最終話 望む未来
「クーリングオフだオラァァァッ!!」
「ひぃぃぃっ!? や、やめたまえ! 顔はやめろ、顔は!」
魔王城、最上階の玉座の間。
かつて世界を恐怖に陥れたとされる魔王は、今や完全に哀れなサンドバッグと化していた。
レオンがプロレス技であるジャイアントスイングで魔王を振り回し、ザックが高速で魔王のポケットから小銭をスリ盗り、モグが杖で魔王の尻をチクチクと突いて火傷を負わせる。
そして極めつけは、借金まみれのクール騎士・クロエだ。
「私の金貨五十枚! タヌキの置物の金貨三百枚! そしてこの無駄に重いだけの『覇王の木刀』のローン! 全て全額返金していただきます!」
「わ、わかった! 返す! 返すからその黄金のタヌキを頭上に振りかぶるのをやめてくれぇぇっ!」
ボロボロになった魔王が、涙と鼻水にまみれて玉座の前に土下座した。
俺は痛む肋骨を押さえながら、そのあまりにも情けない光景に深いため息をついた。
「……おい魔王。お前、本当に魔王なのか?」
「は、はい……一応、肩書きは。ですが、先代が残した魔王城の維持費と、四天王たちの給料で魔界の財政は火の車でして……。やむを得ず、人間界で怪しい通信販売や情報商材を売って日銭を稼いでいたのです……」
「世知辛すぎるだろ魔界!! ってか、世界征服の野望とかないのかよ!」
「世界征服などしたら、人間界のインフラ整備から税収の管理まで全てやらねばならんでしょう!? そんな面倒なこと誰がやりますか!」
「正論だけど魔王の口から聞きたくなかった!!」
完全に終わっていた。
俺の異世界サバイバル、命がけの逃避行の終着点が、まさか『悪徳マルチ商法の親玉に対するクレーム対応』だとは。
「ふははは! 何にせよ、これで世界は平和になった! 俺たち奇跡の三連星の完全勝利だ!」
レオンが高らかに笑い、大剣を肩に担ぐ。
クロエは魔王からふんだくった金貨の袋を数えながら、「これでタヌキのローンが……ふふっ」と珍しく氷の表情を緩めていた。
ザックもモグも、安堵の表情でへたり込んでいる。
終わった。
本当に、これで終わったんだ。
俺は『アンチ・マジック・ダガー』を懐にしまい、天井を見上げた。あとは、この魔王城から適当な金品をかき集めて人間界に戻り、神殿騎士団の目を盗んでどこかの田舎でひっそりと鍛冶屋でも開けば――。
「――愚カ者ドモガ」
ピタリ、と。
玉座の間の空気が、凍りついた。
いや、比喩ではない。
俺たちの吐く息が一瞬にして真っ白に染まり、床の赤い絨毯が霜を吹いて硬直したのだ。
重い。
空気が、あまりにも重い。見えない巨大な万力で、全身の骨をギシギシと締め付けられているような、圧倒的なプレッシャー。
「……え?」
土下座していた『魔王』の顔から、スゥッと血の気が引いていく。
彼はガタガタと震えながら、玉座の奥――虚空を見つめていた。
「ま、まさか……封印されていた『真なる主』が……我々の騒ぎで、目覚めてしまったとでもいうのか……?」
「真なる主……?」
俺が問い返した瞬間。
玉座の後ろの空間が、ガラスが割れるようにパリンッと砕け散った。
そこから現れたのは、言葉で形容することすら悍ましい『絶望』そのものだった。
定まった形を持たない、どろどろとした漆黒の泥の集合体。その泥の表面には無数の赤く光る眼球が浮かび上がり、ギョロギョロと俺たちを見下ろしている。
泥の中心には、心臓のように脈打つ、巨大な紫色の『魔力核』が輝いていた。
『我ハ……真ナル魔王。三千年ノ眠リヨリ……今、目覚メタリ』
声帯から発せられた音ではない。直接、脳の髄を掻き回すようなおぞましいテレパシー。
「ヒッ……!!」
モグが白目を剥き、そのまま泡を吹いて気絶した。
ザックは腰を抜かし、ガチガチと歯を鳴らして一歩も動けなくなっている。
「なんだアイツは……! 本物の魔王だと!? 上等だ、俺の筋肉で真っ二つに……!」
レオンが勇ましく大剣を構え、漆黒の泥に向かって跳躍した。
『……羽虫ガ』
真の魔王の眼球の一つが、レオンをギロリと睨んだ。
ただ、それだけだった。
ドゴォォォォォォンッ!!!
「がはぁぁぁぁっ!?」
何の魔法も、物理的な接触もなかった。
ただ『視線』を向けられただけで、レオンの屈強な肉体が目に見えない巨大なハンマーで殴られたように吹き飛び、壁に深々とめり込んで血を吐いた。
「レオンッ!?」
俺は叫び、咄嗟にダガーを抜こうとした。
しかし、体が動かない。
異常なまでの重力魔法。いや、これは魔法というより、ヤツが存在していることによる『空間の歪み』だ。
「くっ……! なら、私が!」
クロエが重圧に耐えながら、黄金のタヌキを構えて一歩前に出た。
「どんな魔王だろうと関係ありません。私のこの『大富豪のタヌキ』の力で……!」
『……目障リダ』
真の魔王から、ドロリとした漆黒の触手が放たれた。
それはクロエの構えた黄金のタヌキに触れた瞬間――ジュアァァァッ! という音を立てて、金貨三百枚の置物を一瞬にして『ドロドロの鉄屑の液体』へと融解させてしまった。
「あ……私の、タヌキ……」
呆然とするクロエの腹部に、漆黒の触手が容赦なく叩き込まれる。
「かはっ……!」
クロエの体がくの字に折れ曲がり、床をバウンドしながら吹き飛ばされた。
ポンコツとはいえ、圧倒的な身体能力を誇っていたレオンとクロエが、文字通り一瞬で、手も足も出ずに無力化されたのだ。
「う、嘘だろ……」
俺は絶望的な光景を前に、膝をガクガクと震わせていた。
格が違う。次元が違う。
神殿騎士団? 賞金稼ぎ? そんなものとは比較にならない、絶対的な『死』そのものが目の前にいる。
『……次ハ、貴様ダ』
真の魔王の無数の目が、俺に一斉に向けられた。
見えない重圧がさらに増し、俺の折れていた肋骨が「メキッ」と嫌な音を立てて完全に砕けた。
「ぐあああああぁぁぁぁっ!!」
激痛に耐えきれず、俺は床に這いつくばった。手から『アンチ・マジック・ダガー』が滑り落ち、カランと虚しい音を立てて転がっていく。
『無力ナ人間ヨ。貴様ラノ存在ナド、我ガ吐息一ツデ消シ飛ブ塵ニ過ギナイ』
真の魔王の中心にある紫色のコアが、不気味に明滅し始めた。
周囲の魔力が凄まじい勢いで収束していく。次に放たれるのは、間違いなくこの玉座の間ごと俺たちを蒸発させる、純粋な破壊の光だ。
(……ああ。終わった)
這いつくばったまま、俺は薄れゆく意識の中で死を覚悟した。
チート能力もなく、ただの一振りの短剣だけで生き延びてきた異世界生活。
よくやった方だ。あの神殿騎士団から逃げ延びて、魔界まで辿り着いたんだ。
俺はゆっくりと目を閉じた。
「……だ、いち……」
かすれた声が、耳に届いた。
目を開けると、壁にめり込んで全身の骨が折れているはずのレオンが、血まみれになりながらも、床を這ってこちらに向かってきていた。
「諦めるな……。俺たちは……奇跡の、三連星だろ……」
さらに視線を移す。
気絶していたはずのモグが、白目を剥いたまま、無意識に震える手で杖を構え、火花を散らそうとしている。
腰を抜かしていたザックは、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながらも、這いつくばって俺の落とした『ダガー』を拾おうと手を伸ばしていた。
クロエは倒れたまま、融解したタヌキの残骸を必死に握りしめ、立ち上がろうと足掻いている。
「お前ら……」
圧倒的な絶望。
どう考えても勝てるはずがない。物理法則も魔法も通じない、理不尽の化身。
なのに、このバカどもは。
この救いようのないポンコツどもは、誰一人として『諦める』という概念を持っていなかった。
『……不愉快ダ。ゴミハ、消エロ』
真の魔王のコアから、世界を終わらせる極太の破壊光線が放たれようとした、その刹那。
「……ダイチ!! 受け取れぇぇっ!!」
ザックが最後の力を振り絞り、俺のダガーをこちらへ向かって滑らせた。
床を滑ってきた鉄の塊を、俺は血まみれの手でガシッと掴み取った。
肋骨の激痛? そんなものは知るか。
どうせ死ぬなら、最後までツッコミを入れてから死んでやる!!
「ふざけるなァァァッ!!」
俺は気力だけで立ち上がり、ダガーを握りしめた。
頭が極限状態の中で異常なほど冴え渡る。
ヤツは魔法の塊だ。ならば、この『魔法を切り裂く』ダガーが通用するはず。だが、ヤツの本体はあの泥ではなく、中心にある『コア』。泥の層が厚すぎて、ダガーの刃がコアまで届かない。
どうする? どうすれば、あのコアにダガーを突き立てられる?
俺の視界の端に、玉座の陰でガタガタと震えている『魔王』の姿が映った。
その首元には、無駄に豪華な『転移の魔石』が輝いている。
――点と点が、線で繋がった。
これなら、いける。俺たちのアホみたいな連携なら!!
「お前ら! 最後の仕事だ、死んでも俺の指示通りに動けェェェッ!!」
俺の怒声が、玉座の間に響き渡った。
死にかけていたポンコツたちが、ビクッと体を震わせ、その目に最後の闘志を宿す。
「ザック! あの偽魔王の首から『転移の魔石』を引っぺがせ!」
「ア、アイアイサー!!」
ザックがネズミのような執念で床を這い、偽魔王の足元に滑り込んで首飾りの紐を力任せに引きちぎった。
「クロエ! その溶けたタヌキの残骸(鉛の塊)を、レオンに渡せ!」
「はい……! マスター!」
「レオン! いななけお前の筋肉ゥゥゥッ!! クロエから受け取った鉛の塊を、真の魔王の『顔面』に向かって全力で投げつけろ!」
「おうよォォッ! これが俺の、最後のォォォッ! 大暴れスタンプゥゥゥッ!!」
レオンが折れた両腕の痛みを気合で無視し、クロエから受け取った鉛の塊を、砲弾のような速度で真の魔王に向かってブン投げた。
『……無駄ダ』
真の魔王は避けることもせず、泥の表面で鉛の塊を受け止めた。
物理攻撃など通じない。鉛の塊は泥の中にズブズブと沈み込んでいく。
だが、それでいい。
俺が狙っていたのは『ダメージ』ではない。泥の内部に『物理的な異物』を混入させることだ。
「モグゥゥゥッ!! 今だ! お前のチャッカマン魔法を、ザックが持ってる『転移の魔石』に限界まで叩き込め!!」
「ヒィィッ! わ、我が右手に封じられし……ええい、大爆発しろぉぉぉっ!!」
白目を剥いたままのモグが、杖からありったけの魔力を放出した。
炎の魔法が、ザックの掲げた転移の魔石に直撃する。
本来、転移の魔石は『行きたい場所』を念じて魔力を流すものだ。しかし、そこに純粋な熱エネルギーを過剰に叩き込むとどうなるか。
魔石は暴走し、周囲の空間を無差別に『入れ替える』バグを引き起こす。
ピキィィィィンッ!!
空間が歪み。
俺の体が、強制的に『転移』させられた。
転移した先は――。
『ナ……ニ……!?』
真の魔王の、泥の体内。
レオンが投げ込んだ『鉛の塊』と、俺の『肉体』の座標が、暴走した魔石の力によって一瞬にして入れ替わったのだ!
「チェックメイトだ、理不尽野郎!!」
漆黒の泥の内部。
目の前には、無防備に脈打つ巨大な紫色のコア。
外からの攻撃は通じなくても、体内に直接転移してしまえば関係ない!
『オノレェェェェッ!!』
コアから凄まじい防壁魔法が展開されようとする。
だが、俺の右手に握られているのは、神の理すら切り裂く『アンチ・マジック・ダガー』だ。
「俺たちのポンコツを……なめるなァァァァッ!!」
俺は全身の力を振り絞り、ダガーをコアのど真ん中に深々と突き立てた。
――カァァァァァァァァァァンッ!!!!
世界から音が消えた。
魔法を完全無効化するダガーが、真の魔王の存在を維持するコアを物理的に粉砕した瞬間。
莫大な魔力が暴走し、真の魔王の泥の体が内側から光の亀裂に飲み込まれていく。
『バ、カナ……。我ガ……コンナ、吹キ溜マリノヨウナ人間ドモニ……』
「バーカ。お前が負けたのはな、俺たちが弱くて、馬鹿で、ポンコツだったからだよ」
俺がニヤリと笑うと、真の魔王は断末魔の叫びを上げながら、爆発的な閃光と共に完全に消滅した。
***
「……終わったぁぁぁぁっ!!」
魔王城、玉座の間。
真の魔王が消滅したことで重圧から解放された俺たちは、床に大の字になって歓喜の声を上げていた。
「すげぇ! すげぇぞダイチ! 俺たち、本当に魔王を倒しちまった!」
「ボク、もう一生魔法使わない……!」
「へへっ、魔王の消えた跡から、すっげぇデカい魔石拾ったぜ!」
「マスター……。私、タヌキを失いましたが、心は清々しいです」
ボロボロの四人が、俺を中心に集まってくる。
あちこち痛くて動けないが、不思議と気分は最高だった。
「お前ら、本当によくやった。今回は全員MVPだ」
「ふはは! 当然だ! これで俺たちも伝説の英雄だな! 国に帰れば王様から莫大な報奨金がもらえて、一生遊んで暮らせるぜ!」
レオンの言葉に、俺たち五人は夢を膨らませた。
そうだ。魔王を倒したんだ。神殿騎士団の手配書なんて、王室の権限でもみ消してもらえるはずだ。
美味い飯。ふかふかのベッド。安全な日常。
ついに、俺の苦労が報われる時が来たのだ。
「……あ、あのぉ」
玉座の陰から、ボロボロになった『偽魔王』が恐る恐る顔を出した。
「そ、その節は、真の魔王を倒していただき、誠にありがとうございました……。私からも、お礼をさせてください」
偽魔王はゴソゴソと懐から一枚の羊皮紙を取り出し、俺たちに差し出した。
「こ、これは魔界の王族にのみ伝わる『伝説の宝物庫』の権利書です! 中には金貨百万枚に相当するお宝が眠っております! どうか、これをお納めください!」
「「「金貨百万枚ッ!?」」」
俺たちの目が「$」のマークになった。
クロエに至ってはヨダレを垂らしている。
「もらう! 絶対もらう! どこだその宝物庫は!」
「は、はい! ここから北へ魔大陸を越え、灼熱の火山を三つ越えた先にある『絶対死のダンジョン』の最下層です! 権利書があれば扉は開きますので!」
「……え?」
俺の笑顔が引きつった。
「絶対死のダンジョン? 火山三つ?」
「はい! ちなみに道中には、先ほど倒されたゾルガスよりも強い『裏・四天王』がうようよしておりますが、皆様ほどの力があれば余裕でしょう!」
偽魔王が爽やかな笑顔で親指を立てる。
俺は、震える手でその権利書を受け取った。
「……おい、レオン。神殿騎士団が待ち構えてる人間界に帰るのと、この権利書持って火山のダンジョン行くの、どっちがいい?」
「決まってるだろ! 伝説の宝物庫だ! 俺の筋肉が冒険を求めているゥゥッ!」
「ボク、もう帰りたいよぉぉぉっ!」
「ヒャッハー! お宝の匂いがプンプンするぜぇ!」
「マスター。金貨百万枚あれば、あの『乗るだけで空を飛べる純金のペガサスの像(金貨一万枚)』が買えますね」
「まだ詐欺に引っかかる気かお前はァァァッ!!」
俺の絶叫が、魔王城に虚しく響き渡る。
どうやら、俺の異世界サバイバルは終わらないらしい。
最強の短剣と、どうしようもない四人のポンコツたち。
借金と筋肉と悲鳴にまみれた俺たちの旅は、まだまだ果てしなく続いていくのだった。
終わり
「…‥マスター。忘れてますよ」
4人は目を合わせ、微笑んだ。
「「「「俺たちの戦いはこれからだ!」」」」




