【新潟記念②】父父ウォーエンブレム
大変お待たせいたしました……
次回は5/27あたりを考えています。
僅かながらも読んでくださる方、反応をくださる方がいて大変励みになっております。何とかエタらずしっかりした話をかけるよう頑張ります
2026年8月30日(日)、第62回新潟記念(G3)。
5月開催の新潟大賞典と全く同じ、芝左回り2000m。
クロノドラクロワは、新馬戦以来1年ぶりに新潟に戻ってきた。サマー2000シリーズの最終戦ということもあり、ローカル開催ながら多くの観客がパドックに熱い視線を注いでいる。
そして、その場の空気は物理的にも暑かった。午後になると気温は30℃を越え、屋根のない新潟のパドックに日差しが降り注ぐ。陣営はドラクロワと厩務員の桃田に申し訳ないと思いながらも、ギリギリまで待機所で涼んでいた。
……正確に言うと暑いこととは別に、もうひとつパドックに出たくない理由があった。
◆◆◆
「あ~あ~あ、何でアイツはこんな大事な日にやらかすかねぇ……」
黒木牧場の2代目牧場長・黒木渉は、この世の終わりのような顔で頭をかきむしる。調教師の栗林親子が代わる代わる宥めるも、全く耳に入っていない。
「なあ、牧場長。そろそろ出ないと、誘導馬が来るぞ」
「いや。後5分……もうちょっと待ってからの方が」
「さっきからずっとそれ言ってますけどね」
「今出て行ったら俺は笑い者だ!!」
渉がここまで嫌がる理由は、パドックを周回している愛馬の股間にあった。ご立派なものがにょろんと飛び出し、だらしなくブラブラ揺れている。馬っ気——発情である。
ドラクロワが今まで馬っ気を起こしたことは無い。牝馬に興味がないわけではないが、それより男同士で競り合う方が好きな馬だ。体は大きいが精神年齢は低めと思っていただけに、陣営としては完全に想定外だった。
とはいえ、単なる馬っ気ならまだいい。大抵は発走までにブツは引っ込むし、発情して集中力を欠くと言われているものの、普通にレースを勝つ馬もいる。大して話題になるようなことではない。
だが今日に限っては大スクープである。ドラクロワがデレデレしながら目で追っている馬は、よりにもよって小さな栗毛の古馬だった。
「今頃桃田のやつ、俺たちのこと恨んでるでしょうねー。あいつ1人で晒し者になってるでしょ」
「多分な……何せ1番人気で新進気鋭の3歳馬が、いざパドックに行ったら年上の金髪姉ちゃんに鼻の下伸ばしてんだぞ。ネタにされないわけがない」
「んー。初めて古馬と走らせるわけですし、何か起きるとは思ってましたけど。こう来たか、って感じっすね」
栗林親子のぼやきを横に、渉はモニターに目をやる。前評判では赤オッズで1番人気だったドラクロワは、たった15分で5番人気まで落としていた。
「なぜだ」
「なぜ栗毛が好みなんだぁぁ……」
渉は両手で顔を覆う。
「あれじゃ父父——ウォーエンブレムの再来じゃないか。そういう変なところは似るなってのに……」
ウォーエンブレムといえば、アメリカ二冠を達成しながら栗毛の小柄な馬にしか興味を示さなかった名馬にして迷馬である。彼の孫にあたるドラクロワは、以前から見た目が似ていると一部ファンの間で話題になっていた。
だが今日のやらかしで、その話題は完全に別方向へ爆発した。よりによって特殊性癖まで受け継いでしまうとは。
そういえばクラシックでも栗毛の馬をちらちら見ていた。皐月賞馬のマイティタックルに、青葉賞馬のダグラスファイター……ただライバル視していただけと思っていたが、今思うにあれは栗毛フェチだったのではないか。
(知りたくもないことを知ってしまった)
(どうすりゃいいんだ)
牧場のトラウマを勇ましく打破するはずの愛馬は、すっかり面白ホース認定されている。ニヤニヤしている観客の前に馬主として出ていくのは、渉はどうしても嫌だった。
「……俺、今日だけ馬主じゃないことにできない?」
「無理です」
栗林誠が即答する。
「口取りがあるかもしれません。腹くくってくださいよ」
「えぇぇぇ……」
「あんな状態ですけど、新潟は得意なんですから。青葉賞は2着、ダービーは5着だった馬です。今日のレースは斤量が軽いし、取ってくんなきゃ困ります」
「あれで勝ったら一生擦られる!!」
「何言ってんです。勝たなかったらもっと擦られますよ」
「地獄か」
モニターの中では、ドラクロワがまた栗毛の馬の方へ首を伸ばしていた。桃田が必死に引き戻すが、ドラクロワはいかにも不服そうに首を振る。
その姿は、ダービーで堂々の掲示板入りを果たして重賞初制覇を狙う期待馬には到底見えない。ただの――年上の金髪お姉さんに夢中な、でっかい男子高校生だった。
誠はため息をつきながらも、モニターに映し出された別の馬に目を留める。
その馬——因縁の相手・大外15番のザナバザールは、低人気ながらパドックでは1番のデキ映えを見せていた。
少なくとも誠の目にはそう見えた。今まではぐでっとだらしなく寝そべるように付いていた筋肉が、どこかキュッと締まって張りついているように思えたのだ。
◆◆◆
柚木慎平は番記者から取材を受けていたのか、パドックには現れずに地下馬道でドラクロワに騎乗した。
「慎平、コイツ今日はテンション高い。折り合いはしっかり付けてくれ」
「了解。……馬っ気か、珍しい」
「いやー、どうも年上好きだったらしい。あと栗毛フェチ」
誠からの謎報告に、柚木は軽くため息をつく。
「あ、あと1点注意」
「ん」
「⑮——ザナバザールには気を付けろ。どうもメイチで仕上げてきてる。ヤネはジジグだし、何をしてくるかわからないから警戒しとけ」
「わかった」
そう短く返すと、柚木は軽く腕を回し始めた。
「柚木さん、肩でも痛いんですか?」
「あ、いや。それもあるけど、レースに向けてのストレッチというか。思いっきり馬を追えるように」
「へぇ。肩の可動域を広げるってことですかね」
「まあ……そうだな。逆に桃田くんは肩痛くならない?」
「うーん、まだそんな年じゃないですかね」
「…………」
地下馬道の終点は明るくなっている。歓声と拍手が空気を震わせ、ドラクロワの荒い鼻息は徐々に落ち着いていった。
「柚木さん。今日のレース、絶対勝ってくださいよ。絶対です」
「ああ」
「パドックでこの子はめちゃくちゃ笑われたんですからね。……まあ、本人が悪いんですけど」
桃田の声は最初軽い調子だったが、目は真っ直ぐに柚木を見ていた。
「せめてレースは勝って……ドラクロワを口取りに立たせてください。この子に重賞を——お願いします。柚木さんにしかできないことです」
その言葉に無言で頷くと、柚木とドラクロワの姿は地上に消えていった。
……歓声と拍手と、それ以上に大きな笑い声と共に。
《さあ——最後に本馬場入りするのはメンバーの中で唯一の3歳馬、春のダービーは5着の⑤クロノドラクロワ。524キロ(+8)、鞍上は柚木慎平。パドックではかなり話題になっておりましたが……あー、意中の馬はこの方ですかねぇ……⑪セクシーサンデーさん……どうやらタイプのようです》
言いたい放題な実況に、スタンドはどっと湧いた。




