第32話 幼き日のミレーヌと襲撃者前編
そしてミレーヌは男の怒鳴り声で目を覚ますことになる。
「ここにミレーヌ・アリアルスがいるという情報を受けてきた。彼女には我がギルドの機密情報を漏洩させてた、という疑いがかかっている。大人しくミレーヌ・アリアルスの身柄を渡してもらうか」
「邪魔する奴は容赦しねぇ……!」
ミレーヌに聞き覚えのある声が届き、眠りの世界から瞬時に覚醒する。見開かれたミレーヌの瞳には赤みを帯びた夕焼け色の日差しが差し込み、自分を捕まえようと追いかけてきたと思われる二人の男の姿が映った。ギルドに入って来たばかりの男達は、すぐに一番奥のギルドカウンターの前に寝ていたミレーヌの姿を見つけるとその足を前に進める。しかし、その行く手を阻むように。
「ちょっとどういうことなのか、私達にも分かるように説明してもらってもいいかい?」
────熟年の受付嬢とギルド内で屯していた冒険者達が立ちふさがった。
「どうもこうもない、ギルドにとって機密情報が漏洩するということは、競争相手に背中を晒していつでも刺してくださいと言っているようなものだ。そんな酷いことをする悪い子にはお仕置きをするのが当然というものだろう? まぁ、田舎ギルドには分からない話かも知れないがな」
二人組の背の高い方の男は相手を馬鹿にしたような口調で説明しながらも、その目は不審者の来訪をギルドマスターに伝えるために二階へ上ろうとしているギルドの職員や危険な気配を察知して逃げ出そうとしている冒険者へと向けられている。背の低い方の男は目の前の邪魔者を見据えながら腰を落とし、すぐにでも飛びかかりそうな気配を漂わせた。
「田舎で悪かったねぇ、それでもこんなむさ苦しい男しかいないようなギルドでも私は気に入ってるんだよ。こんな幼い女の子を血走ったような目つきで追いかけ回すようなストーカーギルドなんか後ろから刺されちまった方が世間様も安心するってもんじゃないかい? 見てみな、こんな目を丸くさせちまって……私には人殺しを見てしまって驚いている女の子の姿っていうのがしっくりくるんだけどねぇ」
熟年の受付嬢が目線を男達に向けたままそう言った瞬間、空気が変わった。二人の男は表情を動かさずに気配だけを変化させた。威圧するだけだった気配を殺気を含んだものへと変貌させる。
熟年の受付嬢は目を逸らしたくなる気持ちに駆られるもそれに耐えるように唇を噛みしめた。明らかな格上から向けられる殺気に、何もしていないにも関わらず、嫌な汗が冒険者達の背中を流れ落ちる。布団で横になっていたミレーヌもすぐに動けるようにその身を起こすと身構える。
一触即発、息の詰まる緊迫した空気が漂う中、それを破るように背の高い男が口を開いた。
「人殺し呼ばわりとは人聞きが悪いな、それは些か言葉が過ぎるのではないか? そういったことは本人に聞こえないようにするべきだろう。たかがDランクギルド風情が調子に乗りすぎだな」
「───っ!!?」
これが詠唱だと気付けるような人はこの場にいなかった。男が話し終えた瞬間、一切の音が消失した。ギルド内から逃げ遅れた冒険者達の騒ぎ声も職員が階段を駆け上がる音もミレーヌと侵入者の間にいるミレーヌちゃんを見守る会の呼吸音もギルドの外から聞こえてくるはずの雑多な生活音すら聞こえない。
ギルドにいる誰もが音として認識出来ない自身の声に困惑するように口をパクパクとさせていた。そしてその隙を逃がす侵入者達ではない。元よりあの詠唱はこういった隙を作ることも狙いの一つだろう。
「そこで待っていろ」
「っ!」
背の高い男は次の魔法を唱え、背の低い男は走り出すといつの間に持っていたのか、身の丈に合わない長剣の切っ先を相手へと向ける。
どうやら侵入者二人の発する音だけは聞こえるようだ。
あれが不意を突くための詠唱であれば、次は鎮圧する魔法か、動きを縛る魔法が来る!
ミレーヌの近くにいた魔法使いは、突然の無音現象に驚くも男の詠唱らしき声か聞こえた瞬間走り出すと、ミレーヌの腕を掴んで引っ張り、そのまま熟年の受付嬢へと引き渡す。走った勢いを殺せず、そのままミレーヌと場所を入れ替わった魔法使いは何とか間に合ったことに安堵の表情を浮かべた。
侵入者達の狙いはミレーヌ、その実力は自分達と比べて遥かに高見にあるからこそ、次の一手はミレーヌを狙うものだと予想したのだ。そして予想が正しかったことを魔法使いがその身で証明することになった。
詠唱が終わった瞬間、ミレーヌが先程までいた場所に風で構成された三つの輪が生成され、対象捕らえようとその円を狭める。小柄なミレーヌ用に使われたその魔法は本来の大きさ以上の獲物に対して容赦なく強く締め上げると身体が変形するほどに輪を食い込ませた。
「ちっ」
背の高い男は一回で捕らえられなかったことに苛立ちを覚えるが、魔法使いが意識を失うまできっちり締め落としてから魔法を解除した。その間に背の低い男は一番手前にいた二人の冒険者を潰していた。
背の高い男が魔法使いを締めている間に前に進んでいた背の低い男は長剣を大きく振りかぶると、混乱しているせいで反応が間に合っていない先頭にいた冒険者を剣の腹で殴り飛ばした。辛うじて剣との衝突前に魔力の膜を張った冒険者だったが、それは何の意味もなさず、骨を砕かれる感覚と共にギルドの壁に頭から突っ込んだ。背の低い男は飛んでいった冒険者には目もくれず、すぐ近くにいたもう一人の冒険者へと足を進めると先程と同じ様に長剣を振りかぶり、今度は逆側の壁へと殴り飛ばそうとする。
次に狙われることが分かった戦士風の冒険者は、腰を低く落とすと体の半分は隠れる大きさの鉄製の盾をしっかりと構えた。
瞬間、音が聞こえていれば村の隅々にまで響き渡っていたと思われるほどの衝撃が戦士風の冒険者を襲った。策も小細工も必要ないと言わんばかりに、真正面からただ愚直に振るわれた長剣は、その形を刻むかのように鉄製の盾を陥没させ、それを支える腕をまるで木の枝でも折るかのように軽くへし折ると、大した重さがないと言わんばかりに冒険者を吹き飛ばし、ギルドの壁にめり込ませた。
たった数秒の間に三人の冒険者がやられてしまった。このギルドにいる冒険者達との実力差は明らかであった。羊が狼に勝てないのは道理である。けれど、そんなことは分かっているはずなのに彼らの目に諦めの色はなく、退こうという気配を感じさせない。
「ちっ、手間のかかる……そこで待っていろ」
その様子を見た背の高い男は舌打ちをすると再び三つの風の輪を生成し、ミレーヌを捕まえようとするが熟年の受付嬢によって魔法の射程外に逃がされる。
相手を殺さないように気をつけているため強い魔法は使えない。避けられるだろうなと思っていた背の高い男は、勝算でもあるのか諦めようとしない彼らを見て、手間が増えたと面倒臭そうな表情を浮かべた。
Bランク冒険者である侵入者二人からしたらDランクギルドに所属しているような低ランク冒険者など取るに足らない雑魚に他ならない。それでも万全を期すため念入りに下調べを行い、ミレーヌ捕獲の障害になりそうなものがないことを確認した。そのため予定通りこのギルドにはDランク以下の冒険者しかいないことは分かっていたが、時間が経つほどイレギュラーが起きる可能性は上がっていくというもの。侵入者達はミレーヌに逃げられないように気をつけつつ先に他の冒険者を片付ける方向にした。
「……作戦をプランBに移行する」
「了解だ」
その言葉を合図に侵入者達の動きが変わる。背の低い男は先程と同じ様に次々と冒険者を殴り飛ばしていく、背の高い男も魔法の標的をミレーヌから他の冒険者に移すと風の魔法で吹き飛ばす。殲滅速度が上がり瞬く間に同志達が数を減らしていく。
ミレーヌは自身から矛先が逸れた安堵感からその場にへたり込みそうになるが、熟年の受付嬢に支えられて転倒を免れる。風邪による熱と襲われているという緊張感で意識が朦朧とする中、その視界にはミレーヌを守るためにその身を投げ出す冒険者達の姿が映った。
ミレーヌちゃんを見守る会、それはまだ幼いというのに毎日健気にクエストをこなしているミレーヌをそっと見守っている集まりである。幼い女の子がたった一人で冒険者として生活している姿は誰の目から見ても訳ありだと察せるもので、理由を尋ねても頑なに口を開こうとしない彼女を陰からそっと手助けするために集まった冒険者達だ。時には後輩冒険者を厳しく指導する先輩冒険者として、時には娘を優しく見守る父親のように、時には落ち着きのない挙動不審な変質者のようにミレーヌを見守っていた。
そんなことは知らないミレーヌだったが、見るからに厄介事を抱えていそうな自分にも気さくに声をかけてくれた人達が、為すすべもなく倒されていく姿に自分の心が軋むような感覚を覚えた。
重心の置き方がなっていない、と教えてくれた戦士のおじさんが身体をくの字に曲げて吹き飛ばされたままピクリとも動かない。ミレーヌちゃんはそのうち魔法を使えるようになると思うよ、と魔力の感じ方を説いてくれた魔法使いのお兄さんが全身を切り刻まれ、血を流しながら首から下を天井から生やしている。短剣を使うなら小手先も重要だがそれを生かす足捌きも忘れちゃなんねぇ、とミレーヌを追い回した人相の悪い盗賊は床板を突き破るように埋められ白目を剥いている。
自分の所属しているギルドから逃げ出して、隠れるようにいくつかの村や街を転々としていたミレーヌ。そんなある日訪れたこの村の冒険者ギルドは、ミレーヌにはとても暖かく感じられた。誰が見ても事情があると分かるミレーヌを嫌な顔一つせず受け入れてくれた。幼いミレーヌにも依頼を回してくれて、無愛想な態度にも目くじらを立てずに笑顔で応えてくれた。ミレーヌとフィオが無断で寝泊まりしていた家畜小屋の持ち主も二人を見つけたときはギョッとした顔を浮かべたものの誰かに伝えることもせず見逃してくれている。みんなとても優しかった。それはミレーヌが今まで感じたことのない暖かさだった。
だからこそどこか油断していたのかも知れない……。フィオが風邪を引いてしまった。元々身体が弱かったフィオの症状はすぐに重くなり、身動きがとれなくなった。ミレーヌは薬代を賄うためにもたくさんの依頼をこなすしかなかった。薬のおかげでフィオの症状は軽くなったが冬の寒さのせいかなかなか完治には至らなかった。無理にフィオを動かして風邪がぶり返したら死んでしまうかもしれない。だから、そろそろこの村を離れないと追っ手に見つかる可能性が高いことが分かっていても動くことが出来なかった。もう少しこの村で暮らしていたいという気持ちがあったことも否定できない。
ミレーヌにとってこの居心地が良い場所はまだ両親が健在だった頃の貧しくも幸せだった記憶を呼び起こすものだった。だがそんなことを考えていたことがいけなかったのか、遂に追っ手が現れた。罰が当たったのだろうか? 普通であれば誰もが当たり前のように享受しているような些細な幸せすら感じては行けないのだろうか?
「ふん!」
まるで長剣を棍棒のようにスイングさせる男によって、いつも小さな傷を作って帰ってくるミレーヌを、女の子なんだから気をつけなくちゃ駄目だよ、と治療してくれたこの村唯一の回復魔法の使い手が跳ね飛ばされ、椅子やテーブルを巻き込みながら転がっていくと壁際付近でその動きを止めた。
ミレーヌちゃんを見守る会の面々はミレーヌの盾になるようにその身を犠牲にしながら僅かな時間を稼ぐも、その数は既に片手で数えられるほどに減っていた。
ミレーヌのために戦ってくれる冒険者達を前にして、逃げ出そうにも侵入者達に隙は見当たらず、動けないミレーヌは目の前の光景に思考を乱していった。




