第二十一話 ナヨ・タケノカグヤ8 倭根子豊祖父
「弓隊五百は塀の上にて構え! 残りの弓隊は屋敷の屋根の上で待機せよ! 槍を持つ者は、そのまま庭にて月からの使者に備えよ!」
『さぬき』の屋敷に響くのは勇ましき青年の声。普段は陽の光のような優しき雰囲気は形を潜め、今その表情を獣如く険しく怒りを滲ませている。
そんな彼の名前は倭根子豊祖父――つまりはこの国全てを治める王であり、ナヨからミカド君と呼ばれている人物だ。
そんなミカド君――倭根子豊祖父が、この国の王として即位したのは彼が十五の時である。父と母は既に若くして亡くなっており、彼の身近な家族と言えば祖母だけだった。
そんな祖母はミカドに優しく、普段の生活でも色々と気を遣って貰っている。しかしミカドの周囲の人間がどんなに優しくとも、彼は十五の少年に過ぎない。ミカドがこの国を左右する政を行うのは、やはり重責で、そのストレスは計り知れないものがあっただろう。
ミカドがいくら奮闘しても、片付けても無くならない書簡や政務。祖母からは優しくされてはいるものの、同時に重石のような期待を掛けられる毎日。そんな事はない筈だと思いながらも、部下からは、嘲りの声が聞こえて来るようで気が休まらない。
そうした他者からのプレッシャーを感じるのが当たり前の日々。ミカドは――僕も両親と同じように、きっと若いうちに死ぬのだろう――そんな考えが、常に頭の中に浮かぶ生活だった。
だがそうした日常が変わったのは、彼女の噂を聞いてから暫くしてからの頃だ。いや、正確には一度だけ――たった一度だけ起こった好奇心を満たすために、とある姫の姿を見た時だ
ミカドは使者を介して、さぬきの老爺に無理を言う。それは自分の興味を満足させるための好意であり、政務の間のちょっとした息抜きだ。
数多居る貴公子たちの求婚を跳ね除け、全ての男を袖にした居丈高な姫君。天女のように美しいと噂はあるが、実際に目にするまでは、どうせ眉唾的な話であろう――と、ミカドは思っていた。
だがそれを――さぬきの老爺に言いつけ、屋敷の庭へと連れ出して来てもらった姫の姿を見て、ミカドは自分の世界が一瞬で変わった事を自覚する。彼は獣を狩る振りをして、ナヨの屋敷近くの小高い丘の上からその姿を確認する。
「なんと、あの姫は本当にこの地上の者なのか?」
ミカドから口から呆然と流れる声。それは発したというよりも、自然と漏れ出してしまったという方が正しいかもしれない。
そうして呟く彼の目に映るのは、丘の上からでも分かる嫋やかな仕草。夜の空のような黒い髪と、誰もが触れる事すら暇う雪のような白い肌。老爺と静かに笑い合う姿は、正しくこの世の者とは思えない天女のような眩い姿だった。
この後のミカドの興奮は凄まじく、彼は都に戻っても、自分の部屋に戻っても、更には幾日経っても落ち着きを取り戻す事は無かった。
つまりミカドは庭で過ごすナヨを見て、一目で好きになり、恋に落ちてしまったのである。
こうして初恋を経験したミカドは、直ぐに追って使者を出し、ナヨを都にある宮廷に迎えようとする。しかしナヨからの返事は『ミカド様の下へは行けませぬ』いうものであり、彼の事を思いのほか落ち込ませてしまう。
「ぐっ……カグヤは、どの男にも靡く事はなかったと言います。もしかして彼女は、誰の妻になる気もないのでしょうか? それとも他に好いた男でも居るのでしょうか? どうにも気になって落ち着く事が出来ません。一体、僕はどうしたら良いのでしょう……はぁ」
だがそうして溜息をつくミカドに対し、ナヨの下から帰って来た使者は、彼女の詳しい言葉を伝える。その事によりミカドはナヨが嘘をつく男と、乱暴な男は特に嫌っている事を知る。
ミカドは自分自身がそいういう人間だとは思わないが、ナヨからすれば全く分からないのも当然の話である。
そうした事情にに納得したミカドは、ナヨが提案するお手紙の交換――つまりは文通を始め、まずは自分の気持ちを知ってもらう事から努力を始めるのだった。
そんなミカドの姿を周囲の人間からすれば、非常にじれったい物である。何故なら彼はこの土地全てを治める王で、願えば大抵の事は叶えられる存在だ。
それなのに彼の王はナヨの手紙に一喜一憂し、それでも幸せそうに読むのだから、最早手の施しようがないと思われても仕方がないだろう――良く悪くも恋は人を変えるのだ。
ミカドはナヨから届いた手紙を政務の合間に繰り返して読み込み、少しでも自分の気持ちが伝わるようにと、暇を見て書き記す。
ミカドはそんな生活を続けていく内に、次第と祖母のプレッシャーを跳ね除け、部下たちの視線や声も必要以上に気にならなくなっていた。
だがそうして過ごすミカドに対して、日常を壊すような一通の手紙が届けられる。それはまさしく青天の霹靂で、彼にとっても予想だにしていない――いや、想像すら出来ないことだった。
ミカドはナヨの保護者である『さぬきの造り』からの手紙を鬼気迫る表情で読んでいく。何度も何度も手紙を端から端まで読み込み、その珍しい相手からの手紙に書かれている内容を確認する。そしてその手にした手紙をクシャっと握り潰し、彼にしては珍しい厳し気な声で気勢を上げる。
「僕は絶対にナヨを諦めない! たとえそれが天の神であろうとも、彼女を想い続けるこの気持ちは止められない!」
こうして都から出たこの土地を治める王である倭根子豊祖父――ミカドは総勢二千人の軍勢を引き連れ、ナヨが暮らしている『さぬきの屋敷』へと向かっていくのだった。




