昼休み、食堂にて。(2)
――と、美しい婚約者たちが向かい合って微笑みあった瞬間、食堂中が悲鳴、絶叫、大混乱で満たされた。
「……っえ、」
『ええええぇぇ――――――ッ!!?』
「ど、どなたですのあの美しい方は……!?」
「あのローブ、あのマスク、『不細工オーク姫』のはずだろう……!?」
「ありえない、何が『オークすら顔をしかめる醜女』なんだ!?」
「ほ、本当に『ドルジラの失格王女』本人ですの!? あのローブを着ているだけの別人では……!?」
貴族としての礼儀も忘れて、その場の全員が火をつけられたように騒ぎ出す。そんな周囲に驚き、思わずマリウスとアイーシャは顔を見合わせた。
ただし、マリウスも内心ではドキドキしっぱなしだ。何せあの月夜の下で出会った乙女が、ずっと容姿を蔑まれ続けてきた『不細工オーク姫』だったなんて。信じられないが、間違いないようだ。どうしてそんな不名誉な綽名で呼ばれているのか、この姿のどこが「見るに堪えない酷い容姿」なのか、聞きたいことは山ほどある。
というか初めて心を動かされ、一目惚れし、しかし婚約者がいるからと諦めなければならないと思っていた相手が、実は婚約者だった。その事実に今更ながらに気づいて、マリウスの胸は高鳴りっぱなしだ。どうしよう、この想いを諦めなくて済むなんて。初恋は叶わないどころか、初恋の相手ともう婚約している。結婚しよ。あ、するんだった。益体もないことを内心で考えては、勝手に照れてを繰り返す。
カトリーナもレトルスも、呆気に取られて硬直している。だが周囲の生徒たちがこちらに歩み寄ろうか寄るまいか、じりじりしているのを見てさっとマリウスの近くに歩み寄ってきた。ほとんど反射の行動はさすがだ。
「あ、あの……失礼ですが、アイーシャ様、なのですわよね……? 申し訳ありませんが、初めてお顔を拝見したもので……」
「はっ、はい、アイーシャ・ドルジラです、カトリーナ様。これまでの顔を隠してのご無礼、どうぞご容赦ください」
恐る恐る尋ねたカトリーナに、アイーシャは膝を折って挨拶を返した。声かわ、と遠くで呟いた声に、周囲の人間が高速で勢いよく首肯しているのが見える。マリウスも内心で激しく頷いておいた。
そんな生徒たちとカトリーナ、レトルス、マリウスを順繰りに見て、最後にアイーシャを見下ろし、カヤーハンはフンと鼻を鳴らした。顎を上げての尊大な態度ながら、口元ににっと笑みを浮かべてみせる。
「ようやく諦めたか。ブスはどうやってもブスなんだから、そうやって開き直っておけ」
「か、カヤーハン殿、それは本気で言っているのか……!?」
「どっ、どこがブスなんですの……!?」
カヤーハンの言葉に同時に声を上げたのはマリウスとカトリーナだけだったが、レトルスも生徒たちもぶんぶんと首を横に振っている。彼女がブスならこの世の人間はほとんどが化け物だ。どこに目が付いているんだこの男は、と声にならない悲鳴が聞こえた気がした。きっと気のせいではない。
そんな反応が心底不思議だと言いたげに、カヤーハンは眉をひそめて首を傾げた。反対に、アイーシャは居心地が悪そうに首を縮めている。
「不細工だろう。顔色だってもやしみたいに生っ白いし、目だけぎょろぎょろでかくて、鼻も口も小さい。牙だっていつまでたっても目立たないし、髪だって老人みたいに白いだろ。目も黄ばんだ変な色だし。それにこの背の低さ。どれだけ鍛えてやっても筋肉ひとつ付かないひょろっこい体。何ひとつとってもドルジラのオークとは思えない醜さだ」
「……カヤーハンに言われなくたって、わかってるわ……」
「泣くな、鬱陶しい。さっきマリウス殿に言われて開き直った気合はどこ行ったんだよ」
カヤーハンにつらつらと羅列され、アイーシャの目尻にまた涙が浮かぶ。それを慰めることも忘れ、マリウスたちは言葉を失っていた。信じられない。信じられないが、カヤーハンとアイーシャは本気で言っているらしい。妖精か天使かと喩えられもするであろうこのアイーシャを捕まえて、本気で『不細工オーク姫』なのだと考えているらしい。周囲の生徒たちの視線が高速でアイーシャとカヤーハンを行き来している。
「……国が変われば価値観も変わるとは言いますが、これは、その……」
「お黙りなさいレトルス。わたくしも今ちょっと混乱しているわ」
レトルスの呆然とした口ぶりに、カトリーナも呆然と返している。ただマリウスとしては、目の前で涙を流す婚約者を放ってはおけない。悲しそうに唇を噛むアイーシャの手を取り、涙に濡れてきらめく瞳を真摯に覗き込んだ。
「貴方は美しいです、アイーシャ嬢」
「え……」
唐突に告げたマリウスに、悲鳴にならない悲鳴がそこら中から上がった。カトリーナが反射で睨みつけてもざわめきは収まらない。だがそんなものは些事だ。華奢で小さな手を握り、真剣な目でアイーシャを見つめ続ける。
「貴方は美しい。ドルジラ王国でどう思われていても、僕は貴方を美しいと思います。ヒルネシア帝国であれば、貴方の美貌は誰しもが認めるところです」
「あ、あの、でも……」
せわしなくマリウスとカヤーハンを見比べながら、アイーシャは戸惑った表情を浮かべる。やがて心底不思議そうな、困ったような、どこか驚いたような顔で首を傾げた。
「……マリウス様は、筋肉がつかないご自分の容姿を嘆いていらっしゃるのでしょう?」
「えっ」
「私と同じように、顔も体も細くて、鍛えても筋肉がつかなくて、だから周囲から侮られてしまうと……違っておりましたか?」
アイーシャから問われた言葉が理解できず、思わず聞き返してしまう。そして、じわじわと理解が及んでマリウスは思わずぽかんと口を開けてしまった。
ドルジラ王国において、あるいはオークにとって、美しさは即ち逞しさ、あるいは強さを示すことなのだ。目鼻立ちの全てが大ぶりで、体つきも大きく、筋力がある。下顎からは立派な牙がにょきっと生えて、肌も健康的に色黒で、見るからに逞しい。まるでカヤーハンのように。それが良しとされる文化で生きてきて、アイーシャの価値基準もオーク寄りなのだろう。だから「自分は醜い」と考え続けて生きてきたし、ヒルネシア帝国の人間たちがマリウスの美貌に魅了されているなどとは考えていないし、そもそもマリウスを美しいとは感じていないのだ。
そういえば、三日前の月夜の庭園においても、つい先ほども、自分は一言も「美しいことで悩んでいる」とは口に出さなかったかもしれない。そう考えて、はたと気づく。もしかして自分は、アイーシャにとってちっとも魅力的な存在ではないのではないか……!?
「あ、あの、アイーシャ嬢もやはり、筋骨隆々の逞しい方が好みですか……?」
「え? えぇと……」
マリウスの問いに、初めて考えた、と言わんばかりにアイーシャはきょとんと眼を見開いた。ちらりとカヤーハンを見て、またマリウスを見上げる。こてん、と首を傾げた仕草が可愛らしくて悶絶しそうになったが、皇族教育の賜物で表情は動かさずに返答を待つ。
「どうでしょう……オークらしい男性はカヤーハンたちで見慣れてますが、好みという考えで誰かを見たことがないので……」
なるほど、一目惚れは自分だけだったようだ。一方的に好意を寄せられることはあっても、一方的に誰かを好きになったのは初めてだ。こういう気持ちなのか、と新鮮な驚きと喜びを胸に秘めつつ、おくびにも出さずマリウスは穏やかに微笑んで頷いた。
「あの、でも、ずっと自分を否定され、自分でも自分を否定して生きてきたので……先ほどのマリウス様の言葉は、とても心が慰められました」
そう言って、照れたように笑うアイーシャの表情があまりに可愛らしくて、食堂中の生徒たちはもう彼女に釘付けだ。マリウス自身も、こんなに感情を表に出さない皇族教育に感謝したことはない。そして、アイーシャの笑顔に特に色のついた感情が含まれていないことにも気づいていた。やはり彼女は自分を「親切な人」とは思っていても、感情を揺るがせる相手とは認識していないようだ。
それでもかまわない。彼女は自分の婚約者だ。これから関係性を深めていく時間はいくらでもある。ドルジラ王国のオークである彼女と婚約できたのも、この憎らしくも美しい美貌があったからに他ならない。今だけは自分の顔が本当に好きになれそうな気がして、マリウスは久しぶりに心からの笑顔を浮かべた。食堂中に黄色い悲鳴が響き渡ったのは、言うまでもない。