九十三話 怪談「牛の首」(美知子の妖怪捕物帳・漆拾肆)
「さて、私の相談事は・・・」と佐貫理事長が話し始めようとしたときにドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」と佐貫理事長が答えると、ドアが少し開いて若い女性が顔を出した。
「あの、磐城ですけど」とその女性は言った。
「ああ、磐城君か。入りたまえ」と佐貫理事長。
「彼女は白砂女子短大の学生なんだが、同席してもいいかな?」
「私はかまいませんが」と俺は答え、常木理事と冨士名理事もうなずいた。
おずおずと入って来る磐城さん。
「あの、理事長先生から今日藤野さんが来られると聞いて、私もお会いして相談したいと理事長先生にお願いしていました」
「そうなんだ。藤野さん、私の話の前に彼女の話を聞いてくれないか?」
「かまいませんが」と俺が答えると、磐城さんは俺の方に近づいて来た。
「妖怪ハンターと名高い藤野さんにお会いできて光栄です」
「妖怪ハンター?何だね、それは?」と聞き返す常木理事。
「他大学の友人から、妖怪の謎を解く藤野さんというお方がいると聞いていて、一度お会いしたいと思っていたんです。先日、理事長先生とお会いしたときに藤野さんが来られると聞いて、私も相談したいとお願いしていたんです」と磐城さん。
「磐城君は私の友人の娘さんでね、学内で出会った際に立ち話をすることがあるんだが、この前はたまたま藤野さんのことを話したんだ」
「藤野さんが不可思議な謎を解くことは知っていましたが、学生の間では妖怪ハンターと呼ばれているのですね」と感心する冨士名理事。
「さっきのきさらぎ駅の話も、ちょっと妖怪じみていたから、得意分野だったのだろう」と常木理事。
「さあ、磐城さん、椅子に座って相談事を話しなさい」と勧める佐貫理事。
「それではお言葉に甘えて。・・・藤野さんは『牛の首』という怪談をご存知ですか?」
「怪談の『牛の首』ですか?いいえ、聞いたことはありませんけど」
「『牛の首』は知る人ぞ知る恐ろしい話だそうで、聞いた人は正気を失い、最終的に亡くなってしまうと言われています」
「あの、その話を聞いた人が全員亡くなるのでしたら、その話を知っている人は既にこの世に存在しないのではありませんか?」と俺は疑問点を口にした。
「死んでしまうというのは噂が広まる間に生じた誇張で、死ぬほど怖い怪談という意味だと思います」
「そうでしょうね。で、その怪談がどうしたのですか?」
「死ぬほど怖い怪談『牛の首』なのに、その怪談の内容を誰も知らないのです。噂通り内容を聞いた人がことごとく亡くなったとは思えないのですが、怖いということしかわからないのです」
「それは妙な怪談ですね。内容がわからないのに、怖いという噂だけが広がっているのですね?」
「はい。この『牛の首』に関してはSF作家の小松左京という人が短編小説で紹介しているのですが、その小説のあらすじは、怪談『牛の首』の内容を知りたくて噂を話す人たちに誰から聞いたのかを聞いて回っているうちに、大元の人物にたどり着いたと思われたのですが、結局誰も知らなかったというオチで終わっています」
「小松左京が書いた短編小説?その人の創作ではないのですか?」
「小松左京は、『牛の首』が怖いという噂を以前から知っていて、自分の創作ではないと言っているそうです」
「そうなのですか・・・」
「ただ、誰も知らないというオチで終わるのは作家としてどうかと思われたのでしょうか、まもなく『くだんのはは』という短編小説を発表されました。牛の首が出てくる怖い怪談ですが、これは小松左京の創作で、噂になっている怪談の本当の中身ではないようです」
「くだんのはは?」
「有名な妖怪に、件というのがいます。にんべんに牛という漢字から、人の顔を持つ牛、つまり人面牛なのですが、この妖怪の首は牛でないので、『牛の首』という怪談とは直接の関係はなさそうです」
「小松左京の『くだんのはは』は、妖怪の件が出るわけではないけど、名前を借りて自分なりの怪談『牛の首』を発表されたということでしょうか?」
「おそらくそうだと思います」と答える磐城さん。
「小松左京も『牛の首』の本当の内容は知らないようなので、私は都内の図書館を巡って牛の首に関する民間伝承を調べてみました」
「民間伝承ですか?」
「はい。地方の言い伝えを集めた郷土史に牛の首に関する話が載っていないか調べたのです」
「それで、何か『牛の首』にまつわるお話は見つかったのですか?」
「はい。福島県、兵庫県、山梨県に牛の生首を川や湖沼に捧げて雨乞いをする儀式があったことが書いてありました。牛の血で水辺を穢すことによって龍神が怒り、雨を降らせるということで、全国的に広まっている儀式だったようです」
「雨乞いに牛の首ですか。・・・見た目は壮絶でしょうが、その話を聞いて恐怖で震えるということはなさそうですね」
「はい。私もそう思います」
「なかなか良く調べているじゃないか」と佐貫理事長が磐城さんを褒めた。
「そうですね。私もそう思います。磐城さんの調査は以上ですか?」
「はい。このくらいが限界で、怪談『牛の首』は探し当てようがないと思いました。そこでご相談なんですけど・・・」と磐城さん。俺に何を相談しようというのだろうか?
「実は今回の調査結果をまとめて白砂女子短大雑誌に発表したいと思っています」
「白砂女子短大雑誌とは研究論文を掲載する本学の学術雑誌ですわ」と冨士名理事が言った。
「本来は修士課程の大学院生の研究発表用の雑誌なんだ。だから短大生で論文を投稿するのは滅多にない快挙だ。私も応援しているよ」と佐貫理事長が言った。
「それはご立派なことと思います。調査の苦労を生かせますし、なにより学術的な貢献ができますね」と俺も褒めた。
「ただ、今までの調査内容では怪談『牛の首』の内容がわかっていないので、まとまりが悪いと思っています。そこでこのような怪談がふさわしいのではないかというサンプル的な文章を付け足したいと思っています」
なるほど、と俺は思った。小松左京ではないが、確かに怪談『牛の首』の内容はわからなかったという結論だけでは物足りない。雨乞いの儀式とも関係なさそうだ。こんな内容かもしれないという牛の首にまつわる怪談を載せるのはおもしろい試みだろう。
「そこで、妖怪ハンターと名高い藤野さんの経験から、『牛の首』とはどのような怪談なのか、概要だけでも考えていただきたいのです」
「えっ!?私が考えるのですか?内容がまったくわからないのに、聞いた人が死にそうなくらい怖がる怪談を・・・?」
「はい、そうです。ヒントだけでもかまいません」
「私からもお願いするよ」と佐貫理事長が言った。
「卒論の内容を考えるよりはいいことでしょう」と冨士名理事も言った。
「風当たりを和らげるために、私からもお願いするよ」と常木理事も言った。風当たりとは、娘の卒論の内容を俺がほとんど考えたことに対する冨士名理事の当てつけのことだろう。
「最も有名な怪談は小泉八雲の書いた『雪おんな』や『むじな』などですが、死ぬほど怖いというほどではありません。難しいご相談ですね」
「そこを何とかお願いします」と頭を下げる磐城さん。
俺は少し考えてから言った。
「死ぬほど怖い、というのは、怖さのせいで心臓が止まりかねない、という意味と理解します。つまりショック死ですね。それはどういう状況で起こり得るか想像できますか?」
「怪談を聞くか読むかして、怖さでドキドキと心臓の動悸が生じ、徐々に悪化して、最も怖いところでついに心臓が止まってしまうというような状況でしょうか?」
「そうですね。ただ、人によってはそれほど怖さを感じず、動悸も起こらないかもしれません。特に文章を聞いたり読んだりする場合、その情景を脳内で再現して怖さを感じるのでしょうから、文章の読解力が劣っている人なら、怖いと思わない可能性があります」
「そうですね。子どもに怪談を聞かせると怖がりますが、赤ちゃんに話しても何も理解できないことと同じですね」
「赤ちゃんに例えるのは極端だと思いますが、小さな子ども相手ならおどろおどろしい声で『こわ〜いぞ、こわ〜いぞ』というだけで怖がるかもしれません。そんな状況でどうすれば心臓が止まりそうなほど怖がらせることができるでしょうか?」
「聞こえるか聞こえないかの小声で話して恐怖をあおっておき、突然わっと大声を上げて驚かしたら、心臓が止まりそうになるのではないでしょうか?」
「そうですね。しゃっくりが続いているときにわっと叫んで驚かすとしゃっくりが止まると言われていますが、心臓が弱い人なら心臓まで止まってしまうかもしれませんね」
「それは、怪談の怖い話をしている最中にわっと叫んで驚かせと言うことですか?」
「語り手が聞き手に怪談を話しているときならそういうことができるでしょう。しかし雑誌に論文を掲載する場合は、そんな声を出すことができませんね。活字で『わっ』と書いても驚かないでしょうから」
「それではどうすればよろしいのでしょうか?」
「白砂女子短大雑誌には写真か絵を載せられますか?」と俺は佐貫理事長らに聞いた。
「はい。白黒で良ければ印刷できます」と冨士名理事が答えた。
「カラー写真は無理ですか?」
「カラー写真は高額になりますが、作者がその分を支払えば掲載可能です」
「それですよ!」と俺は磐城さんに言った。
「え?口や文字で驚かす代わりに写真か絵を使うのですか?」
「そうです。次のページをめくった瞬間に衝撃的な写真か絵が目に入れば、誰でも瞬間的に驚くと思います。ですから文章は、縦書きの雑誌なら左ページで終わり、横書きの雑誌なら右ページで終わるよう、調整する必要があります」
「なるほど。・・・でも、どんな写真や絵を掲載したら読者は驚くでしょうか?」
「そうですね。それは怪談の内容によると思います。登場人物が非業の死を遂げたのなら苦悶する顔の写真・・・は入手できないかもしれないので、顔の絵をページいっぱいに載せるのはどうでしょうか?」
「例えば、『赤んぼ少女』などの恐怖マンガを描いた楳図かずおのような絵をですか?」
「そうです」
「牛の首との関連を考えるのが難しいです。具体的な文章のアイデアはありませんか?」
「そうですね・・・。例えば、恐ろしい牛の首に出会えるという情報を怪談の主人公が聞いたとします。その情報を教えてくれた怪しげな人について行って狭い路地を通り、とある建物の薄汚いドアを開いて中に入ったとします」
「はい。主人公は恐ろしい『牛の首』の話を探し求めて行って、ある人にその情報を聞くのですね?」
「そうです。主人公は磐城さん本人でもいいかもしれませんね」
「それでドアを開けて中に入ったら何が起こったのですか?」
「そこはある料理屋の厨房でした」
「厨房?」
「はい。料理はフランス料理でも中華料理でもいいと思います。その中に入って待っていると、案内してくれた怪しい人は二つの大きな皿を持って来ます。その皿には金属製の半球形の蓋がしてあって、皿に何が置かれているのか見えません」
「そ、それで?」
「案内人は磐城さんの前のテーブルにその皿を置きます。そして案内人は二つの皿の蓋を順番に上げます。そして磐城さんがまず目にしたのは・・・」
ごくりとつばを飲む磐城さん。
「牛の生首でした。・・・生首は表面の毛を抜かれて、その皮膚は調理前の鶏のように白くなっています。目は開いて、濁った黒目が磐城さんを睨みます」
「そ、それは衝撃的ですね」
「そしてもう一枚の皿に載っていたのは、その牛の生首の丸焼き料理でした。肉の間から牛の歯が見えているのです・・・」
「想像しただけで気分が悪くなりましたわ」と冨士名理事が言った。
「そうですね。その写真、もしくはスケッチを見たら卒倒しそうです。そんなのを由緒ある白砂女子短大雑誌に掲載して大丈夫でしょうか?」
「それは先生方や雑誌の編集長と相談ですね。あるいは薄い冊子にして配るのもいいかもしれません」
「仮に雑誌などに掲載するとしたら、心臓の弱い人や老人、子どもは閲覧禁止と断っておく方がよろしいでしょうな」と常木理事が言った。
「・・・さすがは藤野さんです。予想以上の恐ろしいお話を聞きました」と磐城さんが言って息を吐いた。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
佐貫幸三 白砂女子短大の学長兼理事長。
磐城雛子 白砂女子短大二年生。
常木智和 白砂女子短大の経営担当理事。
冨士名美保 白砂女子短大の教育担当理事。
書誌情報
小松左京/ショートショート集 ある生き物の記録(『牛の首』収載、早川書房、1966年6月30日初版)
小松左京/模型の時代(『くだんのはは』収載、1968年4月15日初版)
野口長義/南会津の民俗(一)(旅と伝説、11巻2号、1938年2月1日発売)
尾崎一雄/宝塚の雨乞い式(民間伝承、6巻5号、1941年2月1日発売)
池田俊平/市川大門町聞書(ひじろ、4号、1959年11月発売)
小泉八雲/小泉八雲全集第八卷家庭版(第一書房、1937年1月15日初版)
小泉八雲/怪談・奇談(角川文庫版、1956年11月10日初版)
楳図かずお/赤んぼ少女(花文庫、1968年8月6日初版)
楳図かずお/のろいの館(サンデーコミックス、1969年9月5日初版)




