第132話「倒し方はいまだ不明」
本を読むのに必要な能力とは何か。
言語、理解、教養、視覚、触覚、推察……挙げればキリがない。
ただ一つ確実なのは「人間が読む」前提で書かれている。
少なくとも魔物向けに書かれた本は一冊もない。
――――――;
面白がる魔導騎士団長の誘いと、頭痛に耐える団長二人の許可を得て壁上へ。
浮遊寝台で作られた階段は風には煽られないが、柔らかい布団のせいで足場が悪い。人型スライムが何度も体勢を崩して落ちそうになっている。
落下を阻止し続ける魔導騎士は、空を見上げるたびに眩暈がしていた。魔力増強の薬剤を飲みすぎた反動は、じわじわと体を蝕んでいる。
登り終えたと安心したのも束の間。
頭上から振り落とされる大斧は、乾いた血を粉塵として撒き散らしていた。
人型スライムを抱えて転がるように避ける。それだけでゼェハァと息が乱れ、頭の頂点から汗がぼたぼたとこぼれ落ちていた。
振り返れば舌打ちする処刑人。王宮騎士団の騎士服を着ているものの、顔は相変わらず布袋で隠したまま。
「アレクサンドラさん!?」
「ケイ、大丈夫か!?」
聖女が処刑人に駆け寄って、攻撃する必要がない相手だと説得している。その間に軽薄騎士が魔導騎士達に近づき、小声で話しかける。
「なんかあの子、ライムのことをずっと殺害対象と見ているらしくてさ……」
「自分は助かる」
「お前は黙ってろ」
殺されることを淡々と受け入れる人型スライムの顔面をわし掴みつつ、軽薄騎士の言葉の使い方に引っ掛かりを覚える。
「あの子?」
「アレクサンドラちゃんだよ。十七歳なんだって」
骨壷騎士と並ぶ体格のいい処刑人。着ている服も骨壷騎士と同じサイズのようだが、胸筋に布地が負けているのかはち切れそうな筋肉の厚み。
女性であるとかはどうでもいいのだが、明かされた年齢に魔導騎士の頭が真っ白になる。今知るべき情報はそれではないのだが、意識が勢いよく目的から逸れる。
「花の乙女って感じなのに、血生臭いのはもったいないよな」
「そうじゃない」
「おい。お前を刺そうとした女と関係者が下にいるぞ」
「ミランダ達が!?危ないから離れるように言わないと!」
「そうじゃない!」
悪女五人衆の心配をする幼馴染のマントも掴み、その足を無理やり止める。なにより心配するほど彼女達が危険かと言われると、魔導騎士は自身の身の危険を感じたほどだ。
人型スライムがペチペチと顔をわし掴む腕を叩くが、どれだけ不満を表現したとしても痛くも痒くもない。
両手で魔物と幼馴染を制御するという事態を抱えつつ、周囲の状況を窺っていく。
「ちょちょちょ、アンタが貧民街に降りたら陣頭指揮はどうするんで!?」
「魔導騎士団長に一任する」
「やったー。独裁って一度やってみたかったんだよね」
「総員、ハナヤ殿の足を止めろぉおおお!戦場を実験場にしたくないだろ!?」
耳にした「骨壷が貧民街に落ちた」というのは本当だったらしく、骨壷騎士が酔っ払い騎士を筆頭に大勢の騎士に体重をかけられながらも飛び降りようとしていた。手には謎の紋様が貼り付けられた大剣。
その向こう側では第三王子が竜と熱弁しており、その勢いに周囲の騎士が注意を促していても耳に入っていないらしい。
人型スライムの視線も竜へと向けられた瞬間、青い瞳が大きく見開かれる。腕を叩く手も動きを止めてしまった。
「ライム?」
「森の竜……」
ぽつりと呟かれた言葉は、懐かしさと新鮮さを両方感じているような曖昧さだった。
スライムの時には見えなかったもの。聞こえなかったもの。感じなかった全てが、圧倒的な質量で間近にいる。その威容や大きさは圧巻の一言で、けれど湧き上がる感情はどれだけ重ねても足りない。
視界に入るのも恐れ多いと言わんばかりに、人型スライムは魔導騎士の背中に隠れようとする。女神でさえ不敬な態度で渋々従っていた魔物の、人間臭い反応。
「どうしたの?」
「俺を盾にするのを癖にするな」
「……」
軽薄騎士の問いかけや魔導騎士の注意にも耳を貸さず、人型スライムは嬉しさと恥ずかしさと恐怖や照れといった、複雑な気持ちを表情に浮かべていた。
憧れの遠い存在に出会ったような、夢の中でしか会えない美しいものを見たような、浪漫と現実が重なり合った瞬間にしか出てこないもの。
どうにか処刑人を宥めた聖女が人型スライムへと近寄ってきて、その顔を見て首を傾げる。
「なんか好きな有名人に出会った女の子みたいですけど……」
聖女の言葉で納得が半分、予想外の態度の正体に驚いたが半分。魔導騎士と軽薄騎士は人型スライムの反応に、言葉をなくしてしまった。
――――――;
「それで背中に隠れてるの?あっはっは、ウケる」
竜の視線から逃れるように魔導騎士の背中を盾にする人型スライムに、魔導騎士団長は軽い調子で笑い続ける。
性別を超えた美しさの狸爺と性別が曖昧な外見の魔物。二人が向かい合うだけで何人かは培ってきた概念が崩れていくことを悟る。
「で、僕の答えは正解だとお墨付きをもらったわけだけど、君はどこまで獅子舞元帥のことを知っているのかな?」
「本が読める」
竜の視界から隠れていると安心するのか、人型スライムはいつも通りの味気ない言葉で返す。内容は簡潔で、そこに感情は乗らない。
背中越しで聞いていた魔導騎士だけでなく、軽薄騎士も驚きは隠さない。一人だけ事態がわかっていない聖女は、頭の上に疑問符を浮かべていた。
処刑人は人型スライムから敵意の視線を向け続けるが、男装女騎士や不良騎士達に警戒されているため暴挙には出ない。
「そんなに変なんですか?」
「魔物が人語を話しているだけで異常なんです」
聖女の疑問に魔導騎士は教えるように答えるが、最初の魔物が人型スライムだった少女にはピンとこない話らしい。ゲーム内でも喋る魔物を多く見ていた、という異世界事情のせいもある。
「さっきの石攻撃の方が怖かったですけど」
「長期的に見るともっと危ないんだよ、聖女ちゃん」
足首まで埋まるような石礫の霰。それを思い出すだけで身震いする少女だったが、救いなのは崩落した箇所に巻き込まれた騎士に死者がいなかった。
しかし重傷者も出ているので、彼らは少し離れた位置の仮設テント内で治療を受けている。もしも同じ攻撃が起きて、長時間に渡れば壁が重みで崩れるかもしれない。
そうなれば壁周辺に集まった人物は全員お陀仏決定なのだが、魔導騎士達の表情はそれ以上の最悪を想定しているようだった。
「簡単に言うとねー、僕らの作戦とか機密事項全部筒抜けってこと」
「……え?」
「文字も読めて、言語もわかる。壁下にいる魔物全てを従えられる強さを持ってるくせに、人間を出し抜ける知性も持っているんだよ」
「でも獅子舞元帥を倒せば、終わりですよね?」
あっけらかんと、聖女は最短の解決策を口に出した。
浄化遠征でも話で聞いた。頭角魔物を倒してしまえば、集まった魔物達は去っていくと。過去の大きな戦いでも、同様のことが起きていると語ったのは魔導騎士である。
なんだかんだで教師役として頼りにしている魔導騎士に期待の視線を向けるが、頭を横に振って難しい表情を浮かべていた。
「理論上はね。問題は、獅子舞元帥の居場所を特定かな」
「そういえば……どこから見てるんですか?視力もいいとか?」
「配下の魔物を使って、魔法で虫や小動物の視界から情報を得ている」
「へー、魔法って魔物も使えるん……ん?」
ここに来てようやく聖女も嫌な予感を覚えたらしい。
獅子舞元帥の体格はそれほど大きくない。実際に魔物の軍勢の中に紛れて、どこかへと脱出している。その行方を壁上にいた者達は誰一人追えていない。
逆に獅子舞元帥側は壁に狙いをつけており、魔法による遠隔で情報を集め放題。文字が理解できるため、人間達のやり取りなど把握することなど簡単である。
「どうやって倒すんですか?」
聖女の疑問に答えられる騎士は、その壁上には誰一人いなかった。




