七十三話 薔薇と吸血鬼(解答編)
「それでは私が考えたストーリーをお話ししましょう」と俺は三人に言った。
「よろしくお願いします」と泰子さん。社長と営業部長もうなずいて俺の言葉を待った。
「まず最初に女性を転落死させた犯人を言います。みなさんの予想通り、犯人は資産家の妻です」
「やはりそうだろうな」と納得する社長。
「泰子の話の登場人物は、愛人の女性以外には資産家とその妻だけだからな。事故死でなければ犯人は妻しかいない」
「その通りです。そして妻は女性が声を出せない状態で転落させるために、トリカブトの毒を使いました」
「トリカブト!?妻が部屋の花瓶に生けていた花ですか!?」
「そうです。トリカブトには花にも葉にも茎にも根にも強い毒があり、食べるだけでなく触っただけでも中毒を起こし、重症だと呼吸困難や心臓発作を引き起こして死亡します。ちなみにその根を熱処理して解毒化したものを附子と呼び、強心、鎮痛、血液循環の改善等の効能を持つ漢方薬として使います」
「漢方薬のことまで詳しいのですね」と感心する営業部長。
「以前、漢方薬を作る製薬会社を訪問したことがあるので」と俺は答えた(第三十五話参照)。
「その漢方薬の附子は、狂言の演目の附子と同じものかね?」と社長が聞いてきた。
「そうです。ただし附子は毒性が残っているものを指します」
「その附子という狂言はどういうお話なの?」と泰子さんが社長に聞いた。
「主人が外出する際に、『この桶には附子という猛毒が入っているので近づくな』と小僧二人に言い残すんだ。小僧が興味本位で桶を除くと、実は砂糖が入っていて、小僧たちが食べてしまうんだ。そして小僧は主人に言い訳するために壷や掛け軸をめちゃめちゃにして泣きまねをするんだ。帰って来た主人が泣いているわけを聞くと、大事な壷や掛け軸を壊したので、死んで詫びようと思って附子を食べましたが、まだ死ねませんと答えたんだな。主人は困って何も言えなかったという落ちさ」
「そうですね。落語にも同じ演目があります」
「話を戻して、トリカブトをどうやって女性に食べさせたのですか?」と営業部長が聞いてきた。
「パーティーの料理に混ぜたのでしょうか?」と泰子さん。
「そんなことをすれば、パーティーに列席した客人たちが次々と死んでしまいます」と俺は答えた。
「そうですわね。それではどうやって?」
「まず、トリカブトから毒を抽出します。その毒がどういうもので、水に溶けやすい性質か溶けにくい性質かわかりませんが、前者であればトリカブトをすり潰し、水と混ぜて上澄みを回収します。後者であればすり潰したものにアルコールやクロロホルムなどの有機溶剤を混ぜ、十分に撹拌してから有機溶剤を回収します」
(作者註:トリカブト毒のアコニチンというアルカロイドはクロロホルムやベンゼン、エタノールに溶けやすく、水、石油エーテルには溶けにくい。水と混ぜて加熱する「修治」と呼ぶ処理を行うと、毒性が著しく減弱する)
「それでクロロホルムがなかったのか聞かれたのですね?」と泰子さん。
「そうです。回収した液体は硬い牙のようなものに何度も塗布して乾燥させます。これで毒牙の完成です」
「牙?・・・何を使ったのでしょうか?」と聞く営業部長。
「ここからは想像ですが、例えばバラから取ったトゲを使ったのかもしれませんね。バラのトゲは先端がわずかに曲がっていて、まさに牙のような形状ですから」
「なるほど!パーティー会場に生けてあったバラからはトゲが取り除かれていた。妻がその作業を行ったのかわからないが、そのトゲをこっそり保管しておいたのだな?」と社長が叫んだ。
「そうです。トゲに毒を塗って、例えばですけど手袋の人差し指と中指の内側にそのトゲを接着しておけば準備完了です」
「猛毒を塗ったトゲを手の中に隠すのですか?誤って自分自身を刺してしまいそうで怖いですわ」と泰子さんが言った。
「革手袋にトゲを接着しておいたとして、その革手袋を持ち歩いているだけで誤って刺さりそうですね。ひょっとしたら西洋甲冑のガントレット、つまり手甲にトゲを付けて、甲冑と一緒に廊下に飾っていたのかもしれません」
「そうか!階段の上ですぐに手に嵌めることができ、再び戻すことができるのだな!」と社長。
「ほんとうにその通りにしたのか不明ですが、ひとつの可能性ですね」
「で、その手甲を使ってどうしたのですか?」
「女性が厠に行くのを待っていて、右手に手甲を嵌めます。その様子を誰かに見られると不審がられるので、その上から布をかけて手甲を隠します。女性がひとりで廊下に出てきたら、すれ違いざまに左手で布を取って後から女性の口を抑え、右手の手甲に付けたバラのトゲを女性の左首に刺します。すぐに呼吸困難を起こして女性が声を発せられなくなるので、階段の上から突き落とすのです」
「まるで見ていたかのようにお話しされるのですね」と営業部長が感心?して言った。
「それだけ情景の説明がうまいってことだ」と社長がほめてくれた。
「しかしその節には疑問がある。遺体は司法解剖に回されたということだが、毒が検出されたという話は出ていないぞ」
「私は専門家でないので正しいのかわかりませんが、聞きかじったことを言います。毒物の検出は毒の種類によって方法が異なるので、必ずしも検出できるというわけではありません。特に植物や動物が持つ自然毒は構造が複雑で、簡単には検出できないようです」
(作者註:トリカブト毒のアコニチンや、フグ毒のテトロドトキシンなどは、現代であればガスクロマトグラフ質量分析計[GC−MS]や液体クロマトグラフタンデム質量分析計[LC−MS/MS]などで検出や定量が可能だが、昭和四十五年当時ではこのような精密な検査機器はなく、検出は容易ではなかった)
「解剖結果からは直接死因が転落死と鑑定されたので、中毒死する前に首の骨が折れたのでしょう。そのため解剖医は毒の有無まで調べなかったのかもしれません」
「毒を使う女か。文字通り毒婦ってわけだな」と社長がダジャレを言ってにんまりした。
「手甲に接着した牙はどうしたのでしょうか?警察は見つけられなかったようですが」
「ほとぼりが冷めてからそっと取り除いて、どこかに捨てたんじゃないでしょうか。残しておいたら、甲冑に触る人が死亡するかもしれないので」
「妻が女性を突き落とした方法はわかりました。ただ、最初に言ったバラの花をかじって血が流れたというのは何だったのでしょうか?」
「女性の首に吸血鬼に噛まれたような痕が付くので、『私がその吸血鬼よ』とでもアピールするつもりではなかったのでしょうか?」
「それは自分が犯人だと自白しているようなものでは?」と社長。
「妻は警察に捕まりたかったのでしょうか?」
「その真意はわかりかねますが、自己顕示欲と、警察に自分を捕まえられるはずがない、自分は吸血鬼ではないのだからと思っていたからではないでしょうか」と俺は答えた。
「愛人が死ねば、どうせ妻が疑われますからね。夫である資産家への当てつけという側面もあったのかもしれませんね」と営業部長が言った。
「それはともかく、バラの花をかじってどうして血が流れたのですか?唇を自分で噛んで、出てきた血を口の外に押し出したのでしょうか?」と泰子さんが再度疑問を口にした。
「これも想像ですが、妻が噛んだ十六夜薔薇の実は刺す梨と書く『刺梨』なのですね?ひょっとしたら、実の周りにトゲが生えているのではないでしょうか?」
「そうかもしれません」
「だとしたら、十六夜薔薇の花びらにはトゲがなくても、ガクの部分にトゲが生えていたのかもしれません」
「ガク?ガクとは何だね?」と聞く社長。
「萼とは花のつぼみを覆う緑色の葉のようなものです。花が咲いたときには花の根元に残ります」
「そのトゲの付いたガクをわざと唇に当て、出血させたということですか?」と泰子さん。
「そうです。吸血鬼のふりをするためにです。・・・もっともその十六夜薔薇という花を見たことがないので、あくまで想像ですが」
「我々は警察じゃないから、犯罪を証明し、犯人を逮捕する義務はない。話がおもしろければ良いのだよ」と社長が言って日本酒をぐいっと飲んだ。
「泰子の話を聞いていて、飲食がおろそかになったな。さあさあ藤野さん、寿司や刺身を食べて、どんどん飲んでくれ」
「ありがとうございます。では、いただきます」と俺は言ってさっき小皿に取った最初のマグロのにぎり寿司を口に入れた。
「食用菊から吸血鬼の話になって、あっけにとられましたね」と営業部長。
「そうだな。・・・そうだ、いいアイデアが浮かんだぞ!」と叫ぶ社長。
「桜湯というのがあるだろう?見合いや婚礼の席で、お茶の代わりに桜の花の塩漬けにお湯をかけて供するやつだ」
「桜湯は知っていますが、何のアイデアが浮かんだのですか?」と聞き返す営業部長。
「桜の花の塩漬けを日本酒の中に入れて売るんだ!」
「桜の花の塩漬けに熱燗を振りかけて飲むのではなく、最初から一升瓶の中に入れておくのですか?」
「そうだ。桜の塩漬けに熱燗を振りかけるだけならよその日本酒でも可能だろう。だから最初から一升瓶の中に桜の花の塩漬けを入れておくんだ。名づけて『桜清住』だ。どう思う、藤野さん?」
「は、はあ。・・・可能なら試してみるのもいいんじゃないでしょうか」と俺は曖昧に言った。リキュールの中に花を漬けて売るのならともかく、日本酒の中に花を入れて売れるのか、技術的や法的問題はないのか、俺にはわからない。
「なら、菊の花を入れた『菊清住』もありますね」と営業部長は言って、お造りの桶に入っているつま菊を手に取ると、日本酒が入っている自分のグラスに落とした。
「なかなか乙な味ですね。少し魚臭いけど」つま菊入りの日本酒をすする営業部長。もはや酔っぱらいの振る舞いだ。
「洋風になりますが、バラの花を入れた『薔薇清住』はいかがでしょう?とても華やかですよ」と泰子さんも参戦してきた。
「花だけじゃなく、松茸を入れるのもありだぞ。ずばり『松茸清住』。お燗をするだけで松茸の土瓶蒸しっぽくなりそうだ」
「昆布を入れた『昆布清住』とか、梅干を入れた『梅清住』とか、どんどんアイデアがわいてきますね」と営業部長も言った。
ひとしきりアイデアを出し合った後、社長が冷静な顔つきに戻った。
「まあ、冗談はこのくらいにして・・・」
冗談だったんかい!と俺は心の中でツッコんだ。
「しかし、泰子よ。お前の嫁ぎ先の親戚は妙な話をするやつが多いんだな」
「その通りですわ。実際はおひとりなんですけど、今度また変な話をしてきたら、藤野さんを紹介しようかしら?」
俺は苦笑するしかなかった。このままだとほんとうに相談所を開業しなくてはならなくなる。
そのまま雑談をしながらお刺身とお寿司をいただき、最後に泰子さんにお茶を淹れてもらった。
「そうだ、泰子、藤野さんのおみやげに『清住』を二本包んでくれ」と社長が言った。
「わかりました」と答えて応接室を出る泰子さん。まもなく裸の一升瓶を二本持って来て、風呂敷で器用に一升瓶を包んでくれた。上部が持ち手になる結び方だ。
「藤野さん、この酒を持って帰ってくれ。今日はほんとうにいい話を聞かせてもらった」と顔が赤くなっている社長が言った。
「持ちやすく包んであるとはいえ、重いだろうからタクシーで送ります。あ、それからこれが今日の謝礼です」と営業部長が言ってのし袋を差し出してきた。
「ありがとうございます」とお礼を言う。
日本酒を二本ももらったので、一本は祥子さんと杏子さんに、もう一本は期待して待っている相良さんにあげよう。
けっこう酔っている社長と営業部長はまだ酒を酌み交わしていた。まもなく泰子さんが呼んでくれたタクシーが到着したので、俺は二人にお礼を言った。
「本日はありがとうございました。それではこれで失礼します」
「ああ、またいつでも気軽に来てくれ」と上機嫌の社長。俺の就職のことはもう頭の中になさそうだった。最初からか?
「気をつけてお帰りください」と終始丁寧だった営業部長も言ってくれた。
俺は泰子さんにつれられて清住酒造を出て、前に待っていたタクシーに乗り込んだ。
「また、親戚から妙な話を聞いたら、相談するからよろしくね」と、泰子さんに念を押されてしまった。
妙な話ばっかり持ってくる泰子さんの嫁ぎ先の親戚ってどういう人なんだろう?俺はそう思いながら泰子さんに頭を下げ、タクシーの運転手に行き先を告げた。
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
山本泰子 清住酒造の事務員。社長の娘、営業部長の妹。
柳楽慎司 清住酒造の社長。
柳楽 昭 清住酒造の営業部長。社長の息子。
黒田祥子 美知子の同居人。秋花女子大学三年生。
水上杏子 美知子の同居人。秋花女子大学三年生。
相良須美子 秋花女子大学就職指導部の事務員。




