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厩務員の涙




京都競馬場は、揺れていた。


残り200mを切って、先頭のグリニッジアースは押し切り体制に入る。だがその後ろでは、スタンドの大歓声とともに4頭が熾烈な追い比べを見せていた。


《先頭⑮グリニッジアース!!グリニッジアースこのまま押しきれるか!!

後ろ4頭来ている!!2番手は③スーパースナップ、そのあと3頭横並びで最内⑰ドライスロット、真ん中⑧ミラガイア——


一番外から⑤スタンドバイミー迫る!!⑤スタンドバイミー上がってきた!!③スーパースナップにクビ差まで迫るが——まだ抜けない!まだ抜けない!》


③スーパースナップまだ粘る!まだ伸びる!必死に喰らいつく!!⑮グリニッジアースに届くか!!父ダノンシャークとの親子制覇なるか!!》


《喰うか!!》

《喰われるか!!》

《喰うか!!》

《喰ったか!?喰ったか!!——先頭並んでゴールイン!!》


《あぁこれは……僅かにグリニッジアース残った気もしますが果たしてどうでしょう!!3着は⑤スタンドバイミー、4着は⑧ミラガイア、昨年覇者の⑰ドライスロットは5着でしょうか》



◇◇◇


「スナップ!!あぁ……」

厩務員の桃田は、ゴールの瞬間ピッタリ並んだ2頭の馬を見て思わず声をあげた。

その片方——自分の担当馬、スーパースナップ。昨年5月に京王杯Sカップ(G2)を勝つも、今年に入ってからは惨敗が続いていた。


昨年の春に栗林厩舎に就職した桃田は、厩務員として2頭の馬を世話することになる。その内の1頭が当時4歳のスーパースナップだった。定年退職するスタッフ・竹富から引き継いだ馬だが、これがかなりの訳あり馬で、とてもじゃないが新人に扱えるとは思えなかった。



◆◆◆


「この子、歯並びが悪いんだよ。ほらここ」

そう言うと竹富は、そっとスナップの唇をめくる。するとデコボコの乱杭歯が現れ、思わず桃田は顔をしかめた。


「うわ……僕よりひどいですね。こんなんでちゃんとハミ(馬の口にかませる金属の棒。騎手が手綱を通して馬に指示を出す)噛ませられます?」

「いや、難しい。毎回イヤイヤされるし、上手く噛ませてもすぐに壊そうとする」

「人みたいに矯正できないのかな……僕もしてますけど。ほら」

桃田はスナップと竹富に向かって口を開けて見せる。


「あっはは、それができれば良いけどねぇ」

竹富は穏やかに笑ったが、やがてその表情を曇らせる。


「この子、絶対に重賞を取れると思うんだ。でも生まれつきの問題で、本来の力を発揮できてない。歯が悪いから、よく病気にもなるしね」

「へえ……」

「栗林先生も、この馬の強さを信じてた。きっと僕なら何とかできると思って担当にしたんだと思う。だけど、残念ながらタイムリミットが近づいてる。僕じゃダメだった」

「…………」

「桃田くんは、手が小さいね。その手なら、ハミを噛ませるときにスナップもあまり痛がらないと思う。何となく……君はスナップと上手くやっていけそうだよ。歯並び悪い者同士」

「えーっ!?そんな理由ですか」

「ごめん、ごめん。じゃ——頑張れ、新人くん」


そう言って竹富は、厩舎を去っていった。


◆◆◆


それから桃田は、ほぼ毎日スナップにハミを装着した。竹富の言う通り、桃田の小さな手はスナップの乱杭歯の間を器用にすり抜けた。それまで毎回のように大騒ぎしていたスナップは、段々と心を開くようになる。


そして昨年の5月、スナップは京王杯Sカップを勝ち遂に重賞ウイナーになった。桃田は観客として見にきた竹富と抱き合い、初めて口取りにも参加した。厩務員を目指してよかった——そう感じた瞬間だった。


ところが次走の安田記念で、スナップはゲートに顔をぶつけて前歯を折ってしまう。それ以降は凡走が続き、陣営は引退も視野に入れ始めた。


しかし桃田は、どうしても彼の可能性を諦めきれなかった。竹富に連絡を取って助言を仰ぎ、陣営と話して特注のハミを作ることになった。


こうして作られた銅製のハミは、スナップの入り組んだ口内にピッタリはまった。さらに銅が口の中で甘味を感じさせ、馬をリラックスさせる。いつもより機嫌良さそうに歯を鳴らすスナップを見て、桃田はどこか確信めいたものを感じた。




その結果が——たった今目の前で起きた大接戦である。もう、桃田は泣かずにはいられなかった。


「竹富さぁん……見てましたか、スナップが……スナップがぁぁぁぁ!!やりましたよ……すごい子ですよ……」



◇◇◇


《さて……着順確定までしばらく時間がかかりそうです。解説の◯◯さん。いや、スタンドの歓声が……すごいことになってますね。何かここも揺れてませんか?》


《そりゃ、この後の馬券のこと考えたら声も出ますよ。特に3連単とか……頭で③を買ってる人はどれだけいたんでしょうかねぇ?》


《こうして見ると、上位人気の中に大穴が割って入る形になりましたが……この③スーパースナップ、今年に入ってからの成績はすべて掲示板外でした。ここで大激走した理由については◯◯さん、どうお考えですか》


《はい。去年の京王杯Sカップを勝ってからは、ま……言い方があれですけど鳴かず飛ばずで。元々この馬、歯並びが悪くてハミを上手く噛ませられないところがあるんですよね。馬自体の能力は高いのに、操縦性にハンデを抱えていたんですよ。口の中がムズムズするのかレース中によく嫌がってましたけど、今回はそれが無くて……恐らく陣営がハミの形を変えるなり、手を入れてきたんでしょう。馬体重や調教に大きく変化はありませんでしたから、私も見落としてしまいました》


《……ハミですか!!しかし、そんなこと共同記者会見では言ってませんでしたけど……ねぇ。栗林調教師、いつも言葉少ないですから》


《ほんとですよ。今日の結果見たファンからしたら"言わんかい!!"って感じでしょ。パドックでもさすがに馬具まできっちり見てる人は少ないでしょうし》


《確かに。ブリンカーやシャドーロールならともかく、ハミはわかりませんよねぇ》


《してやられた、って感じですよ。ま、私の夢馬券も見事に散りました。当たった方にはお見事と言いたいですが……あ、着順出ましたか?》


《はい、判定……出ました!!⑮!!⑮です!!

勝ったのは1番人気、⑮グリニッジアースです!!


っあ~……これは鞍上河田ジョッキー、見事に残しました。そして最後まで喰らいついた③スーパースナップはハナ差の2着……いやしかし◯◯さん、これはもう拍手するしかないでしょう》


《ええ、ええ。立派ですよ。お客さんたちもわかってますよね、この拍手は1頭じゃなくて2頭のためだって》


《そして——あっ、今……検量室前、③スーパースナップ担当の桃田厩務員、駆け寄りました!!ああ、泣いています……嬉しさと、悔しさが入り交じった涙でしょうか》


《いや、△△アナ。こういうの見ちゃうと、競馬はやめられないんですよねぇ……》



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