母の日のみがわり
今年の母の日が迫っていた。
正人はオーブンで焼ける粘土で、涼子のためにペンギンの置物を作ることにしている。そして清乃からとして、いつもの花とチョコレート。それでもいいかって思う。けど、ギリギリまで悩んでいた。今年はいつもの時間のない母の日ではない。なにか涼子が喜ぶことをしてやりたかった。
結局、中野のお言葉通り、涼子になにが欲しいのか聞くことにした。
「え、いいの? なにかしてくれるの?」
涼子が嬉しそうに言う。
「もちろん、オレにできることなら」
「じゃ、入れ替わって」
「え」
オレは耳を疑った。母の日に、オレに母になれって、どういうことだ。
「母の日は涼子の日だろう。なんでオレが」
「いいのよ。私、あなたになって正人と遊園地へ行きたい。そしてその後、あなたの実家へ行ってのんびりさせてもらう。あなたのお母さん、来てほしいって言ってたの。それも母の日のプレゼント」
「じゃ、オレは家で清乃と留守番か」
「清乃はお乳のことがあるから、あなたにお任せ。ここでのんびりしてて」
「オレがのんびりしてていいんだな」
「うん。私がそうしたいんだから、いい」
そうか、よかった。本当にDVDなんか買わなくてよかった。
「ねえ、それともう一ついいかな」
「え、なんだ」
やっぱりのんびりだけじゃダメなんだろう。
「あのね、入れ替わって、あなたに中野さんたちの力になってもらいたいの」
「どういうことだ」
「あの奥さん、旦那さんが、何を考えているのか全然わからないって言ってたんでしょ。話を聞いてあげてもらいたいの」
「涼子の体でか? オレがあの人の話を聞くのか」
「うん、だって私よりもあなたの方が旦那さんのこと、知っているでしょ。そのうえでおくさんの話を聞いて、旦那さんの考えをそれとなく教えてやってほしい。これはあなたにしかできないことなの。私が奥さんの相談に乗っても、ただ話を聞くだけで終わる」
「わかった。今回、中野さんの奥さんの話を聞いて、二人の気持ちのすれ違いがどこにあるのかをつきとめればいいんだな」
オレはそういいながら、なんだかドラマの心理探偵のような気分になってきていた。
「そう。じゃあ、いいのね。母の日の前夜に入れ替わるわよ。今日みがわり地蔵、借りてきて」
「わかった」
「私、母の日の午後、中野さんの奥さんをお茶に招待する」
「よし」
「あ、そうそう。毎年くれる花なんだけど、きれいで大好きよ。もし今年もなにか買ってくれるんだったら、今度は観葉植物がいい。それかハーブ数種類が植えられた鉢。台所に置いておきたいって思ってる。カウンターに乗るくらいの小さな鉢植え。床に置くくらい大きな物だと、清乃がハイハイするようになったら、いたずらの的になるからだめ」
「あ、わかった」
訊いてよかった。またいつもの花束にするところだった。それでもきっと文句は言わなかったと思うが、どうせなら欲しい物の方がいい。
ハーブの鉢植えなら、近くのスーパーの花コーナーにあった。あれと小さなサボテンっていうのはどうだろう。サボテンって、人の話し声に反応すると聞いたことがある。だから、テレビの上なんかに置くと花をつけることもあるらしい。
絶対におもしろい。正人と一緒にサボテンに話しかけて、いつか花を咲かせようっていうプランもいいかもしれない。
オレは母の日のプレゼントなのに、かなり脱線して、正人と二人で企てる花咲かプランをたてていた。でもこういうのってわくわくするんだ。
「オレは中野さんの奥さんの言うことをただ聞いて、それを中野さんに伝えればいいってことなんだな。そうすれば、うまくいくってことなんだな」
「そう、それで後は二人が決めていく。私達はそのメッセンジャーになればいいだけ」
******
ってことで、オレはまたあの赤い蝋燭を真昼間からたてている易者の所へ行った。
角を曲がったところから、ずっと先にその存在が見えた。かなり距離があるのにもかかわらず、あの女易者はオレをじっと見ていた。
ほうら、こんなに目立つ易者、他にいない。ここが見つからなかったなんて、中野さん、降りる駅を間違えたんじゃないのか。
「あんたはまた、戻ってきたね。あたしのところに戻ってきたんだね。うれしいよ」
大げさに言うから、横を通り過ぎる女性が驚いて振り向いていた。
よしてくれ。変な関係だと思われるだろう。
オレはそっけない態度で、ボソッと言った。
「いいから、またお願いします」
何も言わないで、早く地蔵を貸してくれればいいんだ。
「あたしにはわかっていたさ。今日あたり、あんたが舞い戻ってくることをね。だって、またこの地蔵がちゃんとここへ帰ってきている。この地蔵はあんたたちのことがお気に入りみたいだよ」
オレにはどの地蔵も同じように見える。けど、差し出された地蔵の表情には見覚えがあった。向こうにも借りる側の選択ができるとは知らなかった。
「同じ地蔵にやってもらう方がやりやすいんだよ。ある程度はその人の事情がわかってるだろう」
そういいながら、女易者は乱暴にオレの髪の毛を引き抜く。
そしていつものように水晶地蔵に巻き付けた。すぐにその髪の毛が地蔵の中に取り込まれていった。
ちょっとした疑問がわいた。
「もし、その髪の毛が、いや、地蔵がオレのことを拒否することもあるのかな」
そうだ。髪の毛を巻き付けても地蔵の中に入っていかないこともあるかもしれない。そうしたら、地蔵の選手交代みたいなことになるのかも。
「ん、それはないね。もし、その人になにか悪い癖や性格、行動に問題があって、地蔵たちが身代わりをやりたくないということなら、その人にはこの場所が見つからないはず」
「えっ、そうなのか」
「そう。ここには悩み事があり、地蔵がその人に成り代わり、手助けをしてやりたいって思うから誘われるようにやってくる。あんたもそうだっただろう。最初の時、ふらふらしながらここを通ろうとしていた。それは地蔵に誘われたんだよ。それ以来、あんたはあたしに会いたくてきているけどさ」
「あ、そこんとこ、違うから。最後のとこ、間違ってるけど」
このババア、調子に乗ってとんでもないことを言いやがる。
でも興味深いことを聞いた。やはりそうか。ルールを守らなかったり、地蔵が嫌がることをすると、もうみがわりはできなくなる。つまり地蔵がその人を拒否するってことなんだ。じゃあ、翔子ちゃんがこの場所が見つからないっていうことは、地蔵が拒否してるってこと。
女易者はオレがなにかを考えていることに気づく。
「なんだい。なにか規則破りのことを企んでいるのかい。まあ、あんたにはできない。やろうと思ってても土壇場になって、それはだめだってことがわかってる」
「え、そんなことわかるんだ」
そうだ。オレはそういう意気地なしのところがある。
「それもあんたのいい所なのさ。そう受け止めることも重要だよ」
初めて女易者にうれしいことを言ってもらえた。
地蔵をいつもの紫色の袱紗に包んでくれた。オレは三千円をはらった。
「そろそろ割引してやろう」
そう言って、二百円をお釣りとして返してくれた。
「え、いいんだ。ありがとう」
「あんたはいじけるけど、素直なんだ。だから、あたしも好きなのさ」
う~ん、そう言われることは不快ではないが、誤解を招くことになるといけないから、何も言わずにぺこりと頭を下げてすぐにその場を立ち去った。最後の言葉は聞こえなかったことにした。




