第二十二話 ナヨ・タケノカグヤ9 倭根子豊祖父2
天に輝く雲に乗り、一人の男がやって来る。その見目はとてもとても美しく、とももこの世の者とは思えない。
帳が落ちた暗い夜空に眩い光を放ちながら、悠然と空から舞い降りる。その髪と肌の色は摩訶不思議な銀の色、地上の者からすれば、それは正しく天の遣いの様だった。
「されど、ここは天上ではなく下天の地。神の常世ではなく、人が営む現世なり」
ミカドは天の向い叫びながら、都より連れ立ててきた兵達に指示を出す。彼がが狙うは月より来たる銀の人。それが例え想い人の迎えなれど、それは自分の逢瀬を邪魔する敵に過ぎない。
「屋根の上に居る五百は弓を構えよ! 塀の上の弓へは一射目に合わせて二射目を射よ! 地上の槍兵は姫の警護だ! 私の矢に合わせて、あの月の遣いを撃退せよ!」
ミカドはそう叫びながら弓を構え「えいっ!」と、矢を放つ。そうして射られた弓に合わせるのは、ミカドが自ら選んだ千の精鋭。主人である彼の息に重ねるように、一同に叫びながら月の使者へと一斉に矢を放ち始める。
「私には姫を想う心がある! もしこれが真の想いならば、きっとこの矢は届く筈だ!」
彼が放つは想いの矢。天に届けと、月に届けと、ただ願いを――想いを籠めて矢を放つ。怒りもなく、憎くもない筈の怨敵に、ミカドは唯々一つの線となる矢を放ってく。
「くっ!」
――だが、それが届くことは無い。
ミカドの口から苦悶の声が流れ始める。何故なら彼が――彼らが放つ矢は、月の使者に一本も届く事すらなく、何処かへ逸れていく。むしろその様子は、矢の方が自ら避けていくようにすら見えるのだ。
ミカドはそんな光景に目を見開き、驚きながらも月の使者に向って懸命に弓を射っていく。それはまるで何かを叫んでいる様で、湧き上がる何かに耐えている様な姿であった。
そんなミカドの努力も虚しく、夜空から段々と近づいてくる月の使者。例え地上に二千の兵が待ち構えていようと、それを気にする事なくやって来る。ミカドはその事実に次第に恐怖の感情を芽生えさえ、心の中には諦観の気持ちが満ちていく。
彼がどんなに願っても、彼がどんなに彼女を思っても、きっとその矢があの月の使者へと届く事はないのだろう――彼も本当は分かっていたのだ。
「だが――それで想いが消せるなら、己はそれを恋とは呼ばぬ! それで想いが消せるなら、己はそれを愛とは呼ばぬ! ならば最後まで無様に足掻くのが男の意地よ! 皆の者、姫を守れ! 何としてもあの者を月へと追い返すのだ!」
ミカドの声と共に放たれるのは千の怒号と千の弓矢。だがそうして放たれた矢じりの嵐さえ、月の使者にとっては小雨以下。鬱陶しそうな顔をしながらも、平然とミカドの愛しき人への側へと降りて来る。
「まだだ! まだだ!」
ミカドは想いの丈を口にしながら、弓を射る。だが、それがもう届く事はないだろう。何故なら月の使者は既にこの地に降り立ち、ミカドの想い人――ナヨの前に立っている。
夜に映えるは銀の髪と銀の肌。翡翠の色をした宝石のような眼が、ミカドと老夫婦の事を観察するように眺めてる。
しかしそうして立っているだけの姿は、まるでミカドとナヨを引き裂く壁の様。 それは天上と地上。それは昼と夜。それは月とこの地を分ける、一種の世界の壁そのものだ。
諦めてたくはない。諦められるものではない。諦めなければならい――そんな感情がミカドの心を占めていく。それは決して、決して、諦めの言葉ではなかったのだけれど。
「あぁ、雲が月を隠してしまった」
知らず知らずに、漏らしてしまうミカドの言葉。弱き彼が自分の事を言葉で責める。そうして響くは、月より訪れた使者の銀の声。その声は親愛の情からか不思議と温かく、しかしそれと同時に、何かを突き放すような冷たさがあった。
「ナヨ君、迎えに来たよ。君も老夫婦にお礼を言いなさい」
こうして月から来た姫の物語は、当然の如く――月に帰る事で終わるのだった。




