六十五話 劇画プロダクションの就職説明
例によって就職指導部の相良さんに俺の訪問を依頼する電話が入った。
「マンガ家のお宅だそうよ」と俺に告げる相良さん。
マンガ家の仕事場とは、俺の知る限りではメインのマンガ家と数人のアシスタントが机を並べ、半分徹夜でマンガを製作しているはずだが・・・?
「マンガ家さんに秘書など必要でしょうか?」と俺は相良さんに確認した。
「秘書志望ってことをお伝えしたら、それで間違いないと電話口で仰られていたけど、あなたに謎を解いてもらいたいだけの方便かしら?・・・どうする?行くのをやめる?」
「・・・そうですね。本職のマンガ家に会ったことがないので、興味本位で訪問してみます」と相良さんに答えた。
相良さんが先方に電話し、金曜日の午後五時に訪問するという約束を取り付けてくれた。
「ちなみに夕方五時頃から仕事を始めることが多いそうよ」
やっぱり徹夜を前提とした仕事なんだな、と思いつつ、所定の日時が近づくとそのマンガ家の仕事場に向かった。
ちなみにそのマンガ家さんは、さきづめはじめというペンネームで劇画を描いている人で、けっこう人気があり、雑誌連載もいくつか抱えているという話だった。劇画は従来の丸っこいマンガのキャラとは違い、より写実的で、作風もアクションや犯罪など、大人向けの内容が多いマンガのジャンルだということは知っていた。
ただ、さきづめはじめという劇画家の作品は詳しく知らなかったので、マンガマニアの五十嵐さんに評判を聞きたいところだったが、その程度の用事で会いに行くのもいろいろ支障があるので、直接さきづめはじめ先生の仕事場を訪問した。
そのお宅はこじんまりとしたマンションで、二階の全室をそのマンガ家が借り受けて仕事場にしているようだった。
二階に上がって『さきづめはじめプロダクション事務室』という札がかかっているドアをノックすると、すぐにドアが開いて中から三十代くらいの女性が顔を出した。
「さきプロにようこそ。あなたが藤野さんかしら?」とその女性に聞かれる。
「そうです。秋花女子短大の藤野美知子です」
「わざわざ来ていただいて悪かったわね。私はさきづめはじめの妻の優子よ。さあ、中に入って」
「お邪魔します」と言って優子さんの後について玄関を上がると、そのまま奥に進んでリビングに通された。
リビングには応接セットがあり、三十代の男性三人が既にソファに腰かけていた。
「藤野さんよ」と優子さんが言うと三人が立ち上がり、俺に名刺を差し出した。
最初の人がマンガ家のさきづめはじめ先生、次の人がさきプロ(さきづめはじめプロダクションの略称)の脚本部門チーフの寒凪さんで、最後の人がさきプロ作画部門チーフの雑賀さんだった。
勧められてソファに腰をかけ、「お招きありがとうございます。秋花女子短大の藤野美知子です」と改めて挨拶をした。
「固くならないでいいからね」と優しく言ってくれるさきづめ先生。
「はい。・・・ところで私がここに呼ばれた理由は何なのでしょうか?」
「もちろん君を秘書として雇いたいからだよ。君はマンガ家のプロダクションの内情を知っているのかな?」
「はあ。・・・聞いた話ではマンガ家さんと数人のアシスタントが仕事場に詰めて作品を仕上げるという漠然としたことしか知りませんが」
「一般的なマンガ家はそうだね。作品のストーリーや主な作画はマンガ家が担当して、背景やベタ塗りやトーン貼りをアシスタントに手伝ってもらうというやり方だね。でも、うちは違うんだ」
「どのように違うのでしょうか?」と俺が聞いたときに優子さんが全員の前にお茶を出してくれた。優子さんが秘書的な仕事もしているようだ。
「うちは完全な分業体制を取っていてね、ストーリーは脚本部門の寒凪君が中心に考えて、実際の作画は大部分を作画部門で担当してもらうんだ。主人公の絵も半分は雑賀君が描いている。もちろん僕が作品の全体的な方向性を決め、作画も一部を担当するけどね、今や『さきづめはじめ』という劇画家は僕個人ではなく、さきプロ自体だと言って過言ではない」
「そうなのですか」
「こういう体制を取ることで質の良い作品の連載が維持できるし、万が一僕に何かがあっても、『さきづめはじめ』の作品は作り続けることができる。それこそ永遠にね」
「ちなみに脚本部門には僕のほかに二人、作画部門にはあと四人のスタッフがいるんだ」と寒凪さんが言った。
スタッフは全員で九人。いや、優子さんを加えると十人か。そう思っていると雑賀さんがスケッチブックを開いて何かを描いていることに気づいた。
「何を描かれているのですか?」と聞く。
「君の似顔絵だよ」
「ええっ!?」
「新しい作品の主人公の参考にしようと思ってね」と雑賀さん。
「次回作は色っぽい女探偵にしようと思ってるんだ。と言っても推理中心でなく、アクションもので、お色気シーンもあるんだ。君は謎解きが得意だと聞いたのでね、推理をするシーンでアイデアを出してもらいたいんだ」とさきづめ先生が言った。
「ということは、脚本部門に入るということですか?」
「正確に言うとアドバイザーだな。政治や経済や国際問題が関わるストーリーを作る予定だから、資料集めを手伝ってもらうこともあるだろう。ただ、メインの仕事は編集担当との調整や、取材旅行の手配など、秘書としての仕事をしてもらうことになる」
一般的なマンガ家の仕事場ではなく、会社組織としてスタッフ全員で主体的に仕事をするから、秘書的な仕事も必要というわけか、と俺は納得した。
「今までは優子にしてもらっていたんだが、子どもの面倒も見なくちゃならないし、手が足らないんだ」
「なるほどわかりました」
「ところで君は絵を描けるのかな?」と雑賀さんが聞いてきた。
「高校生のときは美術部と文芸部に所属していましたので、似顔絵は描いたことがあります。マンガは描いたことありませんが」
「そりゃいいな。スタッフ紹介の際に各自の自画像を載せることがあるんだ。試しに誰かの似顔絵を描いてくれないか?」とさきづめ先生に頼まれた。
「私は女子高にいたので、男性の似顔絵を描いたことはほとんどありませんが」
「なら、優子の似顔絵を描いてくれ。・・・おい、優子、こっちに来て椅子に座ってくれ!」
「はーい」と答えて近くの椅子に座る優子さん。
雑賀さんが俺にスケッチブックと鉛筆を渡してくれたので、新しいページを開いて優子さんの似顔絵を描き始めた。
俺の背後からのぞき込むさきづめ先生と雑賀さん。
「作画部門でも働けそうだね」と雑賀さんが感心していた。
俺がざっと描き終えると、優子さんがスケッチブックを受け取って感謝してくれた。
「やっぱり女性に描いてもらうと、柔らかい描線で性格が優しそうに見えるわね」
「俺たちはごつい男を描くことが多いからな」と言って頭をかくさきづめ先生。
「これからは君のタッチを参考にするかな」と雑賀さんも言った。
「ところで謎解きが得意と聞いたけど、今までどんな謎解きをしてきたのかな?さしつかえない範囲で教えてくれないかな?」と寒凪さんが聞いてきた。
それで俺は過去の謎解きを思い出して、霊安室の呪いの人魂の話(十七話参照)や迷い家の話(二十一話参照)、子どもの誘拐事件(二十四話参照)や八畳島の未解決事件(三十三話、三十四話参照)の話をした。
「おもしろいですね。今度の女探偵の話は、アクションだけでなく、謎解き要素も強めたらいいんじゃないでしょうか」と寒凪さんが言った。
「新しい要素が脚本や作画に加わると、さきプロの作品の幅が広がるな」とさきづめ先生も満足そうだった。
「藤野さんは先見の明があるとも聞いたんだが、これから我々はどんな劇画を作っていけばいいと思うかい?」とさきづめ先生が聞いてきた。
「そうですね。・・・今までに先生方が作られてきた作品は、スパイなどのアクションものや時代劇が多かったと思います」
「その通りなんだ。アメリカのスパイ映画に着想を得た『九九九はスパイの番号』とか『素浪人傍若無人』などは人気だった」
「その方針で問題ないと思います。そして素人意見ですが、今までにないような作品も試験的に手がけてみると良いと思います」
「どのような作品か、何かアイデアはあるかな?」
「そうですね、いくつか考えてみます。・・・まずひとつは、博打で大きな借金を背負った主人公が山奥の工事現場で監禁され、過酷な労働を強いられるようになります」
「いわゆるタコ部屋労働だね」
「主人公は監視の目をくぐってなんとかその場から逃走しますが、現場の監督をしていたのが暴力団組織で、組織の刺客が主人公を追いかけます。主人公はギャンブル的な罠を仕掛けて刺客たちを撃退し、都会まで逃避行できるかというストーリーになります」
「ギャンブル的な罠とは?」と聞く寒凪さん。
「まだ詳細までは思いつけませんが、わざと痕跡を残して敵を誘い込み、捕まる目前で罠にかけるというものです。読者には罠だと示さず、主人公の落ち度と思わせます」
「なるほど」とさきづめ先生。「ほかには?」
「二つ目は、少年マンガ向けかもしれませんが、剣術家の主人公が道場破りに来た他流派の剣術家と、超能力を使いながら試合をし、撃退するというお話です」
「超能力?念力とか千里眼のようなものかな?」
「いえ、ある程度科学的に説明できる能力です。もちろん実際に真似することはできませんが、ありそうだなと思わせるような理論づけをします」
「例えば?」
「表面がささくれだった木刀を高速で振ることにより、空気との摩擦で燃え上がる木燃剣とか、高速で突いてから剣を引くことによって真空が生じ、温度が下がって凍り出す氷結剣とか・・・」
「剣が燃えたり凍ったりするだけなのかな?」
「いいえ、木燃剣で切れば相手が燃え上がるし、氷結剣では相手を凍らせることができます」
「・・・少し子供だましな気もするが、インパクトのある作品が作れそうだ。ほかにアイデアがあるかな?」
「そうですね、三つめは背後霊が姿を現して、主人公の代わりに戦うというのはいかがでしょうか?」
「背後霊?」
「背後霊と言っても実体のない幽霊ではなく、霊魂エネルギーが強いために実体化していて、強い力で殴ったり、刃物のような手刀で切りつけたりできるのです」
「ふむ、これも今までになさそうなマンガになるな。・・・ほかには?」
「ほかには、と言われましても。先生方はどういう作品を望まれますか?」
「そうだね、少し大人向けのベッドシーンが毎回出てくるような話はないかな?」
俺は困惑した。正直言ってそういう男女関係については疎い。実際のシーンは先生方が描いてくれるのだろうが・・・。
「先ほど聞かせていただいた女探偵のお話とかぶるかもしれませんが、世界を股にかける女スパイを主人公にするのです」
「必要に応じて色仕掛けをするんだな?」
「そ、そうです。ただし相手は男じゃなくて女とか・・・」
「なるほどっ!レズビアンスパイか!これは新しい!」と寒凪さんが叫んだ。俺には新しいのかわからないけれど。
「一話ごとに裸の女を二人出すのか!楽しい作画になりそうだ!」と雑賀さんも喜びの声を上げた。
「やはり今までマンガ作成に携わっていなかった人が加わると斬新なアイデアが出ていいですね」と賞賛する寒凪さん。俺のアイデアのどれが一番気に入られたのだろうか?
「噂通り、頼りになる人だったね、藤野さんは」とさきづめ先生も褒めてくれた。
「ところでさっき話を聞いたように、藤野さんは謎解きもしてきたんだよね?」
「はい。お役に立てたときが何度かありました」
「なら、是非僕たちの話も聞いてほしい」とさきづめ先生が言うと、寒凪さんと雑賀さんもうなずいた。
「わかりました。お話をお聞かせください」と俺は振った。
「じゃあ、まずは僕から」とさきづめ先生。
「新しい作品を描いていると、他の作家が同じような内容の劇画を雑誌に掲載することがある。同じ人間だからたまたま同じ発想をすることはあるだろうし、そのときの社会状況が作品のヒントになることもあるから、それ自体は必ずしも珍しいことではない」
「そうですね。偶然の一致はあり得るでしょう」と俺は相づちをした。
「ところが最近ある作品を雑誌に掲載したところ、まったく知らない人物から、自分のアイデアを盗まれたとクレームをつけられたんだ。スタッフ全員がまったく関わりのない相手で、なぜそう言われるのかわからないんだ・・・」
登場人物
藤野美知子(俺) 主人公。秋花女子短大英文学科二年生。
相良須美子 秋花女子大学就職指導部の事務員。
さきづめはじめ(崎詰 肇) 有名な劇画家。さきづめはじめプロダクション(さきプロ)の代表者。
五十嵐宏樹 令成大学文学部四年生。マンガマニア。
崎詰優子 さきづめはじめの妻。さきプロのスタッフの食事の用意などをしている。
寒凪春夫 さきプロの脚本部門チーフ。
雑賀良治 さきプロの作画部門チーフ。




