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直線659  作者: 伊野部俊
5R【"妹"、戦う】
51/61

【放牧②】お兄ちゃんと"お兄ちゃん"

更新がギリギリになってしまいました……誠に申し訳ありません。




2025年、12月27日。年末を締めくくるグランプリ・有馬記念(G1)の前日。


世間はドラマの影響もあってか有馬記念一色である。ただでさえ混み合う中山競馬場が、入場券を抽選で発売するという異例の対応に踏みきっていた。だが——美浦(みほ)の短距離王国と日高のとある牧場には、有馬よりも重要なレースがあった。



◆◆◆


《阪……馬場、第11レース……本日のメイ……ースは、第20回阪神カップ(G2)……芝右回り1400m、コンデ……ョンは良……ガガガガッ》


茨城県・美浦(みほ)——栗林厩舎。数々の短距離~マイル重賞を制してきた名門厩舎の事務室から、今日も調子っ外れなラジオの音が漏れる。


東のお祭りレースの裏で開催される、西のスピード王決定戦。この阪神カップに、栗林厩舎は2頭出しで挑んでいた。



◆◆◆


同じ頃、北海道・日高は浦河町。

開業50年を迎えた黒木牧場の事務所からは、厩舎とは真逆の滑らかな実況が流れる。


《……8番、重賞2着3回の実力派、シングインザレイン。昨年の雪辱を果たせるか、482キロ(+4)。鞍上は厩舎との黄金タッグ、柚木(ゆのき)慎平》

《11番、クロノ軍団の頼れる老兵クロノブラスト。7歳馬と侮るなかれ、自慢の末脚で冬の阪神に嵐を巻き起こします。508キロ(+6)……》


事務所の窓から見える放牧地では、1頭の青鹿毛の馬が地面に撒かれた乾草(ほしくさ)を食んでいた。ここ数年の暖冬のせいか、年末の北海道だというのに雪は全くない。本来なら雪の中で美味しい宝探し——というところだが、あいにく宝は丸見えだった。


(……はぁ~~~)

(美味い)

(走ったあとの草は美味いッッ!!)


栄養豊富なルーサン(牧草の一種)の旨味が、成長期の若駒の体に染み渡る。寒い冬の放牧地を駆けた後にぴったりの高カロリー食だ。


2週間前にエリカ賞(1勝クラス)を勝ったクロノドラクロワは、放牧に出され故郷の黒木牧場に戻っていた。しばらくは牧場でお正月休みを過ごし、年明けからはいよいよクラシックに向けた戦いが始まる。


これは黒木牧場にとっても、開業以来の大一番であった。代々スプリント~マイルの活躍馬を輩出してきた黒木牧場から、久しぶりに中距離適性を持った素質馬が出たのだ。それも2頭——クロノドラクロワと、先日の阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)で3着に入ったスターフィーユ。どちらも2歳冬の時点でオープン入りしているとなれば、当然目指すは3歳クラシック路線である。


(年が明けたら3歳か)

(クラシック……きっと、今までとは比べ物にならない強い馬が出てくるんだろう)

(あのチビ馬とか、ドヤ顔の馬よりも凄いやつ……)


ドラクロワは乾草を平らげると、地面にぽつぽつと生えている草まで食べ始める。


放牧に入ってからは他馬の噂を耳にしていない。だが1週間前——美浦トレセンにいた頃は、調教や厩舎で飛び交う会話から自然とライバルたちの動向がわかった。


例えば百日草特別で戦った1勝クラスの馬たち。レースを制したドヤ顔の牝馬・ドンナモンジャイは、続く東スポ杯2歳ステークス(G2)でも牡馬を蹴散らし重賞制覇。ドラクロワに喧嘩を売り、3着に粘り込んだ逃げ馬・タグタグウマッコは、京都2歳ステークス(G3)で4着、朝日杯フューチュリティステークス(G1)で3着と好走を続けている。


その上——オープンクラスだと、ウマッコを差し切り朝日杯を制したマジックキングダムに、2歳レコード保持者で惜しくも同レース2着に敗れたニルヴァーナ。この2頭は関西の栗東(りっとう)トレセンに所属していることもあり、まだ直接会ったことすらない。


(マジックキングダムってやつ……G1を勝ったらしいが、そもそも新馬戦でドヤ顔の馬に負けてる)

(ニルなんとかってやつも、レコード持ちの割には大したこと無さそうだな)

(うーん、実際に戦ったことがないからイマイチ強さにピンと来ない……)


そこまで考えたとき、ドラクロワはぴたりと咀嚼を止めた。真後ろで、踏みしめられた小枝がぱきりと割れる音がしたからだ。誰かがこちらに近づいているのだろう。


口の端に牧草をくっつけたまま振り向くと、"妹"スターフィーユが柵越しに恨めしそうな顔で立っている。彼女も2歳シーズンを終え放牧に出されていたが、ドラクロワのような楽しいお正月休み——ではないらしい。



◆◆◆


『ねぇ。"お兄ちゃん"』

『な……ウェッヘン!!何だよ』

口の中の乾草を急いで飲み込んでから、ドラクロワは答えた。ルーサン特有の、ほんのり甘い後味が残る。


『"お兄ちゃん"のせいで、私負けたんだけど』

『はあ?何で俺のせいになるんだよ。お前が勝手に走って勝手に負けたんだろ』

『違う!!……"お兄ちゃん"、2週間前に阪神のレースに出たでしょ。エリカ賞?だったっけ』

『おう、そうだよ。知ってるかもしれねぇが、俺は怒涛の差しきり勝ちを決めたんだぜ。凄いだろ』

『凄い?どこがよ。あんなドリフトなんかして、競馬以前の問題でしょ。よく調教再審査もらわなかったわね』

『それは……詳しくは知らんけど、後で慎平が"あのドリフトは意図してやった"って記者に言ったらしい。俺はあいつの指示通りに走っただけだぞ』

『慎平さんが?何それ……』


"兄"ドラクロワの言葉にスターフィーユは軽くため息をつくと、今度は牧柵を咥えてガタガタと揺らし始めた。


『おいおいおい!!何してんだ、壊す気かよ』

『板を外すだけよ。ここだけ釘が抜けてるの』


そう言うと器用に牧柵を外し、地面にぽいっと投げ捨てる。きっちり牡牝で分けられている放牧地に抜け道を作ると、ずんずんとドラクロワの方へやってきた。いつものおっとりした感じとは随分違う。


『"お兄ちゃん"がエリカ賞勝った次の日に、私G1に出てたのね。阪神ジュベナイルフィリーズ。……そしたら、パドックで"あの強烈ドリフト野郎と同じ馬主のやつだ!!"とか言われて、めちゃくちゃ恥ずかしかったんだから!!』


"妹"はまくし立てる。大分白くなってきた芦毛の体が、今日だけは何となくピンク色に見えた。同じ芦毛でも、彼女の"実の兄"——シングインザレインの濃い灰色とは全く色合いが異なる。


『"コイツもドリフトするだろww"とか、"暴走ドリフトお嬢様疑惑"とか、あることないこと言われてレースどころじゃなかったのよ!!"お兄ちゃん"があんなふざけたレースしなきゃ、私と慎平さんは人馬ともに初のG1を手にしてたのに』


そこまで言われて黙っている馬ではない。ドラクロワは、つい禁句を口にしてしまった。


『俺のせいにすんじゃねぇ!!大体お前ら兄妹は揃いも揃ってシルバーコレクターじゃねぇか。従兄の俺には関係ねぇだろ』

『はぁぁぁ!?やだーーッッ!!それは言わないで!!その言葉は嫌いなの』


これが良くなかった。ドラクロワの中で、やんちゃ坊主がひょいと顔を出す。乙女をからかう言葉がもう、ポンポンと出てきて止まらない。


『お前らの成績言ってやろうか。シングインザレインの兄貴——チャーチルダウンズカップ(G3)、2着。NHKマイルカップ、3着。京王杯オータムハンデ(G3)、2着。スワンステークス(G2)、2着……』

『ちょっと!!2とか3は嫌いだってば』

『で、お前。札幌2歳ステークス(G3)、3着。アルテミスステークス(G3)、2着。阪神ジュベナイルフィリーズ、3着。あーら不思議、芦毛だけに兄妹で銀メダル祭り』

『サイテーーッ!!お兄ちゃんをバカにした!!』

『バカにしてねぇわ!!俺だってアニキが勝つとこを楽しみに待っ……』



◆◆◆


その時。

事務所の窓から、ラジオの音とスタッフの悲鳴が放牧地に響いた。


《……先頭⑪クロノブラスト!!⑪クロノブラストかわしてゴールイン》

《勝ったのは伏兵⑪クロノブラスト!!⑪クロノブラスト衰え知らず、冬の仁川(にがわ)に一陣の風!!》

《そしてクロノ軍団の本命⑧シングインザレイン……またも2着、これで重賞は2着が4回目という悔しい結果に……》


スターフィーユは思わず立ち上がった。

『いやーーっ!!また2着!!』

『ありゃあ……』

『"お兄ちゃん"のせいだからね!!』

『いや(ちげ)ーだろ!!』



シングインザレインとスターフィーユは母親が同じ、実の兄妹です。クロノドラクロワとスターフィーユは母親が姉妹なので血縁的にはいとこですが、とある事情により"双子の兄妹"として育てられています

※エピソード10及び23に詳細あります


クロノブラスト(Chrono Blast)

2018年生 牡7 鹿毛

父:ハービンジャー

母:クロノストーム

母父:Storm Cat

生産牧場:黒木牧場(浦河町)

馬主:クロノレーシング

勝負服:黒、白二本輪、白袖灰1本輪

戦績:27戦6勝(6-2-5-14)


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