「異種族交流(デート) その1」
その日はとても晴れていて、まさにお買い物日和という青空だった。
俺とセイラは、最寄駅から電車で二十分程度の少し大きな駅に来ていた。
この駅の付近はもともと住宅街しかなく、二つの路線が交差している少し大きい程度の駅だった。
しかし十年ほど前に、駅とショッピングモールが融合した大きな商業施設が建設されたことで、今では洋服や家具はもちろん、カフェやレストラン、ゲームセンター、映画館などを内包する巨大なテーマパークのようになっている。
休日であれば、広場にはクレープ屋の車がやってきて、そのそばでは大道芸人がマジックやジャグリングといったショーを開催している、といった具合である。
セイラが服を買いに行きたい、と言ってから四日間、どこに行けば良いのかもわからない俺は、姿が見えないのをいいことに、クラスの女子の会話を聞いてリサーチしたり、隙を見て妹にメールで質問したりして情報を集めていた。
……しかし改めて、誰にも気づかれずに接近できるというのはとても危険な力である。ましてや、それが思春期の男子学生の手に渡ったとなれば何をするかわかったものではない。
だが俺の場合には幸いにして——いや、不幸にしてと言うべきか——、終始セイラの動きを監視しておかなくてはならない環境にあったため、愚かな行為に走ることはなかったし、これからもないだろう。
ともあれ、俺の懸命なリサーチの結果、ファッション関係ならこの駅、という結論に至ったのである。
しかし、駅を降りてすぐに俺は後悔することになった。
「わー⁉︎ なにここ〜⁉︎ ドヒャー」
改札を出るなり、たくさんの愉快な建物を見たセイラが走り出す。
すると当然、周囲は大声を出しながら駆けていく少女に注目する。
今日に限ってはセイラはセイラの姿として周囲から認識されているため、俺自身に被害はない。
しかし、だからといって勝手にどこかへ行かれるのは困る。
「おい待て!」
俺の呼びかけも虚しく、彼女は止まることなく走り続ける。
俺は仕方なく、走って彼女を追いかけた。
「ハアハア、ようやく追いついたぞ……」
「ねえマサ、これは何? ピッ」
ようやく追いついたというタイミングで、セイラは目の前を指差して尋ねてきた。
彼女の目の前には映画の上映情報が書いてあるボードがあり、その大部分を最近ヒットしているハリウッド映画のポスターが占めていた。
CGフル活用の、ド派手なアクションムービーらしい。
「……これは映画のポスター。ほら、あそこの映画館でやってるやつだよ」
俺は遠くに見える映画館の建物を指差しながら説明する。
「映画⁉︎ 映画ってなに⁉︎ キラキラ」
……一流の映画監督や脚本家に聞いたなら、いくらでも哲学的な答えが返ってきそうな質問だ。
「……そうだな。暗い大きな部屋で、おっきな画面に映る映像を見るんだ。大迫力の映像と音が流れて、皆でそこに流れる物語を楽しむんだよ」
俺はとりあえず、映画館という体験にフォーカスした説明を映画を知らない彼女にした。
「なにそれ⁉︎ おもしろそう! ワクワク」
「まあ確かに、面白いぞ」
俺の説明をセイラは気に入ってくれたようだ、よかった。
……いや、よくないのでは?
気づいた頃には時すでに遅し、セイラが次の言葉を発する。
「行きたい行きたい! 観たい! 連れてって! キラキラ」
——ほらやっぱり……。
彼女は目をキラキラと輝かせてそう言った。その指は、先程のポスターに向けられている。
「……映画か、最近行ってないしな。まあいい、行ってみるか」
ごねたところで無駄なのだ。彼女が知りたい、と言ったらもう止めることはできない。そのことは、この一週間程度の期間で身に染みてわかっている。
「やったぁ! ワーイ」
彼女が無邪気な笑顔を浮かべる。
さすが妖精というべきなのか、その笑顔はあまりにも可愛らしい。
ふと冷静になると、休日に二人でショッピングなど学生カップルの休日デートのそれだ。
突如として俺の身体に動揺が走る。
俺はそれを誤魔化すように口を開いた。
「じゃ、じゃあ先にチケット買いに行くか! 買い物はその後でいいだろ」
「わかった! ついてく!」
突如としてチンパンジー級になってしまった自分の脳に喝を入れるように、俺は両手で頬を叩いた。
「……しっかりしろ」
* * *
休日ということもあってか、映画館はかなり賑わっていた。
俺はセイラに券売機の列を指差し、そこに並んでもらった——俺が並んでも意味ないからな。
「……お前、文字は読めるんだっけ?」
「読めないよ? どうして? ポヨン」
「いや、この映画は字幕版と吹き替え版があってな、吹き替え版だと上映時間が遅いんだよ。どっちにしようかと思ってな。」
字幕版では、英語も分からなければ日本語も読めないセイラに、何も分からない時間を提供することになってしまう。
「んー、よく分からないからマサに任せる!」
「……わかった」
俺は結局、少し待たなければならない吹き替え版の席を二席分購入した。
違う映画にする手もあったが、ここで下手に違う映画にしたら、どんな行動に出るかわかったもんじゃない……。
「中に入ったら、妖精モードで姿と声を消して見ることにしよう。」
そうでなくては他の人の迷惑になりかねん。
というかそもそも、この力があればお金を払わずにスクリーンまで辿り着けるだろう。しかしさすがにそれは気が引けるし、観るならやはり良い席を確保して観たいものだ。
「わかった! ワクワク」
……終始ワクワクしてるなコイツは。
「……じゃあ結構時間あるし、本命の買い物にでも行きますか」
そう言って映画館を出ようとしたその時、何かが左腕に巻きついた。
「なっ!」
目をやると、至近距離でセイラと目が合う。普段は離れて横にいる彼女が、今は俺が見下ろすほど近くに密着して立っていた。
俺の左腕はその両腕にがっしりと抱きしめられ、肘あたりからは、セイラの胸の柔らかさが伝わってくる。
要するに今、俺の左腕に彼女が抱きついているのである。さながら恋人が腕を組んで歩くときのように。
「な、な、何を⁉︎」
俺の全身に、今まで人生で感じたことのないタイプの動揺が走る。
「あれ! あの人たちの真似。ピッ」
彼女が指差す方向に目をやると、映画を観に来たであろうカップルらしき男女が、腕を組んで歩いていた。
「ここ、あのポーズの人たちが沢山いるから、何か意味があるのかなって思って……。真似してみた! エヘヘ」
「……ああ、そういうことね……」
俺はホッと胸を撫で下ろすように、同時に少し残念がるように、フーっと息を吐いた。
いや、今もくっついていることを考えると残念がる要素は無いのだが。
「どう? どんな感じ? へへー」
「……お前な、これは不用意にやる行為じゃないんだよ。これは、恋人とか夫婦とか、好きな人同士とか愛し合ってる者同士がやることなの!」
そう言うと俺は彼女の手を引き剥がす。
……さらば、愛しの温もり。
「えー、ケチー‼︎ ブー」
「だからそういう問題じゃないんだって……」
彼女は拗ねたように後ろを向くと、そのままスタスタと映画館の外へ進んでいってしまった。
「……やれやれ。」
俺は渋々彼女の後を追いかけた。
* * *
所々に立ち並ぶマネキン人形。ハンガーで吊るされているトップス類。高いトーンで「いらっしゃいませぇ〜」と声を出す店員。壁や照明、ちょっとした置物などが独自の基準で統一されており、店全体が何かのコンセプトを持っているように見える。
ここは、いわゆる大型チェーン店ではない、少しこだわりのある人が訪れそうなおしゃれな店舗である。
セイラは、そんな店内を見回して目を輝かせていた。
「わあ……! ワオ」
「どうだ? これが服屋だ」
俺は得意げにそう言った。
懸命なリサーチの甲斐あってか、珍しくセイラが飛び跳ねずに見惚れている。
どうやら相当気に入ってもらえたようだ……。
「いらっしゃいませ〜」
立ち尽くすセイラに、女性店員が近づいてくる。
会話をさせると色々と面倒だ。
俺はすかさずセイラに声をかける。
「よし! とりあえずあっちの方でも見に行ってみるか!」
「マサ、すごいね……。すっごく綺麗……。ウハー」
俺の言葉を遮るように、彼女が感嘆の声を漏らす。
その目はキラキラと輝いていて、その輝きに水を差すのはおこがましいと思えた。
「……妖精のセンスにもハマったようで何よりだ」
俺は余計なことをやめて、彼女の好きにさせることにした。
「いらっしゃいませ、何かお探しですか? よろしければご試着なども是非!」
すぐに、若めの女性店員が笑顔で声をかけてくる。
「……マサ、ごしちゃくって何? コテン」
「ここにある服を、試しに一度着てみることだよ。サイズが違ったりしたら困るからな」
「え! 着ていいの⁉︎ ガビーン」
彼女が大声を出すと、さすがの店員さんも少し驚いたようだった。
そんなことはお構いなしに、彼女はピューンとワンピースのコーナーへ走り出していった。
……やっぱり、多少抑制した方が良かったか?
「ごゆっくりどうぞ」
セイラをフィッティングルームへと通すと、店員さんは側を離れた。
セイラの腕には、先ほど選んだいくつかの服が抱えられている。
「わーい! ここで着替えればいいんだね⁉︎ すっぽんっぽんだ! アハハ」
「お前、頼むから小さな声で喋ってくれ……」
俺はカーテンの前で待ちながら、彼女に忠告した。
……まあ幸いにも、試着室はかなり奥まったスペースにあり、近くに人は誰もいないためそこまで心配しなくても良さそうだが。
「大丈夫だよ! 今は一旦能力を解いてて、認識されないようになってるから! ヘヘーン」
「そうか、それなら安心だな……」
ホッとしたタイミングで、俺に一つの疑問が浮かんだ。
「……お前、いつもその服だよな。着替えたりしないのか?」
考えてみれば、セイラが違う服をきているところなど見たことがない。というか、着替えているところを見たことがない。
身体を洗うという概念こそあれど、風呂という概念はなく、ウチで初めて浴槽に使った時には温かいお湯に大興奮だった——もちろん俺は自室で待機していたので、部屋に戻ってきた時のリアクションの話をしているのだが。
とにかくその時でさえ、入浴の前後で服装は変わっていなかった。洗濯もしていないようである。
それでも彼女の服に汚れているところを見たことがないし、彼女からはいつも花のような甘い匂いがするから不思議なのだ。
「妖精の服は特別だからね、他には持たないの! エッヘン」
「特別ね……」
なにか特殊な力があったりするのだろうか?
だが長くなると面倒くさいので、それ以上は聞かないことにした。
「……ところでマサ、ぜーったいそこ、開けちゃだめだよ⁉︎」
妙にオドオドした、緊張したような声で彼女が言う。
「……開けねーよ」
なんだ? つるの恩返しか?
「私今、すっぽんぽんなんだからね! 妖精の裸は、赤ちゃん作る時しか見ちゃいけないんだから‼︎」
「——ブーッ‼︎」
俺は思わず息を吹き出し、そのまま咳込む。
「おまっ、急になにを⁉︎」
「あれ? 伝わらなかった? 妖精の女の子が男の子に裸を見せていいのは、赤ちゃん作るときだけっていう話をしようと……」
「——わかった! わかったからストップストーップ‼︎」
俺は誰に見られるわけでもないのに大きく手を振って彼女の言葉を制した。
「……何と言うか、妖精さんでもそういうことをおっしゃるのですね……」
なぜに敬語?
「なんか喋り方変だよ?」
……言われてしまった。
「気にすんな……。しかしあれだ! それについては、人間も同じような感覚だぞ? 人間も、不用意に異性に対して自分の裸を見せたりしない。妖精との共通点もあるんだな」
俺はできる限り冷静なトーンで、人間のこと教えてあげてますよアピールをする。
「私が今日まで見てきた感じだと、愛情表現の方法とかは人間と妖精でとくに大差ないみたい。愛は種族の壁を越えるんだね……」
「……よく言うぜ」
ついさっきカップルの真似を平気でしてきたくせに。あれも一種の愛情表現だとわかっていなかっただろ。
思いがけず先程のセイラの感触が思い出され、俺は首をふる。
——ザッ!
突如カーテンがあき、着替えを終えたセイラが姿を見せる。
「お待たせ! パパーン」
「おお……!」
彼女は薄い青色のワンピースを身に纏い、これみよがしにこちらを見つめてくる。
膝のあたりで途切れた裾、七部丈の袖、袖と裾それぞれに添えられたヒラヒラしたフリル。それらが彼女の妖精らしい透き通るような肌と、引き締まったボディラインをより引き立たせている。
それはもはや可愛いを超え、綺麗とすら言えるほどに似合っていた。
「どう? クルン」
彼女は身体を一回転させてみせる。
「……い、良いな。すごく似合ってる」
俺はかろうじて、無難な言葉を絞り出す。
「やったぁ! エヘヘ」
だが彼女は俺のそんな返事を気に入ってくれたようだ。
「……あれ、なんでそんな離れてるの? チラッ」
不思議そうに彼女が聞いてくる。
実はセイラが着替えている間、その衣擦れの音で思わず変な気持ちになったので距離をとったのだが、そんなことを言えるはずもない。
一応言わせてもらうが、俺だって立派な思春期高校生なのだ。
「いや、なんとなく……、な」
「えー! もっと近くで見てよ! エイッ」
「——え⁉︎ お、おい!」
彼女は俺の手を取ると、そのままグイと試着室の中まで引き寄せた。
「えへへ、どう? パパーン」
人ひとり分の広さの試着室に、二人が向かい合って立っている。
すぐそばには彼女の細い体と、大きく澄んだ瞳がある。
彼女は服を見ろ、と胸を張ってくるが、それによって強調されるのは服ばかりではない……。
妖精の中ではこの距離感は普通なのか? 妖精は、服着てりゃなんでもオッケーなのか?
俺は心の中で全妖精に対して物議を醸す。
「なんか言ってよ! ンッ」
「あ……!」
彼女にコメントを要求されるが、頭の中をあらぬ思考が交錯していたためすぐに気の利いた言葉が出てこない。
「……意外と、大きいな」
「え、そう? ピッタリだと思うけどなぁ〜? ウーン」
彼女は怪訝そうな顔で服のウエストや首元を引っ張る。
あ――――馬鹿――――‼︎
「いや、すごくよく似合ってる! めちゃくちゃ可愛いし綺麗だと思う!」
「え……?」
「あ……」
俺は焦って、思ったことをそのまま言葉にしてしまう。
いやだって、首元とか引っ張ったら、胸元とか見えそうになるじゃないですか! それで焦って、それで……。
彼女は少し意外そうに、なんだか照れたような表情をしていた。
が、すぐに表情を満面の笑みに戻し、
「ほんと? やった! ワーイ」
と言って飛び跳ねた。
「じゃあまた少し待ってて! 他のも着てみる! フフンフーン」
そう言うと彼女は俺を追い出しカーテンを閉めた。
彼女の姿が見えなくなると、俺は後ろの壁に寄り掛かりそのまましゃがみ込んだ。
「……心臓に悪い」
そのまま俺と彼女は、こんな心臓に悪いやりとりを何度も行った。
二時間後だった映画の上映時間は、すぐに訪れた。