第十四話 ナヨ・タケノカグヤ
月にある超宇宙的技術で作られた基地――移民船ツッキーのメタリックな銀色の廊下を一人の女の子が走り抜けていく。
その女の子が大きな瞳に涙を溜め、黒い艶やかな長い髪を棚引かせながら走る姿は、まるでアスリートの様だ。
だが移民船の長い廊下を暴走した列車の様に走るこの人物は、決して著名なアスリートでも幼い女の子でもない。この月で移民船の修理や開発を担当する技術士官、ナヨ・タケノカグヤである。
彼女はその幼い容姿とそれに見合った言動のせいで、実年齢よりも若く見られるが、決して子供ではない。
一見子供の様に見えるナヨ・タケノガグヤは、母星ケプラーで技術士官になる為の学業と技術を修め、この基地に来る際にはグレイの面接もきちんと受けている。
つまりナヨ・タケノカグヤはこの移民船で働くエリートの一人であり、成人を迎えた立派な女性であるのだ。ただ一般的な女性よりも背が著しく低く、顔が少しだけ幼く見えるだけ――とは、本人の弁である。
「もう! ヤダヤダヤダヤダヤダ……ヤダ! ナヨはもう、お父さん口なんか聞いてあげないんだからっ!」
だがこうして叫びながら涙を溜める姿は、まるで癇癪を起した子供の姿である。ナヨは父であるタベント・タケノカグヤのコネを利用して、母星ケプラーから見れば、憧れの地であるこの月にやって来た。
過保護な父の元を離れ、大好きな機械いじりをしながら、憧れの地球人類の保護と観察をする理想的な職場。
今までナヨは一人暮らしなどした事も無く、常に父親の監視が付く籠の中の鳥なような生活をしていた。それに比べれば、まさに今は羽の伸ばし放題である。
「何でお父さんって、あんなに口煩いのかしら? 口を開けば『いつ帰ってくるんだ?』とか『月に直接住まなくても、自宅か近くの惑星から通えば良いだろう』とか、本当にもう五月蠅いんだから!」
父親の口を真似ながらナヨは不満を口にする。彼女が月に来てから既に百年は経っているというのに、父親の『帰って来なさい』攻撃が止むことは無い。むしろ時が過ぎれば過ぎる程、その攻勢は強くなるばかりである。
そもそもナヨ・タケノカグヤは父親のコネを使って、グレイとの面接を優先的に受けている。もちろん彼女がこの月に技術士官として招かれたのは、彼女の実力があったからである。
しかし父親であるタベント・タケノカグヤは、まさか娘が本当に月に行くとは思っていなかった。
タベントは娘に勝手にコネとして使われた事に腹を立てたし、その事を自分に知らせる事も無く採用したグレイに怒りも感じている。
だがタベントはいくら親ばかであろうと、それなの役職に就いているいい大人だ。グレイに八つ当たり的な感情をぶつけること無く、自分の娘を何とか説得しようと奔走していた。しかしその彼の努力が実を結んだ事はない。
タベントの言い分である「あんな辺境に、わざわざ行かなくても」という意見は、娘の「自分の部下をあんな辺境に飛ばしたのは、お父さんでしょ?」という言い分に負けて終わってしまう。
『あー言えば、こう言う』をまさに地でいく年頃の娘に、口下手な父親ではとても太刀打ち出来ない。そんなこんなの父親と娘の口喧嘩は今でも続き、この移民船ツッキーでも論争を繰り返しているのが二人の日常である。
こうして僅かでも口煩い父親から解き放たれ、自室で寛ぐナヨ。特にここ一年くらいは彼女の父親から連絡も来ておらず、それなりに自由な時間を謳歌している。だが災厄とは忘れた頃にやって来るもので、久しぶりに父親から連絡が入ってきた。
ナヨは一瞬無視してやり過ごそうかとも考えるが、急ぎの連絡なら取り返しのつかない事になるだろう。もちろんそんな話は今まで一度も無い――のだが、これから一度も起きないとは限らない。
「はぁ……お父さんったら、どうかしたのかな? 謝りたいって話しなら、聞いてあげなくも無いんだけどなぁ」
ナヨはそう言って自室のコンソールを嫌々叩き、父親から送られてきたビデオメールを確認する。何もない空間にディスプレイが表示され、その画面には彼女の父親であるタベントの顔が映し出される。
肌の色は、白いナヨの肌と全く違って鈍い銀色の肌。頬骨が角ばっており武骨な感じのする容貌。その気難しそうな実直な顔つきは、如何にも融通が効かなそうだ。
実際はそうでもないのだが、口煩く言われているナヨかしたら、単なる頑固親父にしか見えない。そんな慣れ親しんだ父親の顔を見つめながら、ナヨは送られてきたビデオメールを再生する。
『あーナヨ、久しぶりだね。元気だったかい? 私の方は相変わらず忙しい日々ではあるが、身体の方は健康そのものだ。ナヨも体には気を付けて職務に励むとよいだろう』
ディスプレイに映し出されるナヨの父親――タベントの顔は如何にもバツが悪そうだ。もし、いの一番にお小言や『帰って来なさい』などの定型文が流れていたら、ナヨはその時点でビデオメールを見るのを止めていただろう。そしてそれを父のタベントも分かっているからこそ、こんな内容から話を始めている。
『あーうん、それで、その……一年前というか、今まで済まなかった。私としても今まで手塩に掛けて育てていた娘が、いきなり遠くの辺境の地へと赴任したのだ。グレイからも何の相談も無く、お前が月に行くまで、心の準備がまるっきり出来ていなかったのだ…………ナヨ、すまなかったな。許して欲しい』
「……お父さん」
渋々ながらもディスプレイに写るタベントは頭を下げる。それは不器用な謝罪の仕方ではあるが、これが娘の為に出来るギリギリの妥協なのだろう。
そんな父の姿に「素直じゃないなぁ」と呟きながらも、ナヨは少しだけ嬉しそうだ。
「それでだな。私もナヨに許して欲しいと思って、お前にとっても良い話を持ってきた。きっとナヨも前向きに検討してくれると、父さんは思っている」
「…………?」
ナヨは急激な話の方向転換に首を傾げ、その違和感に疑問を抱く。だがナヨの父であるタベントは娘を目に入れても痛くないと豪語する人間であり、その暑苦しい愛情は本物だ。
ナヨがこの月の基地に来ることに不満はあれど、技術士官として働く事自体は反対していない。あくまで自分の手元から離れる事を嫌がっただけである。
そんな父の態度や心境を煙たがってはいても理解しているナヨは、もしかして「新しい玩具……ではなく、設備や工具などをプレゼントしてくるのかも?」と期待してしまう――だが父親は、所詮父親である。
「ナヨにお見合いの話をいくつも用意した。引く手数多の選び放題だ。その中にはナヨも好きな、技術畑の男性もかなり居る。普段ならコネや伝手なんぞ鬱陶しい厄介ごとに過ぎんのだが、こんな時だ――便利に使わせてもらったよ」
「……お父さん」
自分のコネを使って娘の為の男を見繕う。酷いコネの使い方ではあるが、ある意味では正しい使い方でもある。そもそもナヨも自分の利益と就職活動の為に、それを利用しているのだ。父親であるタベントに、今回の事をどうこう言える筈もない。
「もしそれで良い人が見つかったら、一度こちらに戻って来なさい。そうしたら、もう一度きちんと話し合いをしよう……うん、それが良い。ぜひ、そうしなさい」
タベントが娘を取り戻す為に画策したお見合い話。本当に結婚を許すかどうかはともかく、ナヨの父親はそれを利用して、娘を一時的にでも自宅へと戻す計画だ。タベントのコネや伝手を使ったという事は、少なくともお見合い自体は断る事が出来ないだろう。
そしてナヨも異性や結婚生活に興味津々なお年頃。今までは縁が無かったため、そういう経験はないが、これも一つの切っ掛けかと前向きに考える――とはいえ、結婚してからもナヨはこの仕事は続けるつもりだし、父親が居る実家に戻るつもりはない。
「ふーん、お見合いかぁ。お話だけなら、とりあえずは受けてもいいかも」
こうして父の策謀とナヨの好奇心によって、なし崩し的に彼女の婚活活動が始まる。だがそこには致命的な見落としが一つあった。
「よーし! じゃあ、いっぱい、可愛くしようっと!」
勿論それはナヨ・タケノカグヤの容姿である。父親のタベントから見れば、ナヨの容姿はまさに永遠の少女だ。
彼らにしては珍しい白い雪の様な肌はしているが、造形は非常に整っており、まるで精巧に作られた人形の様に可愛らしい。瞳と髪は吸い込まれる様な緑がかった黒色で、ミステリアスな雰囲気を醸し出している。
そしてその細い体躯と背の低さは、少女の壊れそうな儚さを助長し庇護欲を抱かせる。ついでに言えば年齢を重ねてもあまり成長の跡が見られず、いつまで経っても幼いままのように見える。
そういったナヨの一部の性癖に突き刺さりそうな特徴は、父親の視点からするとまさに理想の娘に近いのである。
そんな理想の娘の外見をしているナヨは、父親からの鬱陶しい愛情を受けている。それが肉親としての愛情である事はナヨも理解はしているが、それを含めてでも、自分が『一般的』な男性から受けが悪いとは思っていなかった。
ナヨはその容姿や性格から、愛想が良く、ニコニコと他者に気さくな態度で話し掛ける事が出来る女性だ。そのおかげで年上や同じ年齢――下手をすれば年下の存在からも、娘や妹の様に可愛がられてしまう。
つまりナヨは少なくとも自分自身は縁が無かっただけで、多少はモテる筈と思っている……もしくは思い込んでいた。そしてその認識は父であるタベントもあまり変わらない。
「「ようするに旦那になるかもしれない男性を抱き込んだほうが、有利に事を運べる」」
――と、当事者である二人は考えてしまう。
しかし残念な事に、この二人の思惑は見事外れてしまう。ナヨの性格はともかく、容姿はあまりにも受けが悪かった。
お見合いの為に用意された画像は、フリルを沢山あしらった如何にもお姫様的な可愛らしい姿だ。それは男性のお見合い相手というよりは、黒い瞳と髪をした女の子が、薄クリーム色をしたドレスで着飾っている様にしか見えない。
そうしたナヨのお見合い画像を見た相手の男性は、一度目を閉じてから確かめるように目を開き、二度見するのが殆どだったという。
これを地球人類に例えるなら一般的な成人男性に、見た目が小学生の女の子を紹介したようなものだ。まともな精神性をしている男性なら、この画像に苦笑いか、顰めっ面になるかのどっちかである。そして何よりタベントは、娘におかしな人間を紹介する気は毛頭ない。父親が娘の相手に選ぶ男性はまともな性格をしており、決してロリなコン好きな人物はいなかったのである。
こうして理想の女性像が、まともな男性をナヨはお見合い相手として紹介され、その相手には振られ続けるという負のスパイラルが完成する。
しかしそんな事には気づかずお見合い話を持ってくる父親と、いくら頑張っても実る事のない婚活活動に疲れた娘が出来上がってしまっていた
「……………ヤ。もう、嫌。どれだけ可愛いく、おめかししても……お話で凄く盛り上がっても結局お断りされちゃう。なのにお父さんは、どんどん男の人を紹介してくるし」
自室で項垂れながら身体を休めていると、空間に映し出されたディスプレイの一部がビデオメールの到着を知らせてくる。
ナヨはヨロヨロとしながらコンソールを叩き、送られてきたビデオメールを再生する。
「ナヨ! 今度の男はお前に相応し――」
ナヨは最後までその映像を見る事なく、ビデオメールの再生を停止する。それは今までヨレヨレとなっていた彼女とは違い、迅速で的確な対応だ。
こうして父親であるタベント・タケノカグヤの最後の一押しに寄り、精神を限界まで削られたナヨ・タケノカグヤは、地球へと逃避行の旅へと出掛けるのであった。




