第二十六話 ナヨ・タケノカグヤ12
セイメーの実を預ける――グレイ・アダムスキーは確かに、そう言った。そして腰につけているポシェットのような物から、パッケージに包まれた三つの箱を取り出す。この箱の中には、月における医療班担当であるパーシー・ローウェルが作った特製の食物が入っている。
母星ケプラーでは比較的メジャーな食べ物ではあるのだが、グレイが持っているのはパーシーが独自に栄養調整したものだ。そのため一般品よりも非常に効果が高い。グレイは取り出したセイメーの実をナヨに渡し、まるで彼女に警告するように言う。
「この食べ物は僕たちにとって、ただの栄養補助食品に過ぎない。だが未だ生命規定値の低い地球人類が摂取すれば、多少の変化が訪れることになる。僕はそれを良しとしないが、君が……もしくは彼らが望むなら、見て見ぬ振りをしよう」
「グレイ主任、それは……でもこれをミカド君や、お爺さんお婆さんが食べれば――」
「そうだ、地球人類のテロメアが活性化され少しは寿命を延ばすことが出来る。その間に地球人類は何らかの方法を編み出し、もしかしたらあの月へ訪れることもあるだろう」
それはグレイの全くの嘘に限りなく近い詭弁だ。だが同時にグレイが許容できる、彼らに与えられる選択肢でもある。
「ナヨ君にどんな理由があろうと、ここに残ることも、彼らが月に来ることも、僕は許さない。今この場所で、野生として生きている地球人類を月へ連れて行くことは、彼らを檻にに閉じ込めるのと一緒であり、それは飼うという行為と同然だからだ」
それは決して不幸な生涯では無いのかも知れない。しかしそれを自分の恋人に望むものは居るのだろうか? ましてやそれを強いる相手を恋人と呼んでも良いのだろうか? 何よりそんな状況へとミカドを追い込むことをナヨは歓迎できるのだろうか?
「ナヨ君は、そんな生き方をしている彼らの姿を見たいのかい?」
天の川銀河太陽系第三惑星管轄監査管理士官であるグレイ・アダムスキーは、ナヨから視線を逸らし、今も星が輝く夜空を見上げる。そこにあるのは今も住んでる灰色の大地。
ここから見上げる月は綺麗な黄色に輝いており、グレイがいつも見ている月とは全く違うものだった。そんな月をグレイは眺めながら、ナヨに宣言するように話し掛ける。
「僕はね、地球人類を同じ人類として――友として迎えたいんだ」
地球に知的生命体候補が生まれ何百万年。その日々が辛かったことは一度も無いが、その結果が目の前の現生人類。
未だ宇宙に出る可能性は僅かだが、それでもグレイ・アダムスキーは地球人類を信じている。それは形こそ違うが、ナヨ・タケノカグヤと一緒にする思いだった。
グレイはナヨの手にパッケージングされたセイメーの実が入った箱と、壊れていない翻訳機を彼女に渡す。グレイ曰く「最後くらいは、まともに話せた方が君の為になるだろう」との事だ。
グレイの翻訳機は地球に降りた際、その波長をナヨの壊れていた方に合わせていた。そのためグレイが聞く彼らの言葉もおかしくなっており、その事に彼が気が付いたのである。
今ナヨに渡した翻訳機はグレイが持ってきた予備であり、波長も正確にこの土地の言語に合わせられている。
ナヨはそうして調整された翻訳機と、セイメーの実をグレイから受け取る。そして自分の世話をしてくれた老夫婦と、想いを寄せてくれた青年に向き直った。
「お爺さん、お婆さん……ミカド君」
ナヨは大切なものを扱うように、想いを込めてその名を呼ぶ。彼女の黒い瞳には涙が溜まり、今にもそれは溢れ出しそうだ。そんなナヨの姿に老夫婦の二人もついに我慢が出来ず、彼女の元へと駆け寄り抱きしめた。
「―――――――っつ」
ナヨは思わず言葉が詰まり、その大きな瞳から涙が零れれそうになる。だがナヨはそれに何とか耐え、自分の持っているセイメーの実のことを老夫婦の二人に説明し始めた。
「お爺さん、お婆さん。これはナヨの住んでいた場所にある、不思議な食べ物です。これを食べればお二人は、今よりももっと長生きが出来るようになるでしょう。ナヨは例え二人に会えなくなったとしても、もっと長生きして欲しいと思っています……二度と会えなくなると分かっていても、これを願うのは私の我儘でしょうか?」
そうしてナヨの手からパッケージングされた黄色い箱、セイメーの実と呼ばれる食べ物が老夫婦の前に出される。だが老夫婦の二人はそれを一瞬、珍しそうに眺めるだけで決して受け取らない。それは二人にとって嬉しい話ではあったが、それと同時に残酷な言葉でもあったからだ。
老夫婦の二人はお互いに顔を見合わせて、ナヨの方を見ながら首を横に振る。そして老爺は自分達の胸の内を聞かせるようにナヨへ話し掛ける。
「ナヨはワシらを置いてしまって、今夜にもあの月へと帰ってしまうのだろう。勿論その事をワシらが責める気などは毛頭ない。それに老いさらばえたワシら二人に、今更何の未練があるだろうか。ワシらはナヨが居るだけで幸せじゃった、決してナヨと暮らした日々を今も後悔などはしていない。もしあるとすれば、それはお前と少しでも一緒に居たかったという……心残りがあるだけじゃ」
「……お爺さん」
老爺の思い切りの良い言葉と、ナヨを大切に想う心が彼女の涙腺を緩ませる。しかし老爺の話しはまだ終わっておらず、ナヨは零れそうになる涙を必死に引き止める。
「この老い先短い爺の寿命など、お前に出会えた事だけで報われた。だからその不思議な実――蓬莱の実などワシらは要らぬ……じゃが最後に一つだけ聞きたい事がある。もちろんナヨが嫌だったら答えなくてもよい」
「聞きたいこと……ですか?」
ナヨは涙を溜めながらも首を傾げ、老夫婦の二人を見る。老爺はそんなナヨの姿にいつもの好々爺とした笑みを浮かべ、本当に大事そうに今までの事を思いだす。
「ワシがナヨを見つけた時は驚いた。それが赤子だったのが更に驚いた。そんな赤子をワシらに元に遣わした事を天に感謝した。そうしてナヨが大きくなり、ワシら夫婦はそれを見ているだけで楽しかった。ナヨがワシらと暮らすようになって、本当の家族のように――親の子のように接してくれて幸せじゃった……だがどちらにしても、親と子の別離は必ずやって来る。それは絶対に訪れる悲しみじゃ」
それは前々から抱いていた疑問。別れが確実な出会いなら、それは不幸と呼べるものではないだろうか?
「だから――お前は、ここに来た事を後悔してはいないだろうか?」
ナヨを愛する老爺は怯えながらも、そう問うた。
「お爺さん……」
しかしそんな答えなど、ナヨにはもう決まっている。何故なら彼女が言うべき言葉は他に無く、二人と暮らした日々は一生の宝物になっている。
「お爺さん、お婆さん。ナヨがここ来て……ううん、来た時はちょっと、どうしようか思ったけれど。ナヨが二人と暮らした日々で後悔した事なんて一つもないです。例え同じことを繰り返そうと、例え同じ悲しみが待っていようと、ナヨはきっと何度でもお二人の所にやって来ます」
ナヨのその言葉を聞いた老夫婦は思わず涙を零し、恥も外聞もなく泣き始める。その姿は惨めで滑稽で、どうしようもなく情けなく見えるだろう。だがその姿を愛しいと思うナヨは、とうとう自分も我慢出来なくなり、ポツリポツリと涙を零し始める。
「――ナヨ姫」
だがそうした家族の会話を眺めつつも、納得出来ない男が一人いる。
「……ミカド君」
そう、それは彼女の求婚者。ナヨの為にと二千の兵を率いた想い人。そしてこの地を治める帝の血筋、倭根子豊祖父――つまり後の世で文武天皇と呼ばれる事になる青年だった。




