の呼吸を合わせることが大事だ。舞は、"還の舞"だけが、二人別々の動きをする。それ以外は、全て振りは同じで、合わせて舞わないといけない。どちらか一方が呼吸で合図し、もう一方がそれに合わせるという形をとることが多い」
真那は基本、儀に関することを話す時だけ口を開くようだった。マシロは暗がりの中で声なしに頷いた。
真那は時折あたりを見渡しつつ舞を眺めていたが、マシロは舞をする痣子から片時も目を離さず見つめていた。
カゲを誘う二人の痣子が歩みを進め、彼らとマシロたちの距離が一番狭まるところまで来ると、マシロは耳を澄ませてみた。静けさの中に、鈴と下駄の音が響く。その音はマシロの心をどこか安心させた。
と、それと質を異にする音が、マシロの耳に届いた。今まで儀を見てきた中で、マシロは音と言えば下駄と鈴の音ばかりを拾っていたのだが、意識して耳をそば立てていると、ある別の音がそこに同居していることに気づいた。
息の、音だった。二人いる痣子のどちらかから、息づかいの音がよく聞こえた。それは舞の一部になって、規則的に続けられていた。
マシロは目を凝らして痣子を見つめる。二人ともマシロが初めて見る痣子だったが、息ぴったりに、見事な舞を舞っていた。
すると唐突に、真那がマシロの肩をポンと叩いた。瞳を揺らしながらマシロが真那の方を見ると「もう忘れたか」と少し語気を強め、しかしささくように真那が言った。次いで後方から、何やら喋り声が聞こえてきた。
振り向くと、会話しながら歩いてくる年配の男女が見えた。夜のウォーキングをしているようで、反射板をたすき掛けにした姿と、リズムよく軽快に地を踏む音が近づいてくる。
真那が何でもないような表情で痣子たちから目を逸らし、それを見てマシロは文也の勉強会で学んだことを思い出した。
痣を持たない一般人に、カゲは見えない。
儀をする痣子の姿も、またその目には映らない。
次いで、以前この日のように舞を見学していた時に真那から言われたことも、マシロは頭に蘇らせた。
『痣子でない一般人が来たら、痣子から目を逸らすこと――』
自分たちには何もないように見えるただの暗闇をじっと見つめる誰かがそこにいれば、不審に思われることには違いなかった。そうならないよう、マシロはすぐさま痣子たちから目を離した。
が、この状況でどのような仕草が自然に映るのか、マシロには判然としなかった。とりあえずという思いで、空を仰いでみる。
雲の流れが目で追えるほどよく見えた。月が雲間から顔を出したかと思うとまた姿を消し、また現れる。繰り返されるそれを、マシロは何度か見送った。
そこでやっと、真那が儀以外の話を持ち掛けてきた。少年二人が無言で景色を眺めているのも、それはそれで不自然なのだった。
「雲の流れが速いな」
真那が言い、マシロはこくりと頷いた。そしてややあってから言葉を返す。
「月の光が……途切れ途切れ、になりますね」
よくわからないことを口走ってしまったかと思ったが、真那はそれに対して「そうだな」と静かに言った。今までに聞いたことのない、穏やかな声だった。
マシロはチラリと、横目を痣子の方に向けた。二人は規則正しく舞を続けている。それに纏わりつくように、カゲがついていく。その先に社があり、カゲを還すため、別の痣子二人が待っている。
そばを歩いていく男女二人にもよく見える位置に、カゲを誘う痣子の二人はいるのだった。山や森のように木々が生い茂っている場所ではないため、姿そのものが見えるはずだった。
けれども男女二人とも、それに目を向けることなく、気にする様子も全く見せず、談笑しながら歩を進めていく。痣子の二人は、漆黒の衣を纏い暗闇に紛れているとは言っても、下駄や鈴は確かに音を鳴らしていた。その姿も、全く見えないということはないはずだった。
本当に見えないのだと、遠ざかっていく声と足音を耳で追いながらマシロは思う。何も見えないし、何も感じないのだ。
――あんなに美しい舞をしているのに。
マシロはそう心でつぶやく。直後、胸の辺りが疼いた。
その間にも痣子の二人は徐々に社に近づいていき、真那とマシロはそれを追い越し社に先回りした。そしてカゲを伴った痣子二人が社の敷地内の中心にやって来ると、そこで待ち構えていた年長痣子二人と交代した。それは牧謙太郎と初音涼という高校生の二人組で、マシロが初めて真那と出会った日にいた人物であった。
またマシロが急に舞い出すやもしれないと、真那はいつでもそれを制止できるよう身構えていたが、この日はマシロも大人しく舞を眺めるだけで、身動き一つしなかった。
儀は滞りなく終えられた。舞が終わるなり謙太郎たちがマシロたちに向かって手をかざしてきて、真那は彼らに軽く会釈すると、早々と社の石段を降りその場をあとにした。マシロも狼狽えながらそれについて行く。
その時。物陰から、見慣れた顔がひょいと現れた。田平だった。
「剣、今この子に舞を教えてるんだってな。ご苦労さん」
八重歯をちらつかせながら言い、真那はいえ、と短く返事をする。マシロは口を噤んだまま、二人を見比べるように視線を移していた。そんなマシロに、田平が声をかける。
「マシロ、だっけか。お前もなかなかに頑張ってるんだってな。――ま、二人とも、程良くやれよ」
言われ、マシロは軽く頭を下げる。
田平は笑っているのかいないのか、よくわからない表情をしていた。そんな、どこか脱力したような佇まいはなんとなくこの儀の場にそぐわないものに見えたが、目の前に立っていると、ピリリと空気が引き締まる感じがした。
「送ろうか?ギリ乗れるぞ」
田平がそう言ったが、真那は首を横に振った。そっか、と言葉を吐いた田平は、節がしっかりとした手を挙げる。そして低い声で言った。
「じゃ、おやすみ。気をつけて帰れよ」
その言葉を受け真那は最後にひとつ頭を下げると、帰るぞ、とマシロに向かって声を飛ばした。
マシロは頷きまた頭を下げ、田平をちらりと横目で見ながら、歩き出した真那の後ろについていった。そしてその後も、何度か後ろを振り返っては、遠のいていく田平の姿を目に留めた。
「――さっきの人は、舞をやらないんですか?」
帰路につく中、マシロは真那に訊ねる。どうにも気になる、という様子で言った。
「田平さんか」
真那に訊き返されマシロは頷く。
田平は痣子と同じ夜隠れの衣を纏い、いつも儀の場にいるのだったが、舞をする姿は一度も見たことがなかった。送迎係なのかもしれなかったが、それだけなら夜隠れの衣を着る意味はあるのだろうか、着ながらなぜ舞わないのだろうかと、疑問が尽きなかった。
「……田平さんは、特別な時しか舞はやらない」
真那から出た答えはそれだけだった。その後はいつものように、無言で歩を進めて行った。
マシロはそれについて、行きながら考えを巡らせた。彼はどのような舞をするのだろうか、特別な時、というのはどういう時なのだろうか、と。
しかし考えても到底わからず、マシロは真那に訊ねようかと何度か心内で思ったが、萌子が言っていたとをふと思い出し、憚った。――恐らく、田平も萌子と同じように、別の役割があるのだろう。そう考えるに至ったのだった。故に、マシロは真那に、田平のことについてそれ以上は訊かないことにした。
光が少ない夜道をいくらか歩き、小野の家までもうあと少しというところだった。
「剣くんの家は、どのあたりなんですか?」
マシロはふと、真那に訊ねた。しかし頭で考えていたことが思わず口をついて出たという具合だったので、問うた本人が少し驚いた様子を見せる。
「――は?」
つれない真那の反応を見やってますます困惑する。
反応の仕方から、単に呆れているのか、声が聞こえにくかったのか、あるいは質問の意図を測りかねたのか、どれだろうかと考える。しかし答えが出る前に、マシロは慌てて言い添えた。
「す、すみません。――今日、小野さんから剣くんの家が、この近くにあると聞いて、あの……どのあたりにあるのかな、と……」
それだけ言うと、唇を引き結び俯く。視線を落とし、身体を竦めるようにした。
そんなマシロから、真那はふと目を逸らす。自身も口元を締め、隠すような小さなため息を落とした。それから少し迷うふうにしてから、また歩き出した。
マシロは視線を上げ真那を見る。そして先を行くのについていこうとして、躊躇った。真那は小野の家に帰る道から外れ、マシロが行ったことのない方向へと進んでいっていたのだった。
マシロが目を丸くしてその場に立ち尽くしていると、真那が一度、振り返る。
「どうした、ついてこい」
言われ、マシロはきょとんと眼を見開いた。それから、真那が今から自分の家を案内してくれるのだと理解したのは一拍の間を置いてからで、また歩き出した真那の後を、おずおずとついて行った。
それからどれだけ歩いたか、マシロは把握していなかったがそれほどの距離を進んでいないところで真那がぴたりと足を止めた。
マシロが戸惑っていると、少し間を置いてから真那が、あれ、と長屋の一角を指差した。どの家を指したかははっきりとわからなかったが、マシロは、あぁ、と曖昧に相槌を打ってみせた。
「……あそこが剣くんの家、ですか」
「あぁ」
マシロが問うと、真那は短く返事をする。それきり口を閉ざしてしまった。
マシロはその横顔をちらりと見やってから、先の方に見える家々の連なりを改めて眺める。家の壁と壁同士が、ぴたりとくっついていた。神楽を見に行った町中の家もそうなっていたと思い出し、普段過ごしている小野の家のことを考えると、すぐ隣に他人の家があるというのは少し不思議に思えた。
と、マシロはある家の窓にぴたりと目を留めた。それから凝らすようにしてじっとそこを見つめ続ける。
明かりが漏れる窓は他にもいくつかあったのだが、その中でひとつだけ、影が絶え間なく動いていていたのだった。
マシロは最初、それが何でもない人影に見えたのだったが、よくよく見ているとそれが見覚えのある動きをしていたので、目も足も吸い付くように止まってしまった。
それに気づいていたのはマシロだけではなかった。真那もマシロと同方向に視線を向けて、やはり動く人影を射るように見ていた。
「あれは……」
つぶやくようにマシロが言う。真那は訊いてきたマシロの方は向かず、依然として視線を遠くにやったまま口を開いた。
「……文也だ」
その答えを聞き、あぁ、とマシロは少し目を丸くしてから息を落とす。
「ではあれが、文也くんの家ですか?」
「あぁ」
次いで「丸見えだ」と零すように言って、真那は踵を返し、また歩き始めた。
真那との距離がどんどん開いていくことに気づいたマシロは、影が見える窓に貼り付けた視線を何とか引き剥がし、小走りで後を追う。
足を進めながら、あれは確かに痣子の、恐らく儀の舞だと思った。
「――あれは儀の最中ですか?」
真那に追いつくなりマシロが問う。すたすたと歩きながら、真那は首を横に振った。
「あれは練習だ。――あいつは毎日、練習している。家で、一人で」
毎日、という部分がことさら強く重くマシロの耳に届く。毎日……と、反復する声が口から零れ、そのすぐあとに、前を歩く真那の背中に向かって問いかけた。
「僕に、教えに来てくれる日もですか?」
ややあってから、あぁ、と言う真那の声が前方から小さく聞こえる。
それを耳に受け取ったマシロは、その場で立ち止まりそうになった。そんな足を地面から剥がし、必死に歩かせ、ひたすらに真那の後ろをついていく。
後ろを振り返ると、文也の影はもう見えなくなっていた。
真那はマシロを小野の家に送り届けると、また翌々日に来ることだけを伝え、自分の家へと帰っていった。
その後、マシロはと言うと、風呂に入る時も、髪を乾かす時も、何をしている時も、一人で舞の練習をする文也の影が脳裏に張り付いて離れなかった。
自分の練習、そして儀をする合間に、文也は自分に指導してくれていたのだと知った。マシロと違って、文也は学校もあり、家では勉強もしているのだろう。それなのに文也は疲労の色は一切見せず、嫌な顔ひとつせず、懸命にマシロに力を尽くしてくれている。また真那も萌子も同じ状況の中で、文也と同様にしてくれている。
みんなそれぞれ痣子、巫女として、日々自分の役割を果たしている。真那も文也も、萌子も、みんな。そんな中で、彼らはマシロにも意識を向けている。
――その自分は、どうなのだろうか。役割を果たそうと、全力を尽くすことができているだろうか。
マシロは自分の胸に問うてみたが、力強い反応は返ってこなかった。冷たい風が吹きつける感覚だけが、そこにあった。
「――どう?調子は」
入浴後、縁側で身を縮こめているマシロの隣に小野が坐す。ほんの少しではあるが、マシロが纏う空気が細かに揺れていたことに気づいたのだった。
マシロは何と言うこともなく、折った膝の先を見つめていた。空では月が雲に隠れていて、心なしかいつもより夜の色が深い気がした。
「舞をしてみて、何か思い出したかしら?どんな些細なことでもいいの。何かあったら教えてくれる?」
小野が穏やかな声で訊ねる。マシロは少しだけ顔を上げると、そのままそっと目を閉じた。
いつもと変わらず、何も思い出せない。しかし今は、立ち込める霧よりも、内側で渦巻く何かを強く感じ、それが胸を締め付けてきて苦しかった。
「……何かあったの?」
いつもとは違う色で曇っていくマシロの顔を小野が認めた。丸くなった背中にそっと手を添える。
その手は優しく温かったが、マシロの表情はますます強張るばかりだった。それを見て心配そうにする小野に何か言わなければと思ったが、今の自分の中にある感情を言葉として表すことができず、もどかしく感じた。
「……わからないです」
重い口を開き何とかそう言うと、マシロは自分の膝に目を押し付けるようにして、顔を埋めた。え?と言って顔を寄せる小野に、聞こえるか聞こえないかくらいの声量で続ける。
「自分が、今何ができるのか、わからないです。真那くんと文也くんは、痣子として儀をしています。萌子さんも、巫女の務めをしているみたいです。僕は、そんな皆さんに、舞を教えてもらっているだけです。僕だけ、何もできていない……」
マシロの声が、暗い空洞の中に埋もれていく。
今自分は舞を教えてもらっているだけで、何の役割も果たせていない。何も、できていない。もどかしい。不明瞭な不安が、まとわりつく。
そんな思いが交錯し、マシロは出口のない暗闇に迷い込んでしまったような気分になっていた。
「マシロ……」
小野は目の前で小さくなっていく体に手を添え続け、たまにその手でゆっくりと、マシロの背を撫でた。手のひらに、静かな呼吸が確かに伝わってきた。




