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「ディシネア嬢」
殿下に名前を呼ばれるの、久しぶりな気がする――なんてことを思いながら、わたしは優雅に進み出た。
この動きも、ゲーム内AIがサポートしてくれるのよ。もちろん、サポートを無視することもプレイヤーには許されてるけど、やっぱり役割を果たすって重要じゃない?
今回、わたしは令嬢らしい令嬢って設定で遊んでるわけだし。
「我々の婚約だが、解消させてもらえないだろうか」
はい来た!
……いや待って。解消? させてもらえないだろうか?
なんでそこで弱気?
「理由を伺っても?」
「ああ……君は僕には立派過ぎる」
……なんて?
わたしは殿下を見た。殿下は下を向いており、視線が合わない。
ていうか、なんでそんな……しょぼくれた感じなの……。
「ディシネア様は、素晴らしいおかたです」
なぜか聖女が両手を胸の前で組み、せつせつと語りはじめた。
曰く。
学園の試験期間中、成績が低迷している生徒たちを集めて勉強会を開き、自分の学びを後回しにしてまで、かれらを救った。
皮膚が爛れる奇病が流行した中、無知からくる患者への差別をしりぞけて、身を守るすべのない貧者を療養院で保護した。
学園に悪しき竜が出現したときは、混乱する生徒たちを叱咤激励、みずから先頭に立って討ち取った……などなど。
……ああ、うん。
まーね? そーね? イベントを美化して語ると、そんな感じになるわね?
ていうかこれ、断罪イベントじゃなかったの? わたしが聖女に嫌がらせをしたとか、いじめたとか、そういう話がされるもんだと思って覚悟してたのに、完全に斜め上からやられましたわ、完敗ですわ……なにこれ。
「あの……わたくし、当然のことをしただけですわ」
「それを当然と考えて実行する君が、素晴らしいんだ! 僕には……もったいない」
いや……わたしが優秀だと認めるなら、婚約続行してくれない? 理不尽過ぎない?
「そうです。ディシネア様のその尊いお心! 理想を語るにとどまらず、実現させてしまう行動力!」
聖女も乗っからないでくれない? マッチングしたんだから、同じルールでゲームやってくれない?
こんな誉め殺しみたいな……。
……ん? 誉め殺し?
もしかして、これが聖女の――kawai3697の作戦なの?
個人の実績は認められても、エルマン殿下の心は得られませんでしたっていうオチを、わたしに押しつけてるわけ?
試合で勝って勝負に負けるってやつ!?
「……それに引き換え、僕は駄目な王子だ。試験のときも、自分の成績しか考えない。病が流行したときは、対策どころか、ただ怯えて遠ざけるだけだった。その上、竜に襲われたときも、呆然として動けず……聖女リリアンが身を挺してかばってくれなければ、今頃は命もなかったかもしれない。しかも、僕はリリアンの犠牲に衝撃を受けるばかりで、なにもできなかった。竜と戦うことも……なにも、だ」
あーうん、そうね。テストについては、良い成績をおさめるために頑張るのは当然だし、責められるべきことじゃないと思うけど、それ以外はねー……。
聖女が療養院に来たときだって、殿下は反対しまくってたと聞いた。危険だからって。
竜については、すでに述べた通り。リリアンを抱いて叫んでただけで、なにもしてない。
あまり深く考えたことはなかったけど、こんなのが次代の王で、大丈夫なのか……この国。
いやでも自分の悪いところを冷静に認められるんだから、まだ見込みがある。えっと、殿下をお支えする覚悟はできておりますとか、そんな感じに持って行けばワンチャン――
「僕にできることといえば、リリアンに真心を尽くすことだけだ。よって……廃太子を願い出た」
――って。
は……廃太子ぃ?
待って、こんな展開、断罪劇テンプレにないでしょ!
斜め上過ぎて、ついて行けない。
「今後、僕は聖女リリアンの補佐をつとめる。リリアンは庶民の生まれで、貴族にかろんじられる場面も多い。そういうときには、僕が助けの手をさしのべることができると思う。だが、ディシネア嬢……君に、僕の助けはいらないだろう? 婚約などで僕に拘束されるべきではない。だから――解消しよう。君は、自由だ」
ぽかーん、である。
いやいやいや、そりゃないでしょ?
「殿下……、殿下は唯一の王子殿下でいらっしゃるではありませんか!」
そうなのだ。殿下は、ひとりっ子なのである。
かるがるしく廃太子だなんて主張されても困るだろ! 周りが!
「直系の王族だけが王位を継ぐべきでもあるまい。すぐに、次の者が立太子されるであろう。では、ディシネア嬢」
「殿下……!」
「長きに亘り、僕のような不出来な男の婚約者をつとめさせてしまったことを詫びたい。さっきもいったように、君は立派だ。皆の上に立つべきだ。これからの人生が、君にとって幸せなものであるように祈っている」
そこで王子はようやくわたしを見て、微笑んだ。
……待て待て待て、なんだか良い話風にまとめてるけど、結局、わたしは婚約解消? されたのね?
しかも、ザマァ返しすら封じられてない? 姑息に集めた情報がいくらかあるんだけど……殿下と聖女が授業サボって街に遊びに行ってたとか……そういう小ネタ過ぎて持ち出しづらいのがね!
「さぁ皆、今日は卒業の祝いだ。学生の身分から、社会に飛びたつための宴だ。僕が王太子として主催する、最後の宴席でもある――大いに楽しんでくれ」
はーい、わかりましたー! ……なんて、いえるわけない。
でもまぁ、AIのモブ生徒たちは納得したらしく、楽団の演奏にあわせて踊りはじめた。
王子と聖女も、さっそく踊ってるよね……もう、ふたりでみつめあって、ラッブラブだよ。ラッブラブ!
……はぁ。
「ディシネア嬢」
「あら、き……ウィリアム様」
もうちょっとで筋肉呼びしてしまうところだった。気が抜けててな……。
まさか、ここからの挽回チャンス? 実は君が好きだったとか?
……いや、ないな。ないわー。接点なかったし!
そもそも筋肉に急にアプローチされても、トキメキがゼロだよ……聖女の犬になってた場面をさんざん見たからなぁ。
「今日の君は、とても綺麗だね」
嫌味か。……まぁ? このアバターは実際、美人ではあるんだけど。
「婚約を解消されたばかりですけれど……ところで、ウィリアム様はよろしいんですの?」
「なにが?」
「リリアン様が、殿下のものになってしまわれても」
「俺は聖女の護衛騎士に内定しているんだ。ウィリアム様とリリアン様の両方にお仕えすることができて、幸せだよ」
無理をしている風ではない……筋肉のメンタル、素朴過ぎて恋愛という感情がないのでは?
「独占欲みたいなものは、ないの?」
「おふたりを独占してるだろう? 護衛は俺ひとりで十分、とのお言葉を賜っているしな!」
「そ、そう……」
あなたはそれで納得しているの? ――と。もう一回、尋ねかけてやめた。
こいつはAIである。それらしくゲームのシナリオをまとめるため、それらしい言動をしているだけだ。もともと、恋情なんて存在しないのだ。
「ウィリアム、話は済みましたか?」
「ああ、ただの挨拶だ。では――主席でのご卒業、おめでとうございます」
真面目に一礼して、筋肉は立ち去った。
代わりに出現したのは、ラルフだ。
ちなみに、主席とったのもラルフなので、ウィリアムの挨拶はラルフへ向けたものなのよね。
でもねぇ……わたしはもう、こいつの成績は信じない。教員の力で成績を上げてるという、嫌なカラクリを知ってしまったからな……。
「卒業おめでとう、ディシネア嬢」
「あなたもね」
「一曲、踊っていただけますか?」
手を差し出されたら、拒みづらい。
しかたなく、わたしはラルフの手をとった。
ラルフのエスコートは堂々としたもので、ダンスもうまい。なんだか流れるように踊れてしまう。
ずいぶん親しくなったつもりでいたけれど、ここまで近寄るのは、はじめてだ。うっとりと微笑まれると、わたしも笑みを返さざるを得ない……。
妙に気詰まりになったわたしは、減らず口を叩くことにした。
「……わたくし、婚約解消されてしまったのだけど。悪いようにはしないと、おっしゃってませんでした?」
「あの君主向きではない男が王太子を下りた。これは朗報だと思いませんか?」
そこぉ!? それなんか違わない? それじゃないでしょ、それじゃ!
「……それは、わたしにとって良いことかしら?」
「君の才能が、あの無能を支えるために浪費されないのは、良いことでしょう。このまま、次の王太子と婚約すればいい」
「そんな乱暴な。それに……次の王太子って?」
「知りませんか?」
「知らないわ」
正直にいって、次の王太子が誰でもあんまり関係ないけど。
だって、ゲームはここで終わるのだ。
わたしは婚約解消エンドを迎えたわけで……断罪はされなかったけど、全然スッキリしないじゃん。もう負け負けの気分じゃん!
やさぐれていたのが、つづくラルフの発言でふっとんだ。
「俺ですよ」
「……はい?」
「俺です。俺の父は先王の末の弟で――先王とは年齢差が十六くらいあるので、現王とあまり年齢が変わらないんですよね」
そんな設定あったっけ? たしかに……幼馴染で親戚……親戚って、王族って意味だったか!
足が止まりかけたわたしを支えて、ラルフが回転をかける。わたしたちは一緒にくるりと回った。
視界に映るすべてが幻のように流れ去り、ラルフだけが確実に、実在しているように見える。
「ですから、あなたは俺と婚約するんですよ」
「冗談でしょう?」
「俺の父は王位を継ぐには年齢が行ってますからね。俺が立太子されるのは、既定路線です。王太子の元婚約者と婚約するのもね」
「そうと決まったわけじゃないでしょう?」
「決まりですよ。あなたは王家に嫁するにふさわしい行動をとりつづけた。さっき、あいつが並べ立てたような」
だっ……だって! だってそれは!
「すべて、あなたの指図じゃない」
「そうですよ。ですが考えてもご覧なさい。指図されたからと、誰もがそれを実現できますか? そんなことはない。あなただから、できたんです」
「でも……だって……」
ラルフは腹黒い方の笑顔でわたしを見下ろす。
「逃がしませんよ、ディシネア。俺を好きになってください」
「あ……あなたはどうなの?」
「どう、とは?」
「わたくしのこと、……好、き……なの?」
ラルフは笑みを深くすると、わたしの耳に口を寄せてささやいた。
「もちろん。でなければ、こんなことはしませんよ」
「こんなこと……」
「つまり、あなたが僕の妃におさまるよう策を練ったり、根回しをしたり――まぁ、いろいろと」
「いろいろ……」
「ええ、いろいろと。これからもね」
気がつけば、わたしは真っ赤になっていた。すごいなVR。ちゃんと顔が熱い。
「……わたくしの感情は、無視なさるの?」
「ですから、好きになってもらえるよう努力します。好きになってくださいね?」
踊りながら、わたしたちは移動して。気づくと広間の端に――これどう考えてもラルフが誘導したんだろうけど、外のバルコニーに出られる位置にいた。
ホールドをといたラルフは、それでもわたしの手だけは握ったまま外へと誘って。
薄暗い中に楽団の音楽がせつなく鳴り響き、視線がかさなり、そのまま、くちびるも――。
ややあって、ラルフは腕の中にいるわたしに尋ねた。
「もう好きになりました?」
「……そ……そんな簡単なことじゃないわ」
「難しいですか? いいですよ、難しい問題を解くのは、やる気が出ますからね」
ー FIN ー
「……ラルフ、キャラ変し過ぎだろぉー!」
次の周回では王子を狙おうと思っていたわたしだが、待って。
ねぇ待って、ラルフいいじゃん! もう一回、今度は胸キュン・ポイントを探しながらプレイしたい!
メニュー画面を開こうとしたら、ピョン♪ と音がした。
――kawai3697からフレンド申請が届いています。
……ああ、ゲーム中に対応できなかったから、クリアしたとこで思いださせてくれたのか。
聖女リリアンは、あのまま殿下とゴールイン……だよな?
ゲームクリアの勢いにまかせて、わたしはkawai3697のフレンド申請を許可した――とたん、すぐにメッセージが届いた。
『ディシネア様、フレありがとう! お疲れさまでしたー! 早速ですが、ラルフどうでした? 口説き文句とか知りたい〜!』
わたしもすぐ返信する。
『お疲れでした! わたしも殿下とリリアンの萌えエピ知りたいです!』
『いやー、殿下もウィリアムも素直で、あんまり捻りはなかったです。それよりラルフですよね、ディシネア様のラルフ強かったー!』
ディシネア様のラルフ、て。
『思った以上に暗躍するタイプでした……』
『ですよねぇ。こっちに共謀を持ちかけてくるまでとは思ってもいなかったです』
は?
『共謀って?』
『あ、ご存じなかったですね。ラルフ、殿下はくれてやるからディシネア様とのことも協力しろって……王太子のままだと聖女との婚約はハードルが高いから、廃太子路線を狙おうって提案してきたんです』
いや待て。
『じゃあ、リリアン様がやたらと褒めてきたのって……』
『そうそう。ラルフの指示です。でも、実際、ディシネア様かっこよかったですー。攻略キャラだったら、狙いたいくらいですよ! 竜と戦ってるときとか、ほんっと、このゲームいちばんのキュンが来ましたもん……』
いや待て待て。これ、わたしがラルフを攻略したというより、わたしがラルフに攻略されてない?
くそぅ、次は……次こそは! ちゃんと、わたしが攻略してやる!
『わたしにキュンは……ありがとう? ねぇ、チャット終了の時間、あらかじめ決めていい? まだゲームプレイもしたくて』
『もちろんです。βテストの時間は有限ですからね! さすがディシネア様、チャットがだらだら時間食うのをわかってらっしゃる! オッケーです、今は次の周で効率よく進めるための情報交換と割り切って……あと三十分かな。β終わったら、あらためて感想戦したいです』
「いいですね……っと」
そういうわけで、わたしは戦友という名のゲーム友だちをゲットしたのである。
なんで? と思わなくもないけど、まぁいいじゃん!
心ゆくまでβテストの話もできるしね!
なお。
次の周でまたkawai3697とマッチングし、今度は真正面からラルフを争うことになるとは、このときは想像もしていなかったのである……。
お読みくださり、ありがとうございました。