第11話:風紀委員長は、勉強会まで管理したい
管理表は、もはや朝の食卓に自然な顔で置かれるようになっていた。
置かないでほしい。自然になるな。
> 白瀬玲奈 仮デート疑惑
> 橘芽衣 幼なじみ買い足し ※生活圏が強い
> 城ヶ崎莉愛 放課後遊び ※理由なしが強い
「こはる」
「何」
「……これ、三人並んでる」
「なってるね。並べないと追えないから。追わないと、次に誰が何を言い出すか分からないんだよ」
こはるはヨーグルトのふたを開けながら、昨日もらった猫のぬいぐるみを食卓の端に置いていた。
「……ぬいぐるみ、使ってるのか」
「かわいいから。これは労働環境の改善。メンタルケアだよ」
「管理者みたいなこと言うな」
「管理者だよ。なりたくなかったけどさ」
妹が、完全に戻れない場所へ進んでいる。
「お兄ちゃん、今日は本当に何も増えない?」
「……増えない、と思う」
こはるは無言で赤ペンを握った。
「言い直したんだぞ」
「『と思う』も信用不可に入れるか迷ってるだけ。まあ、今日は様子見だね」
その様子見が、いちばん怖い。
* * *
教室に入ると、宮坂が妙に静かだった。
「佐倉。今日は誰の日だ」
「そんな制度はない」
「白瀬さん、幼なじみ、ギャル……と来たら、もう曜日みたいなもんじゃん。月曜、仮デート。火曜、生活圏。水曜、理由なし。……で、木曜は何なんだ?」
「何もない。はずだ」
言った瞬間、自分でも少し嫌な予感がした。
教室の前方から、きっちりした声がした。
「佐倉くん」
一ノ瀬凛花だった。彼女はいつも通り姿勢よく立ち、手にはノートとプリントを持っている。
「本日の放課後、時間を取ってください」
宮坂が机に突っ伏した。
「……木曜、風紀委員長」
「違う」
「まだ何も聞いてないのに否定するなよ」
一ノ瀬は一切動じず、俺の机まで来た。
「ここ数日のあなたの放課後行動について、確認しました。白瀬さんと駅前、橘さんとスーパー、城ヶ崎さんとゲームセンターおよびフードコート」
「……並べないでください」
「結果として、学習時間が不安定になっています」
「そこですか」
「そこです」
一ノ瀬はプリントを机に置いた。
「放課後の生活リズムを整える必要があります。よって、本日は図書室で学習時間を確保します」
「……それは指導ですか」
「学習管理です」
「また言い方を変えたな」
「目的が違います」
この流れ、聞き覚えがありすぎる。後ろから城ヶ崎が楽しそうに声を上げた。
「一ノ瀬さん、それ勉強会って言わない?」
「学習管理です」
「でも放課後に二人で図書室だよね。二人で?」
「……必要があれば」
芽衣が静かにこちらを見る。
「悠斗、今日は勉強なんだ」
「まだ行くとは言ってないんだが」
「一ノ瀬さんに言われたら、断りにくいよね」
「分かっているなら助けてくれ」
白瀬先輩は少し離れた席で、穏やかに微笑んでいる。
「学習時間の確保は大切ですね。ただ、管理表の表記は難しそうです」
「そこを心配しないでください」
一ノ瀬がこちらをまっすぐ見る。
「佐倉くん。あなたは学業面では極端な問題はありません。ですが、ここ数日、放課後の予定が乱れています。中心にいるのは、事実です」
「発生源みたいな言い方ですね」
「発生源です」
「言い切った」
一ノ瀬はノートを開いた。
「本日、図書室。時間は一時間。科目は英語と現代文。必要であれば数学も確認します」
「……本格的すぎる」
「学習管理なので」
宮坂が震える声で言った。
「佐倉、ついに成績まで管理され始めたぞ……」
管理表の項目が、また増える音がした。
* * *
放課後の図書室は、思っていたより静かだった。静かすぎて、逆に落ち着かない。
一ノ瀬は窓際の二人席を選び、向かい合わせではなく、斜め向かいに座った。
「なぜその配置なんですか」
「向かい合わせは会話が発生しやすいので。あと、隣は距離が近すぎます。これが、適切な距離です」
距離まで管理されている。
「まず英語です。佐倉くんは文法での取りこぼしが少しありますね。小テストの平均点を見ました」
「見られてる……」
「学級委員経由です。問題ありません。……ここ。関係代名詞の省略です。感覚で解いていませんか。根拠を持ってください」
そう言って、一ノ瀬はすらすらと説明を始めた。
分かりやすい。悔しいくらい分かりやすい。
「……分かりやすいですね、本当に」
「当然です。教える以上、準備しました。管理するなら、責任がありますから」
管理の方向性がおかしい気もするが、助かっているのは事実だった。
「では、次は現代文です。これは、私の分です」
一ノ瀬が出したのは、自分のプリントだった。意外だった。一ノ瀬が、ほんの少しだけ視線を落とす。
「現代文の小説問題です。……心情説明が、少し苦手です」
「一ノ瀬さんが?」
「意外そうにしないでください。そこは隠していませんから」
少しだけ口調が硬くなった。いつもの一ノ瀬なら、全部を正しい形に整えてくる。
だが、そのプリントだけは端に細かい書き込みがいくつもあり、ところどころ消しゴムの跡が白く残っていた。
「どこですか」
「この設問です。『このときの主人公の気持ちとして最も適切なものを選べ』。……本人が明言していないのに、なぜ気持ちを一つに決められるんですか」
真顔だった。思わず笑いそうになったが、なんとか我慢した。
「笑いましたか」
「笑ってません」
「目が笑いました」
「……すみません」
一ノ瀬は少しむっとした顔をした。珍しい。
「でも、これって気持ちを当てるっていうより、書いてある行動と前後の文から、選択肢を消していく問題ですよ」
「消去法ですか」
「だいたいは」
「……気持ちなのに」
「気持ちなのに」
一ノ瀬は納得していない顔だった。
俺はプリントを少し自分の方へ引き寄せた。
「この主人公、直前で返事をしないまま窓の外を見ていますよね。その前に、相手から踏み込まれたことを言われている。だから、怒っているというより、すぐ返せない。困っている。でも――嫌ではない」
「……嫌ではない?」
「たぶん」
一ノ瀬の眉が動いた。
「たぶん、ですか」
「現代文の心情なんて、最後は『たぶん』です。でも、全部確定しようとすると逆に間違えますよ」
一ノ瀬が黙った。しばらく問題文を見つめたあと、小さく息を吐く。
「……なるほど。選択肢二は怒りすぎ。四は好意に寄りすぎ。だから一。本文からは、そこまでしか言えない」
「そうです」
「分かりました」
「よかったです」
「ただ――『嫌ではない』という表現は、少し厄介ですね」
「……現代文の話ですよね?」
「現代文の話です」
本当に現代文の話だったのか、少し怪しかった。
* * *
勉強会は、意外なほど普通に進んだ。一ノ瀬は英語を教えるのが上手いし、俺は現代文を一緒に見る。管理というより、普通の勉強会だった。
それが、逆にまずい気がした。
「佐倉くん、ここ、もう一度お願いします」
一ノ瀬がプリントをこちらへ寄せた。自然に距離が近くなる。
「ここはさっきと同じです。返事をしていない。逃げても、いない」
「なるほど……」
一ノ瀬は真剣に聞いている。その横顔は、いつもの風紀委員長というより、普通に問題に苦戦している同級生だった。
「一ノ瀬さん」
「何ですか」
「苦手なもの、あるんですね」
言った瞬間、少しだけ空気が止まった。一ノ瀬は俺を見た。
「ありますよ。隠していただけです。管理する側が、分からない顔をすると不安を与えますから」
一ノ瀬らしい答えだった。でも、少しだけ窮屈そうにも聞こえた。
「分からないなら、聞けばいいと思います。一ノ瀬さんも俺に聞いてますし」
「……それは、必要だからです」
「じゃあ、必要なら聞けばいいんです」
一ノ瀬は黙った。それから、ほんの少しだけ視線を外した。
「……では、今後も必要があれば聞きます。佐倉くんにも、必要があれば聞かせます」
「それは管理では?」
「相互指導です」
「悪化してるな」
一ノ瀬の口元が、ほんの少しだけ動いた。笑ったのかもしれない。
* * *
図書室を出ると、廊下に宮坂がいた。
「宮坂」
「偶然だ」
「絶対違うだろ」
「男子代表として、実態を確認しに来たんだよ。一時間、図書室。斜め向かい。英語と現代文。相互指導……」
「……監視してたのか。怖いよ」
宮坂は俺に小声で言った。
「佐倉。これは管理表行きだ。教える側と教えられる側が入れ替わるやつは強い」
「何が強いんだよ」
嫌な説得力があった。
一ノ瀬が冷たい目で宮坂を見る。
「宮坂くん。図書室前での待機は、通行の妨げになります。……それから、管理表に載せる必要はありません。ただし。正確に載せるなら、学習管理ではなく、相互指導です」
「載せる前提になってませんか」
一ノ瀬は少しだけ固まった。
「……念のためです。正確性が大事ですから」
* * *
家に帰ると、こはるが玄関で待っていた。いつものことになりつつあるのが、本当に怖い。
「お兄ちゃん」
「……今日は本当に勉強だったぞ」
「一ノ瀬先輩から連絡が来た。『本日の件は恋愛騒動ではなく学習管理です。表記には注意してください』って」
「本人から先に来たのかよ」
こはるは疲れた顔で管理表を出した。
「で、何て書けばいいの。書かない選択肢はないよ、もう来てるから」
スマホが震えた。城ヶ崎からだった。
『一ノ瀬さんと勉強会ってマジ? 管理ってそういう方向にも行くんだ』
続いて芽衣。
『勉強会かあ。教えてもらったの? 教えたの?』
白瀬先輩。
『相互に教え合うのは、とても良い関係ですね』
こはるがスマホを見て、無言でプリンの空き容器を握りつぶした。
「もう嫌だ」
「……本当にすまん」
「お兄ちゃん、勉強しただけだよね? 一ノ瀬先輩の先制連絡込みで、何で四件も来るの?」
「俺が聞きたい」
こはるは赤ペンを持った。
「一ノ瀬先輩の欄、更新するね」
> 一ノ瀬凛花 風紀委員長/継続観察/放課後・生徒会室/図書室勉強会
「相互指導も入れてください」
背後から声がした。振り向くと、玄関の外に一ノ瀬が立っていた。
「一ノ瀬さん!?」
「本日使用したプリントを返却し忘れました。……帰宅経路上ですので」
「便利な言葉だな」
一ノ瀬は管理表を覗き込んだ。
「正確には、図書室勉強会ではなく、学習管理および相互指導です。修正してください」
こはるが虚無の目になった。
「本人修正が来た……。もう、みんな好き勝手しすぎ」
こはるは赤字で書き足した。
> 一ノ瀬凛花 風紀委員長/継続観察/学習管理/相互指導
そして横に、小さく注釈を入れる。
> ※管理のはずが近い
一ノ瀬の眉が動いた。
「佐倉こはるさん。その注釈は不正確です。適切な距離でした」
「……適切に、近かったんですね?」
一ノ瀬が黙った。こはるは猫のぬいぐるみを抱きしめた。
「もう嫌だ、この管理表。文字だけで疲れる」
完全に同意だった。
* * *
夜、こはるから管理表の画像が送られてきた。
『今日の更新分』
> 白瀬玲奈 仮デート疑惑
> 橘芽衣 幼なじみ買い足し ※生活圏が強い
> 城ヶ崎莉愛 放課後遊び ※理由なしが強い
> 一ノ瀬凛花 学習管理/相互指導 ※管理のはずが近い
『四人目まで比較欄が埋まりました』
『埋めるな』
『次、雫ちゃんが来たら全員分になるね』
俺はスマホを置いた。考えたくなかった。
白瀬先輩は、まだ振られたまま攻めてくる。芽衣は、生活圏から逃げ道をなくす。城ヶ崎は、理由なしで踏み込んでくる。一ノ瀬は、管理と言いながら距離を測ってくる。
誰とも付き合う気はない。
そのはずなのに、俺の放課後は、ついに勉強時間まで誰かのものになり始めていた。




